口語訳聖書(振り仮名付き)

章: 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10

ヨハネによる福音ふくいんしょ

第1章    Jh-Audio 

1:1 はじめにことばがあった。ことばかみともにあった。ことばかみであった。

1:2 このことばはじめにかみともにあった。

1:3 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。

1:4 このことばいのちがあった。そしてこのいのちひとひかりであった。

1:5 ひかりはやみのなかかがやいている。そして、やみはこれにたなかった。

1:6 ここにひとりのひとがあって、かみからつかわされていた。そのをヨハネとった。

1:7 このひとはあかしのためにきた。ひかりについてあかしをし、かれによってすべてのひとしんじるためである。

1:8 かれひかりではなく、ただ、ひかりについてあかしをするためにきたのである。

1:9 すべてのひとてらすまことのひかりがあって、にきた。

1:10 かれにいた。そして、かれによってできたのであるが、かれらずにいた。

1:11 かれ自分じぶんのところにきたのに、自分じぶんたみかれけいれなかった。

1:12 しかし、かれけいれたもの、すなわち、そのしんじた人々ひとびとには、かれかみとなるちからあたえたのである。

1:13 それらのひとは、すじによらず、にくよくによらず、また、ひとよくにもよらず、ただかみによってうまれたのである。

1:14 そしてことば肉体にくたいとなり、わたしたちのうちに宿やどった。わたしたちはその栄光えいこうた。それはちちのひとりとしての栄光えいこうであって、めぐみとまこととにちていた。

1:15 ヨハネはかれについてあかしをし、さけんでった、「『わたしのあとにるかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりもさきにおられたからである』とわたしがったのは、このひとのことである」。

1:16 わたしたちすべてのものは、そのちているもののなかからけて、めぐみにめぐみをくわえられた。

1:17 律法りっぽうはモーセをとおしてあたえられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。

1:18 かみものはまだひとりもいない。ただちちのふところにいるひとりなるかみだけが、かみをあらわしたのである。

1:19 さて、ユダヤじんたちが、エルサレムから祭司さいしたちやレビひとたちをヨハネのもとにつかわして、「あなたはどなたですか」とわせたが、そのときヨハネがてたあかしは、こうであった。

1:20 すなわち、かれ告白こくはくしていなまず、「わたしはキリストではない」と告白こくはくした。

1:21 そこで、かれらはうた、「それでは、どなたなのですか、あなたはエリヤですか」。かれは「いや、そうではない」とった。「では、あの預言者よげんしゃですか」。かれは「いいえ」とこたえた。

1:22 そこで、かれらはった、「あなたはどなたですか。わたしたちをつかわした人々ひとびとに、こたえってけるようにしていただきたい。あなた自身じしんをだれだとかんがえるのですか」。

1:23 かれった、「わたしは、預言者よげんしゃイザヤがったように、『しゅみちをまっすぐにせよと荒野あらのばわるものこえ』である」。

1:24 つかわされたひとたちは、パリサイびとであった。

1:25 かれらはヨハネにうてった、「では、あなたがキリストでもエリヤでもまたあの預言者よげんしゃでもないのなら、なぜバプテスマをさづけるのですか」。

1:26 ヨハネはかれらにこたえてった、「わたしはみずでバプテスマをさづけるが、あなたがたのらないかたが、あなたがたのなかっておられる。

1:27 それがわたしのあとにあとにおいでになるかたであって、わたしはそのひとのくつのひもをうちもない」。

1:28 これらのことは、ヨハネがバプテスマをさづけていたヨルダンのこうのベタニヤであったのである。

1:29 その翌日よくじつ、ヨハネはイエスが自分じぶんほうにこられるのをった、「よ、つみのぞかみ小羊こひつじ

1:30 『わたしのあとにるかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりもさきにおられたからである』とわたしがったのは、このひとのことである。

1:31 わたしはこのかたをらなかった。しかし、このかたがイスラエルにあらわれてくださるそのことのために、わたしはきて、みずでバプテスマをさづけているのである」。

1:32 ヨハネはまたあかしをしてった、「わたしは、御霊みたまがはとのようにてんからくだって、かれうえにとどまるのをた。

1:33 わたしはこのひとらなかった。しかし、みずでバプテスマをさづけるようにと、わたしをおつかわしになったそのかたが、わたしにわれた、『あるひとうえに、御霊みたまくだってとどまるのをたら、そのひとこそは、御霊みたまによってバプテスマをさづけるかたである』。

1:34 わたしはそれをたので、このかたこそかみであると、あかしをしたのである」。

1:35 その翌日よくじつ、ヨハネはまたふたりの弟子でしたちと一緒いっしょっていたが、

1:36 イエスがあるいておられるのにをとめてった、「よ、かみ小羊こひつじ」。

1:37 そのふたりの弟子でしは、ヨハネがそううのをいて、イエスについてった。

1:38 イエスはふりき、かれらがついてくるのをわれた、「なにねがいがあるのか」。かれらはった、「ラビ(やくしてえば、先生せんせい)どこにおとまりなのですか」。

1:39 イエスはかれらにわれた、「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」。そこでかれらはついてって、イエスのまっておられるところた。そして、そのはイエスのところにまった。とき午後ごごごろであった。

1:40 ヨハネからいて、イエスについてったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟きょうだいアンデレであった。

1:41 かれはまず自分じぶん兄弟きょうだいシモンに出会であってった、「わたしたちはメシヤ(やくせば、キリスト)にいま出会であった」。

1:42 そしてシモンをイエスのもとにつれてきた。イエスはかれをとめてわれた、「あなたはヨハネのシモンである。あなたをケパ(やくせば、ペテロ)とぶことにする」。

1:43 その翌日よくじつ、イエスはガリラヤにこうとされたが、ピリポに出会であってわれた、「わたしにしたがってきなさい」。

1:44 ピリポは、アンデレとペテロとのまちベツサイダのひとであった。

1:45 このピリポがナタナエルに出会であってった、「わたしたちは、モーセが律法りっぽうなかにしるしており、預言者よげんしゃたちがしるしていたひと、ヨセフの、ナザレのイエスにいま出会であった」。

1:46 ナタナエルはかれった、「ナザレから、なんのよいものがようか」。ピリポはかれった、「きてなさい」。

1:47 イエスはナタナエルが自分じぶんほうるのをて、かれについてわれた、「よ、あのひとこそ、ほんとうのイスラエルびとである。そのこころにはいつわりがない」。

1:48 ナタナエルはった、「どうしてわたしをごぞんじなのですか」。イエスはこたえてわれた、「ピリポがあなたをまえに、わたしはあなたが、いちじくのしたにいるのをた」。

1:49 ナタナエルはこたえた、「先生せんせい、あなたはかみです。あなたはイスラエルのおうです」。

1:50 イエスはこたえてわれた、「あなたが、いちじくのしたにいるのをたと、わたしがったのでしんじるのか。これよりも、もっとおおきなことを、あなたはるであろう」。

1:51 またわれた、「よくよくあなたがたにっておく。てんけて、かみ御使みつかいたちがひとうえのぼくだりするのを、あなたがたはるであろう」。 

第2章 

2:1 三にガリラヤのカナに婚礼こんれいがあって、イエスのははがそこにいた。

2:2 イエスも弟子でしたちも、その婚礼こんれいまねかれた。

2:3 ぶどうしゅがなくなったので、はははイエスにった、「ぶどうしゅがなくなってしまいました」。

2:4 イエスはははわれた、「婦人ふじんよ、あなたは、わたしと、なんのかかわりがありますか。わたしのときは、まだきていません」。

2:5 ははしもべたちにった、「このかたが、あなたがたにいつけることは、なんでもしてください」。

2:6 そこには、ユダヤじんのきよめのならわしにしたがって、それぞれ四、五もはいるいしみずがめが、六ついてあった。

2:7 イエスはかれらに「かめにみずをいっぱいれなさい」とわれたので、かれらはくちのところまでいっぱいにれた。

2:8 そこでかれらにわれた、「さあ、くんで、料理りょうりがしらのところにってきなさい」。すると、かれらはってった。

2:9 料理りょうりがしらは、ぶどうしゅになったみずをなめてみたが、それがどこからきたのからなかったので、(みずをくんだしもべたちはっていた)花婿はなむこんで

2:10 った、「どんなひとでも、はじめによいぶどうしゅして、いがまわったころにわるいのをすものだ。それだのに、あなたはよいぶどうしゅいままでとっておかれました」。

