口語訳聖書(振り仮名付き)
章: 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
ヨハネによる福音ふくいん書しょ
第1章 Jh-Audio
1:1 初はじめに言ことばがあった。言ことばは神かみと共ともにあった。言ことばは神かみであった。
1:2 この言ことばは初はじめに神かみと共ともにあった。
1:3 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
1:4 この言ことばに命いのちがあった。そしてこの命いのちは人ひとの光ひかりであった。
1:5 光ひかりはやみの中なかに輝かがやいている。そして、やみはこれに勝かたなかった。
1:6 ここにひとりの人ひとがあって、神かみからつかわされていた。その名なをヨハネと言いった。
1:7 この人ひとはあかしのためにきた。光ひかりについてあかしをし、彼かれによってすべての人ひとが信しんじるためである。
1:8 彼かれは光ひかりではなく、ただ、光ひかりについてあかしをするためにきたのである。
1:9 すべての人ひとを照てらすまことの光ひかりがあって、世よにきた。
1:10 彼かれは世よにいた。そして、世よは彼かれによってできたのであるが、世よは彼かれを知しらずにいた。
1:11 彼かれは自分じぶんのところにきたのに、自分じぶんの民たみは彼かれを受うけいれなかった。
1:12 しかし、彼かれを受うけいれた者もの、すなわち、その名なを信しんじた人々ひとびとには、彼かれは神かみの子ことなる力ちからを与あたえたのである。
1:13 それらの人ひとは、血ちすじによらず、肉にくの欲よくによらず、また、人ひとの欲よくにもよらず、ただ神かみによって生うまれたのである。
1:14 そして言ことばは肉体にくたいとなり、わたしたちのうちに宿やどった。わたしたちはその栄光えいこうを見みた。それは父ちちのひとり子ことしての栄光えいこうであって、めぐみとまこととに満みちていた。
1:15 ヨハネは彼かれについてあかしをし、叫さけんで言いった、「『わたしのあとに来くるかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先さきにおられたからである』とわたしが言いったのは、この人ひとのことである」。
1:16 わたしたちすべての者ものは、その満みち満みちているものの中なかから受うけて、めぐみにめぐみを加くわえられた。
1:17 律法りっぽうはモーセをとおして与あたえられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。
1:18 神かみを見みた者ものはまだひとりもいない。ただ父ちちのふところにいるひとり子こなる神かみだけが、神かみをあらわしたのである。
1:19 さて、ユダヤ人じんたちが、エルサレムから祭司さいしたちやレビ人ひとたちをヨハネのもとにつかわして、「あなたはどなたですか」と問とわせたが、その時ときヨハネが立たてたあかしは、こうであった。
1:20 すなわち、彼かれは告白こくはくして否いなまず、「わたしはキリストではない」と告白こくはくした。
1:21 そこで、彼かれらは問とうた、「それでは、どなたなのですか、あなたはエリヤですか」。彼かれは「いや、そうではない」と言いった。「では、あの預言者よげんしゃですか」。彼かれは「いいえ」と答こたえた。
1:22 そこで、彼かれらは言いった、「あなたはどなたですか。わたしたちをつかわした人々ひとびとに、答こたえを持もって行いけるようにしていただきたい。あなた自身じしんをだれだと考かんがえるのですか」。
1:23 彼かれは言いった、「わたしは、預言者よげんしゃイザヤが言いったように、『主しゅの道みちをまっすぐにせよと荒野あらので呼よばわる者ものの声こえ』である」。
1:24 つかわされた人ひとたちは、パリサイ人びとであった。
1:25 彼かれらはヨハネに問とうて言いった、「では、あなたがキリストでもエリヤでもまたあの預言者よげんしゃでもないのなら、なぜバプテスマを授さづけるのですか」。
1:26 ヨハネは彼かれらに答こたえて言いった、「わたしは水みずでバプテスマを授さづけるが、あなたがたの知しらないかたが、あなたがたの中なかに立たっておられる。
1:27 それがわたしのあとにあとにおいでになる方かたであって、わたしはその人ひとのくつのひもを解とく値ねうちもない」。
1:28 これらのことは、ヨハネがバプテスマを授さづけていたヨルダンの向むこうのベタニヤであったのである。
1:29 その翌日よくじつ、ヨハネはイエスが自分じぶんの方ほうにこられるのを見みて言いった、「見みよ、世よの罪つみを取とり除のぞく神かみの小羊こひつじ。
1:30 『わたしのあとに来くるかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先さきにおられたからである』とわたしが言いったのは、この人ひとのことである。
1:31 わたしはこのかたを知しらなかった。しかし、このかたがイスラエルに現あらわれてくださるそのことのために、わたしはきて、水みずでバプテスマを授さづけているのである」。
1:32 ヨハネはまたあかしをして言いった、「わたしは、御霊みたまがはとのように天てんから下くだって、彼かれの上うえにとどまるのを見みた。
1:33 わたしはこの人ひとを知しらなかった。しかし、水みずでバプテスマを授さづけるようにと、わたしをおつかわしになったそのかたが、わたしに言いわれた、『ある人ひとの上うえに、御霊みたまが下くだってとどまるのを見みたら、その人ひとこそは、御霊みたまによってバプテスマを授さづけるかたである』。
1:34 わたしはそれを見みたので、このかたこそ神かみの子こであると、あかしをしたのである」。
1:35 その翌日よくじつ、ヨハネはまたふたりの弟子でしたちと一緒いっしょに立たっていたが、
1:36 イエスが歩あるいておられるのに目めをとめて言いった、「見みよ、神かみの小羊こひつじ」。
1:37 そのふたりの弟子でしは、ヨハネがそう言いうのを聞きいて、イエスについて行いった。
1:38 イエスはふり向むき、彼かれらがついてくるのを見みて言いわれた、「何なにか願ねがいがあるのか」。彼かれらは言いった、「ラビ(訳やくして言いえば、先生せんせい)どこにおとまりなのですか」。
1:39 イエスは彼かれらに言いわれた、「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」。そこで彼かれらはついて行いって、イエスの泊とまっておられる所ところを見みた。そして、その日ひはイエスのところに泊とまった。時ときは午後ごご四時じごろであった。
1:40 ヨハネから聞きいて、イエスについて行いったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟きょうだいアンデレであった。
1:41 彼かれはまず自分じぶんの兄弟きょうだいシモンに出会であって言いった、「わたしたちはメシヤ(訳やくせば、キリスト)にいま出会であった」。
1:42 そしてシモンをイエスのもとにつれてきた。イエスは彼かれに目めをとめて言いわれた、「あなたはヨハネの子こシモンである。あなたをケパ(訳やくせば、ペテロ)と呼よぶことにする」。
1:43 その翌日よくじつ、イエスはガリラヤに行いこうとされたが、ピリポに出会であって言いわれた、「わたしに従したがってきなさい」。
1:44 ピリポは、アンデレとペテロとの町まちベツサイダの人ひとであった。
1:45 このピリポがナタナエルに出会であって言いった、「わたしたちは、モーセが律法りっぽうの中なかにしるしており、預言者よげんしゃたちがしるしていた人ひと、ヨセフの子こ、ナザレのイエスにいま出会であった」。
1:46 ナタナエルは彼かれに言いった、「ナザレから、なんのよいものが出でようか」。ピリポは彼かれに言いった、「きて見みなさい」。
1:47 イエスはナタナエルが自分じぶんの方ほうに来くるのを見みて、彼かれについて言いわれた、「見みよ、あの人ひとこそ、ほんとうのイスラエル人びとである。その心こころには偽いつわりがない」。
1:48 ナタナエルは言いった、「どうしてわたしをご存ぞんじなのですか」。イエスは答こたえて言いわれた、「ピリポがあなたを呼よぶ前まえに、わたしはあなたが、いちじくの木きの下したにいるのを見みた」。
1:49 ナタナエルは答こたえた、「先生せんせい、あなたは神かみの子こです。あなたはイスラエルの王おうです」。
1:50 イエスは答こたえて言いわれた、「あなたが、いちじくの木きの下したにいるのを見みたと、わたしが言いったので信しんじるのか。これよりも、もっと大おおきなことを、あなたは見みるであろう」。
1:51 また言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。天てんが開あけて、神かみの御使みつかいたちが人ひとの子この上うえに上のぼり下くだりするのを、あなたがたは見みるであろう」。
第2章 2:1 三日か目めにガリラヤのカナに婚礼こんれいがあって、イエスの母ははがそこにいた。2:2 イエスも弟子でしたちも、その婚礼こんれいに招まねかれた。2:3 ぶどう酒しゅがなくなったので、母はははイエスに言いった、「ぶどう酒しゅがなくなってしまいました」。2:4 イエスは母ははに言いわれた、「婦人ふじんよ、あなたは、わたしと、なんの係かかわりがありますか。わたしの時ときは、まだきていません」。2:5 母ははは僕しもべたちに言いった、「このかたが、あなたがたに言いいつけることは、なんでもして下ください」。2:6 そこには、ユダヤ人じんのきよめのならわしに従したがって、それぞれ四、五斗ともはいる石いしの水みずがめが、六つ置おいてあった。2:7 イエスは彼かれらに「かめに水みずをいっぱい入いれなさい」と言いわれたので、彼かれらは口くちのところまでいっぱいに入いれた。2:8 そこで彼かれらに言いわれた、「さあ、くんで、料理りょうりがしらのところに持もって行いきなさい」。すると、彼かれらは持もって行いった。2:9 料理りょうりがしらは、ぶどう酒しゅになった水みずをなめてみたが、それがどこからきたのか知しらなかったので、(水みずをくんだ僕しもべたちは知しっていた)花婿はなむこを呼よんで2:10 言いった、「どんな人ひとでも、初はじめによいぶどう酒しゅを出だして、酔よいがまわったころにわるいのを出だすものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒しゅを今いままでとっておかれました」。2:11 イエスは、この最初さいしょのしるしをガリラヤのカナで行おこない、その栄光えいこうを現あらわされた。そして弟子でしたちはイエスを信しんじた。 2:12 そののち、イエスは、その母はは、兄弟きょうだいたち、弟子でしたちと一緒いっしょに、カペナウムに下くだって、幾日いくにちかそこにとどまられた。 2:13 さて、ユダヤ人じんの過越すぎこしの祭まつりが近ちかづいたので、イエスはエルサレムに上のぼられた。2:14 そして牛うし、羊ひつじ、はとを売うる者ものや両替りょうがえする者ものなどが宮みやの庭にわにすわり込こんでいるのをごらんになって、2:15 なわでむちを造つくり、羊ひつじも牛うしもみな宮みやから追おいだし、両替人りょうがえにんの金かねを散ちらし、その台だいをひっくりかえし、2:16 はとを売うる人々ひとびとには「これらのものを持もって、ここから出でて行いけ。わたしの父ちちの家いえを商売しょうばいの家いえとするな」と言いわれた。2:17 弟子でしたちは、「あなたの家いえを思おもう熱心ねっしんが、わたしを食くいつくすであろう」と書かいてあることを思おもい出だした。2:18 そこで、ユダヤ人じんはイエスに言いった、「こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見みせてくれますか」。2:19 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「この神殿しんでんをこわしたら、わたしは三日かのうちに、それを起おこすであろう」。2:20 そこで、ユダヤ人じんたちは言いった、「この神殿しんでんを建たてるのには、四十六年ねんもかかっています。それだのに、あなたは三日かのうちに、それを建たてるのですか」。2:21 イエスは自分じぶんのからだである神殿しんでんのことを言いわれたのである。2:22 それで、イエスが死人しにんの中なかからよみがえったとき、弟子でしたちはイエスがこう言いわれたことを思おもい出だして、聖書せいしょとイエスのこの言葉ことばとを信しんじた。2:23 過越すぎこしの祭まつりの間あいだ、イエスがエルサレムに滞在たいざいしておられたとき、多おおくの人々ひとびとは、その行おこなわれたしるしを見みて、イエスの名なを信しんじた。2:24 しかしイエスご自身じしんは、彼かれらに自分じぶんをお任まかせにならなかった。それは、すべての人ひとを知しっておられ、2:25 また人ひとについてあかしする者ものを、必要ひつようとされなかったからである。それは、ご自身じしん人ひとの心こころの中なかにあることを知しっておられたからである。 第3章 3:1 パリサイ人びとのひとりで、その名なをニコデモというユダヤ人じんの指導者しどうしゃがあった。3:2 この人ひとが夜よるイエスのもとにきて言いった、「先生せんせい、わたしたちはあなたが神かみからこられた教師きょうしであることを知しっています。神かみがご一緒いっしょでないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。3:3 イエスは答こたえて言いわれた、「よくよくあなたに言いっておく。だれでも新あたらしく生うまれなければ、神かみの国くにを見みることはできない」。3:4 ニコデモは言いった、「人ひとは年としをとってから生うまれることが、どうしてできますか。もう一度いちど、母ははの胎たいにはいって生うまれることができましょうか」。3:5 イエスは答こたえられた、「よくよくあなたに言いっておく。だれでも、水みずと霊れいとから生うまれなければ、神かみの国くににはいることはできない。3:6 肉にくから生うまれる者ものは肉にくであり、霊れいから生うまれる者ものは霊れいである。3:7 あなたがたは新あたらしく生うまれなければならないと、わたしが言いったからとて、不思議ふしぎに思おもうには及およばない。3:8 風かぜは思おもいのままに吹ふく。あなたはその音おとを聞きくが、それがどこからきて、どこへ行いくかは知しらない。霊れいから生うまれる者ものもみな、それと同おなじである」。3:9 ニコデモはイエスに答こたえて言いった、「どうして、そんなことがあり得えましょうか」。3:10 イエスは彼かれに答こたえて言いわれた、「あなたはイスラエルの教師きょうしでありながら、これぐらいのことがわからないのか。3:11 よくよく言いっておく。わたしたちは自分じぶんの知しっていることを語かたり、また自分じぶんの見みたことをあかししているのに、あなたがたはわたしたちのあかしを受うけいれない。3:12 わたしが地上ちじょうのことを語かたっているのに、あなたがたが信しんじないならば、天上てんじょうのことを語かたった場合ばあい、どうしてそれを信しんじるだろうか。3:13 天てんから下くだってきた者もの、すなわち人ひとの子このほかには、だれも天てんに上のぼった者ものはない。3:14 そして、ちょうどモーセが荒野あらのでへびを上あげたように、人ひとの子こもまた上あげられなければならない。3:15 それは彼かれを信しんじる者ものが、すべて永遠えいえんの命いのちを得えるためである」。 3:16 神かみはそのひとり子こを賜たまわったほどに、この世よを愛あいして下くださった。それは御子みこを信しんじる者ものがひとりも滅ほろびないで、永遠えいえんの命いのちを得えるためである。3:17 神かみが御子みこを世よにつかわされたのは、世よをさばくためではなく、御子みこによって、この世よが救すくわれるためである。3:18 彼かれを信しんじる者ものは、さばかれない。信しんじない者ものは、すでにさばかれている。神かみのひとり子この名なを信しんじることをしないからである。3:19 そのさばきというのは、光ひかりがこの世よにきたのに、人々ひとびとはそのおこないが悪わるいために、光ひかりよりもやみの方ほうを愛あいしたことである。3:20 悪あくを行おこなっている者ものはみな光ひかりを憎にくむ。そして、そのおこないが明あかるみに出だされるのを恐おそれて、光ひかりにこようとはしない。3:21 しかし、真理しんりを行おこなっている者ものは光ひかりに来くる。その人ひとのおこないの、神かみにあってなされたということが、明あきらかにされるためである。 3:22 こののち、イエスは弟子でしたちとユダヤの地ちに行いき、彼かれらと一緒いっしょにそこに滞在たいざいして、バプテスマを授さづけておられた。3:23 ヨハネもサリムに近ちかいアイノンで、バプテスマを授さづけていた。そこには水みずがたくさんあったからである。人々ひとびとがぞくぞくとやってきてバプテスマを受うけていた。3:24 そのとき、ヨハネはまだ獄ごくに入いれられてはいなかった。3:25 ところが、ヨハネの弟子でしたちとひとりのユダヤ人じんとの間あいだに、きよめのことで争論そうろんが起おこった。3:26 そこで彼かれらはヨハネのところにきて言いった、「先生せんせい、ごらん下ください。ヨルダンの向むこうであなたと一緒いっしょにいたことがあり、そして、あなたがあかしをしておられたあのかたが、バプテスマを授さづけており、皆みなの者ものが、そのかたのところへ出でかけています」。3:27 ヨハネは答こたえて言いった、「人ひとは天てんから与あたえられなければ、何なにものも受うけることはできない。3:28 『わたしはキリストではなく、そのかたよりも先さきにつかわされた者ものである』と言いったことをあかししてくれるのは、あなたがた自身じしんである。3:29 花嫁はなよめをもつ者ものは花婿はなむこである。花婿はなむこの友人ゆうじんは立たって彼かれの声こえを聞きき、その声こえを聞きいて大おおいに喜よろこぶ。こうして、この喜よろこびはわたしに満みち足たりている。3:30 彼かれは必かならず栄さかえ、わたしは衰おとろえる。 3:31 上うえから来くる者ものは、すべてのものの上うえにある。地ちから出でる者ものは、地ちに属ぞくする者ものであって、地ちのことを語かたる。天てんから来くる者ものは、すべてのものの上うえにある。3:32 彼かれはその見みたところ、聞きいたところをあかししているが、だれもそのあかしを受うけいれない。3:33 しかし、そのあかしを受うけいれる者ものは、神かみがまことであることを、たしかに認みとめたのである。3:34 神かみがおつかわしになったかたは、神かみの言葉ことばを語かたる。神かみは聖霊せいれいを限かぎりなく賜たまうからである。3:35 父ちちは御子みこを愛あいして、万物ばんぶつをその手てにお与あたえになった。3:36 御子みこを信しんじる者ものは永遠えいえんの命いのちをもつ。御子みこに従したがわない者ものは、命いのちにあずかることがないばかりか、神かみの怒いかりがその上うえにとどまるのである」。 第4章 4:1 イエスが、ヨハネよりも多おおく弟子でしをつくり、またバプテスマを授さづけておられるということを、パリサイ人びとたちが聞きき、それを主しゅが知しられたとき、4:2 (しかし、イエスみずからが、バプテスマをお授さづけになったのではなく、その弟子でしたちであった)4:3 ユダヤを去さって、またガリラヤへ行いかれた。4:4 しかし、イエスはサマリヤを通過つうかしなければならなかった。4:5 そこで、イエスはサマリヤのスカルという町まちにおいでになった。この町まちは、ヤコブがその子こヨセフに与あたえた土地とちの近ちかくにあったが、4:6 そこにヤコブの井戸いどがあった。イエスは旅たびの疲つかれを覚おぼえて、そのまま、この井戸いどのそばにすわっておられた。時ときは昼ひるの十二時じごろであった。4:7 ひとりのサマリヤの女おんなが水みずをくみにきたので、イエスはこの女おんなに、「水みずを飲のませて下ください」と言いわれた。4:8 弟子でしたちは食物しょくもつを買かいに町まちに行いっていたのである。4:9 すると、サマリヤの女おんなはイエスに言いった、「あなたはユダヤ人じんでありながら、どうしてサマリヤの女おんなのわたしに、飲のませてくれとおっしゃるのですか」。これは、ユダヤ人じんはサマリヤ人びとと交際こうさいしていなかったからである。4:10 イエスは答こたえて言いわれた、「もしあなたが神かみの賜物たまもののことを知しり、また、『水みずを飲のませてくれ』と言いった者ものが、だれであるか知しっていたならば、あなたの方ほうから願ねがい出でて、その人ひとから生いける水みずをもらったことであろう」。4:11 女おんなはイエスに言いった、「主しゅよ、あなたは、くむ物ものをお持もちにならず、その上うえ、井戸いどは深ふかいのです。その生いける水みずを、どこから手てに入いれるのですか。4:12 あなたは、この井戸いどを下くださったわたしたちの父ちちヤコブよりも、偉えらいかたなのですか。ヤコブ自身じしんも飲のみ、その子こらも、その家畜かちくも、この井戸いどから飲のんだのですが」。4:13 イエスは女おんなに答こたえて言いわれた、「この水みずを飲のむ者ものはだれでも、またかわくであろう。4:14 しかし、わたしが与あたえる水みずを飲のむ者ものは、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与あたえる水みずは、その人ひとのうちで泉いずみとなり、永遠えいえんの命いのちに至いたる水みずが、わきあがるであろう」。4:15 女おんなはイエスに言いった、「主しゅよ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水みずをわたしに下ください」。4:16 イエスは女おんなに言いわれた、「あなたの夫おっとを呼よびに行いって、ここに連つれてきなさい」。4:17 女おんなは答こたえて言いった、「わたしには夫おっとはありません」。イエスは女おんなに言いわれた、「夫おっとがないと言いったのは、もっともだ。4:18 あなたには五人にんの夫おっとがあったが、今いまのはあなたの夫おっとではない。あなたの言葉ことばのとおりである」。4:19 女おんなはイエスに言いった、「主しゅよ、わたしはあなたを預言者よげんしゃと見みます。