口語訳聖書(振り仮名付き)

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マルコによる福音ふくいんしょ

第1章    Mk-Audio 

1:1 かみイエス・キリストの福音ふくいんのはじめ。

1:2 預言者よげんしゃイザヤのしょに、 「よ、わたしは使つかいをあなたのさきにつかわし、あなたのみちととのえさせるであろう。

1:3 荒野あらのばわるものこえがする、しゅみちそなえよ、そのみちすじをまっすぐにせよ』」いてあるように、

1:4 バプテスマのヨハネが荒野あらのあらわれて、つみのゆるしをさせる悔改くいあらためのバプテスマをつたえていた。

1:5 そこで、ユダヤ全土ぜんどとエルサレムのぜん住民じゅうみんとが、かれのもとにぞくぞくとって、自分じぶんつみ告白こくはくし、ヨルダンがわでヨハネからバプテスマをけた。

1:6 このヨハネは、らくだのごろもをにまとい、こしかわおびをしめ、いなごとみつとを食物しょくもつとしていた。

1:7 かれつたえてった、「わたしよりもちからのあるかたが、あとからおいでになる。わたしはかがんで、そのくつのひもをうちもない。

1:8 わたしはみずでバプテスマをさづけたが、このかたは、聖霊せいれいによってバプテスマをおさづけになるであろう」。

1:9 そのころ、イエスはガリラヤのナザレからてきて、ヨルダンがわで、ヨハネからバプテスマをおけになった。

1:10 そして、みずなかからがられるとすぐ、てんけて、聖霊せいれいがはとのように自分じぶんくだってるのを、ごらんになった。

1:11 するとてんからこえがあった、「あなたはわたしのあいする、わたしのこころにかなうものである」。

1:12 それからすぐに、御霊みたまがイエスを荒野あらのいやった。

1:13 イエスは四十にちのあいだ荒野あらのにいて、サタンのこころみにあわれた。そしてけものもそこにいたが、御使みつかいたちはイエスにつかえていた。

1:14 ヨハネがとらえられたのち、イエスはガリラヤにき、かみ福音ふくいんつたえてわれた、

1:15 「ときちた、かみくにちかづいた。あらためて福音ふくいんしんぜよ」。

1:16 さて、イエスはガリラヤのうみべをあるいてかれ、シモンとシモンの兄弟きょうだいアンデレとが、うみあみっているのをごらんになった。かれらは漁師りょうしであった。

1:17 イエスはかれらにわれた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間にんげんをとる漁師りょうしにしてあげよう」。

1:18 すると、かれらはすぐにあみてて、イエスにしたがった。

1:19 またすこすすんでかれると、ゼベダイのヤコブとその兄弟きょうだいヨハネとが、ふねなかあみつくろっているのをごらんになった。

1:20 そこで、すぐかれらをおまねきになると、ちちゼベダイを雇人やといにんたちと一緒いっしょふねにおいて、イエスのあとについてった。

1:21 それから、かれらはカペナウムにった。そして安息日あんそくにちにすぐ、イエスは会堂かいどうにはいっておしえられた。

1:22 人々ひとびとは、そのおしえおどろいた。律法りっぽう学者がくしゃたちのようにではなく、権威けんいあるもののように、おしえられたからである。

1:23 ちょうどそのとき、けがれたれいにつかれたもの会堂かいどうにいて、さけんでった、

1:24 「ナザレのイエスよ、あなたはわたしたちとなんのかかわりがあるのです。わたしたちをほろぼしにこられたのですか。あなたがどなたであるか、わかっています。かみ聖者せいじゃです」。

1:25 イエスはこれをしかって、「だまれ、このひとからけ」とわれた。

1:26 すると、けがれたれいかれをひきつけさせ、大声おおごえをあげて、そのひとからった。

1:27 人々ひとびとはみなおどろきのあまり、たがいろんじてった、「これは、いったい何事なにごとか。権威けんいあるあたらしいおしえだ。けがれたれいにさえめいじられると、かれらはしたがうのだ」。

1:28 こうしてイエスのうわさは、たちまちガリラヤのぜん地方ちほう、いたるところにひろまった。

1:29 それから会堂かいどうるとすぐ、ヤコブとヨハネとをれて、シモンとアンデレとのいえにはいってかれた。

1:30 ところが、シモンのしゅうとめが熱病ねつびょうとこについていたので、人々ひとびとはさっそく、そのことをイエスにらせた。

1:31 イエスは近寄ちかより、そのをとっておこされると、ねつき、おんなかれらをもてなした。

1:32 夕暮ゆうぐれになりしずむと、人々ひとびと病人びょうにん悪霊あくれいにつかれたものをみな、イエスのところにれてきた。

1:33 こうして、町中まちじゅうもの戸口とぐちあつまった。

1:34 イエスは、さまざまのやまいをわずらっているおおくの人々ひとびとをいやし、またおおくの悪霊あくれいされた。また、悪霊あくれいどもに、物言ものいうことをおゆるしにならなかった。かれらがイエスをっていたからである。

1:35 あさはやく、よるけるよほどまえに、イエスはきてさびしいところき、そこでいのっておられた。

1:36 すると、シモンとその仲間なかまとが、あとをってきた。

1:37 そしてイエスをつけて、「みんなが、あなたをさがしています」とった。

1:38 イエスはかれらにわれた、「ほかの、附近ふきん町々まちまちにみんなでって、そこでもおしえつたえよう。わたしはこのためにてきたのだから」。

1:39 そして、ガリラヤぜんめぐりあるいて、しょ会堂かいどうおしえつたえ、また悪霊あくれいされた。

1:40 ひとりのらい病人びょうにんが、イエスのところにねがいにきて、ひざまずいてった、「みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。

1:41 イエスはふかくあわれみ、ばしてかれにさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」とわれた。

1:42 すると、らいびょうただちにって、そのひとはきよくなった。

1:43 イエスはかれをきびしくいましめて、すぐにそこをらせ、こうかせられた、

1:44 「なにひとはなさないように、注意ちゅういしなさい。ただって、自分じぶんのからだを祭司さいしせ、それから、モーセがめいじたものをあなたのきよめのためにささげて、人々ひとびと証明しょうめいしなさい」。