2:11 イエスは、この最初さいしょのしるしをガリラヤのカナでおこない、その栄光えいこうあらわされた。そして弟子でしたちはイエスをしんじた。

2:12 そののち、イエスは、そのはは兄弟きょうだいたち、弟子でしたちと一緒いっしょに、カペナウムにくだって、幾日いくにちかそこにとどまられた。

2:13 さて、ユダヤじん過越すぎこしまつりちかづいたので、イエスはエルサレムにのぼられた。

2:14 そしてうしひつじ、はとをもの両替りょうがえするものなどがみやにわにすわりんでいるのをごらんになって、

2:15 なわでむちをつくり、ひつじうしもみなみやからいだし、両替人りょうがえにんかねらし、そのだいをひっくりかえし、

2:16 はとを人々ひとびとには「これらのものをって、ここからけ。わたしのちちいえ商売しょうばいいえとするな」とわれた。

2:17 弟子でしたちは、「あなたのいえおも熱心ねっしんが、わたしをいつくすであろう」といてあることをおもした。

2:18 そこで、ユダヤじんはイエスにった、「こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちにせてくれますか」。

2:19 イエスはかれらにこたえてわれた、「この神殿しんでんをこわしたら、わたしは三のうちに、それをおこすであろう」。

2:20 そこで、ユダヤじんたちはった、「この神殿しんでんてるのには、四十六ねんもかかっています。それだのに、あなたは三のうちに、それをてるのですか」。

2:21 イエスは自分じぶんのからだである神殿しんでんのことをわれたのである。

2:22 それで、イエスが死人しにんなかからよみがえったとき、弟子でしたちはイエスがこうわれたことをおもして、聖書せいしょとイエスのこの言葉ことばとをしんじた。

2:23 過越すぎこしまつりあいだ、イエスがエルサレムに滞在たいざいしておられたとき、おおくの人々ひとびとは、そのおこなわれたしるしをて、イエスのしんじた。

2:24 しかしイエスご自身じしんは、かれらに自分じぶんをおまかせにならなかった。それは、すべてのひとっておられ、

2:25 またひとについてあかしするものを、必要ひつようとされなかったからである。それは、ご自身じしんひとこころなかにあることをっておられたからである。 

第3章 

3:1 パリサイびとのひとりで、そのをニコデモというユダヤじん指導者しどうしゃがあった。

3:2 このひとよるイエスのもとにきてった、「先生せんせい、わたしたちはあなたがかみからこられた教師きょうしであることをっています。かみがご一緒いっしょでないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。

3:3 イエスはこたえてわれた、「よくよくあなたにっておく。だれでもあたらしくうまれなければ、かみくにることはできない」。

3:4 ニコデモはった、「ひととしをとってからうまれることが、どうしてできますか。もう一度いちどははたいにはいってうまれることができましょうか」。

3:5 イエスはこたえられた、「よくよくあなたにっておく。だれでも、みずれいとからうまれなければ、かみくににはいることはできない。

3:6 にくからうまれるものにくであり、れいからうまれるものれいである。

3:7 あなたがたはあたらしくうまれなければならないと、わたしがったからとて、不思議ふしぎおもうにはおよばない。

3:8 かぜおもいのままにく。あなたはそのおとくが、それがどこからきて、どこへくかはらない。れいからうまれるものもみな、それとおなじである」。

3:9 ニコデモはイエスにこたえてった、「どうして、そんなことがありましょうか」。

3:10 イエスはかれこたえてわれた、「あなたはイスラエルの教師きょうしでありながら、これぐらいのことがわからないのか。

3:11 よくよくっておく。わたしたちは自分じぶんっていることをかたり、また自分じぶんたことをあかししているのに、あなたがたはわたしたちのあかしをけいれない。

3:12 わたしが地上ちじょうのことをかたっているのに、あなたがたがしんじないならば、天上てんじょうのことをかたった場合ばあい、どうしてそれをしんじるだろうか。

3:13 てんからくだってきたもの、すなわちひとのほかには、だれもてんのぼったものはない。

3:14 そして、ちょうどモーセが荒野あらのでへびをげたように、ひともまたげられなければならない。

3:15 それはかれしんじるものが、すべて永遠えいえんいのちるためである」。

3:16 かみはそのひとりたまわったほどに、このあいしてくださった。それは御子みこしんじるものがひとりもほろびないで、永遠えいえんいのちるためである。

3:17 かみ御子みこにつかわされたのは、をさばくためではなく、御子みこによって、このすくわれるためである。

3:18 かれしんじるものは、さばかれない。しんじないものは、すでにさばかれている。かみのひとりしんじることをしないからである。

3:19 そのさばきというのは、ひかりがこのにきたのに、人々ひとびとはそのおこないがわるいために、ひかりよりもやみのほうあいしたことである。

3:20 あくおこなっているものはみなひかりにくむ。そして、そのおこないがあかるみにされるのをおそれて、ひかりにこようとはしない。

3:21 しかし、真理しんりおこなっているものひかりる。そのひとのおこないの、かみにあってなされたということが、あきらかにされるためである。

3:22 こののち、イエスは弟子でしたちとユダヤのき、かれらと一緒いっしょにそこに滞在たいざいして、バプテスマをさづけておられた。

3:23 ヨハネもサリムにちかいアイノンで、バプテスマをさづけていた。そこにはみずがたくさんあったからである。人々ひとびとがぞくぞくとやってきてバプテスマをけていた。

3:24 そのとき、ヨハネはまだごくれられてはいなかった。

3:25 ところが、ヨハネの弟子でしたちとひとりのユダヤじんとのあいだに、きよめのことで争論そうろんおこった。

3:26 そこでかれらはヨハネのところにきてった、「先生せんせい、ごらんください。ヨルダンのこうであなたと一緒いっしょにいたことがあり、そして、あなたがあかしをしておられたあのかたが、バプテスマをさづけており、みなものが、そのかたのところへかけています」。

3:27 ヨハネはこたえてった、「ひとてんからあたえられなければ、なにものもけることはできない。

3:28 『わたしはキリストではなく、そのかたよりもさきにつかわされたものである』とったことをあかししてくれるのは、あなたがた自身じしんである。

3:29 花嫁はなよめをもつもの花婿はなむこである。花婿はなむこ友人ゆうじんってかれこえき、そのこえいておおいによろこぶ。こうして、このよろこびはわたしにりている。

3:30 かれかならさかえ、わたしはおとろえる。

3:31 うえからものは、すべてのもののうえにある。からものは、ぞくするものであって、のことをかたる。てんからものは、すべてのもののうえにある。

3:32 かれはそのたところ、いたところをあかししているが、だれもそのあかしをけいれない。

3:33 しかし、そのあかしをけいれるものは、かみがまことであることを、たしかにみとめたのである。

3:34 かみがおつかわしになったかたは、かみ言葉ことばかたる。かみ聖霊せいれいかぎりなくたまうからである。

3:35 ちち御子みこあいして、万物ばんぶつをそのにおあたえになった。

3:36 御子みこしんじるもの永遠えいえんいのちをもつ。御子みこしたがわないものは、いのちにあずかることがないばかりか、かみいかりがそのうえにとどまるのである」。 

第4章 

4:1 イエスが、ヨハネよりもおお弟子でしをつくり、またバプテスマをさづけておられるということを、パリサイびとたちがき、それをしゅられたとき、

4:2 (しかし、イエスみずからが、バプテスマをおさづけになったのではなく、その弟子でしたちであった)

4:3 ユダヤをって、またガリラヤへかれた。

4:4 しかし、イエスはサマリヤを通過つうかしなければならなかった。

4:5 そこで、イエスはサマリヤのスカルというまちにおいでになった。このまちは、ヤコブがそのヨセフにあたえた土地とちちかくにあったが、

4:6 そこにヤコブの井戸いどがあった。イエスはたびつかれをおぼえて、そのまま、この井戸いどのそばにすわっておられた。ときひるの十二ごろであった。

4:7 ひとりのサマリヤのおんなみずをくみにきたので、イエスはこのおんなに、「みずませてください」とわれた。

4:8 弟子でしたちは食物しょくもついにまちっていたのである。

4:9 すると、サマリヤのおんなはイエスにった、「あなたはユダヤじんでありながら、どうしてサマリヤのおんなのわたしに、ませてくれとおっしゃるのですか」。これは、ユダヤじんはサマリヤびと交際こうさいしていなかったからである。

4:10 イエスはこたえてわれた、「もしあなたがかみ賜物たまもののことをり、また、『みずませてくれ』とったものが、だれであるかっていたならば、あなたのほうからねがて、そのひとからけるみずをもらったことであろう」。

4:11 おんなはイエスにった、「しゅよ、あなたは、くむものをおちにならず、そのうえ井戸いどふかいのです。そのけるみずを、どこかられるのですか。

4:12 あなたは、この井戸いどくださったわたしたちのちちヤコブよりも、えらいかたなのですか。ヤコブ自身じしんみ、そのらも、その家畜かちくも、この井戸いどからんだのですが」。

4:13 イエスはおんなこたえてわれた、「このみずものはだれでも、またかわくであろう。

4:14 しかし、わたしがあたえるみずものは、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしがあたえるみずは、そのひとのうちでいずみとなり、永遠えいえんいのちいたみずが、わきあがるであろう」。