4:20 わたしたちの先祖せんぞは、この山やまで礼拝れいはいをしたのですが、あなたがたは礼拝れいはいすべき場所ばしょは、エルサレムにあると言いっています」。4:21 イエスは女おんなに言いわれた、「女おんなよ、わたしの言いうことを信しんじなさい。あなたがたが、この山やまでも、またエルサレムでもない所ところで、父ちちを礼拝れいはいする時ときが来くる。4:22 あなたがたは自分じぶんの知しらないものを拝おがんでいるが、わたしたちは知しっているかたを礼拝れいはいしている。救すくいはユダヤ人じんから来くるからである。4:23 しかし、まことの礼拝れいはいをする者ものたちが、霊れいとまこととをもって父ちちを礼拝れいはいする時ときが来くる。そうだ、今いまきている。父ちちは、このような礼拝れいはいをする者ものたちを求もとめておられるからである。4:24 神かみは霊れいであるから、礼拝れいはいをする者ものも、霊れいとまこととをもって礼拝れいはいすべきである」。4:25 女おんなはイエスに言いった、「わたしは、キリストと呼よばれるメシヤがこられることを知しっています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを知しらせて下くださるでしょう」。4:26 イエスは女おんなに言いわれた、「あなたと話はなしをしているこのわたしが、それである」。 4:27 そのとき、弟子でしたちが帰かえって来きて、イエスがひとりの女おんなと話はなしておられるのを見みて不思議ふしぎに思おもったが、しかし、「何なにを求もとめておられますか」とも、「何なにを彼女かのじょと話はなしておられるのですか」とも、尋たずねる者ものはひとりもなかった。4:28 この女おんなは水みずがめをそのままそこに置おいて町まちに行いき、人々ひとびとに言いった、4:29 「わたしのしたことを何なにもかも、言いいあてた人ひとがいます。さあ、見みにきてごらんなさい。もしかしたら、この人ひとがキリストかも知しれません」。4:30 人々ひとびとは町まちを出でて、ぞくぞくとイエスのところへ行いった。4:31 その間あいだに弟子でしたちはイエスに、「先生せんせい、召めしあがってください」とすすめた。4:32 ところが、イエスは言いわれた、「わたしには、あなたがたの知しらない食物しょくもつがある」。4:33 そこで、弟子でしたちが互たがいに言いった、「だれかが、何なにか食たべるものを持もってきてさしあげたのであろうか」。4:34 イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしの食物しょくもつというのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行おこない、そのみわざをなし遂とげることである。4:35 あなたがたは、刈入かりいれ時ときが来くるまでには、まだ四か月げつあると、言いっているではないか。しかし、わたしはあなたがたに言いう。目めをあげて畑はたけを見みなさい。はや色いろづいて刈入かりいれを待まっている。4:36 刈かる者ものは報酬ほうしゅうを受うけて、永遠えいえんの命いのちに至いたる実みを集あつめている。まく者ものも刈かる者ものも、共々ともどもに喜よろこぶためである。4:37 そこで、『ひとりがまき、ひとりが刈かる』ということわざが、ほんとうのこととなる。4:38 わたしは、あなたがたをつかわして、あなたがたがそのために労苦ろうくしなかったものを刈かりとらせた。ほかの人々ひとびとが労苦ろうくし、あなたがたは、彼かれらの労苦ろうくの実みにあずかっているのである」。 4:39 さて、この町まちからきた多おおくのサマリヤ人ひとは、「この人ひとは、わたしのしたことを何なにもかも言いいあてた」とあかしした女おんなの言葉ことばによって、イエスを信しんじた。4:40 そこで、サマリヤ人ひとたちはイエスのもとにきて、自分じぶんたちのところに滞在たいざいしていただきたいと願ねがったので、イエスはそこにふつか滞在たいざいされた。4:41 そしてなお多おおくの人々ひとびとが、イエスの言葉ことばを聞きいて信しんじた。4:42 彼かれらは女おんなに言いった、「わたしたちが信しんじるのは、もうあなたが話はなしてくれたからではない。自分じぶん自身じしんで親したしく聞きいて、この人ひとこそまことに世よの救主すくいぬしであることが、わかったからである」。 4:43 ふつかの後のちに、イエスはここを去さってガリラヤへ行いかれた。4:44 イエスはみずからはっきり、「預言者よげんしゃは自分じぶんの故郷こきょうでは敬うやまわれないものだ」と言いわれたのである。4:45 ガリラヤに着つかれると、ガリラヤの人ひとたちはイエスを歓迎かんげいした。それは、彼かれらも祭まつりに行いっていたので、その祭まつりの時とき、イエスがエルサレムでなされたことをことごとく見みていたからである。 4:46 イエスは、またガリラヤのカナに行いかれた。そこは、かつて水みずをぶどう酒しゅにかえられた所ところである。ところが、病気びょうきをしているむすこを持もつある役人やくにんがカペナウムにいた。4:47 この人ひとが、ユダヤからガリラヤにイエスのきておられることを聞きき、みもとにきて、カペナウムに下くだって、彼かれの子こをなおしていただきたいと、願ねがった。その子こが死しにかかっていたからである。4:48 そこで、イエスは彼かれに言いわれた、「あなたがたは、しるしと奇跡きせきとを見みない限かぎり、決けっして信しんじないだろう」。4:49 この役人やくにんはイエスに言いった、「主しゅよ、どうぞ、子供こどもが死しなないうちにきて下ください」。4:50 イエスは彼かれに言いわれた、「お帰かえりなさい。あなたのむすこは助たすかるのだ」。彼かれは自分じぶんに言いわれたイエスの言葉ことばを信しんじて帰かえって行いった。4:51 その下くだって行いく途中とちゅう、僕しもべたちが彼かれに出会であい、その子こが助たすかったことを告つげた。4:52 そこで、彼かれは僕しもべたちに、そのなおりはじめた時刻じこくを尋たずねてみたら、「きのうの午後ごご一時じに熱ねつが引ひきました」と答こたえた。4:53 それは、イエスが「あなたのむすこは助たすかるのだ」と言いわれたのと同おなじ時刻じこくであったことを、この父ちちは知しって、彼かれ自身じしんもその家族かぞく一同いちどうも信しんじた。4:54 これは、イエスがユダヤからガリラヤにきてなされた第だい二のしるしである。 第5章 5:1 こののち、ユダヤ人じんの祭まつりがあったので、イエスはエルサレムに上のぼられた。 5:2 エルサレムにある羊ひつじの門もんのそばに、ヘブル語ごでベテスダと呼よばれる池いけがあった。そこには五つの廊ろうがあった。5:3 その廊ろうの中なかには、病人びょうにん、盲人もうじん、足あしなえ、やせ衰おとろえた者ものなどが、大おおぜいからだを横よこたえていた。〔彼かれらは水みずの動うごくのを待まっていたのである。5:4 それは、時々ときどき、主しゅの御使みつかいがこの池いけに降おりてきて水みずを動うごかすことがあるが、水みずが動うごいた時ときまっ先さきにはいる者ものは、どんな病気びょうきにかかっていても、いやされたからである。〕5:5 さて、そこに三十八年ねんのあいだ、病気びょうきに悩なやんでいる人ひとがあった。5:6 イエスはその人ひとが横よこになっているのを見み、また長ながい間あいだわずらっていたのを知しって、その人ひとに「なおりたいのか」と言いわれた。5:7 この病人びょうにんはイエスに答こたえた、「主しゅよ、水みずが動うごく時ときに、わたしを池いけの中なかに入いれてくれる人ひとがいません。わたしがはいりかけると、ほかの人ひとが先さきに降おりて行いくのです」。5:8 イエスは彼かれに言いわれた、「起おきて、あなたの床とこを取とりあげ、そして歩あるきなさい」。5:9 すると、この人ひとはすぐにいやされ、床とこをとりあげて歩あるいて行いった。 その日ひは安息日あんそくにちであった。5:10 そこでユダヤ人じんたちは、そのいやされた人ひとに言いった、「きょうは安息日あんそくにちだ。床とこを取とりあげるのは、よろしくない」。5:11 彼かれは答こたえた、「わたしをなおして下くださったかたが、床とこを取とりあげて歩あるけと、わたしに言いわれました」。5:12 彼かれらは尋たずねた、「取とりあげて歩あるけと言いった人ひとは、だれか」。5:13 しかし、このいやされた人ひとは、それがだれであるか知しらなかった。群衆ぐんしゅうがその場ばにいたので、イエスはそっと出でて行いかれたからである。5:14 そののち、イエスは宮みやでその人ひとに出会であったので、彼かれに言いわれた、「ごらん、あなたはよくなった。もう罪つみを犯おかしてはいけない。何なにかもっと悪わるいことが、あなたの身みに起おこるかも知しれないから」。5:15 彼かれは出でて行いって、自分じぶんをいやしたのはイエスであったと、ユダヤ人じんたちに告つげた。5:16 そのためユダヤ人じんたちは、安息日あんそくにちにこのようなことをしたと言いって、イエスを責せめた。5:17 そこで、イエスは彼かれらに答こたえられた、「わたしの父ちちは今いまに至いたるまで働はたらいておられる。わたしも働はたらくのである」。5:18 このためにユダヤ人じんたちは、ますますイエスを殺ころそうと計はかるようになった。それは、イエスが安息日あんそくにちを破やぶられたばかりではなく、神かみを自分じぶんの父ちちと呼よんで、自分じぶんを神かみと等ひとしいものとされたからである。 5:19 さて、イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。子こは父ちちのなさることを見みてする以外いがいに、自分じぶんからは何事なにごともすることができない。父ちちのなさることであればすべて、子こもそのとおりにするのである。5:20 なぜなら、父ちちは子こを愛あいして、みずからなさることは、すべて子こにお示しめしになるからである。そして、それよりもなお大おおきなわざを、お示しめしになるであろう。あなたがたが、それによって不思議ふしぎに思おもうためである。5:21 すなわち、父ちちが死人しにんを起おこして命いのちをお与あたえになるように、子こもまた、そのこころにかなう人々ひとびとに命いのちを与あたえるであろう。5:22 父ちちはだれをもさばかない。さばきのことはすべて、子こにゆだねられたからである。5:23 それは、すべての人ひとが父ちちを敬うやまうと同様どうように、子こを敬うやまうためである。子こを敬うやまわない者ものは、子こをつかわされた父ちちをも敬うやまわない。5:24 よくよくあなたがたに言いっておく。わたしの言葉ことばを聞きいて、わたしをつかわされたかたを信しんじる者ものは、永遠えいえんの命いのちを受うけ、またさばかれることがなく、死しから命いのちに移うつっているのである。5:25 よくよくあなたがたに言いっておく。死しんだ人ひとたちが、神かみの子この声こえを聞きく時ときが来くる。今いますでにきている。そして聞きく人ひとは生いきるであろう。5:26 それは、父ちちがご自分じぶんのうちに生命せいめいをお持もちになっていると同様どうように、子こにもまた、自分じぶんのうちに生命せいめいを持もつことをお許ゆるしになったからである。5:27 そして子こは人ひとの子こであるから、子こにさばきを行おこなう権威けんいをお与あたえになった。5:28 このことを驚おどろくには及およばない。墓はかの中なかにいる者ものたちがみな神かみの子この声こえを聞きき、5:29 善ぜんをおこなった人々ひとびとは、生命せいめいを受うけるためによみがえり、悪あくをおこなった人々ひとびとは、さばきを受うけるためによみがえって、それぞれ出でてくる時ときが来くるであろう。 5:30 わたしは、自分じぶんからは何事なにごともすることができない。ただ聞きくままにさばくのである。そして、わたしのこのさばきは正ただしい。それは、わたし自身じしんの考かんがえでするのではなく、わたしをつかわされたかたの、み旨むねを求もとめているからである。5:31 もし、わたしが自分じぶん自身じしんについてあかしをするならば、わたしのあかしはほんとうではない。5:32 わたしについてあかしをするかたはほかにあり、そして、その人ひとがするあかしがほんとうであることを、わたしは知しっている。5:33 あなたがたはヨハネのもとへ人ひとをつかわしたが、そのとき彼かれは真理しんりについてあかしをした。5:34 わたしは人ひとからあかしを受うけないが、このことを言いうのは、あなたがたが救すくわれるためである。5:35 ヨハネは燃もえて輝かがやくあかりであった。あなたがたは、しばらくの間あいだその光ひかりを喜よろこび楽たのしもうとした。5:36 しかし、わたしには、ヨハネのあかしよりも、もっと力ちからあるあかしがある。父ちちがわたしに成就じょうじゅさせようとしてお与あたえになったわざ、すなわち、今いまわたしがしているこのわざが、父ちちのわたしをつかわされたことをあかししている。5:37 また、わたしをつかわされた父ちちも、ご自分じぶんでわたしについてあかしをされた。あなたがたは、まだそのみ声こえを聞きいたこともなく、そのみ姿すがたを見みたこともない。5:38 また、神かみがつかわされた者ものを信しんじないから、神かみの御言みことばはあなたがたのうちにとどまっていない。5:39 あなたがたは、聖書せいしょの中なかに永遠えいえんの命いのちがあると思おもって調しらべているが、この聖書せいしょは、わたしについてあかしをするものである。5:40 しかも、あなたがたは、命いのちを得えるためにわたしのもとにこようともしない。5:41 わたしは人ひとからの誉ほまれを受うけることはしない。5:42 しかし、あなたがたのうちには神かみを愛あいする愛あいがないことを知しっている。5:43 わたしは父ちちの名なによってきたのに、あなたがたはわたしを受うけいれない。もし、ほかの人ひとが彼かれ自身じしんの名なによって来くるならば、その人ひとを受うけいれるのであろう。5:44 互たがいに誉ほまれを受うけながら、ただひとりの神かみからの誉ほまれを求もとめようとしないあなたがたは、どうして信しんじることができようか。5:45 わたしがあなたがたのことを父ちちに訴うったえると、考かんがえてはいけない。あなたがたを訴うったえる者ものは、あなたがたが頼たのみとしているモーセその人ひとである。5:46 もし、あなたがたがモーセを信しんじたならば、わたしをも信しんじたであろう。モーセは、わたしについて書かいたのである。5:47 しかし、モーセの書かいたものを信しんじないならば、どうしてわたしの言葉ことばを信しんじるだろうか」。 第6章 6:1 そののち、イエスはガリラヤの海うみ、すなわち、テベリヤ湖みずうみの向むこう岸ぎしへ渡わたられた。6:2 すると、大おおぜいの群衆ぐんしゅうがイエスについてきた。病人びょうにんたちになさっていたしるしを見みたからである。6:3 イエスは山やまに登のぼって、弟子でしたちと一緒いっしょにそこで座ざにつかれた。6:4 時ときに、ユダヤ人じんの祭まつりである過越すぎこしが間近まぢかになっていた。6:5 イエスは目めをあげ、大おおぜいの群衆ぐんしゅうが自分じぶんの方ほうに集あつまって来くるのを見みて、ピリポに言いわれた、「どこからパンを買かってきて、この人々ひとびとに食たべさせようか」。6:6 これはピリポをためそうとして言いわれたのであって、ご自分じぶんではしようとすることを、よくご承知しょうちであった。6:7 すると、ピリポはイエスに答こたえた、「二百デナリのパンがあっても、めいめいが少すこしずついただくにも足たりますまい」。6:8 弟子でしのひとり、シモン・ペテロの兄弟きょうだいアンデレがイエスに言いった、6:9 「ここに、大麦おおむぎのパン五つと、さかな二ひきとを持もっている子供こどもがいます。しかし、こんなに大おおぜいの人ひとでは、それが何なにになりましょう」。6:10 イエスは「人々ひとびとをすわらせなさい」と言いわれた。その場所ばしょには草くさが多おおかった。そこにすわった男おとこの数かずは五千人にんほどであった。6:11 そこで、イエスはパンを取とり、感謝かんしゃしてから、すわっている人々ひとびとに分わけ与あたえ、また、さかなをも同様どうようにして、彼かれらの望のぞむだけ分わけ与あたえられた。6:12 人々ひとびとがじゅうぶんに食たべたのち、イエスは弟子でしたちに言いわれた、「少すこしでもむだにならないように、パンくずのあまりを集あつめなさい」。6:13 そこで彼かれらが集あつめると、五つの大麦おおむぎのパンを食たべて残のこったパンくずは、十二のかごにいっぱいになった。6:14 人々ひとびとはイエスのなさったこのしるしを見みて、「ほんとうに、この人ひとこそ世よにきたるべき預言者よげんしゃである」と言いった。 6:15 イエスは人々ひとびとがきて、自分じぶんをとらえて王おうにしようとしていると知しって、ただひとり、また山やまに退しりぞかれた。 6:16 夕方ゆうがたになったとき、弟子でしたちは海うみべに下くだり、6:17 舟ふねに乗のって海うみを渡わたり、向むこう岸ぎしのカペナウムに行いきかけた。すでに暗くらくなっていたのに、イエスはまだ彼かれらのところにおいでにならなかった。6:18 その上うえ、強つよい風かぜが吹ふいてきて、海うみは荒あれ出だした。6:19 四、五十丁ちょうこぎ出だしたとき、イエスが海うみの上うえを歩あるいて舟ふねに近ちかづいてこられるのを見みて、彼かれらは恐おそれた。6:20 すると、イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしだ、恐おそれることはない」。6:21 そこで、彼かれらは喜よろこんでイエスを舟ふねに迎むかえようとした。すると舟ふねは、すぐ、彼かれらが行いこうとしていた地ちに着ついた。 6:22 その翌日よくじつ、海うみの向むこう岸ぎしに立たっていた群衆ぐんしゅうは、そこに小舟こぶねが一そうしかなく、またイエスは弟子でしたちと一緒いっしょに小舟こぶねにお乗のりにならず、ただ弟子でしたちだけが船出ふなでしたのを見みた。6:23 しかし、数すうそうの小舟こぶねがテベリヤからきて、主しゅが感謝かんしゃされたのちパンを人々ひとびとに食たべさせた場所ばしょに近ちかづいた。6:24 群衆ぐんしゅうは、イエスも弟子でしたちもそこにいないと知しって、それらの小舟こぶねに乗のり、イエスをたずねてカペナウムに行いった。6:25 そして、海うみの向むこう岸ぎしでイエスに出会であったので言いった、「先生せんせい、いつ、ここにおいでになったのですか」。6:26 イエスは答こたえて言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。あなたがたがわたしを尋たずねてきているのは、しるしを見みたためではなく、パンを食たべて満腹まんぷくしたからである。6:27 朽くちる食物しょくもつのためではなく、永遠えいえんの命いのちに至いたる朽くちない食物しょくもつのために働はたらくがよい。これは人ひとの子こがあなたがたに与あたえるものである。父ちちなる神かみは、人ひとの子こにそれをゆだねられたのである」。6:28 そこで、彼かれらはイエスに言いった、「神かみのわざを行おこなうために、わたしたちは何なにをしたらよいでしょうか」。6:29 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「神かみがつかわされた者ものを信しんじることが、神かみのわざである」。6:30 彼かれらはイエスに言いった、「わたしたちが見みてあなたを信しんじるために、どんなしるしを行おこなって下くださいますか。どんなことをして下くださいますか。6:31 わたしたちの先祖せんぞは荒野あらのでマナを食たべました。それは『天てんよりのパンを彼かれらに与あたえて食たべさせた』と書かいてあるとおりです」。6:32 そこでイエスは彼かれらに言いわれた、「よくよく言いっておく。天てんからのパンをあなたがたに与あたえたのは、モーセではない。天てんからのまことのパンをあなたがたに与あたえるのは、わたしの父ちちなのである。6:33 神かみのパンは、天てんから下くだってきて、この世よに命いのちを与あたえるものである」。6:34 彼かれらはイエスに言いった、「主しゅよ、そのパンをいつもわたしたちに下ください」。6:35 イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしが命いのちのパンである。わたしに来くる者ものは決けっして飢うえることがなく、わたしを信しんじる者ものは決けっしてかわくことがない。6:36 しかし、あなたがたに言いったが、あなたがたはわたしを見みたのに信しんじようとはしない。6:37 父ちちがわたしに与あたえて下くださる者ものは皆みな、わたしに来くるであろう。そして、わたしに来くる者ものを決けっして拒こばみはしない。6:38 わたしが天てんから下くだってきたのは、自分じぶんのこころのままを行おこなうためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行おこなうためである。6:39 わたしをつかわされたかたのみこころは、わたしに与あたえて下くださった者ものを、わたしがひとりも失うしなわずに、終おわりの日ひによみがえらせることである。6:40 わたしの父ちちのみこころは、子こを見みて信しんじる者ものが、ことごとく永遠えいえんの命いのちを得えることなのである。そして、わたしはその人々ひとびとを終おわりの日ひによみがえらせるであろう」。 6:41 ユダヤ人じんらは、イエスが「わたしは天てんから下くだってきたパンである」と言いわれたので、イエスについてつぶやき始はじめた。6:42 そして言いった、「これはヨセフの子こイエスではないか。わたしたちはその父母ふぼを知しっているではないか。わたしは天てんから下くだってきたと、どうして今いまいうのか」。6:43 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「互たがいにつぶやいてはいけない。6:44 わたしをつかわされた父ちちが引ひきよせて下くださらなければ、だれもわたしに来くることはできない。わたしは、その人々ひとびとを終おわりの日ひによみがえらせるであろう。6:45 預言者よげんしゃの書しょに、『彼かれらはみな神かみに教おしえられるであろう』と書かいてある。