1:45 しかし、かれって、自分じぶんおこったことをさかんにかたり、またいひろめはじめたので、イエスはもはや表立おもてだってはまちに、はいることができなくなり、そとさびしいところにとどまっておられた。しかし、人々ひとびと方々ほうぼうから、イエスのところにぞくぞくとあつまってきた。 

第2章 

2:1 幾日いくにちかたって、イエスがまたカペナウムにおかえりになったとき、いえにおられるといううわさがったので、

2:2 おおくの人々ひとびとあつまってきて、もはや戸口とぐちのあたりまでも、すきまがいほどになった。そして、イエスは御言みことばかれらにかたっておられた。

2:3 すると、人々ひとびとがひとりの中風ちゅうぶものを四にんひとはこばせて、イエスのところにれてきた。

2:4 ところが、群衆ぐんしゅうのために近寄ちかよることができないので、イエスのおられるあたりの屋根やねをはぎ、あなをあけて、中風ちゅうぶものかせたまま、とこをつりおろした。

2:5 イエスはかれらの信仰しんこうて、中風ちゅうぶものに、「よ、あなたのつみはゆるされた」とわれた。

2:6 ところが、そこに幾人いくにんかの律法りっぽう学者がくしゃがすわっていて、こころなかろんじた、

2:7 「このひとは、なぜあんなことをうのか。それはかみをけがすことだ。かみひとりのほかに、だれがつみをゆるすことができるか」。

2:8 イエスは、かれらが内心ないしんこのようにろんじているのを、自分じぶんこころですぐぬいて、「なぜ、あなたがたはこころなかでそんなことをろんじているのか。

2:9 中風ちゅうぶものに、あなたのつみはゆるされた、とうのと、きよ、とこりあげてあるけ、とうのと、どちらがたやすいか。

2:10 しかし、ひと地上ちじょうつみをゆるす権威けんいをもっていることが、あなたがたにわかるために」とかれらにい、中風ちゅうぶものにむかって、

2:11 「あなたにめいじる。きよ、とこりあげていえかえれ」とわれた。

2:12 するとかれきあがり、すぐにとこりあげて、みんなのまえったので、一同いちどうおおいにおどろき、かみをあがめて、「こんなことは、まだ一たことがない」とった。

2:13 イエスはまたうみべにかれると、おおくの人々ひとびとがみもとにあつまってきたので、かれらをおしえられた。

2:14 また途中とちゅうで、アルパヨのレビが収税所しゅうぜいしょにすわっているのをごらんになって、「わたしにしたがってきなさい」とわれた。するとかれちあがって、イエスにしたがった。

2:15 それからかれいえで、食事しょくじせきについておられたときのことである。おおくの取税人しゅぜいにん罪人つみびとたちも、イエスや弟子でしたちとともにそのせきいていた。こんなひとたちがおおぜいいて、イエスにしたがってきたのである。

2:16 パリサイ律法りっぽう学者がくしゃたちは、イエスが罪人つみびと取税人しゅぜいにんたちと食事しょくじともにしておられるのをて、弟子でしたちにった、「なぜ、かれ取税人しゅぜいにん罪人つみびとなどと食事しょくじともにするのか」。

2:17 イエスはこれをいてわれた、「丈夫じょうぶひとには医者いしゃはいらない。いるのは病人びょうにんである。わたしがきたのは、義人ぎじんまねくためではなく、罪人つみびとまねくためである」。

2:18 ヨハネの弟子でしとパリサイびととは、断食だんじきをしていた。そこで人々ひとびとがきて、イエスにった、「ヨハネの弟子でしたちとパリサイびと弟子でしたちとが断食だんじきをしているのに、あなたの弟子でしたちは、なぜ断食だんじきをしないのですか」。

2:19 するとイエスはわれた、「婚礼こんれいきゃくは、花婿はなむこ一緒いっしょにいるのに、断食だんじきができるであろうか。花婿はなむこ一緒いっしょにいるあいだは、断食だんじきはできない。

2:20 しかし、花婿はなむこうばられるる。そのには断食だんじきをするであろう。

2:21 だれも、真新まあたらしいぬのぎれを、ふる着物きものいつけはしない。もしそうすれば、あたらしいつぎはふる着物きものやぶり、そして、やぶれがもっとひどくなる。

2:22 まただれも、あたらしいぶどうしゅふるかわぶくろれはしない。もしそうすれば、ぶどうしゅかわぶくろをはりき、そして、ぶどうしゅかわぶくろもむだになってしまう。〔だから、あたらしいぶどうしゅあたらしいかわぶくろれるべきである〕」。

2:23 ある安息日あんそくにちに、イエスは麦畑むぎばたけなかをとおってかれた。そのとき弟子でしたちが、あるきながらをつみはじめた。

2:24 すると、パリサイびとたちがイエスにった、「いったい、かれらはなぜ、安息日あんそくにちにしてはならぬことをするのですか」。

2:25 そこでかれらにわれた、「あなたがたは、ダビデとそのともものたちとが食物しょくもつがなくてえたとき、ダビデがなにをしたか、まだんだことがないのか。

2:26 すなわち、大祭司だいさいしアビアタルのときかみいえにはいって、祭司さいしたちのほかべてはならぬそなえのパンを、自分じぶんべ、またともものたちにもあたえたではないか」。

2:27 またかれらにわれた、「安息日あんそくにちひとのためにあるもので、ひと安息日あんそくにちのためにあるのではない。

2:28 それだから、ひとは、安息日あんそくにちにもまたしゅなのである」。 

第3章 

3:1 イエスがまた会堂かいどうにはいられると、そこに片手かたてのなえたひとがいた。

3:2 人々ひとびとはイエスをうったえようとおもって、安息日あんそくにちにそのひとをいやされるかどうかをうかがっていた。

3:3 すると、イエスは片手かたてのなえたそのひとに、「って、なかてきなさい」とい、

3:4 人々ひとびとにむかって、「安息日あんそくにちぜんおこなうのとあくおこなうのと、いのちすくうのところすのと、どちらがよいか」とわれた。かれらはだまっていた。