4:15 おんなはイエスにった、「しゅよ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、そのみずをわたしにください」。

4:16 イエスはおんなわれた、「あなたのおっとびにって、ここにれてきなさい」。

4:17 おんなこたえてった、「わたしにはおっとはありません」。イエスはおんなわれた、「おっとがないとったのは、もっともだ。

4:18 あなたには五にんおっとがあったが、いまのはあなたのおっとではない。あなたの言葉ことばのとおりである」。

4:19 おんなはイエスにった、「しゅよ、わたしはあなたを預言者よげんしゃます。

4:20 わたしたちの先祖せんぞは、このやま礼拝れいはいをしたのですが、あなたがたは礼拝れいはいすべき場所ばしょは、エルサレムにあるとっています」。

4:21 イエスはおんなわれた、「おんなよ、わたしのうことをしんじなさい。あなたがたが、このやまでも、またエルサレムでもないところで、ちち礼拝れいはいするときる。

4:22 あなたがたは自分じぶんらないものをおがんでいるが、わたしたちはっているかたを礼拝れいはいしている。すくいはユダヤじんからるからである。

4:23 しかし、まことの礼拝れいはいをするものたちが、れいとまこととをもってちち礼拝れいはいするときる。そうだ、いまきている。ちちは、このような礼拝れいはいをするものたちをもとめておられるからである。

4:24 かみれいであるから、礼拝れいはいをするものも、れいとまこととをもって礼拝れいはいすべきである」。

4:25 おんなはイエスにった、「わたしは、キリストとばれるメシヤがこられることをっています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことをらせてくださるでしょう」。

4:26 イエスはおんなわれた、「あなたとはなしをしているこのわたしが、それである」。

4:27 そのとき、弟子でしたちがかえってて、イエスがひとりのおんなはなしておられるのを不思議ふしぎおもったが、しかし、「なにもとめておられますか」とも、「なに彼女かのじょはなしておられるのですか」とも、たずねるものはひとりもなかった。

4:28 このおんなみずがめをそのままそこにいてまちき、人々ひとびとった、

4:29 「わたしのしたことをなにもかも、いあてたひとがいます。さあ、にきてごらんなさい。もしかしたら、このひとがキリストかもれません」。

4:30 人々ひとびとまちて、ぞくぞくとイエスのところへった。

4:31 そのあいだ弟子でしたちはイエスに、「先生せんせいしあがってください」とすすめた。

4:32 ところが、イエスはわれた、「わたしには、あなたがたのらない食物しょくもつがある」。

4:33 そこで、弟子でしたちがたがいった、「だれかが、なにべるものをってきてさしあげたのであろうか」。

4:34 イエスはかれらにわれた、「わたしの食物しょくもつというのは、わたしをつかわされたかたのみこころをおこない、そのみわざをなしげることである。

4:35 あなたがたは、刈入かりいときるまでには、まだ四かげつあると、っているではないか。しかし、わたしはあなたがたにう。をあげてはたけなさい。はやいろづいて刈入かりいれをっている。

4:36 もの報酬ほうしゅうけて、永遠えいえんいのちいたあつめている。まくものものも、共々ともどもよろこぶためである。

4:37 そこで、『ひとりがまき、ひとりがる』ということわざが、ほんとうのこととなる。

4:38 わたしは、あなたがたをつかわして、あなたがたがそのために労苦ろうくしなかったものをりとらせた。ほかの人々ひとびと労苦ろうくし、あなたがたは、かれらの労苦ろうくにあずかっているのである」。

4:39 さて、このまちからきたおおくのサマリヤひとは、「このひとは、わたしのしたことをなにもかもいあてた」とあかししたおんな言葉ことばによって、イエスをしんじた。

4:40 そこで、サマリヤひとたちはイエスのもとにきて、自分じぶんたちのところに滞在たいざいしていただきたいとねがったので、イエスはそこにふつか滞在たいざいされた。

4:41 そしてなおおおくの人々ひとびとが、イエスの言葉ことばいてしんじた。

4:42 かれらはおんなった、「わたしたちがしんじるのは、もうあなたがはなしてくれたからではない。自分じぶん自身じしんしたしくいて、このひとこそまことに救主すくいぬしであることが、わかったからである」。

4:43 ふつかののちに、イエスはここをってガリラヤへかれた。

4:44 イエスはみずからはっきり、「預言者よげんしゃ自分じぶん故郷こきょうではうやまわれないものだ」とわれたのである。

4:45 ガリラヤにかれると、ガリラヤのひとたちはイエスを歓迎かんげいした。それは、かれらもまつりっていたので、そのまつりとき、イエスがエルサレムでなされたことをことごとくていたからである。

4:46 イエスは、またガリラヤのカナにかれた。そこは、かつてみずをぶどうしゅにかえられたところである。ところが、病気びょうきをしているむすこをつある役人やくにんがカペナウムにいた。

4:47 このひとが、ユダヤからガリラヤにイエスのきておられることをき、みもとにきて、カペナウムにくだって、かれをなおしていただきたいと、ねがった。そのにかかっていたからである。

4:48 そこで、イエスはかれわれた、「あなたがたは、しるしと奇跡きせきとをないかぎり、けっしてしんじないだろう」。

4:49 この役人やくにんはイエスにった、「しゅよ、どうぞ、子供こどもなないうちにきてください」。

4:50 イエスはかれわれた、「おかえりなさい。あなたのむすこはたすかるのだ」。かれ自分じぶんわれたイエスの言葉ことばしんじてかえってった。

4:51 そのくだって途中とちゅうしもべたちがかれ出会であい、そのたすかったことをげた。

4:52 そこで、かれしもべたちに、そのなおりはじめた時刻じこくたずねてみたら、「きのうの午後ごごねつきました」とこたえた。

4:53 それは、イエスが「あなたのむすこはたすかるのだ」とわれたのとおな時刻じこくであったことを、このちちって、かれ自身じしんもその家族かぞく一同いちどうしんじた。

4:54 これは、イエスがユダヤからガリラヤにきてなされただい二のしるしである。 

第5章 

5:1 こののち、ユダヤじんまつりがあったので、イエスはエルサレムにのぼられた。

5:2 エルサレムにあるひつじもんのそばに、ヘブルでベテスダとばれるいけがあった。そこには五つのろうがあった。

5:3 そのろうなかには、病人びょうにん盲人もうじんあしなえ、やせおとろえたものなどが、おおぜいからだをよこたえていた。〔かれらはみずうごくのをっていたのである。

5:4 それは、時々ときどきしゅ御使みつかいがこのいけりてきてみずうごかすことがあるが、みずうごいたときまっさきにはいるものは、どんな病気びょうきにかかっていても、いやされたからである。〕

5:5 さて、そこに三十八ねんのあいだ、病気びょうきなやんでいるひとがあった。

5:6 イエスはそのひとよこになっているのを、またながあいだわずらっていたのをって、そのひとに「なおりたいのか」とわれた。

5:7 この病人びょうにんはイエスにこたえた、「しゅよ、みずうごときに、わたしをいけなかれてくれるひとがいません。わたしがはいりかけると、ほかのひとさきりてくのです」。

5:8 イエスはかれわれた、「きて、あなたのとこりあげ、そしてあるきなさい」。

5:9 すると、このひとはすぐにいやされ、とこをとりあげてあるいてった。

その安息日あんそくにちであった。

5:10 そこでユダヤじんたちは、そのいやされたひとった、「きょうは安息日あんそくにちだ。とこりあげるのは、よろしくない」。

5:11 かれこたえた、「わたしをなおしてくださったかたが、とこりあげてあるけと、わたしにわれました」。

5:12 かれらはたずねた、「りあげてあるけとったひとは、だれか」。

5:13 しかし、このいやされたひとは、それがだれであるからなかった。群衆ぐんしゅうがそのにいたので、イエスはそっとかれたからである。

5:14 そののち、イエスはみやでそのひと出会であったので、かれわれた、「ごらん、あなたはよくなった。もうつみおかしてはいけない。なにかもっとわるいことが、あなたのおこるかもれないから」。

5:15 かれって、自分じぶんをいやしたのはイエスであったと、ユダヤじんたちにげた。

5:16 そのためユダヤじんたちは、安息日あんそくにちにこのようなことをしたとって、イエスをめた。

5:17 そこで、イエスはかれらにこたえられた、「わたしのちちいまいたるまではたらいておられる。わたしもはたらくのである」。

5:18 このためにユダヤじんたちは、ますますイエスをころそうとはかるようになった。それは、イエスが安息日あんそくにちやぶられたばかりではなく、かみ自分じぶんちちんで、自分じぶんかみひとしいものとされたからである。

5:19 さて、イエスはかれらにこたえてわれた、「よくよくあなたがたにっておく。ちちのなさることをてする以外いがいに、自分じぶんからは何事なにごともすることができない。ちちのなさることであればすべて、もそのとおりにするのである。