父ちちから聞きいて学まなんだ者ものは、みなわたしに来くるのである。6:46 神かみから出でた者もののほかに、だれかが父ちちを見みたのではない。その者ものだけが父ちちを見みたのである。6:47 よくよくあなたがたに言いっておく。信しんじる者ものには永遠えいえんの命いのちがある。6:48 わたしは命いのちのパンである。6:49 あなたがたの先祖せんぞは荒野あらのでマナを食たべたが、死しんでしまった。6:50 しかし、天てんから下くだってきたパンを食たべる人ひとは、決けっして死しぬことはない。6:51 わたしは天てんから下くだってきた生いきたパンである。それを食たべる者ものは、いつまでも生いきるであろう。わたしが与あたえるパンは、世よの命いのちのために与あたえるわたしの肉にくである」。 6:52 そこで、ユダヤ人じんらが互たがいに論ろんじて言いった、「この人ひとはどうして、自分じぶんの肉にくをわたしたちに与あたえて食たべさせることができようか」。6:53 イエスは彼かれらに言いわれた、「よくよく言いっておく。人ひとの子この肉にくを食たべず、また、その血ちを飲のまなければ、あなたがたの内うちに命いのちはない。6:54 わたしの肉にくを食たべ、わたしの血ちを飲のむ者ものには、永遠えいえんの命いのちがあり、わたしはその人ひとを終おわりの日ひによみがえらせるであろう。6:55 わたしの肉にくはまことの食物しょくもつ、わたしの血ちはまことの飲のみ物ものである。6:56 わたしの肉にくを食たべ、わたしの血ちを飲のむ者ものはわたしにおり、わたしもまたその人ひとにおる。6:57 生いける父ちちがわたしをつかわされ、また、わたしが父ちちによって生いきているように、わたしを食たべる者ものもわたしによって生いきるであろう。6:58 天てんから下くだってきたパンは、先祖せんぞたちが食たべたが死しんでしまったようなものではない。このパンを食たべる者ものは、いつまでも生いきるであろう」。6:59 これらのことは、イエスがカペナウムの会堂かいどうで教おしえておられたときに言いわれたものである。 6:60 弟子でしたちのうちの多おおくの者ものは、これを聞きいて言いった、「これは、ひどい言葉ことばだ。だれがそんなことを聞きいておられようか」。6:61 しかしイエスは、弟子でしたちがそのことでつぶやいているのを見破みやぶって、彼かれらに言いわれた、「このことがあなたがたのつまずきになるのか。6:62 それでは、もし人ひとの子こが前まえにいた所ところに上のぼるのを見みたら、どうなるのか。6:63 人ひとを生いかすものは霊れいであって、肉にくはなんの役やくにも立たたない。わたしがあなたがたに話はなした言葉ことばは霊れいであり、また命いのちである。6:64 しかし、あなたがたの中なかには信しんじない者ものがいる」。イエスは、初はじめから、だれが信しんじないか、また、だれが彼かれを裏切うらぎるかを知しっておられたのである。6:65 そしてイエスは言いわれた、「それだから、父ちちが与あたえて下くださった者ものでなければ、わたしに来くることはできないと、言いったのである」。 6:66 それ以来いらい、多おおくの弟子でしたちは去さっていって、もはやイエスと行動こうどうを共ともにしなかった。6:67 そこでイエスは十二弟子でしに言いわれた、「あなたがたも去さろうとするのか」。6:68 シモン・ペテロが答こたえた、「主しゅよ、わたしたちは、だれのところに行いきましょう。永遠えいえんの命いのちの言ことばをもっているのはあなたです。6:69 わたしたちは、あなたが神かみの聖者せいじゃであることを信しんじ、また知しっています」。6:70 イエスは彼かれらに答こたえられた、「あなたがた十二人にんを選えらんだのは、わたしではなかったか。それだのに、あなたがたのうちのひとりは悪魔あくまである」。6:71 これは、イスカリオテのシモンの子こユダをさして言いわれたのである。このユダは、十二弟子でしのひとりでありながら、イエスを裏切うらぎろうとしていた。 第7章 7:1 そののち、イエスはガリラヤを巡回じゅんかいしておられた。ユダヤ人じんたちが自分じぶんを殺ころそうとしていたので、ユダヤを巡回じゅんかいしようとはされなかった。7:2 時ときに、ユダヤ人じんの仮庵かりいおの祭まつりが近ちかづいていた。7:3 そこで、イエスの兄弟きょうだいたちがイエスに言いった、「あなたがしておられるわざを弟子でしたちにも見みせるために、ここを去さりユダヤに行いってはいかがです。7:4 自分じぶんを公おおやけけにあらわそうと思おもっている人ひとで、隠かくれて仕事しごとをするものはありません。あなたがこれらのことをするからには、自分じぶんをはっきりと世よにあらわしなさい」。7:5 こう言いったのは、兄弟きょうだいたちもイエスを信しんじていなかったからである。7:6 そこでイエスは彼かれらに言いわれた、「わたしの時ときはまだきていない。しかし、あなたがたの時ときはいつも備そなわっている。7:7 世よはあなたがたを憎にくみ得えないが、わたしを憎にくんでいる。わたしが世よのおこないの悪わるいことを、あかししているからである。7:8 あなたがたこそ祭まつりに行いきなさい。わたしはこの祭まつりには行いかない。わたしの時ときはまだ満みちていないから」。7:9 彼かれらにこう言いって、イエスはガリラヤにとどまっておられた。 7:10 しかし、兄弟きょうだいたちが祭まつりに行いったあとで、イエスも人目ひとめにたたぬように、ひそかに行いかれた。7:11 ユダヤ人じんらは祭まつりの時ときに、「あの人ひとはどこにいるのか」と言いって、イエスを捜さがしていた。7:12 群衆ぐんしゅうの中なかに、イエスについていろいろとうわさが立たった。ある人々ひとびとは、「あれはよい人ひとだ」と言いい、他たの人々ひとびとは、「いや、あれは群衆ぐんしゅうを惑まどわしている」と言いった。7:13 しかし、ユダヤ人じんらを恐おそれて、イエスのことを公然こうぜんと口くちにする者ものはいなかった。 7:14 祭まつりも半なかばになってから、イエスは宮みやに上のぼって教おしえ始はじめられた。7:15 すると、ユダヤ人じんたちは驚おどろいて言いった、「この人ひとは学問がくもんをしたこともないのに、どうして律法りっぽうの知識ちしきをもっているのだろう」。7:16 そこでイエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「わたしの教おしえはわたし自身じしんの教おしえではなく、わたしをつかわされたかたの教おしえである。7:17 神かみのみこころを行おこなおうと思おもう者ものであれば、だれでも、わたしの語かたっているこの教おしえが神かみからのものか、それとも、わたし自身じしんから出でたものか、わかるであろう。7:18 自分じぶんから出でたことを語かたる者ものは、自分じぶんの栄光えいこうを求もとめるが、自分じぶんをつかわされたかたの栄光えいこうを求もとめる者ものは真実しんじつであって、その人ひとの内うちには偽いつわりがない。7:19 モーセはあなたがたに律法りっぽうを与あたえたではないか。それだのに、あなたがたのうちには、その律法りっぽうを行おこなう者ものがひとりもない。あなたがたは、なぜわたしを殺ころそうと思おもっているのか」。7:20 群衆ぐんしゅうは答こたえた、「あなたは悪霊あくれいに取とりつかれている。だれがあなたを殺ころそうと思おもっているものか」。7:21 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「わたしが一つのわざをしたところ、あなたがたは皆みなそれを見みて驚おどろいている。7:22 モーセはあなたがたに割礼かつれいを命めいじたので、(これは、実じつは、モーセから始はじまったのではなく、先祖せんぞたちから始はじまったものである)あなたがたは安息日あんそくにちにも人ひとに割礼かつれいを施ほどこしている。7:23 もし、モーセの律法りっぽうが破やぶられないように、安息日あんそくにちであっても割礼かつれいを受うけるのなら、安息日あんそくにちに人ひとの全身ぜんしんを丈夫じょうぶにしてやったからといって、どうして、そんなにおこるのか。7:24 うわべで人ひとをさばかないで、正ただしいさばきをするがよい」。 7:25 さて、エルサレムのある人ひとたちが言いった、「この人ひとは人々ひとびとが殺ころそうと思おもっている者ものではないか。7:26 見みよ、彼かれは公然こうぜんと語かたっているのに、人々ひとびとはこれに対たいして何なにも言いわない。役人やくにんたちは、この人ひとがキリストであることを、ほんとうに知しっているのではなかろうか。7:27 わたしたちはこの人ひとがどこからきたのか知しっている。しかし、キリストが現あらわれる時ときには、どこから来くるのか知しっている者ものは、ひとりもいない」。7:28 イエスは宮みやの内うちで教おしえながら、叫さけんで言いわれた、「あなたがたは、わたしを知しっており、また、わたしがどこからきたかも知しっている。しかし、わたしは自分じぶんからきたのではない。わたしをつかわされたかたは真実しんじつであるが、あなたがたは、そのかたを知しらない。7:29 わたしは、そのかたを知しっている。わたしはそのかたのもとからきた者もので、そのかたがわたしをつかわされたのである」。7:30 そこで人々ひとびとはイエスを捕とらえようと計はかったが、だれひとり手てをかける者ものはなかった。イエスの時ときが、まだきていなかったからである。7:31 しかし、群衆ぐんしゅうの中なかの多おおくの者ものが、イエスを信しんじて言いった、「キリストがきても、この人ひとが行おこなったよりも多おおくのしるしを行おこなうだろうか」。 7:32 群衆ぐんしゅうがイエスについてこのようなうわさをしているのを、パリサイ人びとたちは耳みみにした。そこで、祭司長さいしちょうたちやパリサイ人びとたちは、イエスを捕とらえようとして、下役したやくどもをつかわした。7:33 イエスは言いわれた、「今いましばらくの間あいだ、わたしはあなたがたと一緒いっしょにいて、それから、わたしをおつかわしになったかたのみもとに行いく。7:34 あなたがたはわたしを捜さがすであろうが、見みつけることはできない。そしてわたしのいる所ところに、あなたがたは来くることができない」。7:35 そこでユダヤ人じんたちは互たがいに言いった、「わたしたちが見みつけることができないというのは、どこへ行いこうとしているのだろう。ギリシヤ人じんの中なかに離散りさんしている人ひとたちのところにでも行いって、ギリシヤ人じんを教おしえようというのだろうか。7:36 また、『わたしを捜さがすが、見みつけることはできない。そしてわたしのいる所ところには来くることができないだろう』と言いったその言葉ことばは、どういう意味いみだろう」。 7:37 祭まつりの終おわりの大事だいじな日ひに、イエスは立たって、叫さけんで言いわれた、「だれでもかわく者ものは、わたしのところにきて飲のむがよい。7:38 わたしを信しんじる者ものは、聖書せいしょに書かいてあるとおり、その腹はらから生いける水みずが川かわとなって流なれ出でるであろう」。7:39 これは、イエスを信しんじる人々ひとびとが受うけようとしている御霊みたまをさして言いわれたのである。すなわち、イエスはまだ栄光えいこうを受うけておられなかったので、御霊みたまがまだ下くだっていなかったのである。7:40 群衆ぐんしゅうのある者ものがこれらの言葉ことばを聞きいて、「このかたは、ほんとうに、あの預言者よげんしゃである」と言いい、7:41 ほかの人ひとたちは「このかたはキリストである」と言いい、また、ある人々ひとびとは、「キリストはまさか、ガリラヤからは出でてこないだろう。7:42 キリストは、ダビデの子孫しそんから、またダビデのいたベツレヘムの村むらから出でると、聖書せいしょに書かいてあるではないか」と言いった。7:43 こうして、群衆ぐんしゅうの間あいだにイエスのことで分争ぶんそうが生しょうじた。7:44 彼かれらのうちのある人々ひとびとは、イエスを捕とらえようと思おもったが、だれひとり手てをかける者ものはなかった。 7:45 さて、下役したやくどもが祭司長さいしちょうたちやパリサイ人びとたちのところに帰かえってきたので、彼かれらはその下役したやくどもに言いった、「なぜ、あの人ひとを連つれてこなかったのか」。7:46 下役したやくどもは答こたえた、「この人ひとの語かたるように語かたった者ものは、これまでにありませんでした」。7:47 パリサイ人びとたちが彼かれらに答こたえた、「あなたがたまでが、だまされているのではないか。7:48 役人やくにんたちやパリサイ人びとたちの中なかで、ひとりでも彼かれを信しんじた者ものがあっただろうか。7:49 律法りっぽうをわきまえないこの群衆ぐんしゅうは、のろわれている」。7:50 彼かれらの中なかのひとりで、以前いぜんにイエスに会あいにきたことのあるニコデモが、彼かれらに言いった、7:51 「わたしたちの律法りっぽうによれば、まずその人ひとの言いい分ぶんを聞きき、その人ひとのしたことを知しった上うえでなければ、さばくことをしないのではないか」。7:52 彼かれらは答こたえて言いった、「あなたもガリラヤ出でなのか。よく調しらべてみなさい、ガリラヤからは預言者よげんしゃが出でるものではないことが、わかるだろう」。 〔7:53 そして、人々ひとびとはおのおの家いえに帰かえって行いった。 第8章 8:1 イエスはオリブ山やまに行いかれた。8:2 朝あさ早はやくまた宮みやにはいられると、人々ひとびとが皆みなみもとに集あつまってきたので、イエスはすわって彼かれらを教おしえておられた。8:3 すると、律法りっぽう学者がくしゃたちやパリサイ人びとたちが、姦淫かんいんをしている時ときにつかまえられた女おんなをひっぱってきて、中なかに立たたせた上うえ、イエスに言いった、8:4 「先生せんせい、この女おんなは姦淫かんいんの場ばでつかまえられました。8:5 モーセは律法りっぽうの中なかで、こういう女おんなを石いしで打うち殺ころせと命めいじましたが、あなたはどう思おもいますか」。8:6 彼かれらがそう言いったのは、イエスをためして、訴うったえる口実こうじつを得えるためであった。しかし、イエスは身みをかがめて、指ゆびで地面じめんに何なにか書かいておられた。8:7 彼かれらが問とい続つづけるので、イエスは身みを起おこして彼かれらに言いわれた、「あなたがたの中なかで罪つみのない者ものが、まずこの女おんなに石いしを投なげつけるがよい」。8:8 そしてまた身みをかがめて、地面じめんに物ものを書かきつづけられた。8:9 これを聞きくと、彼かれらは年寄としよりから始はじめて、ひとりびとり出でて行いき、ついに、イエスだけになり、女おんなは中なかにいたまま残のこされた。8:10 そこでイエスは身みを起おこして女おんなに言いわれた、「女おんなよ、みんなはどこにいるか。あなたを罰ばっする者ものはなかったのか」。8:11 女おんなは言いった、「主しゅよ、だれもございません」。イエスは言いわれた、「わたしもあなたを罰ばっしない。お帰かえりなさい。今後こんごはもう罪つみを犯おかさないように」。〕 8:12 イエスは、また人々ひとびとに語かたってこう言いわれた、「わたしは世よの光ひかりである。わたしに従したがって来くる者ものは、やみのうちを歩あるくことがなく、命いのちの光ひかりをもつであろう」。8:13 するとパリサイ人びとたちがイエスに言いった、「あなたは、自分じぶんのことをあかししている。あなたのあかしは真実しんじつではない」。8:14 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「たとい、わたしが自分じぶんのことをあかししても、わたしのあかしは真実しんじつである。それは、わたしがどこからきたのか、また、どこへ行いくのかを知しっているからである。しかし、あなたがたは、わたしがどこからきて、どこへ行いくのかを知しらない。8:15 あなたがたは肉にくによって人ひとをさばくが、わたしはだれもさばかない。8:16 しかし、もしわたしがさばくとすれば、わたしのさばきは正ただしい。なぜなら、わたしはひとりではなく、わたしをつかわされたかたが、わたしと一緒いっしょだからである。8:17 あなたがたの律法りっぽうには、ふたりによる証言しょうげんは真実しんじつだと、書かいてある。8:18 わたし自身じしんのことをあかしするのは、わたしであるし、わたしをつかわされた父ちちも、わたしのことをあかしして下くださるのである」。8:19 すると、彼かれらはイエスに言いった、「あなたの父ちちはどこにいるのか」。イエスは答こたえられた、「あなたがたは、わたしをもわたしの父ちちをも知しっていない。もし、あなたがたがわたしを知しっていたなら、わたしの父ちちをも知しっていたであろう」。8:20 イエスが宮みやの内うちで教おしえていた時とき、これらの言葉ことばをさいせん箱はこのそばで語かたられたのであるが、イエスの時ときがまだきていなかったので、だれも捕とらえる者ものがなかった。 8:21 さて、また彼かれらに言いわれた、「わたしは去さって行いく。あなたがたはわたしを捜さがし求もとめるであろう。そして自分じぶんの罪つみのうちに死しぬであろう。わたしの行いく所ところには、あなたがたは来くることができない」。8:22 そこでユダヤ人じんたちは言いった、「わたしの行いく所ところに、あなたがたは来くることができないと、言いったのは、あるいは自殺じさつでもしようとするつもりか」。8:23 イエスは彼かれらに言いわれた、「あなたがたは下したから出でた者ものだが、わたしは上うえからきた者ものである。あなたがたはこの世よの者ものであるが、わたしはこの世よの者ものではない。8:24 だからわたしは、あなたがたは自分じぶんの罪つみのうちに死しぬであろうと、言いったのである。もしわたしがそういう者ものであることをあなたがたが信しんじなければ、罪つみのうちに死しぬことになるからである」。8:25 そこで彼かれらはイエスに言いった、「あなたは、いったい、どういうかたですか」。イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしがどういう者ものであるかは、初はじめからあなたがたに言いっているではないか。8:26 あなたがたについて、わたしの言いうべきこと、さばくべきことが、たくさんある。しかし、わたしをつかわされたかたは真実しんじつなかたである。わたしは、そのかたから聞きいたままを世よにむかって語かたるのである」。8:27 彼かれらは、イエスが父ちちについて話はなしておられたことを悟さとらなかった。8:28 そこでイエスは言いわれた、「あなたがたが人ひとの子こを上あげてしまった後のちはじめて、わたしがそういう者ものであること、また、わたしは自分じぶんからは何なにもせず、ただ父ちちが教おしえて下くださったままを話はなしていたことが、わかってくるであろう。8:29 わたしをつかわされたかたは、わたしと一緒いっしょにおられる。わたしは、いつも神かみのみこころにかなうことをしているから、わたしをひとり置おきざりになさることはない」。8:30 これらのことを語かたられたところ、多おおくの人々ひとびとがイエスを信しんじた。 8:31 イエスは自分じぶんを信しんじたユダヤ人じんたちに言いわれた、「もしわたしの言葉ことばのうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子でしなのである。8:32 また真理しんりを知しるであろう。そして真理しんりは、あなたがたに自由じゆうを得えさせるであろう」。8:33 そこで、彼かれらはイエスに言いった、「わたしたちはアブラハムの子孫しそんであって、人ひとの奴隷どれいになったことなどは、一度いちどもない。どうして、あなたがたに自由じゆうを得えさせるであろうと、言いわれるのか」。8:34 イエスは彼かれらに答こたえられた、「よくよくあなたがたに言いっておく。すべて罪つみを犯おかす者ものは罪つみの奴隷どれいである。8:35 そして、奴隷どれいはいつまでも家いえにいる者ものではない。しかし、子こはいつまでもいる。8:36 だから、もし子こがあなたがたに自由じゆうを得えさせるならば、あなたがたは、ほんとうに自由じゆうな者ものとなるのである。8:37 わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫しそんであることを知しっている。それだのに、あなたがたはわたしを殺ころそうとしている。わたしの言葉ことばが、あなたがたのうちに根ねをおろしていないからである。8:38 わたしはわたしの父ちちのもとで見みたことを語かたっているが、あなたがたは自分じぶんの父ちちから聞きいたことを行おこなっている」。8:39 彼かれらはイエスに答こたえて言いった、「わたしたちの父ちちはアブラハムである」。イエスは彼かれらに言いわれた、「もしアブラハムの子こであるなら、アブラハムのわざをするがよい。8:40 ところが今いま、神かみから聞きいた真理しんりをあなたがたに語かたってきたこのわたしを、殺ころそうとしている。そんなことをアブラハムはしなかった。8:41 あなたがたは、あなたがたの父ちちのわざを行おこなっているのである」。彼かれらは言いった、「わたしたちは、不品行ふひんこうの結果けっかうまれた者ものではない。わたしたちにはひとりの父ちちがある。それは神かみである」。8:42 イエスは彼かれらに言いわれた、「神かみがあなたがたの父ちちであるならば、あなたがたはわたしを愛あいするはずである。わたしは神かみから出でた者もの、また神かみからきている者ものであるからだ。わたしは自分じぶんからきたのではなく、神かみからつかわされたのである。8:43 どうしてあなたがたは、わたしの話はなすことがわからないのか。あなたがたが、わたしの言葉ことばを悟さとることができないからである。8:44 あなたがたは自分じぶんの父ちち、すなわち、悪魔あくまから出でてきた者ものであって、その父ちちの欲望よくぼうどおりを行おこなおうと思おもっている。彼かれは初はじめから、人殺ひとごろしであって、真理しんりに立たつ者ものではない。彼かれのうちには真理しんりがないからである。彼かれが偽いつわりを言いうとき、いつも自分じぶんの本音ほんねをはいているのである。彼かれは偽いつわり者ものであり、偽いつわりの父ちちであるからだ。8:45 しかし、わたしが真理しんりを語かたっているので、あなたがたはわたしを信しんじようとしない。8:46 あなたがたのうち、だれがわたしに罪つみがあると責せめうるのか。