3:5 イエスはいかりをふくんでかれらをまわし、そのこころのかたくななのをなげいて、そのひとに「ばしなさい」とわれた。そこでばすと、そのもとどおりになった。

3:6 パリサイびとたちはって、すぐにヘロデとうものたちと、なんとかしてイエスをころそうと相談そうだんしはじめた。

3:7 それから、イエスは弟子でしたちとともうみべに退しりぞかれたが、ガリラヤからきたおびただしい群衆ぐんしゅうがついてった。またユダヤから、

3:8 エルサレムから、イドマヤから、さらにヨルダンのこうから、ツロ、シドンのあたりからも、おびただしい群衆ぐんしゅうが、そのなさっていることをいて、みもとにきた。

3:9 イエスは群衆ぐんしゅう自分じぶんせまるのをけるために、小舟こぶね用意よういしておけと、弟子でしたちにめいじられた。

3:10 それは、おおくのひとをいやされたので、病苦びょうくなやものみなイエスにさわろうとして、せてきたからである。

3:11 また、けがれたれいどもはイエスをるごとに、みまえにひれし、さけんで、「あなたこそかみです」とった。

3:12 イエスは自身じしんのことをひとにあらわさないようにと、かれらをきびしくいましめられた。

3:13 さてイエスはやまのぼり、みこころにかなったものたちをせられたので、かれらはみもとにきた。

3:14 そこで十二にんをおてになった。かれらを自分じぶんのそばにくためであり、さらに宣教せんきょうにつかわし、

3:15 また悪霊あくれい権威けんいたせるためであった。

3:16 こうして、この十二にんをおてになった。そしてシモンにペテロというをつけ、

3:17 またゼベダイのヤコブと、ヤコブの兄弟きょうだいヨハネ、かれらにはボアネルゲ、すなわち、かみなりというをつけられた。

3:18 つぎにアンデレ、ピリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルパヨのヤコブ、タダイ、熱心ねっしんとうのシモン、

3:19 それからイスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切うらぎったのである。

イエスがいえにはいられると、

3:20 群衆ぐんしゅうがまたあつまってきたので、一同いちどう食事しょくじをするひまもないほどであった。

3:21 身内みうちものたちはこのこといて、イエスを取押とりおさえにてきた。くるったとおもったからである。

3:22 また、エルサレムからくだってきた律法りっぽう学者がくしゃたちも、「かれはベルゼブルにとりつかれている」とい、「悪霊あくれいどものかしらによって、悪霊あくれいどもをしているのだ」ともった。

3:23 そこでイエスはかれらをせ、たとえをもってわれた、「どうして、サタンがサタンをすことができようか。

3:24 もしくに内部ないぶわかあらそうなら、そのくにかない。

3:25 また、もしいえうちわでわかあらそうなら、そのいえかないであろう。

3:26 もしサタンが内部ないぶ対立たいりつ分争ぶんそうするなら、かれけず、ほろんでしまう。

3:27 だれでも、まずつよひとしばりあげなければ、そのひといえって家財かざいうばることはできない。しばってからはじめて、そのいえ略奪りゃくだつすることができる。

3:28 よくかせておくが、ひとらには、そのおかすすべてのつみかみをけがす言葉ことばも、ゆるされる。

3:29 しかし、聖霊せいれいをけがすものは、いつまでもゆるされず、永遠えいえんつみさだめられる」。

3:30 そうわれたのは、かれらが「イエスはけがれたれいにつかれている」とっていたからである。

3:31 さて、イエスのはは兄弟きょうだいたちとがきて、そとち、ひとをやってイエスをばせた。

3:32 ときに、群衆ぐんしゅうはイエスをかこんですわっていたが、「ごらんなさい。あなたの母上ははうえ兄弟きょうだい姉妹しまいたちが、そとであなたをたずねておられます」とった。

3:33 すると、イエスはかれらにこたえてわれた、「わたしのはは、わたしの兄弟きょうだいとは、だれのことか」。

3:34 そして、自分じぶんをとりかこんで、すわっている人々ひとびとまわして、われた、「ごらんなさい、ここにわたしのはは、わたしの兄弟きょうだいがいる。

3:35 かみのみこころをおこなものはだれでも、わたしの兄弟きょうだい、また姉妹しまい、またははなのである」。 

第4章 

4:1 イエスはまたも、うみべでおしえはじめられた。おびただしい群衆ぐんしゅうがみもとにあつまったので、イエスはふねってすわったまま、海上かいじょうにおられ、群衆ぐんしゅうはみなうみ沿って陸地りくちにいた。

4:2 イエスはたとえおおくのことおしえられたが、そのおしえなかかれらにこうわれた、

4:3 「きなさい、たねまきがたねをまきにった。

4:4 まいているうちに、みちばたにちたたねがあった。すると、とりがきてべてしまった。

4:5 ほかのたねつちうす石地いしじちた。そこはつちふかくないので、すぐしたが、

4:6 のぼるとけて、がないためにれてしまった。

4:7 ほかのたねはいばらのなかちた。すると、いばらがびて、ふさいでしまったので、むすばなかった。

4:8 ほかのたねちた。そしてはえて、そだって、ますますむすび、三十ばい、六十ばい、百ばいにもなった」。

4:9 そしてわれた、「みみのあるものくがよい」。

4:10 イエスがひとりになられたとき、そばにいたものたちが、十二弟子でしともに、これらのたとえについてたずねた。

4:11 そこでイエスはわれた、「あなたがたにはかみくに奥義おくぎさづけられているが、ほかのものたちには、すべてがたとえかたられる。

4:12 それは

かれらはるにはるが、みとめず、くにはくが、さとらず、あらためてゆるされることがない』ためである」。

4:13 またかれらにわれた、「あなたがたはこのたとえがわからないのか。それでは、どうしてすべてのたとえがわかるだろうか。

4:14 たねまきは御言みことばをまくのである。

4:15 みちばたに御言みことばがまかれたとは、こういうひとたちのことである。すなわち、御言みことばくと、すぐにサタンがきて、かれらのなかにまかれた御言みことばを、うばってくのである。