5:20 なぜなら、ちちあいして、みずからなさることは、すべてにおしめしになるからである。そして、それよりもなおおおきなわざを、おしめしになるであろう。あなたがたが、それによって不思議ふしぎおもうためである。

5:21 すなわち、ちち死人しにんおこしていのちをおあたえになるように、もまた、そのこころにかなう人々ひとびといのちあたえるであろう。

5:22 ちちはだれをもさばかない。さばきのことはすべて、にゆだねられたからである。

5:23 それは、すべてのひとちちうやまうと同様どうように、うやまうためである。うやまわないものは、をつかわされたちちをもうやまわない。

5:24 よくよくあなたがたにっておく。わたしの言葉ことばいて、わたしをつかわされたかたをしんじるものは、永遠えいえんいのちけ、またさばかれることがなく、からいのちうつっているのである。

5:25 よくよくあなたがたにっておく。んだひとたちが、かみこえときる。いますでにきている。そしてひときるであろう。

5:26 それは、ちちがご自分じぶんのうちに生命せいめいをおちになっていると同様どうように、にもまた、自分じぶんのうちに生命せいめいつことをおゆるしになったからである。

5:27 そしてひとであるから、にさばきをおこな権威けんいをおあたえになった。

5:28 このことをおどろくにはおよばない。はかなかにいるものたちがみなかみこえき、

5:29 ぜんをおこなった人々ひとびとは、生命せいめいけるためによみがえり、あくをおこなった人々ひとびとは、さばきをけるためによみがえって、それぞれてくるときるであろう。

5:30 わたしは、自分じぶんからは何事なにごともすることができない。ただくままにさばくのである。そして、わたしのこのさばきはただしい。それは、わたし自身じしんかんがえでするのではなく、わたしをつかわされたかたの、みむねもとめているからである。

5:31 もし、わたしが自分じぶん自身じしんについてあかしをするならば、わたしのあかしはほんとうではない。

5:32 わたしについてあかしをするかたはほかにあり、そして、そのひとがするあかしがほんとうであることを、わたしはっている。

5:33 あなたがたはヨハネのもとへひとをつかわしたが、そのときかれ真理しんりについてあかしをした。

5:34 わたしはひとからあかしをけないが、このことをうのは、あなたがたがすくわれるためである。

5:35 ヨハネはえてかがやくあかりであった。あなたがたは、しばらくのあいだそのひかりよろこたのしもうとした。

5:36 しかし、わたしには、ヨハネのあかしよりも、もっとちからあるあかしがある。ちちがわたしに成就じょうじゅさせようとしておあたえになったわざ、すなわち、いまわたしがしているこのわざが、ちちのわたしをつかわされたことをあかししている。

5:37 また、わたしをつかわされたちちも、ご自分じぶんでわたしについてあかしをされた。あなたがたは、まだそのみこえいたこともなく、そのみ姿すがたたこともない。

5:38 また、かみがつかわされたものしんじないから、かみ御言みことばはあなたがたのうちにとどまっていない。

5:39 あなたがたは、聖書せいしょなか永遠えいえんいのちがあるとおもって調しらべているが、この聖書せいしょは、わたしについてあかしをするものである。

5:40 しかも、あなたがたは、いのちるためにわたしのもとにこようともしない。

5:41 わたしはひとからのほまれけることはしない。

5:42 しかし、あなたがたのうちにはかみあいするあいがないことをっている。

5:43 わたしはちちによってきたのに、あなたがたはわたしをけいれない。もし、ほかのひとかれ自身じしんによってるならば、そのひとけいれるのであろう。

5:44 たがいほまれけながら、ただひとりのかみからのほまれもとめようとしないあなたがたは、どうしてしんじることができようか。

5:45 わたしがあなたがたのことをちちうったえると、かんがえてはいけない。あなたがたをうったえるものは、あなたがたがたのみとしているモーセそのひとである。

5:46 もし、あなたがたがモーセをしんじたならば、わたしをもしんじたであろう。モーセは、わたしについていたのである。

5:47 しかし、モーセのいたものをしんじないならば、どうしてわたしの言葉ことばしんじるだろうか」。 

第6章 

6:1 そののち、イエスはガリラヤのうみ、すなわち、テベリヤみずうみこうぎしわたられた。

6:2 すると、おおぜいの群衆ぐんしゅうがイエスについてきた。病人びょうにんたちになさっていたしるしをたからである。

6:3 イエスはやまのぼって、弟子でしたちと一緒いっしょにそこでにつかれた。

6:4 ときに、ユダヤじんまつりである過越すぎこし間近まぢかになっていた。

6:5 イエスはをあげ、おおぜいの群衆ぐんしゅう自分じぶんほうあつまってるのをて、ピリポにわれた、「どこからパンをってきて、この人々ひとびとべさせようか」。

6:6 これはピリポをためそうとしてわれたのであって、ご自分じぶんではしようとすることを、よくご承知しょうちであった。

6:7 すると、ピリポはイエスにこたえた、「二百デナリのパンがあっても、めいめいがすこしずついただくにもりますまい」。

6:8 弟子でしのひとり、シモン・ペテロの兄弟きょうだいアンデレがイエスにった、

6:9 「ここに、大麦おおむぎのパン五つと、さかな二ひきとをっている子供こどもがいます。しかし、こんなにおおぜいのひとでは、それがなにになりましょう」。

6:10 イエスは「人々ひとびとをすわらせなさい」とわれた。その場所ばしょにはくさおおかった。そこにすわったおとこかずは五千にんほどであった。

6:11 そこで、イエスはパンをり、感謝かんしゃしてから、すわっている人々ひとびとあたえ、また、さかなをも同様どうようにして、かれらののぞむだけあたえられた。

6:12 人々ひとびとがじゅうぶんにべたのち、イエスは弟子でしたちにわれた、「すこしでもむだにならないように、パンくずのあまりをあつめなさい」。

6:13 そこでかれらがあつめると、五つの大麦おおむぎのパンをべてのこったパンくずは、十二のかごにいっぱいになった。

6:14 人々ひとびとはイエスのなさったこのしるしをて、「ほんとうに、このひとこそにきたるべき預言者よげんしゃである」とった。

6:15 イエスは人々ひとびとがきて、自分じぶんをとらえておうにしようとしているとって、ただひとり、またやま退しりぞかれた。

6:16 夕方ゆうがたになったとき、弟子でしたちはうみべにくだり、

6:17 ふねってうみわたり、こうぎしのカペナウムにきかけた。すでにくらくなっていたのに、イエスはまだかれらのところにおいでにならなかった。

6:18 そのうえつよかぜいてきて、うみした。

6:19 四、五十ちょうこぎしたとき、イエスがうみうえあるいてふねちかづいてこられるのをて、かれらはおそれた。

6:20 すると、イエスはかれらにわれた、「わたしだ、おそれることはない」。

6:21 そこで、かれらはよろこんでイエスをふねむかえようとした。するとふねは、すぐ、かれらがこうとしていたいた。

6:22 その翌日よくじつうみこうぎしっていた群衆ぐんしゅうは、そこに小舟こぶねが一そうしかなく、またイエスは弟子でしたちと一緒いっしょ小舟こぶねにおりにならず、ただ弟子でしたちだけが船出ふなでしたのをた。

6:23 しかし、すうそうの小舟こぶねがテベリヤからきて、しゅ感謝かんしゃされたのちパンを人々ひとびとべさせた場所ばしょちかづいた。

6:24 群衆ぐんしゅうは、イエスも弟子でしたちもそこにいないとって、それらの小舟こぶねり、イエスをたずねてカペナウムにった。

6:25 そして、うみこうぎしでイエスに出会であったのでった、「先生せんせい、いつ、ここにおいでになったのですか」。

6:26 イエスはこたえてわれた、「よくよくあなたがたにっておく。あなたがたがわたしをたずねてきているのは、しるしをたためではなく、パンをべて満腹まんぷくしたからである。

6:27 ちる食物しょくもつのためではなく、永遠えいえんいのちいたちない食物しょくもつのためにはたらくがよい。これはひとがあなたがたにあたえるものである。ちちなるかみは、ひとにそれをゆだねられたのである」。

6:28 そこで、かれらはイエスにった、「かみのわざをおこなうために、わたしたちはなにをしたらよいでしょうか」。

6:29 イエスはかれらにこたえてわれた、「かみがつかわされたものしんじることが、かみのわざである」。

6:30 かれらはイエスにった、「わたしたちがてあなたをしんじるために、どんなしるしをおこなってくださいますか。どんなことをしてくださいますか。

6:31 わたしたちの先祖せんぞ荒野あらのでマナをべました。それは『てんよりのパンをかれらにあたえてべさせた』といてあるとおりです」。

6:32 そこでイエスはかれらにわれた、「よくよくっておく。てんからのパンをあなたがたにあたえたのは、モーセではない。てんからのまことのパンをあなたがたにあたえるのは、わたしのちちなのである。