わたしは真理しんりを語かたっているのに、なぜあなたがたは、わたしを信しんじないのか。8:47 神かみからきた者ものは神かみの言葉ことばに聞きき従したがうが、あなたがたが聞きき従したがわないのは、神かみからきた者ものでないからである」。 8:48 ユダヤ人じんたちはイエスに答こたえて言いった、「あなたはサマリヤ人びとで、悪霊あくれいに取とりつかれていると、わたしたちが言いうのは、当然とうぜんではないか」。8:49 イエスは答こたえられた、「わたしは、悪霊あくれいに取とりつかれているのではなくて、わたしの父ちちを重おもんじているのだが、あなたがたはわたしを軽かろんじている。8:50 わたしは自分じぶんの栄光えいこうを求もとめてはいない。それを求もとめるかたが別べつにある。そのかたは、またさばくかたである。8:51 よくよく言いっておく。もし人ひとがわたしの言葉ことばを守まもるならば、その人ひとはいつまでも死しを見みることがないであろう」。8:52 ユダヤ人じんたちが言いった、「あなたが悪霊あくれいに取とりつかれていることが、今いまわかった。アブラハムは死しに、預言者よげんしゃたちも死しんでいる。それだのに、あなたは、わたしの言葉ことばを守まもる者ものはいつまでも死しを味あじわうことがないであろうと、言いわれる。8:53 あなたは、わたしたちの父ちちアブラハムより偉えらいのだろうか。彼かれも死しに、預言者よげんしゃたちも死しんだではないか。あなたは、いったい、自分じぶんをだれと思おもっているのか」。8:54 イエスは答こたえられた、「わたしがもし自分じぶんに栄光えいこうを帰きするなら、わたしの栄光えいこうは、むなしいものである。わたしに栄光えいこうを与あたえるかたは、わたしの父ちちであって、あなたがたが自分じぶんの神かみだと言いっているのは、そのかたのことである。8:55 あなたがたはその神かみを知しっていないが、わたしは知しっている。もしわたしが神かみを知しらないと言いうならば、あなたがたと同おなじような偽いつわり者ものであろう。しかし、わたしはそのかたを知しり、その御言みことばを守まもっている。8:56 あなたがたの父ちちアブラハムは、わたしのこの日ひを見みようとして楽たのしんでいた。そしてそれを見みて喜よろこんだ」。8:57 そこでユダヤ人じんたちはイエスに言いった、「あなたはまだ五十にもならないのに、アブラハムを見みたのか」。8:58 イエスは彼かれらに言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。アブラハムの生うまれる前まえからわたしは、いるのである」。8:59 そこで彼かれらは石いしをとって、イエスに投なげつけようとした。しかし、イエスは身みを隠かくして、宮みやから出でて行いかれた。 第9章 9:1 イエスが道みちをとおっておられるとき、生うまれつきの盲人もうじんを見みられた。9:2 弟子でしたちはイエスに尋たずねて言いった、「先生せんせい、この人ひとが生うまれつき盲人もうじんなのは、だれが罪つみを犯おかしたためですか。本人ほんにんですか、それともその両親りょうしんですか」。9:3 イエスは答こたえられた、「本人ほんにんが罪つみを犯おかしたのでもなく、また、その両親りょうしんが犯おかしたのでもない。ただ神かみのみわざが、彼かれの上うえに現あらわれるためである。9:4 わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼ひるの間あいだにしなければならない。夜よるが来くる。すると、だれも働はたらけなくなる。9:5 わたしは、この世よにいる間あいだは、世よの光ひかりである」。9:6 イエスはそう言いって、地ちにつばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人もうじんの目めに塗ぬって言いわれた、9:7 「シロアム(つかわされた者もの、の意い)の池いけに行いって洗あらいなさい」。そこで彼かれは行いって洗あらった。そして見みえるようになって、帰かえって行いった。9:8 近所きんじょの人々ひとびとや、彼かれがもと、こじきであったのを見知みしっていた人々ひとびとが言いった、「この人ひとは、すわってこじきをしていた者ものではないか」。9:9 ある人々ひとびとは「その人ひとだ」と言いい、他たの人々ひとびとは「いや、ただあの人ひとに似にているだけだ」と言いった。しかし、本人ほんにんは「わたしがそれだ」と言いった。9:10 そこで人々ひとびとは彼かれに言いった、「では、おまえの目めはどうしてあいたのか」。9:11 彼かれは答こたえた、「イエスというかたが、どろをつくって、わたしの目めに塗ぬり、『シロアムに行いって洗あらえ』と言いわれました。それで、行いって洗あらうと、見みえるようになりました」。9:12 人々ひとびとは彼かれに言いった、「その人ひとはどこにいるのか」。彼かれは「知しりません」と答こたえた。 9:13 人々ひとびとは、もと盲人もうじんであったこの人ひとを、パリサイ人びとたちのところにつれて行いった。9:14 イエスがどろをつくって彼かれの目めをあけたのは、安息日あんそくにちであった。9:15 パリサイ人びとたちもまた、「どうして見みえるようになったのか」、と彼かれに尋たずねた。彼かれは答こたえた、「あのかたがわたしの目めにどろを塗ぬり、わたしがそれを洗あらい、そして見みえるようになりました」。9:16 そこで、あるパリサイ人びとたちが言いった、「その人ひとは神かみからきた人ひとではない。安息日あんそくにちを守まもっていないのだから」。しかし、ほかの人々ひとびとは言いった、「罪つみのある人ひとが、どうしてそのようなしるしを行おこなうことができようか」。そして彼かれらの間あいだに分争ぶんそうが生しょうじた。9:17 そこで彼かれらは、もう一度どこの盲人もうじんに聞きいた、「おまえの目めをあけてくれたその人ひとを、どう思おもうか」。「預言者よげんしゃだと思おもいます」と彼かれは言いった。9:18 ユダヤ人じんたちは、彼かれがもと盲人もうじんであったが見みえるようになったことを、まだ信しんじなかった。ついに彼かれらは、目めが見みえるようになったこの人ひとの両親りょうしんを呼よんで、9:19 尋たずねて言いった、「これが、生うまれつき盲人もうじんであったと、おまえたちの言いっているむすこか。それではどうして、いま目めが見みえるのか」。9:20 両親りょうしんは答こたえて言いった、「これがわたしどものむすこであること、また生うまれつき盲人もうじんであったことは存ぞんじています。9:21 しかし、どうしていま見みえるようになったのか、それは知しりません。また、だれがその目めをあけて下くださったのかも知しりません。あれに聞きいて下ください。あれはもうおとなですから、自分じぶんのことは自分じぶんで話はなせるでしょう」。9:22 両親りょうしんはユダヤ人じんたちを恐おそれていたので、こう答こたえたのである。それは、もしイエスをキリストと告白こくはくする者ものがあれば、会堂かいどうから追おい出だすことに、ユダヤ人じんたちが既すでに決きめていたからである。9:23 彼かれの両親りょうしんが「おとなですから、あれに聞きいて下ください」と言いったのは、そのためであった。 9:24 そこで彼かれらは、盲人もうじんであった人ひとをもう一度いちど呼よんで言いった、「神かみに栄光えいこうを帰きするがよい。あの人ひとが罪人つみびとであることは、わたしたちにはわかっている」。9:25 すると彼かれは言いった、「あのかたが罪人つみびとであるかどうか、わたしは知しりません。ただ一つのことだけ知しっています。わたしは盲めくらであったが、今いまは見みえるということです」。9:26 そこで彼かれらは言いった、「その人ひとはおまえに何なにをしたのか。どんなにしておまえの目めをあけたのか」。9:27 彼かれは答こたえた、「そのことはもう話はなしてあげたのに、聞きいてくれませんでした。なぜまた聞きこうとするのですか。あなたがたも、あの人ひとの弟子でしになりたいのですか」。9:28 そこで彼かれらは彼かれをののしって言いった、「おまえはあれの弟子でしだが、わたしたちはモーセの弟子でしだ。9:29 モーセに神かみが語かたられたということは知しっている。だが、あの人ひとがどこからきた者ものか、わたしたちは知しらぬ」。9:30 そこで彼かれが答こたえて言いった、「わたしの目めをあけて下くださったのに、そのかたがどこからきたか、ご存ぞんじないとは、不思議ふしぎ千万せんばんです。9:31 わたしたちはこのことを知しっています。神かみは罪人つみびとの言いうことはお聞ききいれになりませんが、神かみを敬うやまい、そのみこころを行おこなう人ひとの言いうことは、聞ききいれて下くださいます。9:32 生うまれつき盲めくらであった者ものの目めをあけた人ひとがあるということは、世界せかいが始はじまって以来いらい、聞きいたことがありません。9:33 もしあのかたが神かみからきた人ひとでなかったら、何一なにひとつできなかったはずです」。9:34 これを聞きいて彼かれらは言いった、「おまえは全まったく罪つみの中なかに生うまれていながら、わたしたちを教おしえようとするのか」。そして彼かれを外そとへ追おい出だした。 9:35 イエスは、その人ひとが外そとへ追おい出だされたことを聞きかれた。そして彼かれに会あって言いわれた、「あなたは人ひとの子こを信しんじるか」。9:36 彼かれは答こたえて言いった、「主しゅよ、それはどなたですか。そのかたを信しんじたいのですが」。9:37 イエスは彼かれに言いわれた、「あなたは、もうその人ひとに会あっている。今いまあなたと話はなしているのが、その人ひとである」。9:38 すると彼かれは、「主しゅよ、信しんじます」と言いって、イエスを拝はいした。9:39 そこでイエスは言いわれた、「わたしがこの世よにきたのは、さばくためである。すなわち、見みえない人ひとたちが見みえるようになり、見みえる人ひとたちが見みえないようになるためである」。9:40 そこにイエスと一緒いっしょにいたあるパリサイ人びとたちが、それを聞きいてイエスに言いった、「それでは、わたしたちも盲めくらなのでしょうか」。9:41 イエスは彼かれらに言いわれた、「もしあなたがたが盲人もうじんであったなら、罪つみはなかったであろう。しかし、今いまあなたがたが『見みえる』と言いい張はるところに、あなたがたの罪つみがある。 第10章 10:1 よくよくあなたがたに言いっておく。羊ひつじの囲かこいにはいるのに、門もんからでなく、ほかの所ところからのりこえて来くる者ものは、盗人ぬすびとであり、強盗ごうとうである。10:2 門もんからはいる者ものは、羊ひつじの羊飼ひつじかいである。10:3 門番もんばんは彼かれのために門もんを開ひらき、羊ひつじは彼かれの声こえを聞きく。そして彼かれは自分じぶんの羊ひつじの名なをよんで連つれ出だす。10:4 自分じぶんの羊ひつじをみな出だしてしまうと、彼かれは羊ひつじの先頭せんとうに立たって行いく。羊ひつじはその声こえを知しっているので、彼かれについて行いくのである。10:5 ほかの人ひとには、ついて行いかないで逃にげ去さる。その人ひとの声こえを知しらないからである」。10:6 イエスは彼かれらにこの比喩ひゆを話はなされたが、彼かれらは自分じぶんたちにお話はなしになっているのが何なにのことだか、わからなかった。 10:7 そこで、イエスはまた言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。わたしは羊ひつじの門もんである。10:8 わたしよりも前まえにきた人ひとは、みな盗人ぬすびとであり、強盗ごうとうである。羊ひつじは彼かれらに聞きき従したがわなかった。10:9 わたしは門もんである。わたしをとおってはいる者ものは救すくわれ、また出入でいりし、牧草ぼくそうにありつくであろう。10:10 盗人ぬすびとが来くるのは、盗ぬすんだり、殺ころしたり、滅ほろぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊ひつじに命いのちを得えさせ、豊ゆたかに得えさせるためである。10:11 わたしはよい羊飼ひつじかいである。よい羊飼ひつじかいは、羊ひつじのために命いのちを捨すてる。10:12 羊飼ひつじかいではなく、羊ひつじが自分じぶんのものでもない雇人やといにんは、おおかみが来くるのを見みると、羊ひつじをすてて逃にげ去さる。そして、おおかみは羊ひつじを奪うばい、また追おい散ちらす。10:13 彼かれは雇人やといにんであって、羊ひつじのことを心こころにかけていないからである。10:14 わたしはよい羊飼ひつじかいであって、わたしの羊ひつじを知しり、わたしの羊ひつじはまた、わたしを知しっている。10:15 それはちょうど、父ちちがわたしを知しっておられ、わたしが父ちちを知しっているのと同おなじである。そして、わたしは羊ひつじのために命いのちを捨すてるのである。10:16 わたしにはまた、この囲かこいにいない他たの羊ひつじがある。わたしは彼かれらをも導みちびかねばならない。彼かれらも、わたしの声こえに聞きき従したがうであろう。そして、ついに一つの群むれ、ひとりの羊飼ひつじかいとなるであろう。10:17 父ちちは、わたしが自分じぶんの命いのちを捨すてるから、わたしを愛あいして下くださるのである。命いのちを捨すてるのは、それを再ふたたび得えるためである。10:18 だれかが、わたしからそれを取とり去さるのではない。わたしが、自分じぶんからそれを捨すてるのである。わたしには、それを捨すてる力ちからがあり、またそれを受うける力ちからもある。これはわたしの父ちちから授さずかった定さだめである」。 10:19 これらの言葉ことばを語かたられたため、ユダヤ人じんの間あいだにまたも分争ぶんそうが生しょうじた。10:20 そのうちの多おおくの者ものが言いった、「彼かれは悪霊あくれいに取とりつかれて、気きが狂くるっている。どうして、あなたがたはその言いうことを聞きくのか」。10:21 他たの人々ひとびとは言いった、「それは悪霊あくれいに取とりつかれた者ものの言葉ことばではない。悪霊あくれいは盲人もうじんの目めをあけることができようか」。 10:22 そのころ、エルサレムで宮みやきよめの祭まつりが行おこなわれた。時ときは冬ふゆであった。10:23 イエスは、宮みやの中なかにあるソロモンの廊ろうを歩あるいておられた。10:24 するとユダヤ人じんたちが、イエスを取とり囲かこんで言いった、「いつまでわたしたちを不安ふあんのままにしておくのか。あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言いっていただきたい」。10:25 イエスは彼かれらに答こたえられた、「わたしは話はなしたのだが、あなたがたは信しんじようとしない。わたしの父ちちの名なによってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。10:26 あなたがたが信しんじないのは、わたしの羊ひつじでないからである。10:27 わたしの羊ひつじはわたしの声こえに聞きき従したがう。わたしは彼かれらを知しっており、彼かれらはわたしについて来くる。10:28 わたしは、彼かれらに永遠えいえんの命いのちを与あたえる。だから、彼かれらはいつまでも滅ほろびることがなく、また、彼かれらをわたしの手てから奪うばい去さる者ものはない。10:29 わたしの父ちちがわたしに下くださったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父ちちのみ手てから、それを奪うばい取とることはできない。10:30 わたしと父ちちとは一つである」。10:31 そこでユダヤ人じんたちは、イエスを打うち殺ころそうとして、また石いしを取とりあげた。10:32 するとイエスは彼かれらに答こたえられた、「わたしは、父ちちによる多おおくのよいわざを、あなたがたに示しめした。その中なかのどのわざのために、わたしを石いしで打うち殺ころそうとするのか」。10:33 ユダヤ人じんたちは答こたえた、「あなたを石いしで殺ころそうとするのは、よいわざをしたからではなく、神かみを汚けがしたからである。また、あなたは人間にんげんであるのに、自分じぶんを神かみとしているからである」。10:34 イエスは彼かれらに答こたえられた、「あなたがたの律法りっぽうに、『わたしは言いう、あなたがたは神々かみがみである』と書かいてあるではないか。10:35 神かみの言ことばを託たくされた人々ひとびとが、神々かみがみといわれておるとすれば、(そして聖書せいしょの言ことばは、すたることがあり得えない)10:36 父ちちが聖せい別べつして、世よにつかわされた者ものが、『わたしは神かみの子こである』と言いったからとて、どうして『あなたは神かみを汚けがす者ものだ』と言いうのか。10:37 もしわたしが父ちちのわざを行おこなわないとすれば、わたしを信しんじなくてもよい。10:38 しかし、もし行おこなっているなら、たといわたしを信しんじなくても、わたしのわざを信しんじるがよい。そうすれば、父ちちがわたしにおり、また、わたしが父ちちにおることを知しって悟さとるであろう」。10:39 そこで、彼かれらはまたイエスを捕とらえようとしたが、イエスは彼かれらの手てをのがれて、去さって行いかれた。 10:40 さて、イエスはまたヨルダンの向むこう岸ぎし、すなわち、ヨハネが初はじめにバプテスマを授さづけていた所ところに行いき、そこに滞在たいざいしておられた。10:41 多おおくの人々ひとびとがイエスのところにきて、互たがいに言いった、「ヨハネはなんのしるしも行おこなわなかったが、ヨハネがこのかたについて言いったことは、皆みなほんとうであった」。10:42 そして、そこで多おおくの者ものがイエスを信しんじた。
2:1 三日か目めにガリラヤのカナに婚礼こんれいがあって、イエスの母ははがそこにいた。
2:2 イエスも弟子でしたちも、その婚礼こんれいに招まねかれた。
2:3 ぶどう酒しゅがなくなったので、母はははイエスに言いった、「ぶどう酒しゅがなくなってしまいました」。
2:4 イエスは母ははに言いわれた、「婦人ふじんよ、あなたは、わたしと、なんの係かかわりがありますか。わたしの時ときは、まだきていません」。
2:5 母ははは僕しもべたちに言いった、「このかたが、あなたがたに言いいつけることは、なんでもして下ください」。
2:6 そこには、ユダヤ人じんのきよめのならわしに従したがって、それぞれ四、五斗ともはいる石いしの水みずがめが、六つ置おいてあった。
2:7 イエスは彼かれらに「かめに水みずをいっぱい入いれなさい」と言いわれたので、彼かれらは口くちのところまでいっぱいに入いれた。
2:8 そこで彼かれらに言いわれた、「さあ、くんで、料理りょうりがしらのところに持もって行いきなさい」。すると、彼かれらは持もって行いった。
2:9 料理りょうりがしらは、ぶどう酒しゅになった水みずをなめてみたが、それがどこからきたのか知しらなかったので、(水みずをくんだ僕しもべたちは知しっていた)花婿はなむこを呼よんで
2:10 言いった、「どんな人ひとでも、初はじめによいぶどう酒しゅを出だして、酔よいがまわったころにわるいのを出だすものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒しゅを今いままでとっておかれました」。
2:11 イエスは、この最初さいしょのしるしをガリラヤのカナで行おこない、その栄光えいこうを現あらわされた。そして弟子でしたちはイエスを信しんじた。
2:12 そののち、イエスは、その母はは、兄弟きょうだいたち、弟子でしたちと一緒いっしょに、カペナウムに下くだって、幾日いくにちかそこにとどまられた。
2:13 さて、ユダヤ人じんの過越すぎこしの祭まつりが近ちかづいたので、イエスはエルサレムに上のぼられた。
2:14 そして牛うし、羊ひつじ、はとを売うる者ものや両替りょうがえする者ものなどが宮みやの庭にわにすわり込こんでいるのをごらんになって、
2:15 なわでむちを造つくり、羊ひつじも牛うしもみな宮みやから追おいだし、両替人りょうがえにんの金かねを散ちらし、その台だいをひっくりかえし、
2:16 はとを売うる人々ひとびとには「これらのものを持もって、ここから出でて行いけ。わたしの父ちちの家いえを商売しょうばいの家いえとするな」と言いわれた。
2:17 弟子でしたちは、「あなたの家いえを思おもう熱心ねっしんが、わたしを食くいつくすであろう」と書かいてあることを思おもい出だした。
2:18 そこで、ユダヤ人じんはイエスに言いった、「こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見みせてくれますか」。
2:19 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「この神殿しんでんをこわしたら、わたしは三日かのうちに、それを起おこすであろう」。
2:20 そこで、ユダヤ人じんたちは言いった、「この神殿しんでんを建たてるのには、四十六年ねんもかかっています。それだのに、あなたは三日かのうちに、それを建たてるのですか」。
2:21 イエスは自分じぶんのからだである神殿しんでんのことを言いわれたのである。
2:22 それで、イエスが死人しにんの中なかからよみがえったとき、弟子でしたちはイエスがこう言いわれたことを思おもい出だして、聖書せいしょとイエスのこの言葉ことばとを信しんじた。
2:23 過越すぎこしの祭まつりの間あいだ、イエスがエルサレムに滞在たいざいしておられたとき、多おおくの人々ひとびとは、その行おこなわれたしるしを見みて、イエスの名なを信しんじた。
2:24 しかしイエスご自身じしんは、彼かれらに自分じぶんをお任まかせにならなかった。それは、すべての人ひとを知しっておられ、
2:25 また人ひとについてあかしする者ものを、必要ひつようとされなかったからである。それは、ご自身じしん人ひとの心こころの中なかにあることを知しっておられたからである。