4:16 おなじように、石地いしじにまかれたものとは、こういうひとたちのことである。御言みことばくと、すぐによろこんでけるが、

4:17 自分じぶんなかがないので、しばらくつづくだけである。そののち、御言みことばのために困難こんなん迫害はくがいおこってくると、すぐつまずいてしまう。

4:18 また、いばらのなかにまかれたものとは、こういうひとたちのことである。御言みことばくが、

4:19 こころづかいと、とみまどわしと、そのいろいろなよくとがはいってきて、御言みことばをふさぐので、むすばなくなる。

4:20 また、にまかれたものとは、こういうひとたちのことである。御言みことばいてけいれ、三十ばい、六十ばい、百ばいむすぶのである」。

4:21 またかれらにわれた、「ますのした寝台しんだいしたくために、あかりをってくることがあろうか。燭台しょくだいうえくためではないか。

4:22 なんでも、かくされているもので、あらわれないものはなく、秘密ひみつにされているもので、あかるみにないものはない。

4:23 みみのあるものくがよい」。

4:24 またかれらにわれた、「くことがらに注意ちゅういしなさい。あなたがたのはかるそのはかりで、自分じぶんにもはかあたえられ、そのうえになおくわえられるであろう。

4:25 だれでも、っているひとさらあたえられ、っていないひとは、っているものまでもげられるであろう」。

4:26 またわれた、「かみくには、あるひとたねをまくようなものである。

4:27 夜昼よるひる寝起ねおきしているあいだに、たねしてそだってくが、どうしてそうなるのか、そのひとらない。

4:28 はおのずからむすばせるもので、はじめに、つぎに、つぎになかゆたかなができる。

4:29 がいると、すぐにかまをれる。刈入かりいときがきたからである」。

4:30 またわれた、「かみくになにくらべようか。また、どんなたとえいあらわそうか。

4:31 それは一つぶのからしたねのようなものである。にまかれるときには、地上ちじょうのどんなたねよりもちいさいが、

4:32 まかれると、成長せいちょうしてどんな野菜やさいよりもおおきくなり、おおきなえだり、そのかげそらとり宿やどるほどになる」。

4:33 イエスはこのようなおおくのたとえで、人々ひとびとちからにしたがって、御言みことばかたられた。

4:34 たとえによらないではかたられなかったが、自分じぶん弟子でしたちには、ひそかにすべてのことをかされた。

4:35 さてその夕方ゆうがたになると、イエスは弟子でしたちに、「こうぎしわたろう」とわれた。

4:36 そこで、かれらは群衆ぐんしゅうをあとにのこし、イエスがふねっておられるまま、した。ほかのふね一緒いっしょった。

4:37 すると、はげしい突風とっぷうおこり、なみふねなかんできて、ふねちそうになった。

4:38 ところがイエス自身じしんは、ともほうでまくらをして、ねむっておられた。そこで、弟子でしたちはイエスをおこして、「先生せんせい、わたしどもがおぼれんでも、おかまいにならないのですか」とった。

4:39 イエスはきあがってかぜをしかり、うみにむかって、「しずまれ、だまれ」とわれると、かぜはやんで、おおなぎになった。

4:40 イエスはかれらにわれた、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰しんこうがないのか」。

4:41 かれらはおそれおののいて、たがいった、「いったい、このほうはだれだろう。かぜうみしたがわせるとは」。 

第5章 

5:1 こうしてかれらはうみこうぎし、ゲラサびといた。

5:2 それから、イエスがふねからあがられるとすぐに、けがれたれいにつかれたひと墓場はかばからてきて、イエスに出会であった。

5:3 このひと墓場はかばをすみかとしており、もはやだれも、くさりでさえもかれをつなぎとめてけなかった。

5:4 かれはたびたびあしかせやくさりでつながれたが、くさりきちぎり、あしかせをくだくので、だれもかれおさえつけることができなかったからである。

5:5 そして、夜昼よるひるたえまなく墓場はかばやまさけびつづけて、いし自分じぶんのからだをきずつけていた。

5:6 ところが、このひとがイエスをとおくからて、はしってはいし、

5:7 大声おおごえさけんでった、「いとたかかみイエスよ、あなたはわたしとなんのかかわりがあるのです。かみちかっておねがいします。どうぞ、わたしをくるしめないでください」。

5:8 それは、イエスが、「けがれたれいよ、このひとからけ」とわれたからである。

5:9 またかれに、「なんという名前なまえか」とたずねられると、「レギオンといます。おおぜいなのですから」とこたえた。

5:10 そして、自分じぶんたちをこの土地とちからさないようにと、しきりにねがいつづけた。

5:11 さて、そこのやま中腹ちゅうふくに、ぶた大群たいぐんってあった。

5:12 れいはイエスにねがってった、「わたしどもを、ぶたにはいらせてください。そのなかおくってください」。

5:13 イエスがおゆるしになったので、けがれたれいどもはって、ぶたなかへはいりんだ。すると、そのれは二千ひきばかりであったが、がけからうみへなだれをってくだり、うみなかでおぼれんでしまった。

5:14 ぶたものたちがして、まちむらにふれまわったので、人々ひとびと何事なにごとおこったのかとにきた。

5:15 そして、イエスのところにきて、悪霊あくれいにつかれたひと着物きものて、正気しょうきになってすわっており、それがレギオンを宿やどしていたものであるのをて、おそれた。

5:16 また、それをひとたちは、悪霊あくれいにつかれたひとおこったことぶたのこととを、かれらにはなしてかせた。

5:17 そこで、人々ひとびとはイエスに、この地方ちほうからっていただきたいと、たのみはじめた。

5:18 イエスがふねろうとされると、悪霊あくれいにつかれていたひとがおともをしたいとねがた。

5:19 しかし、イエスはおゆるしにならないで、かれわれた、「あなたの家族かぞくのもとにかえって、しゅがどんなにおおきなことをしてくださったか、またどんなにあわれんでくださったか、それをらせなさい」。