6:33 かみのパンは、てんからくだってきて、このいのちあたえるものである」。

6:34 かれらはイエスにった、「しゅよ、そのパンをいつもわたしたちにください」。

6:35 イエスはかれらにわれた、「わたしがいのちのパンである。わたしにものけっしてえることがなく、わたしをしんじるものけっしてかわくことがない。

6:36 しかし、あなたがたにったが、あなたがたはわたしをたのにしんじようとはしない。

6:37 ちちがわたしにあたえてくださるものみな、わたしにるであろう。そして、わたしにものけっしてこばみはしない。

6:38 わたしがてんからくだってきたのは、自分じぶんのこころのままをおこなうためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころをおこなうためである。

6:39 わたしをつかわされたかたのみこころは、わたしにあたえてくださったものを、わたしがひとりもうしなわずに、おわりのによみがえらせることである。

6:40 わたしのちちのみこころは、しんじるものが、ことごとく永遠えいえんいのちることなのである。そして、わたしはその人々ひとびとおわりのによみがえらせるであろう」。

6:41 ユダヤじんらは、イエスが「わたしはてんからくだってきたパンである」とわれたので、イエスについてつぶやきはじめた。

6:42 そしてった、「これはヨセフのイエスではないか。わたしたちはその父母ふぼっているではないか。わたしはてんからくだってきたと、どうしていまいうのか」。

6:43 イエスはかれらにこたえてわれた、「たがいにつぶやいてはいけない。

6:44 わたしをつかわされたちちきよせてくださらなければ、だれもわたしにることはできない。わたしは、その人々ひとびとおわりのによみがえらせるであろう。

6:45 預言者よげんしゃしょに、『かれらはみなかみおしえられるであろう』といてある。ちちからいてまなんだものは、みなわたしにるのである。

6:46 かみからもののほかに、だれかがちちたのではない。そのものだけがちちたのである。

6:47 よくよくあなたがたにっておく。しんじるものには永遠えいえんいのちがある。

6:48 わたしはいのちのパンである。

6:49 あなたがたの先祖せんぞ荒野あらのでマナをべたが、んでしまった。

6:50 しかし、てんからくだってきたパンをべるひとは、けっしてぬことはない。

6:51 わたしはてんからくだってきたきたパンである。それをべるものは、いつまでもきるであろう。わたしがあたえるパンは、いのちのためにあたえるわたしのにくである」。

6:52 そこで、ユダヤじんらがたがいろんじてった、「このひとはどうして、自分じぶんにくをわたしたちにあたえてべさせることができようか」。

6:53 イエスはかれらにわれた、「よくよくっておく。ひとにくべず、また、そのまなければ、あなたがたのうちいのちはない。

6:54 わたしのにくべ、わたしのものには、永遠えいえんいのちがあり、わたしはそのひとおわりのによみがえらせるであろう。

6:55 わたしのにくはまことの食物しょくもつ、わたしのはまことのものである。

6:56 わたしのにくべ、わたしのものはわたしにおり、わたしもまたそのひとにおる。

6:57 けるちちがわたしをつかわされ、また、わたしがちちによってきているように、わたしをべるものもわたしによってきるであろう。

6:58 てんからくだってきたパンは、先祖せんぞたちがべたがんでしまったようなものではない。このパンをべるものは、いつまでもきるであろう」。

6:59 これらのことは、イエスがカペナウムの会堂かいどうおしえておられたときにわれたものである。

6:60 弟子でしたちのうちのおおくのものは、これをいてった、「これは、ひどい言葉ことばだ。だれがそんなことをいておられようか」。

6:61 しかしイエスは、弟子でしたちがそのことでつぶやいているのを見破みやぶって、かれらにわれた、「このことがあなたがたのつまずきになるのか。

6:62 それでは、もしひとまえにいたところのぼるのをたら、どうなるのか。

6:63 ひとかすものはれいであって、にくはなんのやくにもたない。わたしがあなたがたにはなした言葉ことばれいであり、またいのちである。

6:64 しかし、あなたがたのなかにはしんじないものがいる」。イエスは、はじめから、だれがしんじないか、また、だれがかれ裏切うらぎるかをっておられたのである。

6:65 そしてイエスはわれた、「それだから、ちちあたえてくださったものでなければ、わたしにることはできないと、ったのである」。

6:66 それ以来いらいおおくの弟子でしたちはっていって、もはやイエスと行動こうどうともにしなかった。

6:67 そこでイエスは十二弟子でしわれた、「あなたがたもろうとするのか」。

6:68 シモン・ペテロがこたえた、「しゅよ、わたしたちは、だれのところにきましょう。永遠えいえんいのちことばをもっているのはあなたです。

6:69 わたしたちは、あなたがかみ聖者せいじゃであることをしんじ、またっています」。

6:70 イエスはかれらにこたえられた、「あなたがた十二にんえらんだのは、わたしではなかったか。それだのに、あなたがたのうちのひとりは悪魔あくまである」。

6:71 これは、イスカリオテのシモンのユダをさしてわれたのである。このユダは、十二弟子でしのひとりでありながら、イエスを裏切うらぎろうとしていた。 

第7章 

7:1 そののち、イエスはガリラヤを巡回じゅんかいしておられた。ユダヤじんたちが自分じぶんころそうとしていたので、ユダヤを巡回じゅんかいしようとはされなかった。

7:2 ときに、ユダヤじん仮庵かりいおまつりちかづいていた。

7:3 そこで、イエスの兄弟きょうだいたちがイエスにった、「あなたがしておられるわざを弟子でしたちにもせるために、ここをりユダヤにってはいかがです。

7:4 自分じぶんおおやけけにあらわそうとおもっているひとで、かくれて仕事しごとをするものはありません。あなたがこれらのことをするからには、自分じぶんをはっきりとにあらわしなさい」。

7:5 こうったのは、兄弟きょうだいたちもイエスをしんじていなかったからである。

7:6 そこでイエスはかれらにわれた、「わたしのときはまだきていない。しかし、あなたがたのときはいつもそなわっている。

7:7 はあなたがたをにくないが、わたしをにくんでいる。わたしがのおこないのわるいことを、あかししているからである。

7:8 あなたがたこそまつりきなさい。わたしはこのまつりにはかない。わたしのときはまだちていないから」。

7:9 かれらにこうって、イエスはガリラヤにとどまっておられた。

7:10 しかし、兄弟きょうだいたちがまつりったあとで、イエスも人目ひとめにたたぬように、ひそかにかれた。

7:11 ユダヤじんらはまつりときに、「あのひとはどこにいるのか」とって、イエスをさがしていた。

7:12 群衆ぐんしゅうなかに、イエスについていろいろとうわさがった。ある人々ひとびとは、「あれはよいひとだ」とい、人々ひとびとは、「いや、あれは群衆ぐんしゅうまどわしている」とった。

7:13 しかし、ユダヤじんらをおそれて、イエスのことを公然こうぜんくちにするものはいなかった。

7:14 まつりなかばになってから、イエスはみやのぼっておしはじめられた。

7:15 すると、ユダヤじんたちはおどろいてった、「このひと学問がくもんをしたこともないのに、どうして律法りっぽう知識ちしきをもっているのだろう」。

7:16 そこでイエスはかれらにこたえてわれた、「わたしのおしえはわたし自身じしんおしえではなく、わたしをつかわされたかたのおしえである。

7:17 かみのみこころをおこなおうとおもものであれば、だれでも、わたしのかたっているこのおしえかみからのものか、それとも、わたし自身じしんからたものか、わかるであろう。

7:18 自分じぶんからたことをかたものは、自分じぶん栄光えいこうもとめるが、自分じぶんをつかわされたかたの栄光えいこうもとめるもの真実しんじつであって、そのひとうちにはいつわりがない。

7:19 モーセはあなたがたに律法りっぽうあたえたではないか。それだのに、あなたがたのうちには、その律法りっぽうおこなものがひとりもない。あなたがたは、なぜわたしをころそうとおもっているのか」。

7:20 群衆ぐんしゅうこたえた、「あなたは悪霊あくれいりつかれている。だれがあなたをころそうとおもっているものか」。

7:21 イエスはかれらにこたえてわれた、「わたしが一つのわざをしたところ、あなたがたはみなそれをおどろいている。

7:22 モーセはあなたがたに割礼かつれいめいじたので、(これは、じつは、モーセからはじまったのではなく、先祖せんぞたちからはじまったものである)あなたがたは安息日あんそくにちにもひと割礼かつれいほどこしている。

7:23 もし、モーセの律法りっぽうやぶられないように、安息日あんそくにちであっても割礼かつれいけるのなら、安息日あんそくにちひと全身ぜんしん丈夫じょうぶにしてやったからといって、どうして、そんなにおこるのか。