第3章 3:1 パリサイ人びとのひとりで、その名なをニコデモというユダヤ人じんの指導者しどうしゃがあった。3:2 この人ひとが夜よるイエスのもとにきて言いった、「先生せんせい、わたしたちはあなたが神かみからこられた教師きょうしであることを知しっています。神かみがご一緒いっしょでないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。3:3 イエスは答こたえて言いわれた、「よくよくあなたに言いっておく。だれでも新あたらしく生うまれなければ、神かみの国くにを見みることはできない」。3:4 ニコデモは言いった、「人ひとは年としをとってから生うまれることが、どうしてできますか。もう一度いちど、母ははの胎たいにはいって生うまれることができましょうか」。3:5 イエスは答こたえられた、「よくよくあなたに言いっておく。だれでも、水みずと霊れいとから生うまれなければ、神かみの国くににはいることはできない。3:6 肉にくから生うまれる者ものは肉にくであり、霊れいから生うまれる者ものは霊れいである。3:7 あなたがたは新あたらしく生うまれなければならないと、わたしが言いったからとて、不思議ふしぎに思おもうには及およばない。3:8 風かぜは思おもいのままに吹ふく。あなたはその音おとを聞きくが、それがどこからきて、どこへ行いくかは知しらない。霊れいから生うまれる者ものもみな、それと同おなじである」。3:9 ニコデモはイエスに答こたえて言いった、「どうして、そんなことがあり得えましょうか」。3:10 イエスは彼かれに答こたえて言いわれた、「あなたはイスラエルの教師きょうしでありながら、これぐらいのことがわからないのか。3:11 よくよく言いっておく。わたしたちは自分じぶんの知しっていることを語かたり、また自分じぶんの見みたことをあかししているのに、あなたがたはわたしたちのあかしを受うけいれない。3:12 わたしが地上ちじょうのことを語かたっているのに、あなたがたが信しんじないならば、天上てんじょうのことを語かたった場合ばあい、どうしてそれを信しんじるだろうか。3:13 天てんから下くだってきた者もの、すなわち人ひとの子このほかには、だれも天てんに上のぼった者ものはない。3:14 そして、ちょうどモーセが荒野あらのでへびを上あげたように、人ひとの子こもまた上あげられなければならない。3:15 それは彼かれを信しんじる者ものが、すべて永遠えいえんの命いのちを得えるためである」。 3:16 神かみはそのひとり子こを賜たまわったほどに、この世よを愛あいして下くださった。それは御子みこを信しんじる者ものがひとりも滅ほろびないで、永遠えいえんの命いのちを得えるためである。3:17 神かみが御子みこを世よにつかわされたのは、世よをさばくためではなく、御子みこによって、この世よが救すくわれるためである。3:18 彼かれを信しんじる者ものは、さばかれない。信しんじない者ものは、すでにさばかれている。神かみのひとり子この名なを信しんじることをしないからである。3:19 そのさばきというのは、光ひかりがこの世よにきたのに、人々ひとびとはそのおこないが悪わるいために、光ひかりよりもやみの方ほうを愛あいしたことである。3:20 悪あくを行おこなっている者ものはみな光ひかりを憎にくむ。そして、そのおこないが明あかるみに出だされるのを恐おそれて、光ひかりにこようとはしない。3:21 しかし、真理しんりを行おこなっている者ものは光ひかりに来くる。その人ひとのおこないの、神かみにあってなされたということが、明あきらかにされるためである。 3:22 こののち、イエスは弟子でしたちとユダヤの地ちに行いき、彼かれらと一緒いっしょにそこに滞在たいざいして、バプテスマを授さづけておられた。3:23 ヨハネもサリムに近ちかいアイノンで、バプテスマを授さづけていた。そこには水みずがたくさんあったからである。人々ひとびとがぞくぞくとやってきてバプテスマを受うけていた。3:24 そのとき、ヨハネはまだ獄ごくに入いれられてはいなかった。3:25 ところが、ヨハネの弟子でしたちとひとりのユダヤ人じんとの間あいだに、きよめのことで争論そうろんが起おこった。3:26 そこで彼かれらはヨハネのところにきて言いった、「先生せんせい、ごらん下ください。ヨルダンの向むこうであなたと一緒いっしょにいたことがあり、そして、あなたがあかしをしておられたあのかたが、バプテスマを授さづけており、皆みなの者ものが、そのかたのところへ出でかけています」。3:27 ヨハネは答こたえて言いった、「人ひとは天てんから与あたえられなければ、何なにものも受うけることはできない。3:28 『わたしはキリストではなく、そのかたよりも先さきにつかわされた者ものである』と言いったことをあかししてくれるのは、あなたがた自身じしんである。3:29 花嫁はなよめをもつ者ものは花婿はなむこである。花婿はなむこの友人ゆうじんは立たって彼かれの声こえを聞きき、その声こえを聞きいて大おおいに喜よろこぶ。こうして、この喜よろこびはわたしに満みち足たりている。3:30 彼かれは必かならず栄さかえ、わたしは衰おとろえる。 3:31 上うえから来くる者ものは、すべてのものの上うえにある。地ちから出でる者ものは、地ちに属ぞくする者ものであって、地ちのことを語かたる。天てんから来くる者ものは、すべてのものの上うえにある。3:32 彼かれはその見みたところ、聞きいたところをあかししているが、だれもそのあかしを受うけいれない。3:33 しかし、そのあかしを受うけいれる者ものは、神かみがまことであることを、たしかに認みとめたのである。3:34 神かみがおつかわしになったかたは、神かみの言葉ことばを語かたる。神かみは聖霊せいれいを限かぎりなく賜たまうからである。3:35 父ちちは御子みこを愛あいして、万物ばんぶつをその手てにお与あたえになった。3:36 御子みこを信しんじる者ものは永遠えいえんの命いのちをもつ。御子みこに従したがわない者ものは、命いのちにあずかることがないばかりか、神かみの怒いかりがその上うえにとどまるのである」。 第4章 4:1 イエスが、ヨハネよりも多おおく弟子でしをつくり、またバプテスマを授さづけておられるということを、パリサイ人びとたちが聞きき、それを主しゅが知しられたとき、4:2 (しかし、イエスみずからが、バプテスマをお授さづけになったのではなく、その弟子でしたちであった)4:3 ユダヤを去さって、またガリラヤへ行いかれた。4:4 しかし、イエスはサマリヤを通過つうかしなければならなかった。4:5 そこで、イエスはサマリヤのスカルという町まちにおいでになった。この町まちは、ヤコブがその子こヨセフに与あたえた土地とちの近ちかくにあったが、4:6 そこにヤコブの井戸いどがあった。イエスは旅たびの疲つかれを覚おぼえて、そのまま、この井戸いどのそばにすわっておられた。時ときは昼ひるの十二時じごろであった。4:7 ひとりのサマリヤの女おんなが水みずをくみにきたので、イエスはこの女おんなに、「水みずを飲のませて下ください」と言いわれた。4:8 弟子でしたちは食物しょくもつを買かいに町まちに行いっていたのである。4:9 すると、サマリヤの女おんなはイエスに言いった、「あなたはユダヤ人じんでありながら、どうしてサマリヤの女おんなのわたしに、飲のませてくれとおっしゃるのですか」。これは、ユダヤ人じんはサマリヤ人びとと交際こうさいしていなかったからである。4:10 イエスは答こたえて言いわれた、「もしあなたが神かみの賜物たまもののことを知しり、また、『水みずを飲のませてくれ』と言いった者ものが、だれであるか知しっていたならば、あなたの方ほうから願ねがい出でて、その人ひとから生いける水みずをもらったことであろう」。4:11 女おんなはイエスに言いった、「主しゅよ、あなたは、くむ物ものをお持もちにならず、その上うえ、井戸いどは深ふかいのです。その生いける水みずを、どこから手てに入いれるのですか。4:12 あなたは、この井戸いどを下くださったわたしたちの父ちちヤコブよりも、偉えらいかたなのですか。ヤコブ自身じしんも飲のみ、その子こらも、その家畜かちくも、この井戸いどから飲のんだのですが」。4:13 イエスは女おんなに答こたえて言いわれた、「この水みずを飲のむ者ものはだれでも、またかわくであろう。4:14 しかし、わたしが与あたえる水みずを飲のむ者ものは、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与あたえる水みずは、その人ひとのうちで泉いずみとなり、永遠えいえんの命いのちに至いたる水みずが、わきあがるであろう」。4:15 女おんなはイエスに言いった、「主しゅよ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水みずをわたしに下ください」。4:16 イエスは女おんなに言いわれた、「あなたの夫おっとを呼よびに行いって、ここに連つれてきなさい」。4:17 女おんなは答こたえて言いった、「わたしには夫おっとはありません」。イエスは女おんなに言いわれた、「夫おっとがないと言いったのは、もっともだ。4:18 あなたには五人にんの夫おっとがあったが、今いまのはあなたの夫おっとではない。あなたの言葉ことばのとおりである」。4:19 女おんなはイエスに言いった、「主しゅよ、わたしはあなたを預言者よげんしゃと見みます。4:20 わたしたちの先祖せんぞは、この山やまで礼拝れいはいをしたのですが、あなたがたは礼拝れいはいすべき場所ばしょは、エルサレムにあると言いっています」。4:21 イエスは女おんなに言いわれた、「女おんなよ、わたしの言いうことを信しんじなさい。あなたがたが、この山やまでも、またエルサレムでもない所ところで、父ちちを礼拝れいはいする時ときが来くる。4:22 あなたがたは自分じぶんの知しらないものを拝おがんでいるが、わたしたちは知しっているかたを礼拝れいはいしている。救すくいはユダヤ人じんから来くるからである。4:23 しかし、まことの礼拝れいはいをする者ものたちが、霊れいとまこととをもって父ちちを礼拝れいはいする時ときが来くる。そうだ、今いまきている。父ちちは、このような礼拝れいはいをする者ものたちを求もとめておられるからである。4:24 神かみは霊れいであるから、礼拝れいはいをする者ものも、霊れいとまこととをもって礼拝れいはいすべきである」。4:25 女おんなはイエスに言いった、「わたしは、キリストと呼よばれるメシヤがこられることを知しっています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを知しらせて下くださるでしょう」。4:26 イエスは女おんなに言いわれた、「あなたと話はなしをしているこのわたしが、それである」。 4:27 そのとき、弟子でしたちが帰かえって来きて、イエスがひとりの女おんなと話はなしておられるのを見みて不思議ふしぎに思おもったが、しかし、「何なにを求もとめておられますか」とも、「何なにを彼女かのじょと話はなしておられるのですか」とも、尋たずねる者ものはひとりもなかった。4:28 この女おんなは水みずがめをそのままそこに置おいて町まちに行いき、人々ひとびとに言いった、4:29 「わたしのしたことを何なにもかも、言いいあてた人ひとがいます。さあ、見みにきてごらんなさい。もしかしたら、この人ひとがキリストかも知しれません」。4:30 人々ひとびとは町まちを出でて、ぞくぞくとイエスのところへ行いった。4:31 その間あいだに弟子でしたちはイエスに、「先生せんせい、召めしあがってください」とすすめた。4:32 ところが、イエスは言いわれた、「わたしには、あなたがたの知しらない食物しょくもつがある」。4:33 そこで、弟子でしたちが互たがいに言いった、「だれかが、何なにか食たべるものを持もってきてさしあげたのであろうか」。4:34 イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしの食物しょくもつというのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行おこない、そのみわざをなし遂とげることである。4:35 あなたがたは、刈入かりいれ時ときが来くるまでには、まだ四か月げつあると、言いっているではないか。しかし、わたしはあなたがたに言いう。目めをあげて畑はたけを見みなさい。はや色いろづいて刈入かりいれを待まっている。4:36 刈かる者ものは報酬ほうしゅうを受うけて、永遠えいえんの命いのちに至いたる実みを集あつめている。まく者ものも刈かる者ものも、共々ともどもに喜よろこぶためである。4:37 そこで、『ひとりがまき、ひとりが刈かる』ということわざが、ほんとうのこととなる。4:38 わたしは、あなたがたをつかわして、あなたがたがそのために労苦ろうくしなかったものを刈かりとらせた。ほかの人々ひとびとが労苦ろうくし、あなたがたは、彼かれらの労苦ろうくの実みにあずかっているのである」。 4:39 さて、この町まちからきた多おおくのサマリヤ人ひとは、「この人ひとは、わたしのしたことを何なにもかも言いいあてた」とあかしした女おんなの言葉ことばによって、イエスを信しんじた。4:40 そこで、サマリヤ人ひとたちはイエスのもとにきて、自分じぶんたちのところに滞在たいざいしていただきたいと願ねがったので、イエスはそこにふつか滞在たいざいされた。4:41 そしてなお多おおくの人々ひとびとが、イエスの言葉ことばを聞きいて信しんじた。4:42 彼かれらは女おんなに言いった、「わたしたちが信しんじるのは、もうあなたが話はなしてくれたからではない。自分じぶん自身じしんで親したしく聞きいて、この人ひとこそまことに世よの救主すくいぬしであることが、わかったからである」。 4:43 ふつかの後のちに、イエスはここを去さってガリラヤへ行いかれた。4:44 イエスはみずからはっきり、「預言者よげんしゃは自分じぶんの故郷こきょうでは敬うやまわれないものだ」と言いわれたのである。4:45 ガリラヤに着つかれると、ガリラヤの人ひとたちはイエスを歓迎かんげいした。それは、彼かれらも祭まつりに行いっていたので、その祭まつりの時とき、イエスがエルサレムでなされたことをことごとく見みていたからである。 4:46 イエスは、またガリラヤのカナに行いかれた。そこは、かつて水みずをぶどう酒しゅにかえられた所ところである。ところが、病気びょうきをしているむすこを持もつある役人やくにんがカペナウムにいた。4:47 この人ひとが、ユダヤからガリラヤにイエスのきておられることを聞きき、みもとにきて、カペナウムに下くだって、彼かれの子こをなおしていただきたいと、願ねがった。その子こが死しにかかっていたからである。4:48 そこで、イエスは彼かれに言いわれた、「あなたがたは、しるしと奇跡きせきとを見みない限かぎり、決けっして信しんじないだろう」。4:49 この役人やくにんはイエスに言いった、「主しゅよ、どうぞ、子供こどもが死しなないうちにきて下ください」。4:50 イエスは彼かれに言いわれた、「お帰かえりなさい。あなたのむすこは助たすかるのだ」。彼かれは自分じぶんに言いわれたイエスの言葉ことばを信しんじて帰かえって行いった。4:51 その下くだって行いく途中とちゅう、僕しもべたちが彼かれに出会であい、その子こが助たすかったことを告つげた。4:52 そこで、彼かれは僕しもべたちに、そのなおりはじめた時刻じこくを尋たずねてみたら、「きのうの午後ごご一時じに熱ねつが引ひきました」と答こたえた。4:53 それは、イエスが「あなたのむすこは助たすかるのだ」と言いわれたのと同おなじ時刻じこくであったことを、この父ちちは知しって、彼かれ自身じしんもその家族かぞく一同いちどうも信しんじた。4:54 これは、イエスがユダヤからガリラヤにきてなされた第だい二のしるしである。 第5章 5:1 こののち、ユダヤ人じんの祭まつりがあったので、イエスはエルサレムに上のぼられた。 5:2 エルサレムにある羊ひつじの門もんのそばに、ヘブル語ごでベテスダと呼よばれる池いけがあった。そこには五つの廊ろうがあった。5:3 その廊ろうの中なかには、病人びょうにん、盲人もうじん、足あしなえ、やせ衰おとろえた者ものなどが、大おおぜいからだを横よこたえていた。〔彼かれらは水みずの動うごくのを待まっていたのである。5:4 それは、時々ときどき、主しゅの御使みつかいがこの池いけに降おりてきて水みずを動うごかすことがあるが、水みずが動うごいた時ときまっ先さきにはいる者ものは、どんな病気びょうきにかかっていても、いやされたからである。〕5:5 さて、そこに三十八年ねんのあいだ、病気びょうきに悩なやんでいる人ひとがあった。5:6 イエスはその人ひとが横よこになっているのを見み、また長ながい間あいだわずらっていたのを知しって、その人ひとに「なおりたいのか」と言いわれた。5:7 この病人びょうにんはイエスに答こたえた、「主しゅよ、水みずが動うごく時ときに、わたしを池いけの中なかに入いれてくれる人ひとがいません。わたしがはいりかけると、ほかの人ひとが先さきに降おりて行いくのです」。5:8 イエスは彼かれに言いわれた、「起おきて、あなたの床とこを取とりあげ、そして歩あるきなさい」。5:9 すると、この人ひとはすぐにいやされ、床とこをとりあげて歩あるいて行いった。 その日ひは安息日あんそくにちであった。5:10 そこでユダヤ人じんたちは、そのいやされた人ひとに言いった、「きょうは安息日あんそくにちだ。床とこを取とりあげるのは、よろしくない」。5:11 彼かれは答こたえた、「わたしをなおして下くださったかたが、床とこを取とりあげて歩あるけと、わたしに言いわれました」。5:12 彼かれらは尋たずねた、「取とりあげて歩あるけと言いった人ひとは、だれか」。5:13 しかし、このいやされた人ひとは、それがだれであるか知しらなかった。群衆ぐんしゅうがその場ばにいたので、イエスはそっと出でて行いかれたからである。5:14 そののち、イエスは宮みやでその人ひとに出会であったので、彼かれに言いわれた、「ごらん、あなたはよくなった。もう罪つみを犯おかしてはいけない。何なにかもっと悪わるいことが、あなたの身みに起おこるかも知しれないから」。5:15 彼かれは出でて行いって、自分じぶんをいやしたのはイエスであったと、ユダヤ人じんたちに告つげた。5:16 そのためユダヤ人じんたちは、安息日あんそくにちにこのようなことをしたと言いって、イエスを責せめた。5:17 そこで、イエスは彼かれらに答こたえられた、「わたしの父ちちは今いまに至いたるまで働はたらいておられる。わたしも働はたらくのである」。5:18 このためにユダヤ人じんたちは、ますますイエスを殺ころそうと計はかるようになった。それは、イエスが安息日あんそくにちを破やぶられたばかりではなく、神かみを自分じぶんの父ちちと呼よんで、自分じぶんを神かみと等ひとしいものとされたからである。 5:19 さて、イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。子こは父ちちのなさることを見みてする以外いがいに、自分じぶんからは何事なにごともすることができない。父ちちのなさることであればすべて、子こもそのとおりにするのである。5:20 なぜなら、父ちちは子こを愛あいして、みずからなさることは、すべて子こにお示しめしになるからである。そして、それよりもなお大おおきなわざを、お示しめしになるであろう。あなたがたが、それによって不思議ふしぎに思おもうためである。5:21 すなわち、父ちちが死人しにんを起おこして命いのちをお与あたえになるように、子こもまた、そのこころにかなう人々ひとびとに命いのちを与あたえるであろう。5:22 父ちちはだれをもさばかない。さばきのことはすべて、子こにゆだねられたからである。5:23 それは、すべての人ひとが父ちちを敬うやまうと同様どうように、子こを敬うやまうためである。子こを敬うやまわない者ものは、子こをつかわされた父ちちをも敬うやまわない。5:24 よくよくあなたがたに言いっておく。わたしの言葉ことばを聞きいて、わたしをつかわされたかたを信しんじる者ものは、永遠えいえんの命いのちを受うけ、またさばかれることがなく、死しから命いのちに移うつっているのである。5:25 よくよくあなたがたに言いっておく。死しんだ人ひとたちが、神かみの子この声こえを聞きく時ときが来くる。今いますでにきている。そして聞きく人ひとは生いきるであろう。5:26 それは、父ちちがご自分じぶんのうちに生命せいめいをお持もちになっていると同様どうように、子こにもまた、自分じぶんのうちに生命せいめいを持もつことをお許ゆるしになったからである。5:27 そして子こは人ひとの子こであるから、子こにさばきを行おこなう権威けんいをお与あたえになった。5:28 このことを驚おどろくには及およばない。墓はかの中なかにいる者ものたちがみな神かみの子この声こえを聞きき、5:29 善ぜんをおこなった人々ひとびとは、生命せいめいを受うけるためによみがえり、悪あくをおこなった人々ひとびとは、さばきを受うけるためによみがえって、それぞれ出でてくる時ときが来くるであろう。 5:30 わたしは、自分じぶんからは何事なにごともすることができない。ただ聞きくままにさばくのである。そして、わたしのこのさばきは正ただしい。それは、わたし自身じしんの考かんがえでするのではなく、わたしをつかわされたかたの、み旨むねを求もとめているからである。5:31 もし、わたしが自分じぶん自身じしんについてあかしをするならば、わたしのあかしはほんとうではない。5:32 わたしについてあかしをするかたはほかにあり、そして、その人ひとがするあかしがほんとうであることを、わたしは知しっている。5:33 あなたがたはヨハネのもとへ人ひとをつかわしたが、そのとき彼かれは真理しんりについてあかしをした。5:34 わたしは人ひとからあかしを受うけないが、このことを言いうのは、あなたがたが救すくわれるためである。5:35 ヨハネは燃もえて輝かがやくあかりであった。あなたがたは、しばらくの間あいだその光ひかりを喜よろこび楽たのしもうとした。5:36 しかし、わたしには、ヨハネのあかしよりも、もっと力ちからあるあかしがある。父ちちがわたしに成就じょうじゅさせようとしてお与あたえになったわざ、すなわち、今いまわたしがしているこのわざが、父ちちのわたしをつかわされたことをあかししている。5:37 また、わたしをつかわされた父ちちも、ご自分じぶんでわたしについてあかしをされた。あなたがたは、まだそのみ声こえを聞きいたこともなく、そのみ姿すがたを見みたこともない。5:38 また、神かみがつかわされた者ものを信しんじないから、神かみの御言みことばはあなたがたのうちにとどまっていない。5:39 あなたがたは、聖書せいしょの中なかに永遠えいえんの命いのちがあると思おもって調しらべているが、この聖書せいしょは、わたしについてあかしをするものである。5:40 しかも、あなたがたは、命いのちを得えるためにわたしのもとにこようともしない。5:41 わたしは人ひとからの誉ほまれを受うけることはしない。