5:20 そこで、かれり、そして自分じぶんにイエスがしてくださったことを、ことごとくデカポリスの地方ちほういひろめしたので、人々ひとびとはみなおどろあやしんだ。

5:21 イエスがまたふねこうぎしわたられると、おおぜいの群衆ぐんしゅうがみもとにあつまってきた。イエスはうみべにおられた。

5:22 そこへ、会堂司かいどうづかさのひとりであるヤイロというものがきて、イエスをかけるとそのあしもとにひれし、

5:23 しきりにねがってった、「わたしのおさなむすめにかかっています。どうぞ、そのがなおってたすかりますように、おいでになって、をおいてやってください」。

5:24 そこで、イエスはかれ一緒いっしょかけられた。おおぜいの群衆ぐんしゅうもイエスにせまりながら、ついてった。

5:25 さてここに、十二年間ねんかんながをわずらっているおんながいた。

5:26 おおくの医者いしゃにかかって、さんざんくるしめられ、そのものをみなついやしてしまったが、なんのかいもないばかりか、かえってますますわるくなる一方いっぽうであった。

5:27 このおんながイエスのことをいて、群衆ぐんしゅうなかにまぎれみ、うしろから、みころもにさわった。

5:28 それは、せめて、みころもにでもさわれば、なおしていただけるだろうと、おもっていたからである。

5:29 すると、もとがすぐにかわき、おんな病気びょうきがなおったことを、そのかんじた。

5:30 イエスはすぐ、自分じぶんうちからちからったことにづかれて、群衆ぐんしゅうなかき、「わたしの着物きものにさわったのはだれか」とわれた。

5:31 そこで弟子でしたちがった、「ごらんのとおり、群衆ぐんしゅうがあなたにせまっていますのに、だれがさわったかと、おっしゃるのですか」。

5:32 しかし、イエスはさわったものつけようとして、まわしておられた。

5:33 そのおんな自分じぶんおこったことをって、おそれおののきながらすすて、みまえにひれして、すべてありのままをもうげた。

5:34 イエスはそのおんなわれた、「むすめよ、あなたの信仰しんこうがあなたをすくったのです。安心あんしんしてきなさい。すっかりなおって、達者たっしゃでいなさい」。

5:35 イエスが、まだはなしておられるうちに、会堂司かいどうづかさいえから人々ひとびとがきてった、「あなたのむすめはなくなりました。このうえ、先生せんせいわずらわすにはおよびますまい」。

5:36 イエスはそのはなしている言葉ことばながして、会堂司かいどうづかさわれた、「おそれることはない。ただしんじなさい」。

5:37 そしてペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟きょうだいヨハネのほかは、ついてることを、だれにもおゆるしにならなかった。

5:38 かれらが会堂司かいどうづかさいえくと、イエスは人々ひとびと大声おおごえいたり、さけんだりして、さわいでいるのをごらんになり、

5:39 うちにはいって、かれらにわれた、「なぜさわいでいるのか。子供こどもんだのではない。 ねむっているだけである」。

5:40 人々ひとびとはイエスをあざわらった。しかし、イエスはみんなのものそとし、子供こども父母ふぼともものたちだけをれて、子供こどものいるところにはいってかれた。

5:41 そして子供こどもって、「タリタ、クミ」とわれた。それは、「少女しょうじょよ、さあ、きなさい」という意味いみである。

5:42 すると、少女しょうじょはすぐにがって、あるした。十二さいにもなっていたからである。かれらはたちまち非常ひじょうおどろきにたれた。

5:43 イエスは、だれにもこのことらすなと、きびしくかれらにめいじ、また、少女しょうじょ食物しょくもつあたえるようにとわれた。 

第6章 

6:1 イエスはそこをって、郷里きょうりかれたが、弟子でしたちもしたがってった。

6:2 そして、安息日あんそくにちになったので、会堂かいどうおしえはじめられた。それをいたおおくの人々ひとびとは、おどろいてった、「このひとは、これらのことをどこでならってきたのか。また、このひとさずかった知恵ちえはどうだろう。このようなちからあるわざがそのおこなわれているのは、どうしてか。

6:3 このひと大工だいくではないか。マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟きょうだいではないか。またその姉妹しまいたちも、ここにわたしたちと一緒いっしょにいるではないか」。こうしてかれらはイエスにつまずいた。

6:4 イエスはわれた、「預言者よげんしゃは、自分じぶん郷里きょうり親族しんぞくいえ以外いがいでは、どこででもうやまわれないことはない」。

6:5 そして、そこではちからあるわざを一つもすることができず、ただ少数しょうすう病人びょうにんをおいていやされただけであった。

6:6 そして、かれらの信仰しんこうおどろあやしまれた。

それからイエスは、附近ふきん村々むらむらめぐりあるいておしえられた。

6:7 また十二弟子でしせ、ふたりずつつかわすことにして、かれらにけがれたれいせいする権威けんいあたえ、

6:8 またたびのために、つえ一ぽんのほかにはなにたないように、パンも、ぶくろも、おびなかぜにたず、

6:9 ただわらじをはくだけで、下着したぎも二まいないようにめいじられた。

6:10 そしてかれらにわれた、「どこへっても、いえにはいったなら、その土地とちるまでは、そこにとどまっていなさい。

6:11 また、あなたがたをむかえず、あなたがたのはなしきもしないところがあったなら、そこからくとき、かれらにたいする抗議こうぎのしるしに、あしうらのちりをはらおとしなさい」。

6:12 そこで、かれらはって、悔改くいあらためをつたえ、

6:13 おおくの悪霊あくれいし、おおぜいの病人びょうにんあぶらをぬっていやした。

6:14 さて、イエスのれわたって、ヘロデおうみみにはいった。ある人々ひとびとは「バプテスマのヨハネが、死人しにんなかからよみがえってきたのだ。それで、あのようなちからかれのうちにはたらいているのだ」とい、