7:24 うわべでひとをさばかないで、ただしいさばきをするがよい」。

7:25 さて、エルサレムのあるひとたちがった、「このひと人々ひとびところそうとおもっているものではないか。

7:26 よ、かれ公然こうぜんかたっているのに、人々ひとびとはこれにたいしてなにわない。役人やくにんたちは、このひとがキリストであることを、ほんとうにっているのではなかろうか。

7:27 わたしたちはこのひとがどこからきたのかっている。しかし、キリストがあらわれるときには、どこからるのかっているものは、ひとりもいない」。

7:28 イエスはみやうちおしえながら、さけんでわれた、「あなたがたは、わたしをっており、また、わたしがどこからきたかもっている。しかし、わたしは自分じぶんからきたのではない。わたしをつかわされたかたは真実しんじつであるが、あなたがたは、そのかたをらない。

7:29 わたしは、そのかたをっている。わたしはそのかたのもとからきたもので、そのかたがわたしをつかわされたのである」。

7:30 そこで人々ひとびとはイエスをとらえようとはかったが、だれひとりをかけるものはなかった。イエスのときが、まだきていなかったからである。

7:31 しかし、群衆ぐんしゅうなかおおくのものが、イエスをしんじてった、「キリストがきても、このひとおこなったよりもおおくのしるしをおこなうだろうか」。

7:32 群衆ぐんしゅうがイエスについてこのようなうわさをしているのを、パリサイびとたちはみみにした。そこで、祭司長さいしちょうたちやパリサイびとたちは、イエスをとらえようとして、下役したやくどもをつかわした。

7:33 イエスはわれた、「いましばらくのあいだ、わたしはあなたがたと一緒いっしょにいて、それから、わたしをおつかわしになったかたのみもとにく。

7:34 あなたがたはわたしをさがすであろうが、つけることはできない。そしてわたしのいるところに、あなたがたはることができない」。

7:35 そこでユダヤじんたちはたがいった、「わたしたちがつけることができないというのは、どこへこうとしているのだろう。ギリシヤじんなか離散りさんしているひとたちのところにでもって、ギリシヤじんおしえようというのだろうか。

7:36 また、『わたしをさがすが、つけることはできない。そしてわたしのいるところにはることができないだろう』とったその言葉ことばは、どういう意味いみだろう」。

7:37 まつりおわりの大事だいじに、イエスはって、さけんでわれた、「だれでもかわくものは、わたしのところにきてむがよい。

7:38 わたしをしんじるものは、聖書せいしょいてあるとおり、そのはらからけるみずかわとなってるであろう」。

7:39 これは、イエスをしんじる人々ひとびとけようとしている御霊みたまをさしてわれたのである。すなわち、イエスはまだ栄光えいこうけておられなかったので、御霊みたまがまだくだっていなかったのである。

7:40 群衆ぐんしゅうのあるものがこれらの言葉ことばいて、「このかたは、ほんとうに、あの預言者よげんしゃである」とい、

7:41 ほかのひとたちは「このかたはキリストである」とい、また、ある人々ひとびとは、「キリストはまさか、ガリラヤからはてこないだろう。

7:42 キリストは、ダビデの子孫しそんから、またダビデのいたベツレヘムのむらからると、聖書せいしょいてあるではないか」とった。

7:43 こうして、群衆ぐんしゅうあいだにイエスのことで分争ぶんそうしょうじた。

7:44 かれらのうちのある人々ひとびとは、イエスをとらえようとおもったが、だれひとりをかけるものはなかった。

7:45 さて、下役したやくどもが祭司長さいしちょうたちやパリサイびとたちのところにかえってきたので、かれらはその下役したやくどもにった、「なぜ、あのひとれてこなかったのか」。

7:46 下役したやくどもはこたえた、「このひとかたるようにかたったものは、これまでにありませんでした」。

7:47 パリサイびとたちがかれらにこたえた、「あなたがたまでが、だまされているのではないか。

7:48 役人やくにんたちやパリサイびとたちのなかで、ひとりでもかれしんじたものがあっただろうか。

7:49 律法りっぽうをわきまえないこの群衆ぐんしゅうは、のろわれている」。

7:50 かれらのなかのひとりで、以前いぜんにイエスにいにきたことのあるニコデモが、かれらにった、

7:51 「わたしたちの律法りっぽうによれば、まずそのひとぶんき、そのひとのしたことをったうえでなければ、さばくことをしないのではないか」。

7:52 かれらはこたえてった、「あなたもガリラヤなのか。よく調しらべてみなさい、ガリラヤからは預言者よげんしゃるものではないことが、わかるだろう」。

7:53 そして、人々ひとびとはおのおのいえかえってった。 

第8章 

8:1 イエスはオリブやまかれた。

8:2 あさはやくまたみやにはいられると、人々ひとびとみなみもとにあつまってきたので、イエスはすわってかれらをおしえておられた。

8:3 すると、律法りっぽう学者がくしゃたちやパリサイびとたちが、姦淫かんいんをしているときにつかまえられたおんなをひっぱってきて、なかたせたうえ、イエスにった、

8:4 「先生せんせい、このおんな姦淫かんいんでつかまえられました。

8:5 モーセは律法りっぽうなかで、こういうおんないしころせとめいじましたが、あなたはどうおもいますか」。

8:6 かれらがそうったのは、イエスをためして、うったえる口実こうじつるためであった。しかし、イエスはをかがめて、ゆび地面じめんなにいておられた。

8:7 かれらがつづけるので、イエスはおこしてかれらにわれた、「あなたがたのなかつみのないものが、まずこのおんないしげつけるがよい」。

8:8 そしてまたをかがめて、地面じめんものきつづけられた。

8:9 これをくと、かれらは年寄としよりからはじめて、ひとりびとりき、ついに、イエスだけになり、おんななかにいたままのこされた。

8:10 そこでイエスはおこしておんなわれた、「おんなよ、みんなはどこにいるか。あなたをばっするものはなかったのか」。

8:11 おんなった、「しゅよ、だれもございません」。イエスはわれた、「わたしもあなたをばっしない。おかえりなさい。今後こんごはもうつみおかさないように」。〕

8:12 イエスは、また人々ひとびとかたってこうわれた、「わたしはひかりである。わたしにしたがってものは、やみのうちをあるくことがなく、いのちひかりをもつであろう」。

8:13 するとパリサイびとたちがイエスにった、「あなたは、自分じぶんのことをあかししている。あなたのあかしは真実しんじつではない」。

8:14 イエスはかれらにこたえてわれた、「たとい、わたしが自分じぶんのことをあかししても、わたしのあかしは真実しんじつである。それは、わたしがどこからきたのか、また、どこへくのかをっているからである。しかし、あなたがたは、わたしがどこからきて、どこへくのかをらない。

8:15 あなたがたはにくによってひとをさばくが、わたしはだれもさばかない。

8:16 しかし、もしわたしがさばくとすれば、わたしのさばきはただしい。なぜなら、わたしはひとりではなく、わたしをつかわされたかたが、わたしと一緒いっしょだからである。

8:17 あなたがたの律法りっぽうには、ふたりによる証言しょうげん真実しんじつだと、いてある。

8:18 わたし自身じしんのことをあかしするのは、わたしであるし、わたしをつかわされたちちも、わたしのことをあかししてくださるのである」。

8:19 すると、かれらはイエスにった、「あなたのちちはどこにいるのか」。イエスはこたえられた、「あなたがたは、わたしをもわたしのちちをもっていない。もし、あなたがたがわたしをっていたなら、わたしのちちをもっていたであろう」。

8:20 イエスがみやうちおしえていたとき、これらの言葉ことばをさいせんはこのそばでかたられたのであるが、イエスのときがまだきていなかったので、だれもとらえるものがなかった。

8:21 さて、またかれらにわれた、「わたしはってく。あなたがたはわたしをさがもとめるであろう。そして自分じぶんつみのうちにぬであろう。わたしのところには、あなたがたはることができない」。

8:22 そこでユダヤじんたちはった、「わたしのところに、あなたがたはることができないと、ったのは、あるいは自殺じさつでもしようとするつもりか」。

8:23 イエスはかれらにわれた、「あなたがたはしたからものだが、わたしはうえからきたものである。あなたがたはこのものであるが、わたしはこのものではない。

8:24 だからわたしは、あなたがたは自分じぶんつみのうちにぬであろうと、ったのである。もしわたしがそういうものであることをあなたがたがしんじなければ、つみのうちにぬことになるからである」。

8:25 そこでかれらはイエスにった、「あなたは、いったい、どういうかたですか」。イエスはかれらにわれた、「わたしがどういうものであるかは、はじめからあなたがたにっているではないか。

8:26 あなたがたについて、わたしのうべきこと、さばくべきことが、たくさんある。しかし、わたしをつかわされたかたは真実しんじつなかたである。わたしは、そのかたからいたままをにむかってかたるのである」。