5:42 しかし、あなたがたのうちには神かみを愛あいする愛あいがないことを知しっている。5:43 わたしは父ちちの名なによってきたのに、あなたがたはわたしを受うけいれない。もし、ほかの人ひとが彼かれ自身じしんの名なによって来くるならば、その人ひとを受うけいれるのであろう。5:44 互たがいに誉ほまれを受うけながら、ただひとりの神かみからの誉ほまれを求もとめようとしないあなたがたは、どうして信しんじることができようか。5:45 わたしがあなたがたのことを父ちちに訴うったえると、考かんがえてはいけない。あなたがたを訴うったえる者ものは、あなたがたが頼たのみとしているモーセその人ひとである。5:46 もし、あなたがたがモーセを信しんじたならば、わたしをも信しんじたであろう。モーセは、わたしについて書かいたのである。5:47 しかし、モーセの書かいたものを信しんじないならば、どうしてわたしの言葉ことばを信しんじるだろうか」。 第6章 6:1 そののち、イエスはガリラヤの海うみ、すなわち、テベリヤ湖みずうみの向むこう岸ぎしへ渡わたられた。6:2 すると、大おおぜいの群衆ぐんしゅうがイエスについてきた。病人びょうにんたちになさっていたしるしを見みたからである。6:3 イエスは山やまに登のぼって、弟子でしたちと一緒いっしょにそこで座ざにつかれた。6:4 時ときに、ユダヤ人じんの祭まつりである過越すぎこしが間近まぢかになっていた。6:5 イエスは目めをあげ、大おおぜいの群衆ぐんしゅうが自分じぶんの方ほうに集あつまって来くるのを見みて、ピリポに言いわれた、「どこからパンを買かってきて、この人々ひとびとに食たべさせようか」。6:6 これはピリポをためそうとして言いわれたのであって、ご自分じぶんではしようとすることを、よくご承知しょうちであった。6:7 すると、ピリポはイエスに答こたえた、「二百デナリのパンがあっても、めいめいが少すこしずついただくにも足たりますまい」。6:8 弟子でしのひとり、シモン・ペテロの兄弟きょうだいアンデレがイエスに言いった、6:9 「ここに、大麦おおむぎのパン五つと、さかな二ひきとを持もっている子供こどもがいます。しかし、こんなに大おおぜいの人ひとでは、それが何なにになりましょう」。6:10 イエスは「人々ひとびとをすわらせなさい」と言いわれた。その場所ばしょには草くさが多おおかった。そこにすわった男おとこの数かずは五千人にんほどであった。6:11 そこで、イエスはパンを取とり、感謝かんしゃしてから、すわっている人々ひとびとに分わけ与あたえ、また、さかなをも同様どうようにして、彼かれらの望のぞむだけ分わけ与あたえられた。6:12 人々ひとびとがじゅうぶんに食たべたのち、イエスは弟子でしたちに言いわれた、「少すこしでもむだにならないように、パンくずのあまりを集あつめなさい」。6:13 そこで彼かれらが集あつめると、五つの大麦おおむぎのパンを食たべて残のこったパンくずは、十二のかごにいっぱいになった。6:14 人々ひとびとはイエスのなさったこのしるしを見みて、「ほんとうに、この人ひとこそ世よにきたるべき預言者よげんしゃである」と言いった。 6:15 イエスは人々ひとびとがきて、自分じぶんをとらえて王おうにしようとしていると知しって、ただひとり、また山やまに退しりぞかれた。 6:16 夕方ゆうがたになったとき、弟子でしたちは海うみべに下くだり、6:17 舟ふねに乗のって海うみを渡わたり、向むこう岸ぎしのカペナウムに行いきかけた。すでに暗くらくなっていたのに、イエスはまだ彼かれらのところにおいでにならなかった。6:18 その上うえ、強つよい風かぜが吹ふいてきて、海うみは荒あれ出だした。6:19 四、五十丁ちょうこぎ出だしたとき、イエスが海うみの上うえを歩あるいて舟ふねに近ちかづいてこられるのを見みて、彼かれらは恐おそれた。6:20 すると、イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしだ、恐おそれることはない」。6:21 そこで、彼かれらは喜よろこんでイエスを舟ふねに迎むかえようとした。すると舟ふねは、すぐ、彼かれらが行いこうとしていた地ちに着ついた。 6:22 その翌日よくじつ、海うみの向むこう岸ぎしに立たっていた群衆ぐんしゅうは、そこに小舟こぶねが一そうしかなく、またイエスは弟子でしたちと一緒いっしょに小舟こぶねにお乗のりにならず、ただ弟子でしたちだけが船出ふなでしたのを見みた。6:23 しかし、数すうそうの小舟こぶねがテベリヤからきて、主しゅが感謝かんしゃされたのちパンを人々ひとびとに食たべさせた場所ばしょに近ちかづいた。6:24 群衆ぐんしゅうは、イエスも弟子でしたちもそこにいないと知しって、それらの小舟こぶねに乗のり、イエスをたずねてカペナウムに行いった。6:25 そして、海うみの向むこう岸ぎしでイエスに出会であったので言いった、「先生せんせい、いつ、ここにおいでになったのですか」。6:26 イエスは答こたえて言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。あなたがたがわたしを尋たずねてきているのは、しるしを見みたためではなく、パンを食たべて満腹まんぷくしたからである。6:27 朽くちる食物しょくもつのためではなく、永遠えいえんの命いのちに至いたる朽くちない食物しょくもつのために働はたらくがよい。これは人ひとの子こがあなたがたに与あたえるものである。父ちちなる神かみは、人ひとの子こにそれをゆだねられたのである」。6:28 そこで、彼かれらはイエスに言いった、「神かみのわざを行おこなうために、わたしたちは何なにをしたらよいでしょうか」。6:29 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「神かみがつかわされた者ものを信しんじることが、神かみのわざである」。6:30 彼かれらはイエスに言いった、「わたしたちが見みてあなたを信しんじるために、どんなしるしを行おこなって下くださいますか。どんなことをして下くださいますか。6:31 わたしたちの先祖せんぞは荒野あらのでマナを食たべました。それは『天てんよりのパンを彼かれらに与あたえて食たべさせた』と書かいてあるとおりです」。6:32 そこでイエスは彼かれらに言いわれた、「よくよく言いっておく。天てんからのパンをあなたがたに与あたえたのは、モーセではない。天てんからのまことのパンをあなたがたに与あたえるのは、わたしの父ちちなのである。6:33 神かみのパンは、天てんから下くだってきて、この世よに命いのちを与あたえるものである」。6:34 彼かれらはイエスに言いった、「主しゅよ、そのパンをいつもわたしたちに下ください」。6:35 イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしが命いのちのパンである。わたしに来くる者ものは決けっして飢うえることがなく、わたしを信しんじる者ものは決けっしてかわくことがない。6:36 しかし、あなたがたに言いったが、あなたがたはわたしを見みたのに信しんじようとはしない。6:37 父ちちがわたしに与あたえて下くださる者ものは皆みな、わたしに来くるであろう。そして、わたしに来くる者ものを決けっして拒こばみはしない。6:38 わたしが天てんから下くだってきたのは、自分じぶんのこころのままを行おこなうためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行おこなうためである。6:39 わたしをつかわされたかたのみこころは、わたしに与あたえて下くださった者ものを、わたしがひとりも失うしなわずに、終おわりの日ひによみがえらせることである。6:40 わたしの父ちちのみこころは、子こを見みて信しんじる者ものが、ことごとく永遠えいえんの命いのちを得えることなのである。そして、わたしはその人々ひとびとを終おわりの日ひによみがえらせるであろう」。 6:41 ユダヤ人じんらは、イエスが「わたしは天てんから下くだってきたパンである」と言いわれたので、イエスについてつぶやき始はじめた。6:42 そして言いった、「これはヨセフの子こイエスではないか。わたしたちはその父母ふぼを知しっているではないか。わたしは天てんから下くだってきたと、どうして今いまいうのか」。6:43 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「互たがいにつぶやいてはいけない。6:44 わたしをつかわされた父ちちが引ひきよせて下くださらなければ、だれもわたしに来くることはできない。わたしは、その人々ひとびとを終おわりの日ひによみがえらせるであろう。6:45 預言者よげんしゃの書しょに、『彼かれらはみな神かみに教おしえられるであろう』と書かいてある。父ちちから聞きいて学まなんだ者ものは、みなわたしに来くるのである。6:46 神かみから出でた者もののほかに、だれかが父ちちを見みたのではない。その者ものだけが父ちちを見みたのである。6:47 よくよくあなたがたに言いっておく。信しんじる者ものには永遠えいえんの命いのちがある。6:48 わたしは命いのちのパンである。6:49 あなたがたの先祖せんぞは荒野あらのでマナを食たべたが、死しんでしまった。6:50 しかし、天てんから下くだってきたパンを食たべる人ひとは、決けっして死しぬことはない。6:51 わたしは天てんから下くだってきた生いきたパンである。それを食たべる者ものは、いつまでも生いきるであろう。わたしが与あたえるパンは、世よの命いのちのために与あたえるわたしの肉にくである」。 6:52 そこで、ユダヤ人じんらが互たがいに論ろんじて言いった、「この人ひとはどうして、自分じぶんの肉にくをわたしたちに与あたえて食たべさせることができようか」。6:53 イエスは彼かれらに言いわれた、「よくよく言いっておく。人ひとの子この肉にくを食たべず、また、その血ちを飲のまなければ、あなたがたの内うちに命いのちはない。6:54 わたしの肉にくを食たべ、わたしの血ちを飲のむ者ものには、永遠えいえんの命いのちがあり、わたしはその人ひとを終おわりの日ひによみがえらせるであろう。6:55 わたしの肉にくはまことの食物しょくもつ、わたしの血ちはまことの飲のみ物ものである。6:56 わたしの肉にくを食たべ、わたしの血ちを飲のむ者ものはわたしにおり、わたしもまたその人ひとにおる。6:57 生いける父ちちがわたしをつかわされ、また、わたしが父ちちによって生いきているように、わたしを食たべる者ものもわたしによって生いきるであろう。6:58 天てんから下くだってきたパンは、先祖せんぞたちが食たべたが死しんでしまったようなものではない。このパンを食たべる者ものは、いつまでも生いきるであろう」。6:59 これらのことは、イエスがカペナウムの会堂かいどうで教おしえておられたときに言いわれたものである。 6:60 弟子でしたちのうちの多おおくの者ものは、これを聞きいて言いった、「これは、ひどい言葉ことばだ。だれがそんなことを聞きいておられようか」。6:61 しかしイエスは、弟子でしたちがそのことでつぶやいているのを見破みやぶって、彼かれらに言いわれた、「このことがあなたがたのつまずきになるのか。6:62 それでは、もし人ひとの子こが前まえにいた所ところに上のぼるのを見みたら、どうなるのか。6:63 人ひとを生いかすものは霊れいであって、肉にくはなんの役やくにも立たたない。わたしがあなたがたに話はなした言葉ことばは霊れいであり、また命いのちである。6:64 しかし、あなたがたの中なかには信しんじない者ものがいる」。イエスは、初はじめから、だれが信しんじないか、また、だれが彼かれを裏切うらぎるかを知しっておられたのである。6:65 そしてイエスは言いわれた、「それだから、父ちちが与あたえて下くださった者ものでなければ、わたしに来くることはできないと、言いったのである」。 6:66 それ以来いらい、多おおくの弟子でしたちは去さっていって、もはやイエスと行動こうどうを共ともにしなかった。6:67 そこでイエスは十二弟子でしに言いわれた、「あなたがたも去さろうとするのか」。6:68 シモン・ペテロが答こたえた、「主しゅよ、わたしたちは、だれのところに行いきましょう。永遠えいえんの命いのちの言ことばをもっているのはあなたです。6:69 わたしたちは、あなたが神かみの聖者せいじゃであることを信しんじ、また知しっています」。6:70 イエスは彼かれらに答こたえられた、「あなたがた十二人にんを選えらんだのは、わたしではなかったか。それだのに、あなたがたのうちのひとりは悪魔あくまである」。6:71 これは、イスカリオテのシモンの子こユダをさして言いわれたのである。このユダは、十二弟子でしのひとりでありながら、イエスを裏切うらぎろうとしていた。 第7章 7:1 そののち、イエスはガリラヤを巡回じゅんかいしておられた。ユダヤ人じんたちが自分じぶんを殺ころそうとしていたので、ユダヤを巡回じゅんかいしようとはされなかった。7:2 時ときに、ユダヤ人じんの仮庵かりいおの祭まつりが近ちかづいていた。7:3 そこで、イエスの兄弟きょうだいたちがイエスに言いった、「あなたがしておられるわざを弟子でしたちにも見みせるために、ここを去さりユダヤに行いってはいかがです。7:4 自分じぶんを公おおやけけにあらわそうと思おもっている人ひとで、隠かくれて仕事しごとをするものはありません。あなたがこれらのことをするからには、自分じぶんをはっきりと世よにあらわしなさい」。7:5 こう言いったのは、兄弟きょうだいたちもイエスを信しんじていなかったからである。7:6 そこでイエスは彼かれらに言いわれた、「わたしの時ときはまだきていない。しかし、あなたがたの時ときはいつも備そなわっている。7:7 世よはあなたがたを憎にくみ得えないが、わたしを憎にくんでいる。わたしが世よのおこないの悪わるいことを、あかししているからである。7:8 あなたがたこそ祭まつりに行いきなさい。わたしはこの祭まつりには行いかない。わたしの時ときはまだ満みちていないから」。7:9 彼かれらにこう言いって、イエスはガリラヤにとどまっておられた。 7:10 しかし、兄弟きょうだいたちが祭まつりに行いったあとで、イエスも人目ひとめにたたぬように、ひそかに行いかれた。7:11 ユダヤ人じんらは祭まつりの時ときに、「あの人ひとはどこにいるのか」と言いって、イエスを捜さがしていた。7:12 群衆ぐんしゅうの中なかに、イエスについていろいろとうわさが立たった。ある人々ひとびとは、「あれはよい人ひとだ」と言いい、他たの人々ひとびとは、「いや、あれは群衆ぐんしゅうを惑まどわしている」と言いった。7:13 しかし、ユダヤ人じんらを恐おそれて、イエスのことを公然こうぜんと口くちにする者ものはいなかった。 7:14 祭まつりも半なかばになってから、イエスは宮みやに上のぼって教おしえ始はじめられた。7:15 すると、ユダヤ人じんたちは驚おどろいて言いった、「この人ひとは学問がくもんをしたこともないのに、どうして律法りっぽうの知識ちしきをもっているのだろう」。7:16 そこでイエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「わたしの教おしえはわたし自身じしんの教おしえではなく、わたしをつかわされたかたの教おしえである。7:17 神かみのみこころを行おこなおうと思おもう者ものであれば、だれでも、わたしの語かたっているこの教おしえが神かみからのものか、それとも、わたし自身じしんから出でたものか、わかるであろう。7:18 自分じぶんから出でたことを語かたる者ものは、自分じぶんの栄光えいこうを求もとめるが、自分じぶんをつかわされたかたの栄光えいこうを求もとめる者ものは真実しんじつであって、その人ひとの内うちには偽いつわりがない。7:19 モーセはあなたがたに律法りっぽうを与あたえたではないか。それだのに、あなたがたのうちには、その律法りっぽうを行おこなう者ものがひとりもない。あなたがたは、なぜわたしを殺ころそうと思おもっているのか」。7:20 群衆ぐんしゅうは答こたえた、「あなたは悪霊あくれいに取とりつかれている。だれがあなたを殺ころそうと思おもっているものか」。7:21 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「わたしが一つのわざをしたところ、あなたがたは皆みなそれを見みて驚おどろいている。7:22 モーセはあなたがたに割礼かつれいを命めいじたので、(これは、実じつは、モーセから始はじまったのではなく、先祖せんぞたちから始はじまったものである)あなたがたは安息日あんそくにちにも人ひとに割礼かつれいを施ほどこしている。7:23 もし、モーセの律法りっぽうが破やぶられないように、安息日あんそくにちであっても割礼かつれいを受うけるのなら、安息日あんそくにちに人ひとの全身ぜんしんを丈夫じょうぶにしてやったからといって、どうして、そんなにおこるのか。7:24 うわべで人ひとをさばかないで、正ただしいさばきをするがよい」。 7:25 さて、エルサレムのある人ひとたちが言いった、「この人ひとは人々ひとびとが殺ころそうと思おもっている者ものではないか。7:26 見みよ、彼かれは公然こうぜんと語かたっているのに、人々ひとびとはこれに対たいして何なにも言いわない。役人やくにんたちは、この人ひとがキリストであることを、ほんとうに知しっているのではなかろうか。7:27 わたしたちはこの人ひとがどこからきたのか知しっている。しかし、キリストが現あらわれる時ときには、どこから来くるのか知しっている者ものは、ひとりもいない」。7:28 イエスは宮みやの内うちで教おしえながら、叫さけんで言いわれた、「あなたがたは、わたしを知しっており、また、わたしがどこからきたかも知しっている。しかし、わたしは自分じぶんからきたのではない。わたしをつかわされたかたは真実しんじつであるが、あなたがたは、そのかたを知しらない。7:29 わたしは、そのかたを知しっている。わたしはそのかたのもとからきた者もので、そのかたがわたしをつかわされたのである」。7:30 そこで人々ひとびとはイエスを捕とらえようと計はかったが、だれひとり手てをかける者ものはなかった。イエスの時ときが、まだきていなかったからである。7:31 しかし、群衆ぐんしゅうの中なかの多おおくの者ものが、イエスを信しんじて言いった、「キリストがきても、この人ひとが行おこなったよりも多おおくのしるしを行おこなうだろうか」。 7:32 群衆ぐんしゅうがイエスについてこのようなうわさをしているのを、パリサイ人びとたちは耳みみにした。そこで、祭司長さいしちょうたちやパリサイ人びとたちは、イエスを捕とらえようとして、下役したやくどもをつかわした。7:33 イエスは言いわれた、「今いましばらくの間あいだ、わたしはあなたがたと一緒いっしょにいて、それから、わたしをおつかわしになったかたのみもとに行いく。7:34 あなたがたはわたしを捜さがすであろうが、見みつけることはできない。そしてわたしのいる所ところに、あなたがたは来くることができない」。7:35 そこでユダヤ人じんたちは互たがいに言いった、「わたしたちが見みつけることができないというのは、どこへ行いこうとしているのだろう。ギリシヤ人じんの中なかに離散りさんしている人ひとたちのところにでも行いって、ギリシヤ人じんを教おしえようというのだろうか。7:36 また、『わたしを捜さがすが、見みつけることはできない。そしてわたしのいる所ところには来くることができないだろう』と言いったその言葉ことばは、どういう意味いみだろう」。 7:37 祭まつりの終おわりの大事だいじな日ひに、イエスは立たって、叫さけんで言いわれた、「だれでもかわく者ものは、わたしのところにきて飲のむがよい。7:38 わたしを信しんじる者ものは、聖書せいしょに書かいてあるとおり、その腹はらから生いける水みずが川かわとなって流なれ出でるであろう」。7:39 これは、イエスを信しんじる人々ひとびとが受うけようとしている御霊みたまをさして言いわれたのである。すなわち、イエスはまだ栄光えいこうを受うけておられなかったので、御霊みたまがまだ下くだっていなかったのである。7:40 群衆ぐんしゅうのある者ものがこれらの言葉ことばを聞きいて、「このかたは、ほんとうに、あの預言者よげんしゃである」と言いい、7:41 ほかの人ひとたちは「このかたはキリストである」と言いい、また、ある人々ひとびとは、「キリストはまさか、ガリラヤからは出でてこないだろう。7:42 キリストは、ダビデの子孫しそんから、またダビデのいたベツレヘムの村むらから出でると、聖書せいしょに書かいてあるではないか」と言いった。7:43 こうして、群衆ぐんしゅうの間あいだにイエスのことで分争ぶんそうが生しょうじた。7:44 彼かれらのうちのある人々ひとびとは、イエスを捕とらえようと思おもったが、だれひとり手てをかける者ものはなかった。 7:45 さて、下役したやくどもが祭司長さいしちょうたちやパリサイ人びとたちのところに帰かえってきたので、彼かれらはその下役したやくどもに言いった、「なぜ、あの人ひとを連つれてこなかったのか」。7:46 下役したやくどもは答こたえた、「この人ひとの語かたるように語かたった者ものは、これまでにありませんでした」。7:47 パリサイ人びとたちが彼かれらに答こたえた、「あなたがたまでが、だまされているのではないか。7:48 役人やくにんたちやパリサイ人びとたちの中なかで、ひとりでも彼かれを信しんじた者ものがあっただろうか。7:49 律法りっぽうをわきまえないこの群衆ぐんしゅうは、のろわれている」。7:50 彼かれらの中なかのひとりで、以前いぜんにイエスに会あいにきたことのあるニコデモが、彼かれらに言いった、7:51 「わたしたちの律法りっぽうによれば、まずその人ひとの言いい分ぶんを聞きき、その人ひとのしたことを知しった上うえでなければ、さばくことをしないのではないか」。7:52 彼かれらは答こたえて言いった、「あなたもガリラヤ出でなのか。よく調しらべてみなさい、ガリラヤからは預言者よげんしゃが出でるものではないことが、わかるだろう」。 〔7:53 そして、人々ひとびとはおのおの家いえに帰かえって行いった。 第8章 8:1 イエスはオリブ山やまに行いかれた。8:2 朝あさ早はやくまた宮みやにはいられると、人々ひとびとが皆みなみもとに集あつまってきたので、イエスはすわって彼かれらを教おしえておられた。