6:15 人々ひとびとは「かれはエリヤだ」とい、また人々ひとびとは「むかし預言者よげんしゃのような預言者よげんしゃだ」とった。

6:16 ところが、ヘロデはこれをいて、「わたしがくびったあのヨハネがよみがえったのだ」とった。

6:17 このヘロデは、自分じぶん兄弟きょうだいピリポのつまヘロデヤをめとったが、そのことで、ひとをつかわし、ヨハネをとらえてごくにつないだ。

6:18 それは、ヨハネがヘロデに、「兄弟きょうだいつまをめとるのは、よろしくない」とったからである。

6:19 そこで、ヘロデヤはヨハネをうらみ、かれころそうとおもっていたが、できないでいた。

6:20 それはヘロデが、ヨハネはただしくてせいなるひとであることをって、かれおそれ、かれ保護ほごくわえ、またそのおしえいて非常ひじょうなやみながらも、なおよろこんでいていたからである。

6:21 ところが、よい機会きかいがきた。ヘロデは自分じぶん誕生たんじょういわいに、高官こうかん将校しょうこうやガリラヤの重立おもだったひとたちをまねいて宴会えんかいもよおしたが、

6:22 そこへ、このヘロデヤのむすめがはいってきてまいをまい、ヘロデをはじめ列座れつざひとたちをよろこばせた。そこでおうはこの少女しょうじょに「ほしいものはなんでもいなさい。あなたにあげるから」とい、

6:23 さらに「ほしければ、このくに半分はんぶんでもあげよう」とちかってった。

6:24 そこで少女しょうじょをはずして、ははに「なにをおねがいしましょうか」とたずねると、ははは「バプテスマのヨハネのくびを」とこたえた。

6:25 するとすぐ、少女しょうじょいそいでおうのところにってねがった、「いますぐに、バプテスマのヨハネのくびぼんにのせて、それをいただきとうございます」。

6:26 おう非常ひじょうこまったが、いったんちかったのと、また列座れつざひとたちの手前てまえ少女しょうじょねがいを退しりぞけることをこのまなかった。

6:27 そこで、おうはすぐに衛兵えいへいをつかわし、ヨハネのくびってるようにめいじた。衛兵えいへいき、獄中ごくちゅうでヨハネのくびり、

6:28 ぼんにのせてってきて少女しょうじょあたえ、少女しょうじょはそれをははにわたした。

6:29 ヨハネの弟子でしたちはこのことをき、その死体したいりにきて、はかおさめた。

6:30 さて、使徒しとたちはイエスのもとにあつまってきて、自分じぶんたちがしたことやおしえたことを、みな報告ほうこくした。

6:31 するとイエスはかれらにわれた、「さあ、あなたがたは、ひとけてさびしいところって、しばらくやすむがよい」。それは、出入でいりするひとおおくて、食事しょくじをするひまもなかったからである。

6:32 そこでかれらはひとけ、ふねってさびしいところった。

6:33 ところが、おおくの人々ひとびとかれらがかけてくのを、それとづいて、方々ほうぼう町々まちまちからそこへ、一せいにけつけ、かれらよりさきいた。

6:34 イエスはふねからがっておおぜいの群衆ぐんしゅうをごらんになり、もののないひつじのようなその有様ありさまふかくあわれんで、いろいろとおしえはじめられた。

6:35 ところが、はやときもおそくなったので、弟子でしたちはイエスのもとにきてった、「ここはさびしいところでもあり、もうときもおそくなりました。

6:36 みんなを解散かいさんさせ、めいめいでなにべるものいに、まわりの部落ぶらく村々むらむらかせてください」。

6:37 イエスはこたえてわれた、「あなたがたの食物しょくもつをやりなさい」。弟子でしたちはった、「わたしたちが二百デナリものパンをってきて、みんなにべさせるのですか」。

6:38 するとイエスはわれた、「パンはいくつあるか。てきなさい」。かれらはたしかめてきて、「五つあります。それにうおが二ひき」とった。

6:39 そこでイエスは、みんなを組々くみぐみけて、青草あおくさうえにすわらせるようにめいじられた。

6:40 人々ひとびとは、あるいは百にんずつ、あるいは五十にんずつ、れつをつくってすわった。

6:41 それから、イエスは五つのパンと二ひきのうおとをり、てんあおいでそれを祝福しゅくふくし、パンをさき、弟子でしたちにわたしてくばらせ、また、二ひきのうおもみんなにおけになった。

6:42 みんなのものべて満腹まんぷくした。

6:43 そこで、パンくずやうおのこりをあつめると、十二のかごにいっぱいになった。

6:44 パンをべたものおとこ五千にんであった。

6:45 それからすぐ、イエスは自分じぶん群衆ぐんしゅう解散かいさんさせておられるあいだに、しいて弟子でしたちをふねませ、こうぎしのベツサイダへさきにおやりになった。

6:46 そして群衆ぐんしゅうわかれてから、いのるためにやま退しりぞかれた。

6:47 夕方ゆうがたになったとき、ふねうみのまんなかており、イエスだけが陸地りくちにおられた。

6:48 ところが逆風ぎゃくふういていたために、弟子でしたちがこぎなやんでいるのをごらんになって、夜明よあけの四ごろ、うみうえあるいてかれらにちかづき、そのそばをとおぎようとされた。

6:49 かれらはイエスがうみうえあるいておられるのをて、幽霊ゆうれいだとおもい、大声おおごえさけんだ。

6:50 みんなのものがそれをて、おじおそれたからである。しかし、イエスはすぐかれらにこえをかけ、「しっかりするのだ。わたしである。おそれることはない」とわれた。