8:27 かれらは、イエスがちちについてはなしておられたことをさとらなかった。

8:28 そこでイエスはわれた、「あなたがたがひとげてしまったのちはじめて、わたしがそういうものであること、また、わたしは自分じぶんからはなにもせず、ただちちおしえてくださったままをはなしていたことが、わかってくるであろう。

8:29 わたしをつかわされたかたは、わたしと一緒いっしょにおられる。わたしは、いつもかみのみこころにかなうことをしているから、わたしをひとりきざりになさることはない」。

8:30 これらのことをかたられたところ、おおくの人々ひとびとがイエスをしんじた。

8:31 イエスは自分じぶんしんじたユダヤじんたちにわれた、「もしわたしの言葉ことばのうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子でしなのである。

8:32 また真理しんりるであろう。そして真理しんりは、あなたがたに自由じゆうさせるであろう」。

8:33 そこで、かれらはイエスにった、「わたしたちはアブラハムの子孫しそんであって、ひと奴隷どれいになったことなどは、一度いちどもない。どうして、あなたがたに自由じゆうさせるであろうと、われるのか」。

8:34 イエスはかれらにこたえられた、「よくよくあなたがたにっておく。すべてつみおかものつみ奴隷どれいである。

8:35 そして、奴隷どれいはいつまでもいえにいるものではない。しかし、はいつまでもいる。

8:36 だから、もしがあなたがたに自由じゆうさせるならば、あなたがたは、ほんとうに自由じゆうものとなるのである。

8:37 わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫しそんであることをっている。それだのに、あなたがたはわたしをころそうとしている。わたしの言葉ことばが、あなたがたのうちにをおろしていないからである。

8:38 わたしはわたしのちちのもとでたことをかたっているが、あなたがたは自分じぶんちちからいたことをおこなっている」。

8:39 かれらはイエスにこたえてった、「わたしたちのちちはアブラハムである」。イエスはかれらにわれた、「もしアブラハムのであるなら、アブラハムのわざをするがよい。

8:40 ところがいまかみからいた真理しんりをあなたがたにかたってきたこのわたしを、ころそうとしている。そんなことをアブラハムはしなかった。

8:41 あなたがたは、あなたがたのちちのわざをおこなっているのである」。かれらはった、「わたしたちは、不品行ふひんこう結果けっかうまれたものではない。わたしたちにはひとりのちちがある。それはかみである」。

8:42 イエスはかれらにわれた、「かみがあなたがたのちちであるならば、あなたがたはわたしをあいするはずである。わたしはかみからもの、またかみからきているものであるからだ。わたしは自分じぶんからきたのではなく、かみからつかわされたのである。

8:43 どうしてあなたがたは、わたしのはなすことがわからないのか。あなたがたが、わたしの言葉ことばさとることができないからである。

8:44 あなたがたは自分じぶんちち、すなわち、悪魔あくまからてきたものであって、そのちち欲望よくぼうどおりをおこなおうとおもっている。かれはじめから、人殺ひとごろしであって、真理しんりものではない。かれのうちには真理しんりがないからである。かれいつわりをうとき、いつも自分じぶん本音ほんねをはいているのである。かれいつわものであり、いつわりのちちであるからだ。

8:45 しかし、わたしが真理しんりかたっているので、あなたがたはわたしをしんじようとしない。

8:46 あなたがたのうち、だれがわたしにつみがあるとめうるのか。わたしは真理しんりかたっているのに、なぜあなたがたは、わたしをしんじないのか。

8:47 かみからきたものかみ言葉ことばしたがうが、あなたがたがしたがわないのは、かみからきたものでないからである」。

8:48 ユダヤじんたちはイエスにこたえてった、「あなたはサマリヤびとで、悪霊あくれいりつかれていると、わたしたちがうのは、当然とうぜんではないか」。

8:49 イエスはこたえられた、「わたしは、悪霊あくれいりつかれているのではなくて、わたしのちちおもんじているのだが、あなたがたはわたしをかろんじている。

8:50 わたしは自分じぶん栄光えいこうもとめてはいない。それをもとめるかたがべつにある。そのかたは、またさばくかたである。

8:51 よくよくっておく。もしひとがわたしの言葉ことばまもるならば、そのひとはいつまでもることがないであろう」。

8:52 ユダヤじんたちがった、「あなたが悪霊あくれいりつかれていることが、いまわかった。アブラハムはに、預言者よげんしゃたちもんでいる。それだのに、あなたは、わたしの言葉ことばまもものはいつまでもあじわうことがないであろうと、われる。

8:53 あなたは、わたしたちのちちアブラハムよりえらいのだろうか。かれに、預言者よげんしゃたちもんだではないか。あなたは、いったい、自分じぶんをだれとおもっているのか」。

8:54 イエスはこたえられた、「わたしがもし自分じぶん栄光えいこうするなら、わたしの栄光えいこうは、むなしいものである。わたしに栄光えいこうあたえるかたは、わたしのちちであって、あなたがたが自分じぶんかみだとっているのは、そのかたのことである。

8:55 あなたがたはそのかみっていないが、わたしはっている。もしわたしがかみらないとうならば、あなたがたとおなじようないつわものであろう。しかし、わたしはそのかたをり、その御言みことばまもっている。

8:56 あなたがたのちちアブラハムは、わたしのこのようとしてたのしんでいた。そしてそれをよろこんだ」。

8:57 そこでユダヤじんたちはイエスにった、「あなたはまだ五十にもならないのに、アブラハムをたのか」。

8:58 イエスはかれらにわれた、「よくよくあなたがたにっておく。アブラハムのうまれるまえからわたしは、いるのである」。

8:59 そこでかれらはいしをとって、イエスにげつけようとした。しかし、イエスはかくして、みやからかれた。 

第9章 

9:1 イエスがみちをとおっておられるとき、うまれつきの盲人もうじんられた。

9:2 弟子でしたちはイエスにたずねてった、「先生せんせい、このひとうまれつき盲人もうじんなのは、だれがつみおかしたためですか。本人ほんにんですか、それともその両親りょうしんですか」。

9:3 イエスはこたえられた、「本人ほんにんつみおかしたのでもなく、また、その両親りょうしんおかしたのでもない。ただかみのみわざが、かれうえあらわれるためである。

9:4 わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、ひるあいだにしなければならない。よるる。すると、だれもはたらけなくなる。

9:5 わたしは、このにいるあいだは、ひかりである」。

9:6 イエスはそうって、につばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人もうじんってわれた、

9:7 「シロアム(つかわされたもの、の)のいけってあらいなさい」。そこでかれってあらった。そしてえるようになって、かえってった。

9:8 近所きんじょ人々ひとびとや、かれがもと、こじきであったのを見知みしっていた人々ひとびとった、「このひとは、すわってこじきをしていたものではないか」。

9:9 ある人々ひとびとは「そのひとだ」とい、人々ひとびとは「いや、ただあのひとているだけだ」とった。しかし、本人ほんにんは「わたしがそれだ」とった。

9:10 そこで人々ひとびとかれった、「では、おまえのはどうしてあいたのか」。

9:11 かれこたえた、「イエスというかたが、どろをつくって、わたしのり、『シロアムにってあらえ』とわれました。それで、ってあらうと、えるようになりました」。

9:12 人々ひとびとかれった、「そのひとはどこにいるのか」。かれは「りません」とこたえた。

9:13 人々ひとびとは、もと盲人もうじんであったこのひとを、パリサイびとたちのところにつれてった。

9:14 イエスがどろをつくってかれをあけたのは、安息日あんそくにちであった。

9:15 パリサイびとたちもまた、「どうしてえるようになったのか」、とかれたずねた。かれこたえた、「あのかたがわたしのにどろをり、わたしがそれをあらい、そしてえるようになりました」。

9:16 そこで、あるパリサイびとたちがった、「そのひとかみからきたひとではない。安息日あんそくにちまもっていないのだから」。しかし、ほかの人々ひとびとった、「つみのあるひとが、どうしてそのようなしるしをおこなうことができようか」。そしてかれらのあいだ分争ぶんそうしょうじた。

9:17 そこでかれらは、もう一この盲人もうじんいた、「おまえのをあけてくれたそのひとを、どうおもうか」。「預言者よげんしゃだとおもいます」とかれった。

9:18 ユダヤじんたちは、かれがもと盲人もうじんであったがえるようになったことを、まだしんじなかった。ついにかれらは、えるようになったこのひと両親りょうしんんで、

9:19 たずねてった、「これが、うまれつき盲人もうじんであったと、おまえたちのっているむすこか。それではどうして、いまえるのか」。

9:20 両親りょうしんこたえてった、「これがわたしどものむすこであること、またうまれつき盲人もうじんであったことはぞんじています。

9:21 しかし、どうしていまえるようになったのか、それはりません。また、だれがそのをあけてくださったのかもりません。あれにいてください。あれはもうおとなですから、自分じぶんのことは自分じぶんはなせるでしょう」。