8:3 すると、律法りっぽう学者がくしゃたちやパリサイ人びとたちが、姦淫かんいんをしている時ときにつかまえられた女おんなをひっぱってきて、中なかに立たたせた上うえ、イエスに言いった、8:4 「先生せんせい、この女おんなは姦淫かんいんの場ばでつかまえられました。8:5 モーセは律法りっぽうの中なかで、こういう女おんなを石いしで打うち殺ころせと命めいじましたが、あなたはどう思おもいますか」。8:6 彼かれらがそう言いったのは、イエスをためして、訴うったえる口実こうじつを得えるためであった。しかし、イエスは身みをかがめて、指ゆびで地面じめんに何なにか書かいておられた。8:7 彼かれらが問とい続つづけるので、イエスは身みを起おこして彼かれらに言いわれた、「あなたがたの中なかで罪つみのない者ものが、まずこの女おんなに石いしを投なげつけるがよい」。8:8 そしてまた身みをかがめて、地面じめんに物ものを書かきつづけられた。8:9 これを聞きくと、彼かれらは年寄としよりから始はじめて、ひとりびとり出でて行いき、ついに、イエスだけになり、女おんなは中なかにいたまま残のこされた。8:10 そこでイエスは身みを起おこして女おんなに言いわれた、「女おんなよ、みんなはどこにいるか。あなたを罰ばっする者ものはなかったのか」。8:11 女おんなは言いった、「主しゅよ、だれもございません」。イエスは言いわれた、「わたしもあなたを罰ばっしない。お帰かえりなさい。今後こんごはもう罪つみを犯おかさないように」。〕 8:12 イエスは、また人々ひとびとに語かたってこう言いわれた、「わたしは世よの光ひかりである。わたしに従したがって来くる者ものは、やみのうちを歩あるくことがなく、命いのちの光ひかりをもつであろう」。8:13 するとパリサイ人びとたちがイエスに言いった、「あなたは、自分じぶんのことをあかししている。あなたのあかしは真実しんじつではない」。8:14 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「たとい、わたしが自分じぶんのことをあかししても、わたしのあかしは真実しんじつである。それは、わたしがどこからきたのか、また、どこへ行いくのかを知しっているからである。しかし、あなたがたは、わたしがどこからきて、どこへ行いくのかを知しらない。8:15 あなたがたは肉にくによって人ひとをさばくが、わたしはだれもさばかない。8:16 しかし、もしわたしがさばくとすれば、わたしのさばきは正ただしい。なぜなら、わたしはひとりではなく、わたしをつかわされたかたが、わたしと一緒いっしょだからである。8:17 あなたがたの律法りっぽうには、ふたりによる証言しょうげんは真実しんじつだと、書かいてある。8:18 わたし自身じしんのことをあかしするのは、わたしであるし、わたしをつかわされた父ちちも、わたしのことをあかしして下くださるのである」。8:19 すると、彼かれらはイエスに言いった、「あなたの父ちちはどこにいるのか」。イエスは答こたえられた、「あなたがたは、わたしをもわたしの父ちちをも知しっていない。もし、あなたがたがわたしを知しっていたなら、わたしの父ちちをも知しっていたであろう」。8:20 イエスが宮みやの内うちで教おしえていた時とき、これらの言葉ことばをさいせん箱はこのそばで語かたられたのであるが、イエスの時ときがまだきていなかったので、だれも捕とらえる者ものがなかった。 8:21 さて、また彼かれらに言いわれた、「わたしは去さって行いく。あなたがたはわたしを捜さがし求もとめるであろう。そして自分じぶんの罪つみのうちに死しぬであろう。わたしの行いく所ところには、あなたがたは来くることができない」。8:22 そこでユダヤ人じんたちは言いった、「わたしの行いく所ところに、あなたがたは来くることができないと、言いったのは、あるいは自殺じさつでもしようとするつもりか」。8:23 イエスは彼かれらに言いわれた、「あなたがたは下したから出でた者ものだが、わたしは上うえからきた者ものである。あなたがたはこの世よの者ものであるが、わたしはこの世よの者ものではない。8:24 だからわたしは、あなたがたは自分じぶんの罪つみのうちに死しぬであろうと、言いったのである。もしわたしがそういう者ものであることをあなたがたが信しんじなければ、罪つみのうちに死しぬことになるからである」。8:25 そこで彼かれらはイエスに言いった、「あなたは、いったい、どういうかたですか」。イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしがどういう者ものであるかは、初はじめからあなたがたに言いっているではないか。8:26 あなたがたについて、わたしの言いうべきこと、さばくべきことが、たくさんある。しかし、わたしをつかわされたかたは真実しんじつなかたである。わたしは、そのかたから聞きいたままを世よにむかって語かたるのである」。8:27 彼かれらは、イエスが父ちちについて話はなしておられたことを悟さとらなかった。8:28 そこでイエスは言いわれた、「あなたがたが人ひとの子こを上あげてしまった後のちはじめて、わたしがそういう者ものであること、また、わたしは自分じぶんからは何なにもせず、ただ父ちちが教おしえて下くださったままを話はなしていたことが、わかってくるであろう。8:29 わたしをつかわされたかたは、わたしと一緒いっしょにおられる。わたしは、いつも神かみのみこころにかなうことをしているから、わたしをひとり置おきざりになさることはない」。8:30 これらのことを語かたられたところ、多おおくの人々ひとびとがイエスを信しんじた。 8:31 イエスは自分じぶんを信しんじたユダヤ人じんたちに言いわれた、「もしわたしの言葉ことばのうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子でしなのである。8:32 また真理しんりを知しるであろう。そして真理しんりは、あなたがたに自由じゆうを得えさせるであろう」。8:33 そこで、彼かれらはイエスに言いった、「わたしたちはアブラハムの子孫しそんであって、人ひとの奴隷どれいになったことなどは、一度いちどもない。どうして、あなたがたに自由じゆうを得えさせるであろうと、言いわれるのか」。8:34 イエスは彼かれらに答こたえられた、「よくよくあなたがたに言いっておく。すべて罪つみを犯おかす者ものは罪つみの奴隷どれいである。8:35 そして、奴隷どれいはいつまでも家いえにいる者ものではない。しかし、子こはいつまでもいる。8:36 だから、もし子こがあなたがたに自由じゆうを得えさせるならば、あなたがたは、ほんとうに自由じゆうな者ものとなるのである。8:37 わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫しそんであることを知しっている。それだのに、あなたがたはわたしを殺ころそうとしている。わたしの言葉ことばが、あなたがたのうちに根ねをおろしていないからである。8:38 わたしはわたしの父ちちのもとで見みたことを語かたっているが、あなたがたは自分じぶんの父ちちから聞きいたことを行おこなっている」。8:39 彼かれらはイエスに答こたえて言いった、「わたしたちの父ちちはアブラハムである」。イエスは彼かれらに言いわれた、「もしアブラハムの子こであるなら、アブラハムのわざをするがよい。8:40 ところが今いま、神かみから聞きいた真理しんりをあなたがたに語かたってきたこのわたしを、殺ころそうとしている。そんなことをアブラハムはしなかった。8:41 あなたがたは、あなたがたの父ちちのわざを行おこなっているのである」。彼かれらは言いった、「わたしたちは、不品行ふひんこうの結果けっかうまれた者ものではない。わたしたちにはひとりの父ちちがある。それは神かみである」。8:42 イエスは彼かれらに言いわれた、「神かみがあなたがたの父ちちであるならば、あなたがたはわたしを愛あいするはずである。わたしは神かみから出でた者もの、また神かみからきている者ものであるからだ。わたしは自分じぶんからきたのではなく、神かみからつかわされたのである。8:43 どうしてあなたがたは、わたしの話はなすことがわからないのか。あなたがたが、わたしの言葉ことばを悟さとることができないからである。8:44 あなたがたは自分じぶんの父ちち、すなわち、悪魔あくまから出でてきた者ものであって、その父ちちの欲望よくぼうどおりを行おこなおうと思おもっている。彼かれは初はじめから、人殺ひとごろしであって、真理しんりに立たつ者ものではない。彼かれのうちには真理しんりがないからである。彼かれが偽いつわりを言いうとき、いつも自分じぶんの本音ほんねをはいているのである。彼かれは偽いつわり者ものであり、偽いつわりの父ちちであるからだ。8:45 しかし、わたしが真理しんりを語かたっているので、あなたがたはわたしを信しんじようとしない。8:46 あなたがたのうち、だれがわたしに罪つみがあると責せめうるのか。わたしは真理しんりを語かたっているのに、なぜあなたがたは、わたしを信しんじないのか。8:47 神かみからきた者ものは神かみの言葉ことばに聞きき従したがうが、あなたがたが聞きき従したがわないのは、神かみからきた者ものでないからである」。 8:48 ユダヤ人じんたちはイエスに答こたえて言いった、「あなたはサマリヤ人びとで、悪霊あくれいに取とりつかれていると、わたしたちが言いうのは、当然とうぜんではないか」。8:49 イエスは答こたえられた、「わたしは、悪霊あくれいに取とりつかれているのではなくて、わたしの父ちちを重おもんじているのだが、あなたがたはわたしを軽かろんじている。8:50 わたしは自分じぶんの栄光えいこうを求もとめてはいない。それを求もとめるかたが別べつにある。そのかたは、またさばくかたである。8:51 よくよく言いっておく。もし人ひとがわたしの言葉ことばを守まもるならば、その人ひとはいつまでも死しを見みることがないであろう」。8:52 ユダヤ人じんたちが言いった、「あなたが悪霊あくれいに取とりつかれていることが、今いまわかった。アブラハムは死しに、預言者よげんしゃたちも死しんでいる。それだのに、あなたは、わたしの言葉ことばを守まもる者ものはいつまでも死しを味あじわうことがないであろうと、言いわれる。8:53 あなたは、わたしたちの父ちちアブラハムより偉えらいのだろうか。彼かれも死しに、預言者よげんしゃたちも死しんだではないか。あなたは、いったい、自分じぶんをだれと思おもっているのか」。8:54 イエスは答こたえられた、「わたしがもし自分じぶんに栄光えいこうを帰きするなら、わたしの栄光えいこうは、むなしいものである。わたしに栄光えいこうを与あたえるかたは、わたしの父ちちであって、あなたがたが自分じぶんの神かみだと言いっているのは、そのかたのことである。8:55 あなたがたはその神かみを知しっていないが、わたしは知しっている。もしわたしが神かみを知しらないと言いうならば、あなたがたと同おなじような偽いつわり者ものであろう。しかし、わたしはそのかたを知しり、その御言みことばを守まもっている。8:56 あなたがたの父ちちアブラハムは、わたしのこの日ひを見みようとして楽たのしんでいた。そしてそれを見みて喜よろこんだ」。8:57 そこでユダヤ人じんたちはイエスに言いった、「あなたはまだ五十にもならないのに、アブラハムを見みたのか」。8:58 イエスは彼かれらに言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。アブラハムの生うまれる前まえからわたしは、いるのである」。8:59 そこで彼かれらは石いしをとって、イエスに投なげつけようとした。しかし、イエスは身みを隠かくして、宮みやから出でて行いかれた。 第9章 9:1 イエスが道みちをとおっておられるとき、生うまれつきの盲人もうじんを見みられた。9:2 弟子でしたちはイエスに尋たずねて言いった、「先生せんせい、この人ひとが生うまれつき盲人もうじんなのは、だれが罪つみを犯おかしたためですか。本人ほんにんですか、それともその両親りょうしんですか」。9:3 イエスは答こたえられた、「本人ほんにんが罪つみを犯おかしたのでもなく、また、その両親りょうしんが犯おかしたのでもない。ただ神かみのみわざが、彼かれの上うえに現あらわれるためである。9:4 わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼ひるの間あいだにしなければならない。夜よるが来くる。すると、だれも働はたらけなくなる。9:5 わたしは、この世よにいる間あいだは、世よの光ひかりである」。9:6 イエスはそう言いって、地ちにつばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人もうじんの目めに塗ぬって言いわれた、9:7 「シロアム(つかわされた者もの、の意い)の池いけに行いって洗あらいなさい」。そこで彼かれは行いって洗あらった。そして見みえるようになって、帰かえって行いった。9:8 近所きんじょの人々ひとびとや、彼かれがもと、こじきであったのを見知みしっていた人々ひとびとが言いった、「この人ひとは、すわってこじきをしていた者ものではないか」。9:9 ある人々ひとびとは「その人ひとだ」と言いい、他たの人々ひとびとは「いや、ただあの人ひとに似にているだけだ」と言いった。しかし、本人ほんにんは「わたしがそれだ」と言いった。9:10 そこで人々ひとびとは彼かれに言いった、「では、おまえの目めはどうしてあいたのか」。9:11 彼かれは答こたえた、「イエスというかたが、どろをつくって、わたしの目めに塗ぬり、『シロアムに行いって洗あらえ』と言いわれました。それで、行いって洗あらうと、見みえるようになりました」。9:12 人々ひとびとは彼かれに言いった、「その人ひとはどこにいるのか」。彼かれは「知しりません」と答こたえた。 9:13 人々ひとびとは、もと盲人もうじんであったこの人ひとを、パリサイ人びとたちのところにつれて行いった。9:14 イエスがどろをつくって彼かれの目めをあけたのは、安息日あんそくにちであった。9:15 パリサイ人びとたちもまた、「どうして見みえるようになったのか」、と彼かれに尋たずねた。彼かれは答こたえた、「あのかたがわたしの目めにどろを塗ぬり、わたしがそれを洗あらい、そして見みえるようになりました」。9:16 そこで、あるパリサイ人びとたちが言いった、「その人ひとは神かみからきた人ひとではない。安息日あんそくにちを守まもっていないのだから」。しかし、ほかの人々ひとびとは言いった、「罪つみのある人ひとが、どうしてそのようなしるしを行おこなうことができようか」。そして彼かれらの間あいだに分争ぶんそうが生しょうじた。9:17 そこで彼かれらは、もう一度どこの盲人もうじんに聞きいた、「おまえの目めをあけてくれたその人ひとを、どう思おもうか」。「預言者よげんしゃだと思おもいます」と彼かれは言いった。9:18 ユダヤ人じんたちは、彼かれがもと盲人もうじんであったが見みえるようになったことを、まだ信しんじなかった。ついに彼かれらは、目めが見みえるようになったこの人ひとの両親りょうしんを呼よんで、9:19 尋たずねて言いった、「これが、生うまれつき盲人もうじんであったと、おまえたちの言いっているむすこか。それではどうして、いま目めが見みえるのか」。9:20 両親りょうしんは答こたえて言いった、「これがわたしどものむすこであること、また生うまれつき盲人もうじんであったことは存ぞんじています。9:21 しかし、どうしていま見みえるようになったのか、それは知しりません。また、だれがその目めをあけて下くださったのかも知しりません。あれに聞きいて下ください。あれはもうおとなですから、自分じぶんのことは自分じぶんで話はなせるでしょう」。9:22 両親りょうしんはユダヤ人じんたちを恐おそれていたので、こう答こたえたのである。それは、もしイエスをキリストと告白こくはくする者ものがあれば、会堂かいどうから追おい出だすことに、ユダヤ人じんたちが既すでに決きめていたからである。9:23 彼かれの両親りょうしんが「おとなですから、あれに聞きいて下ください」と言いったのは、そのためであった。 9:24 そこで彼かれらは、盲人もうじんであった人ひとをもう一度いちど呼よんで言いった、「神かみに栄光えいこうを帰きするがよい。あの人ひとが罪人つみびとであることは、わたしたちにはわかっている」。9:25 すると彼かれは言いった、「あのかたが罪人つみびとであるかどうか、わたしは知しりません。ただ一つのことだけ知しっています。わたしは盲めくらであったが、今いまは見みえるということです」。9:26 そこで彼かれらは言いった、「その人ひとはおまえに何なにをしたのか。どんなにしておまえの目めをあけたのか」。9:27 彼かれは答こたえた、「そのことはもう話はなしてあげたのに、聞きいてくれませんでした。なぜまた聞きこうとするのですか。あなたがたも、あの人ひとの弟子でしになりたいのですか」。9:28 そこで彼かれらは彼かれをののしって言いった、「おまえはあれの弟子でしだが、わたしたちはモーセの弟子でしだ。9:29 モーセに神かみが語かたられたということは知しっている。だが、あの人ひとがどこからきた者ものか、わたしたちは知しらぬ」。9:30 そこで彼かれが答こたえて言いった、「わたしの目めをあけて下くださったのに、そのかたがどこからきたか、ご存ぞんじないとは、不思議ふしぎ千万せんばんです。9:31 わたしたちはこのことを知しっています。神かみは罪人つみびとの言いうことはお聞ききいれになりませんが、神かみを敬うやまい、そのみこころを行おこなう人ひとの言いうことは、聞ききいれて下くださいます。9:32 生うまれつき盲めくらであった者ものの目めをあけた人ひとがあるということは、世界せかいが始はじまって以来いらい、聞きいたことがありません。9:33 もしあのかたが神かみからきた人ひとでなかったら、何一なにひとつできなかったはずです」。9:34 これを聞きいて彼かれらは言いった、「おまえは全まったく罪つみの中なかに生うまれていながら、わたしたちを教おしえようとするのか」。そして彼かれを外そとへ追おい出だした。 9:35 イエスは、その人ひとが外そとへ追おい出だされたことを聞きかれた。そして彼かれに会あって言いわれた、「あなたは人ひとの子こを信しんじるか」。9:36 彼かれは答こたえて言いった、「主しゅよ、それはどなたですか。そのかたを信しんじたいのですが」。9:37 イエスは彼かれに言いわれた、「あなたは、もうその人ひとに会あっている。今いまあなたと話はなしているのが、その人ひとである」。9:38 すると彼かれは、「主しゅよ、信しんじます」と言いって、イエスを拝はいした。9:39 そこでイエスは言いわれた、「わたしがこの世よにきたのは、さばくためである。すなわち、見みえない人ひとたちが見みえるようになり、見みえる人ひとたちが見みえないようになるためである」。9:40 そこにイエスと一緒いっしょにいたあるパリサイ人びとたちが、それを聞きいてイエスに言いった、「それでは、わたしたちも盲めくらなのでしょうか」。9:41 イエスは彼かれらに言いわれた、「もしあなたがたが盲人もうじんであったなら、罪つみはなかったであろう。しかし、今いまあなたがたが『見みえる』と言いい張はるところに、あなたがたの罪つみがある。 第10章 10:1 よくよくあなたがたに言いっておく。羊ひつじの囲かこいにはいるのに、門もんからでなく、ほかの所ところからのりこえて来くる者ものは、盗人ぬすびとであり、強盗ごうとうである。10:2 門もんからはいる者ものは、羊ひつじの羊飼ひつじかいである。10:3 門番もんばんは彼かれのために門もんを開ひらき、羊ひつじは彼かれの声こえを聞きく。そして彼かれは自分じぶんの羊ひつじの名なをよんで連つれ出だす。10:4 自分じぶんの羊ひつじをみな出だしてしまうと、彼かれは羊ひつじの先頭せんとうに立たって行いく。羊ひつじはその声こえを知しっているので、彼かれについて行いくのである。10:5 ほかの人ひとには、ついて行いかないで逃にげ去さる。その人ひとの声こえを知しらないからである」。10:6 イエスは彼かれらにこの比喩ひゆを話はなされたが、彼かれらは自分じぶんたちにお話はなしになっているのが何なにのことだか、わからなかった。 10:7 そこで、イエスはまた言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。わたしは羊ひつじの門もんである。10:8 わたしよりも前まえにきた人ひとは、みな盗人ぬすびとであり、強盗ごうとうである。羊ひつじは彼かれらに聞きき従したがわなかった。10:9 わたしは門もんである。わたしをとおってはいる者ものは救すくわれ、また出入でいりし、牧草ぼくそうにありつくであろう。10:10 盗人ぬすびとが来くるのは、盗ぬすんだり、殺ころしたり、滅ほろぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊ひつじに命いのちを得えさせ、豊ゆたかに得えさせるためである。10:11 わたしはよい羊飼ひつじかいである。よい羊飼ひつじかいは、羊ひつじのために命いのちを捨すてる。10:12 羊飼ひつじかいではなく、羊ひつじが自分じぶんのものでもない雇人やといにんは、おおかみが来くるのを見みると、羊ひつじをすてて逃にげ去さる。そして、おおかみは羊ひつじを奪うばい、また追おい散ちらす。10:13 彼かれは雇人やといにんであって、羊ひつじのことを心こころにかけていないからである。10:14 わたしはよい羊飼ひつじかいであって、わたしの羊ひつじを知しり、わたしの羊ひつじはまた、わたしを知しっている。10:15 それはちょうど、父ちちがわたしを知しっておられ、わたしが父ちちを知しっているのと同おなじである。そして、わたしは羊ひつじのために命いのちを捨すてるのである。10:16 わたしにはまた、この囲かこいにいない他たの羊ひつじがある。わたしは彼かれらをも導みちびかねばならない。彼かれらも、わたしの声こえに聞きき従したがうであろう。そして、ついに一つの群むれ、ひとりの羊飼ひつじかいとなるであろう。10:17 父ちちは、わたしが自分じぶんの命いのちを捨すてるから、わたしを愛あいして下くださるのである。命いのちを捨すてるのは、それを再ふたたび得えるためである。10:18 だれかが、わたしからそれを取とり去さるのではない。わたしが、自分じぶんからそれを捨すてるのである。わたしには、それを捨すてる力ちからがあり、またそれを受うける力ちからもある。これはわたしの父ちちから授さずかった定さだめである」。 10:19 これらの言葉ことばを語かたられたため、ユダヤ人じんの間あいだにまたも分争ぶんそうが生しょうじた。