6:51 そして、かれらのふねまれると、かぜはやんだ。かれらはこころなかで、非常ひじょうおどろいた。

6:52 さきのパンのことをさとらず、そのこころにぶくなっていたからである。

6:53 かれらはうみわたり、ゲネサレのいてふねをつないだ。

6:54 そしてふねからあがると、人々ひとびとはすぐイエスとって、

6:55 その地方ちほうをあまねくけめぐり、イエスがおられるとけば、どこへでも病人びょうにんとこにのせてはこびはじめた。

6:56 そして、むらでもまちでも部落ぶらくでも、イエスがはいってかれるところでは、病人びょうにんたちをその広場ひろばにおき、せめてその上着うわぎのふさにでも、さわらせてやっていただきたいと、おねがいした。そしてさわったものみないやされた。 

第7章 

7:1 さて、パリサイびとと、ある律法りっぽう学者がくしゃたちとが、エルサレムからきて、イエスのもとにあつまった。

7:2 そして弟子でしたちのうちに、不浄ふじょう、すなわちあらわないで、パンをべているものがあるのをた。

7:3 もともと、パリサイびとをはじめユダヤじんはみな、むかしひと言伝いいつたえをかたくまもって、念入ねんいりにあらってからでないと、食事しょくじをしない。

7:4 また市場いちばからかえったときには、きよめてからでないと、食事しょくじをせず、なおそのほかにも、さかずきはち銅器どうきあらうことなど、むかしからけついでかたくまもっていることが、たくさんあった。

7:5 そこで、パリサイびと律法りっぽう学者がくしゃたちとは、イエスにたずねた、「なぜ、あなたの弟子でしたちは、むかしひと言伝いいつたえにしたがってあゆまないで、不浄ふじょうでパンをべるのですか」。

7:6 イエスはわれた、「イザヤは、あなたがた偽善者ぎぜんしゃについて、こういているが、それは適切てきせつ預言よげんである、

『このたみは、くちさきではわたしをうやまうが、そのこころはわたしからとおはなれている。

7:7 人間にんげんのいましめをおしえとしておしえ、無意味むいみにわたしをおがんでいる』。

7:8 あなたがたは、かみのいましめをさしおいて、人間にんげん言伝いいつたえを固執こしつしている」。

7:9 また、われた、「あなたがたは、自分じぶんたちの言伝いいつたえをまもるために、よくもかみのいましめをてたものだ。

7:10 モーセはったではないか、『ちちははとをうやまえ』、また『ちちまたはははをののしるものは、かならさだめられる』と。

7:11 それだのに、あなたがたは、もしひとちちまたはははにむかって、あなたに差上さしあげるはずのこのものはコルバン、すなわち、そなものですとえば、それでよいとして、

7:12 そのひと父母ふぼたいして、もうなにもしないでむのだとっている。

7:13 こうしてあなたがたは、自分じぶんたちがけついだ言伝いいつたえによって、かみことばにしている。また、このようなことをしばしばおこなっている」。

7:14 それから、イエスはふたた群衆ぐんしゅうせてわれた、「あなたがたはみんな、わたしのうことをいてさとるがよい。

7:15 すべてそとからひとなかにはいって、ひとをけがしうるものはない。かえって、ひとなかからてくるものが、ひとをけがすのである。〔

7:16 みみのあるものくがよい〕」。

7:17 イエスが群衆ぐんしゅうはなれていえにはいられると、弟子でしたちはこのたとえについてたずねた。

7:18 すると、われた、「あなたがたも、そんなににぶいのか。すべて、そとからひとなかにはいってるものは、ひとけがないことが、わからないのか。

7:19 それはひとこころなかにはいるのではなく、はらうちにはいり、そして、そとくだけである」。イエスはこのように、どんな食物しょくもつでもきよいものとされた。

7:20 さらにわれた、「ひとからるもの、それがひとをけがすのである。

7:21 すなわち内部ないぶから、ひとこころなかから、わるおもいがる。不品行ふひんこうぬすみ、殺人さつじん

7:22 姦淫かんいん貪欲どんよく邪悪じゃあくあざむき、好色こうしょくねたみ、そしり、高慢こうまん愚痴ぐち

7:23 これらのあくはすべて内部ないぶからてきて、ひとをけがすのである」。

7:24 さて、イエスは、そこをって、ツロの地方ちほうかれた。そして、だれにもれないように、いえなかにはいられたが、かくれていることができなかった。

7:25 そして、けがれたれいにつかれたおさなむすめをもつおんなが、イエスのことをすぐきつけてきて、そのあしもとにひれした。

7:26 このおんなはギリシヤじんで、スロ・フェニキヤのうまれであった。そして、むすめから悪霊あくれいしてくださいとおねがいした。

7:27 イエスはおんなわれた、「まず子供こどもたちに十分じゅうぶんべさすべきである。子供こどもたちのパンをって小犬こいぬげてやるのは、よろしくない」。

7:28 すると、おんなこたえてった、「しゅよ、お言葉ことばどおりです。でも、食卓しょくたくしたにいる小犬こいぬも、子供こどもたちのパンくずは、いただきます」。

7:29 そこでイエスはわれた、「その言葉ことばで、じゅうぶんである。おかえりなさい。悪霊あくれいむすめからてしまった」。

7:30 そこで、おんないえかえってみると、そのとこうえており、悪霊あくれいてしまっていた。

7:31 それから、イエスはまたツロの地方ちほうり、シドンをてデカポリス地方ちほうとおりぬけ、ガリラヤのうみべにこられた。

7:32 すると人々ひとびとは、みみきこえずくちのきけないひとを、みもとにれてきて、いてやっていただきたいとおねがいした。

7:33 そこで、イエスはかれひとりを群衆ぐんしゅうなかからし、そのりょうみみゆびをさしれ、それから、つばきでそのしたうるおし、

7:34 てんあおいでためいきをつき、そのひとに「エパタ」とわれた。これは「ひらけよ」という意味いみである。

7:35 するとかれみみひらけ、そのしたのもつれもすぐけて、はっきりとはなすようになった。

7:36 イエスは、このことをだれにもってはならぬと、人々ひとびと口止くちどめをされたが、口止くちどめをすればするほど、かえって、ますますいひろめた。

7:37 かれらは、ひとかたならずおどろいてった、「このかたのなさったことは、なにもかも、すばらしい。みみきこえないものきこえるようにしてやり、くちのきけないものをきけるようにしておやりになった」。 