9:22 両親りょうしんはユダヤじんたちをおそれていたので、こうこたえたのである。それは、もしイエスをキリストと告白こくはくするものがあれば、会堂かいどうからすことに、ユダヤじんたちがすでめていたからである。

9:23 かれ両親りょうしんが「おとなですから、あれにいてください」とったのは、そのためであった。

9:24 そこでかれらは、盲人もうじんであったひとをもう一度いちどんでった、「かみ栄光えいこうするがよい。あのひと罪人つみびとであることは、わたしたちにはわかっている」。

9:25 するとかれった、「あのかたが罪人つみびとであるかどうか、わたしはりません。ただ一つのことだけっています。わたしはめくらであったが、いまえるということです」。

9:26 そこでかれらはった、「そのひとはおまえになにをしたのか。どんなにしておまえのをあけたのか」。

9:27 かれこたえた、「そのことはもうはなしてあげたのに、いてくれませんでした。なぜまたこうとするのですか。あなたがたも、あのひと弟子でしになりたいのですか」。

9:28 そこでかれらはかれをののしってった、「おまえはあれの弟子でしだが、わたしたちはモーセの弟子でしだ。

9:29 モーセにかみかたられたということはっている。だが、あのひとがどこからきたものか、わたしたちはらぬ」。

9:30 そこでかれこたえてった、「わたしのをあけてくださったのに、そのかたがどこからきたか、ごぞんじないとは、不思議ふしぎ千万せんばんです。

9:31 わたしたちはこのことをっています。かみ罪人つみびとうことはおきいれになりませんが、かみうやまい、そのみこころをおこなひとうことは、きいれてくださいます。

9:32 うまれつきめくらであったものをあけたひとがあるということは、世界せかいはじまって以来いらいいたことがありません。

9:33 もしあのかたがかみからきたひとでなかったら、何一なにひとつできなかったはずです」。

9:34 これをいてかれらはった、「おまえはまったつみなかうまれていながら、わたしたちをおしえようとするのか」。そしてかれそとした。

9:35 イエスは、そのひとそとされたことをかれた。そしてかれってわれた、「あなたはひとしんじるか」。

9:36 かれこたえてった、「しゅよ、それはどなたですか。そのかたをしんじたいのですが」。

9:37 イエスはかれわれた、「あなたは、もうそのひとっている。いまあなたとはなしているのが、そのひとである」。

9:38 するとかれは、「しゅよ、しんじます」とって、イエスをはいした。

9:39 そこでイエスはわれた、「わたしがこのにきたのは、さばくためである。すなわち、えないひとたちがえるようになり、えるひとたちがえないようになるためである」。

9:40 そこにイエスと一緒いっしょにいたあるパリサイびとたちが、それをいてイエスにった、「それでは、わたしたちもめくらなのでしょうか」。

9:41 イエスはかれらにわれた、「もしあなたがたが盲人もうじんであったなら、つみはなかったであろう。しかし、いまあなたがたが『える』とるところに、あなたがたのつみがある。 

第10章 

10:1 よくよくあなたがたにっておく。ひつじかこいにはいるのに、もんからでなく、ほかのところからのりこえてものは、盗人ぬすびとであり、強盗ごうとうである。

10:2 もんからはいるものは、ひつじ羊飼ひつじかいである。

10:3 門番もんばんかれのためにもんひらき、ひつじかれこえく。そしてかれ自分じぶんひつじをよんです。

10:4 自分じぶんひつじをみなしてしまうと、かれひつじ先頭せんとうってく。ひつじはそのこえっているので、かれについてくのである。

10:5 ほかのひとには、ついてかないでる。そのひとこえらないからである」。

10:6 イエスはかれらにこの比喩ひゆはなされたが、かれらは自分じぶんたちにおはなしになっているのがなにのことだか、わからなかった。

10:7 そこで、イエスはまたわれた、「よくよくあなたがたにっておく。わたしはひつじもんである。

10:8 わたしよりもまえにきたひとは、みな盗人ぬすびとであり、強盗ごうとうである。ひつじかれらにしたがわなかった。

10:9 わたしはもんである。わたしをとおってはいるものすくわれ、また出入でいりし、牧草ぼくそうにありつくであろう。

10:10 盗人ぬすびとるのは、ぬすんだり、ころしたり、ほろぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、ひつじいのちさせ、ゆたかにさせるためである。

10:11 わたしはよい羊飼ひつじかいである。よい羊飼ひつじかいは、ひつじのためにいのちてる。

10:12 羊飼ひつじかいではなく、ひつじ自分じぶんのものでもない雇人やといにんは、おおかみがるのをると、ひつじをすててる。そして、おおかみはひつじうばい、またらす。

10:13 かれ雇人やといにんであって、ひつじのことをこころにかけていないからである。

10:14 わたしはよい羊飼ひつじかいであって、わたしのひつじり、わたしのひつじはまた、わたしをっている。

10:15 それはちょうど、ちちがわたしをっておられ、わたしがちちっているのとおなじである。そして、わたしはひつじのためにいのちてるのである。

10:16 わたしにはまた、このかこいにいないひつじがある。わたしはかれらをもみちびかねばならない。かれらも、わたしのこえしたがうであろう。そして、ついに一つのれ、ひとりの羊飼ひつじかいとなるであろう。

10:17 ちちは、わたしが自分じぶんいのちてるから、わたしをあいしてくださるのである。いのちてるのは、それをふたたるためである。

10:18 だれかが、わたしからそれをるのではない。わたしが、自分じぶんからそれをてるのである。わたしには、それをてるちからがあり、またそれをけるちからもある。これはわたしのちちからさずかったさだめである」。

10:19 これらの言葉ことばかたられたため、ユダヤじんあいだにまたも分争ぶんそうしょうじた。

10:20 そのうちのおおくのものった、「かれ悪霊あくれいりつかれて、くるっている。どうして、あなたがたはそのうことをくのか」。

10:21 人々ひとびとった、「それは悪霊あくれいりつかれたもの言葉ことばではない。悪霊あくれい盲人もうじんをあけることができようか」。

10:22 そのころ、エルサレムでみやきよめのまつりおこなわれた。ときふゆであった。

10:23 イエスは、みやなかにあるソロモンのろうあるいておられた。

10:24 するとユダヤじんたちが、イエスをかこんでった、「いつまでわたしたちを不安ふあんのままにしておくのか。あなたがキリストであるなら、そうとはっきりっていただきたい」。

10:25 イエスはかれらにこたえられた、「わたしははなしたのだが、あなたがたはしんじようとしない。わたしのちちによってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。

10:26 あなたがたがしんじないのは、わたしのひつじでないからである。

10:27 わたしのひつじはわたしのこえしたがう。わたしはかれらをっており、かれらはわたしについてる。

10:28 わたしは、かれらに永遠えいえんいのちあたえる。だから、かれらはいつまでもほろびることがなく、また、かれらをわたしのからうばものはない。

10:29 わたしのちちがわたしにくださったものは、すべてにまさるものである。そしてだれもちちのみから、それをうばることはできない。

10:30 わたしとちちとは一つである」。

10:31 そこでユダヤじんたちは、イエスをころそうとして、またいしりあげた。

10:32 するとイエスはかれらにこたえられた、「わたしは、ちちによるおおくのよいわざを、あなたがたにしめした。そのなかのどのわざのために、わたしをいしころそうとするのか」。

10:33 ユダヤじんたちはこたえた、「あなたをいしころそうとするのは、よいわざをしたからではなく、かみけがしたからである。また、あなたは人間にんげんであるのに、自分じぶんかみとしているからである」。

10:34 イエスはかれらにこたえられた、「あなたがたの律法りっぽうに、『わたしはう、あなたがたは神々かみがみである』といてあるではないか。

10:35 かみことばたくされた人々ひとびとが、神々かみがみといわれておるとすれば、(そして聖書せいしょことばは、すたることがありない)

10:36 ちちせいべつして、につかわされたものが、『わたしはかみである』とったからとて、どうして『あなたはかみけがものだ』とうのか。

10:37 もしわたしがちちのわざをおこなわないとすれば、わたしをしんじなくてもよい。

10:38 しかし、もしおこなっているなら、たといわたしをしんじなくても、わたしのわざをしんじるがよい。そうすれば、ちちがわたしにおり、また、わたしがちちにおることをってさとるであろう」。

10:39 そこで、かれらはまたイエスをとらえようとしたが、イエスはかれらのをのがれて、ってかれた。

10:40 さて、イエスはまたヨルダンのこうぎし、すなわち、ヨハネがはじめにバプテスマをさづけていたところき、そこに滞在たいざいしておられた。

10:41 おおくの人々ひとびとがイエスのところにきて、たがいった、「ヨハネはなんのしるしもおこなわなかったが、ヨハネがこのかたについてったことは、みなほんとうであった」。

10:42 そして、そこでおおくのものがイエスをしんじた。