第8章 

8:1 そのころ、またおおぜいの群衆ぐんしゅうあつまっていたが、なにべるものがなかったので、イエスは弟子でしたちをせてわれた、

8:2 「この群衆ぐんしゅうがかわいそうである。もう三日間かかんもわたしと一緒いっしょにいるのに、なにべるものがない。

8:3 もし、かれらを空腹くうふくのままいえかえらせるなら、途中とちゅうよわってしまうであろう。それに、なかにはとおくからきているものもある」。

8:4 弟子でしたちはこたえた、「こんな荒野あらので、どこからパンをれて、これらの人々ひとびとにじゅうぶんべさせることができましょうか」。

8:5 イエスが弟子でしたちに、「パンはいくつあるか」とたずねられると、「七つあります」とこたえた。

8:6 そこでイエスは群衆ぐんしゅうにすわるようにめいじられた。そして七つのパンをり、感謝かんしゃしてこれをさき、人々ひとびとくばるように弟子でしたちにわたされると、弟子でしたちはそれを群衆ぐんしゅうくばった。

8:7 またちいさいうおすこしばかりあったので、祝福しゅくふくして、それをも人々ひとびとくばるようにとわれた。

8:8 かれらはべて満腹まんぷくした。そしてのこったパンくずをあつめると、七かごになった。

8:9 人々ひとびとかずはおよそ四千にんであった。それからイエスはかれらを解散かいさんさせ、

8:10 すぐ弟子でしたちとともふねって、ダルマヌタの地方ちほうかれた。

8:11 パリサイびとたちがてきて、イエスをこころみようとして議論ぎろんをしかけ、てんからのしるしをもとめた。

8:12 イエスは、こころなかふか嘆息たんそくしてわれた、「なぜ、いま時代じだいはしるしをもとめるのだろう。よくかせておくが、しるしはいま時代じだいにはけっしてあたえられない」。

8:13 そして、イエスはかれらをあとにのこし、またふねってこうぎしかれた。

8:14 弟子でしたちはパンをってるのをわすれていたので、ふねなかにはパン一つしかわせがなかった。

8:15 そのとき、イエスはかれらをいましめて、「パリサイびとのパンだねとヘロデのパンだねとを、よくよく警戒けいかいせよ」とわれた。

8:16 弟子でしたちは、これは自分じぶんたちがパンをっていないためであろうと、たがいろんった。

8:17 イエスはそれとって、かれらにわれた、「なぜ、パンがないからだとろんっているのか。まだわからないのか、さとらないのか。あなたがたのこころにぶくなっているのか。

8:18 があってもえないのか。みみがあってもきこえないのか。まだおもさないのか。

8:19 五つのパンをさいて五千にんけたとき、ひろあつめたパンくずは、いくつのかごになったか」。弟子でしたちはこたえた、「十二かごです」。

8:20 「七つのパンを四千にんけたときには、パンくずをいくつのかごにひろあつめたか」。「七かごです」とこたえた。

8:21 そこでイエスはかれらにわれた、「まださとらないのか」。

8:22 そのうちに、かれらはベツサイダにいた。すると人々ひとびとが、ひとりの盲人もうじんれてきて、さわってやっていただきたいとおねがいした。

8:23 イエスはこの盲人もうじんをとって、むらそとし、その両方りょうほうにつばきをつけ、両手りょうてかれてて、「なにえるか」とたずねられた。

8:24 するとかれかおげてった、「ひとえます。のようにえます。あるいているようです」。

8:25 それから、イエスがふたたうえ両手りょうててられると、盲人もうじんつめているうちに、なおってきて、すべてのものがはっきりとえだした。

8:26 そこでイエスは、「むらにはいってはいけない」とって、かれいえかえされた。

8:27 さて、イエスは弟子でしたちとピリポ・カイザリヤの村々むらむらかけられたが、その途中とちゅうで、弟子でしたちにたずねてわれた、「人々ひとびとは、わたしをだれとっているか」。

8:28 かれらはこたえてった、「バプテスマのヨハネだと、っています。また、エリヤだとい、また、預言者よげんしゃのひとりだとっているものもあります」。

8:29 そこでイエスはかれらにたずねられた、「それでは、あなたがたはわたしをだれとうか」。ペテロがこたえてった、「あなたこそキリストです」。

8:30 するとイエスは、自分じぶんのことをだれにもってはいけないと、かれらをいましめられた。

8:31 それから、ひとかならおおくのくるしみをけ、長老ちょうろう祭司長さいしちょう律法りっぽう学者がくしゃたちにてられ、またころされ、そして三のちによみがえるべきことを、かれらにおしえはじめ、

8:32 しかもあからさまに、このことはなされた。すると、ペテロはイエスをわきへせて、いさめはじめたので、

8:33 イエスはかえって、弟子でしたちをながら、ペテロをしかってわれた、「サタンよ、きさがれ。あなたはかみのことをおもわないで、ひとのことをおもっている」。

8:34 それから群衆ぐんしゅう弟子でしたちと一緒いっしょせて、かれらにわれた、「だれでもわたしについてきたいとおもうなら、自分じぶんて、自分じぶん十字架じゅうじかうて、わたしにしたがってきなさい。

8:35 自分じぶんいのちすくおうとおもものはそれをうしない、わたしのため、また福音ふくいんのために、自分じぶんいのちうしなものは、それをすくうであろう。

8:36 ひとぜん世界せかいをもうけても、自分じぶんいのちそんしたら、なんのとくになろうか。

8:37 また、ひとはどんな代価だいかはらって、そのいのちいもどすことができようか。

8:38 邪悪じゃあく罪深つみぶかいこの時代じだいにあって、わたしとわたしの言葉ことばとをじるものたいしては、ひともまた、ちち栄光えいこうのうちにせいなる御使みつかいたちとともるときに、そのものじるであろう」。