10:20 そのうちの多おおくの者ものが言いった、「彼かれは悪霊あくれいに取とりつかれて、気きが狂くるっている。どうして、あなたがたはその言いうことを聞きくのか」。10:21 他たの人々ひとびとは言いった、「それは悪霊あくれいに取とりつかれた者ものの言葉ことばではない。悪霊あくれいは盲人もうじんの目めをあけることができようか」。 10:22 そのころ、エルサレムで宮みやきよめの祭まつりが行おこなわれた。時ときは冬ふゆであった。10:23 イエスは、宮みやの中なかにあるソロモンの廊ろうを歩あるいておられた。10:24 するとユダヤ人じんたちが、イエスを取とり囲かこんで言いった、「いつまでわたしたちを不安ふあんのままにしておくのか。あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言いっていただきたい」。10:25 イエスは彼かれらに答こたえられた、「わたしは話はなしたのだが、あなたがたは信しんじようとしない。わたしの父ちちの名なによってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。10:26 あなたがたが信しんじないのは、わたしの羊ひつじでないからである。10:27 わたしの羊ひつじはわたしの声こえに聞きき従したがう。わたしは彼かれらを知しっており、彼かれらはわたしについて来くる。10:28 わたしは、彼かれらに永遠えいえんの命いのちを与あたえる。だから、彼かれらはいつまでも滅ほろびることがなく、また、彼かれらをわたしの手てから奪うばい去さる者ものはない。10:29 わたしの父ちちがわたしに下くださったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父ちちのみ手てから、それを奪うばい取とることはできない。10:30 わたしと父ちちとは一つである」。10:31 そこでユダヤ人じんたちは、イエスを打うち殺ころそうとして、また石いしを取とりあげた。10:32 するとイエスは彼かれらに答こたえられた、「わたしは、父ちちによる多おおくのよいわざを、あなたがたに示しめした。その中なかのどのわざのために、わたしを石いしで打うち殺ころそうとするのか」。10:33 ユダヤ人じんたちは答こたえた、「あなたを石いしで殺ころそうとするのは、よいわざをしたからではなく、神かみを汚けがしたからである。また、あなたは人間にんげんであるのに、自分じぶんを神かみとしているからである」。10:34 イエスは彼かれらに答こたえられた、「あなたがたの律法りっぽうに、『わたしは言いう、あなたがたは神々かみがみである』と書かいてあるではないか。10:35 神かみの言ことばを託たくされた人々ひとびとが、神々かみがみといわれておるとすれば、(そして聖書せいしょの言ことばは、すたることがあり得えない)10:36 父ちちが聖せい別べつして、世よにつかわされた者ものが、『わたしは神かみの子こである』と言いったからとて、どうして『あなたは神かみを汚けがす者ものだ』と言いうのか。10:37 もしわたしが父ちちのわざを行おこなわないとすれば、わたしを信しんじなくてもよい。10:38 しかし、もし行おこなっているなら、たといわたしを信しんじなくても、わたしのわざを信しんじるがよい。そうすれば、父ちちがわたしにおり、また、わたしが父ちちにおることを知しって悟さとるであろう」。10:39 そこで、彼かれらはまたイエスを捕とらえようとしたが、イエスは彼かれらの手てをのがれて、去さって行いかれた。 10:40 さて、イエスはまたヨルダンの向むこう岸ぎし、すなわち、ヨハネが初はじめにバプテスマを授さづけていた所ところに行いき、そこに滞在たいざいしておられた。10:41 多おおくの人々ひとびとがイエスのところにきて、互たがいに言いった、「ヨハネはなんのしるしも行おこなわなかったが、ヨハネがこのかたについて言いったことは、皆みなほんとうであった」。10:42 そして、そこで多おおくの者ものがイエスを信しんじた。
3:1 パリサイ人びとのひとりで、その名なをニコデモというユダヤ人じんの指導者しどうしゃがあった。
3:2 この人ひとが夜よるイエスのもとにきて言いった、「先生せんせい、わたしたちはあなたが神かみからこられた教師きょうしであることを知しっています。神かみがご一緒いっしょでないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。
3:3 イエスは答こたえて言いわれた、「よくよくあなたに言いっておく。だれでも新あたらしく生うまれなければ、神かみの国くにを見みることはできない」。
3:4 ニコデモは言いった、「人ひとは年としをとってから生うまれることが、どうしてできますか。もう一度いちど、母ははの胎たいにはいって生うまれることができましょうか」。
3:5 イエスは答こたえられた、「よくよくあなたに言いっておく。だれでも、水みずと霊れいとから生うまれなければ、神かみの国くににはいることはできない。
3:6 肉にくから生うまれる者ものは肉にくであり、霊れいから生うまれる者ものは霊れいである。
3:7 あなたがたは新あたらしく生うまれなければならないと、わたしが言いったからとて、不思議ふしぎに思おもうには及およばない。
3:8 風かぜは思おもいのままに吹ふく。あなたはその音おとを聞きくが、それがどこからきて、どこへ行いくかは知しらない。霊れいから生うまれる者ものもみな、それと同おなじである」。
3:9 ニコデモはイエスに答こたえて言いった、「どうして、そんなことがあり得えましょうか」。
3:10 イエスは彼かれに答こたえて言いわれた、「あなたはイスラエルの教師きょうしでありながら、これぐらいのことがわからないのか。
3:11 よくよく言いっておく。わたしたちは自分じぶんの知しっていることを語かたり、また自分じぶんの見みたことをあかししているのに、あなたがたはわたしたちのあかしを受うけいれない。
3:12 わたしが地上ちじょうのことを語かたっているのに、あなたがたが信しんじないならば、天上てんじょうのことを語かたった場合ばあい、どうしてそれを信しんじるだろうか。
3:13 天てんから下くだってきた者もの、すなわち人ひとの子このほかには、だれも天てんに上のぼった者ものはない。
3:14 そして、ちょうどモーセが荒野あらのでへびを上あげたように、人ひとの子こもまた上あげられなければならない。
3:15 それは彼かれを信しんじる者ものが、すべて永遠えいえんの命いのちを得えるためである」。
3:16 神かみはそのひとり子こを賜たまわったほどに、この世よを愛あいして下くださった。それは御子みこを信しんじる者ものがひとりも滅ほろびないで、永遠えいえんの命いのちを得えるためである。
3:17 神かみが御子みこを世よにつかわされたのは、世よをさばくためではなく、御子みこによって、この世よが救すくわれるためである。
3:18 彼かれを信しんじる者ものは、さばかれない。信しんじない者ものは、すでにさばかれている。神かみのひとり子この名なを信しんじることをしないからである。
3:19 そのさばきというのは、光ひかりがこの世よにきたのに、人々ひとびとはそのおこないが悪わるいために、光ひかりよりもやみの方ほうを愛あいしたことである。
3:20 悪あくを行おこなっている者ものはみな光ひかりを憎にくむ。そして、そのおこないが明あかるみに出だされるのを恐おそれて、光ひかりにこようとはしない。
3:21 しかし、真理しんりを行おこなっている者ものは光ひかりに来くる。その人ひとのおこないの、神かみにあってなされたということが、明あきらかにされるためである。
3:22 こののち、イエスは弟子でしたちとユダヤの地ちに行いき、彼かれらと一緒いっしょにそこに滞在たいざいして、バプテスマを授さづけておられた。
3:23 ヨハネもサリムに近ちかいアイノンで、バプテスマを授さづけていた。そこには水みずがたくさんあったからである。人々ひとびとがぞくぞくとやってきてバプテスマを受うけていた。
3:24 そのとき、ヨハネはまだ獄ごくに入いれられてはいなかった。
3:25 ところが、ヨハネの弟子でしたちとひとりのユダヤ人じんとの間あいだに、きよめのことで争論そうろんが起おこった。
3:26 そこで彼かれらはヨハネのところにきて言いった、「先生せんせい、ごらん下ください。ヨルダンの向むこうであなたと一緒いっしょにいたことがあり、そして、あなたがあかしをしておられたあのかたが、バプテスマを授さづけており、皆みなの者ものが、そのかたのところへ出でかけています」。
3:27 ヨハネは答こたえて言いった、「人ひとは天てんから与あたえられなければ、何なにものも受うけることはできない。
3:28 『わたしはキリストではなく、そのかたよりも先さきにつかわされた者ものである』と言いったことをあかししてくれるのは、あなたがた自身じしんである。
3:29 花嫁はなよめをもつ者ものは花婿はなむこである。花婿はなむこの友人ゆうじんは立たって彼かれの声こえを聞きき、その声こえを聞きいて大おおいに喜よろこぶ。こうして、この喜よろこびはわたしに満みち足たりている。
3:30 彼かれは必かならず栄さかえ、わたしは衰おとろえる。
3:31 上うえから来くる者ものは、すべてのものの上うえにある。地ちから出でる者ものは、地ちに属ぞくする者ものであって、地ちのことを語かたる。天てんから来くる者ものは、すべてのものの上うえにある。
3:32 彼かれはその見みたところ、聞きいたところをあかししているが、だれもそのあかしを受うけいれない。
3:33 しかし、そのあかしを受うけいれる者ものは、神かみがまことであることを、たしかに認みとめたのである。
3:34 神かみがおつかわしになったかたは、神かみの言葉ことばを語かたる。神かみは聖霊せいれいを限かぎりなく賜たまうからである。
3:35 父ちちは御子みこを愛あいして、万物ばんぶつをその手てにお与あたえになった。
3:36 御子みこを信しんじる者ものは永遠えいえんの命いのちをもつ。御子みこに従したがわない者ものは、命いのちにあずかることがないばかりか、神かみの怒いかりがその上うえにとどまるのである」。
第4章 4:1 イエスが、ヨハネよりも多おおく弟子でしをつくり、またバプテスマを授さづけておられるということを、パリサイ人びとたちが聞きき、それを主しゅが知しられたとき、4:2 (しかし、イエスみずからが、バプテスマをお授さづけになったのではなく、その弟子でしたちであった)4:3 ユダヤを去さって、またガリラヤへ行いかれた。4:4 しかし、イエスはサマリヤを通過つうかしなければならなかった。4:5 そこで、イエスはサマリヤのスカルという町まちにおいでになった。この町まちは、ヤコブがその子こヨセフに与あたえた土地とちの近ちかくにあったが、4:6 そこにヤコブの井戸いどがあった。イエスは旅たびの疲つかれを覚おぼえて、そのまま、この井戸いどのそばにすわっておられた。時ときは昼ひるの十二時じごろであった。4:7 ひとりのサマリヤの女おんなが水みずをくみにきたので、イエスはこの女おんなに、「水みずを飲のませて下ください」と言いわれた。4:8 弟子でしたちは食物しょくもつを買かいに町まちに行いっていたのである。4:9 すると、サマリヤの女おんなはイエスに言いった、「あなたはユダヤ人じんでありながら、どうしてサマリヤの女おんなのわたしに、飲のませてくれとおっしゃるのですか」。これは、ユダヤ人じんはサマリヤ人びとと交際こうさいしていなかったからである。4:10 イエスは答こたえて言いわれた、「もしあなたが神かみの賜物たまもののことを知しり、また、『水みずを飲のませてくれ』と言いった者ものが、だれであるか知しっていたならば、あなたの方ほうから願ねがい出でて、その人ひとから生いける水みずをもらったことであろう」。4:11 女おんなはイエスに言いった、「主しゅよ、あなたは、くむ物ものをお持もちにならず、その上うえ、井戸いどは深ふかいのです。その生いける水みずを、どこから手てに入いれるのですか。4:12 あなたは、この井戸いどを下くださったわたしたちの父ちちヤコブよりも、偉えらいかたなのですか。ヤコブ自身じしんも飲のみ、その子こらも、その家畜かちくも、この井戸いどから飲のんだのですが」。4:13 イエスは女おんなに答こたえて言いわれた、「この水みずを飲のむ者ものはだれでも、またかわくであろう。4:14 しかし、わたしが与あたえる水みずを飲のむ者ものは、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与あたえる水みずは、その人ひとのうちで泉いずみとなり、永遠えいえんの命いのちに至いたる水みずが、わきあがるであろう」。4:15 女おんなはイエスに言いった、「主しゅよ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水みずをわたしに下ください」。4:16 イエスは女おんなに言いわれた、「あなたの夫おっとを呼よびに行いって、ここに連つれてきなさい」。4:17 女おんなは答こたえて言いった、「わたしには夫おっとはありません」。イエスは女おんなに言いわれた、「夫おっとがないと言いったのは、もっともだ。4:18 あなたには五人にんの夫おっとがあったが、今いまのはあなたの夫おっとではない。あなたの言葉ことばのとおりである」。4:19 女おんなはイエスに言いった、「主しゅよ、わたしはあなたを預言者よげんしゃと見みます。4:20 わたしたちの先祖せんぞは、この山やまで礼拝れいはいをしたのですが、あなたがたは礼拝れいはいすべき場所ばしょは、エルサレムにあると言いっています」。4:21 イエスは女おんなに言いわれた、「女おんなよ、わたしの言いうことを信しんじなさい。あなたがたが、この山やまでも、またエルサレムでもない所ところで、父ちちを礼拝れいはいする時ときが来くる。4:22 あなたがたは自分じぶんの知しらないものを拝おがんでいるが、わたしたちは知しっているかたを礼拝れいはいしている。救すくいはユダヤ人じんから来くるからである。4:23 しかし、まことの礼拝れいはいをする者ものたちが、霊れいとまこととをもって父ちちを礼拝れいはいする時ときが来くる。そうだ、今いまきている。父ちちは、このような礼拝れいはいをする者ものたちを求もとめておられるからである。4:24 神かみは霊れいであるから、礼拝れいはいをする者ものも、霊れいとまこととをもって礼拝れいはいすべきである」。4:25 女おんなはイエスに言いった、「わたしは、キリストと呼よばれるメシヤがこられることを知しっています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを知しらせて下くださるでしょう」。4:26 イエスは女おんなに言いわれた、「あなたと話はなしをしているこのわたしが、それである」。 4:27 そのとき、弟子でしたちが帰かえって来きて、イエスがひとりの女おんなと話はなしておられるのを見みて不思議ふしぎに思おもったが、しかし、「何なにを求もとめておられますか」とも、「何なにを彼女かのじょと話はなしておられるのですか」とも、尋たずねる者ものはひとりもなかった。4:28 この女おんなは水みずがめをそのままそこに置おいて町まちに行いき、人々ひとびとに言いった、4:29 「わたしのしたことを何なにもかも、言いいあてた人ひとがいます。さあ、見みにきてごらんなさい。もしかしたら、この人ひとがキリストかも知しれません」。4:30 人々ひとびとは町まちを出でて、ぞくぞくとイエスのところへ行いった。4:31 その間あいだに弟子でしたちはイエスに、「先生せんせい、召めしあがってください」とすすめた。4:32 ところが、イエスは言いわれた、「わたしには、あなたがたの知しらない食物しょくもつがある」。4:33 そこで、弟子でしたちが互たがいに言いった、「だれかが、何なにか食たべるものを持もってきてさしあげたのであろうか」。4:34 イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしの食物しょくもつというのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行おこない、そのみわざをなし遂とげることである。4:35 あなたがたは、刈入かりいれ時ときが来くるまでには、まだ四か月げつあると、言いっているではないか。しかし、わたしはあなたがたに言いう。目めをあげて畑はたけを見みなさい。はや色いろづいて刈入かりいれを待まっている。4:36 刈かる者ものは報酬ほうしゅうを受うけて、永遠えいえんの命いのちに至いたる実みを集あつめている。まく者ものも刈かる者ものも、共々ともどもに喜よろこぶためである。4:37 そこで、『ひとりがまき、ひとりが刈かる』ということわざが、ほんとうのこととなる。4:38 わたしは、あなたがたをつかわして、あなたがたがそのために労苦ろうくしなかったものを刈かりとらせた。ほかの人々ひとびとが労苦ろうくし、あなたがたは、彼かれらの労苦ろうくの実みにあずかっているのである」。 4:39 さて、この町まちからきた多おおくのサマリヤ人ひとは、「この人ひとは、わたしのしたことを何なにもかも言いいあてた」とあかしした女おんなの言葉ことばによって、イエスを信しんじた。4:40 そこで、サマリヤ人ひとたちはイエスのもとにきて、自分じぶんたちのところに滞在たいざいしていただきたいと願ねがったので、イエスはそこにふつか滞在たいざいされた。4:41 そしてなお多おおくの人々ひとびとが、イエスの言葉ことばを聞きいて信しんじた。4:42 彼かれらは女おんなに言いった、「わたしたちが信しんじるのは、もうあなたが話はなしてくれたからではない。自分じぶん自身じしんで親したしく聞きいて、この人ひとこそまことに世よの救主すくいぬしであることが、わかったからである」。 4:43 ふつかの後のちに、イエスはここを去さってガリラヤへ行いかれた。4:44 イエスはみずからはっきり、「預言者よげんしゃは自分じぶんの故郷こきょうでは敬うやまわれないものだ」と言いわれたのである。4:45 ガリラヤに着つかれると、ガリラヤの人ひとたちはイエスを歓迎かんげいした。それは、彼かれらも祭まつりに行いっていたので、その祭まつりの時とき、イエスがエルサレムでなされたことをことごとく見みていたからである。 4:46 イエスは、またガリラヤのカナに行いかれた。そこは、かつて水みずをぶどう酒しゅにかえられた所ところである。ところが、病気びょうきをしているむすこを持もつある役人やくにんがカペナウムにいた。4:47 この人ひとが、ユダヤからガリラヤにイエスのきておられることを聞きき、みもとにきて、カペナウムに下くだって、彼かれの子こをなおしていただきたいと、願ねがった。その子こが死しにかかっていたからである。4:48 そこで、イエスは彼かれに言いわれた、「あなたがたは、しるしと奇跡きせきとを見みない限かぎり、決けっして信しんじないだろう」。4:49 この役人やくにんはイエスに言いった、「主しゅよ、どうぞ、子供こどもが死しなないうちにきて下ください」。4:50 イエスは彼かれに言いわれた、「お帰かえりなさい。あなたのむすこは助たすかるのだ」。彼かれは自分じぶんに言いわれたイエスの言葉ことばを信しんじて帰かえって行いった。4:51 その下くだって行いく途中とちゅう、僕しもべたちが彼かれに出会であい、その子こが助たすかったことを告つげた。4:52 そこで、彼かれは僕しもべたちに、そのなおりはじめた時刻じこくを尋たずねてみたら、「きのうの午後ごご一時じに熱ねつが引ひきました」と答こたえた。4:53 それは、イエスが「あなたのむすこは助たすかるのだ」と言いわれたのと同おなじ時刻じこくであったことを、この父ちちは知しって、彼かれ自身じしんもその家族かぞく一同いちどうも信しんじた。4:54 これは、イエスがユダヤからガリラヤにきてなされた第だい二のしるしである。 第5章 5:1 こののち、ユダヤ人じんの祭まつりがあったので、イエスはエルサレムに上のぼられた。 5:2 エルサレムにある羊ひつじの門もんのそばに、ヘブル語ごでベテスダと呼よばれる池いけがあった。そこには五つの廊ろうがあった。5:3 その廊ろうの中なかには、病人びょうにん、盲人もうじん、足あしなえ、やせ衰おとろえた者ものなどが、大おおぜいからだを横よこたえていた。〔彼かれらは水みずの動うごくのを待まっていたのである。5:4 それは、時々ときどき、主しゅの御使みつかいがこの池いけに降おりてきて水みずを動うごかすことがあるが、水みずが動うごいた時ときまっ先さきにはいる者ものは、どんな病気びょうきにかかっていても、いやされたからである。〕5:5 さて、そこに三十八年ねんのあいだ、病気びょうきに悩なやんでいる人ひとがあった。5:6 イエスはその人ひとが横よこになっているのを見み、また長ながい間あいだわずらっていたのを知しって、その人ひとに「なおりたいのか」と言いわれた。5:7 この病人びょうにんはイエスに答こたえた、「主しゅよ、水みずが動うごく時ときに、わたしを池いけの中なかに入いれてくれる人ひとがいません。わたしがはいりかけると、ほかの人ひとが先さきに降おりて行いくのです」。5:8 イエスは彼かれに言いわれた、「起おきて、あなたの床とこを取とりあげ、そして歩あるきなさい」。5:9 すると、この人ひとはすぐにいやされ、床とこをとりあげて歩あるいて行いった。 その日ひは安息日あんそくにちであった。5:10 そこでユダヤ人じんたちは、そのいやされた人ひとに言いった、「きょうは安息日あんそくにちだ。床とこを取とりあげるのは、よろしくない」。5:11 彼かれは答こたえた、「わたしをなおして下くださったかたが、床とこを取とりあげて歩あるけと、わたしに言いわれました」。5:12 彼かれらは尋たずねた、「取とりあげて歩あるけと言いった人ひとは、だれか」。5:13 しかし、このいやされた人ひとは、それがだれであるか知しらなかった。群衆ぐんしゅうがその場ばにいたので、イエスはそっと出でて行いかれたからである。5:14 そののち、イエスは宮みやでその人ひとに出会であったので、彼かれに言いわれた、「ごらん、あなたはよくなった。もう罪つみを犯おかしてはいけない。何なにかもっと悪わるいことが、あなたの身みに起おこるかも知しれないから」。5:15 彼かれは出でて行いって、自分じぶんをいやしたのはイエスであったと、ユダヤ人じんたちに告つげた。5:16 そのためユダヤ人じんたちは、安息日あんそくにちにこのようなことをしたと言いって、イエスを責せめた。5:17 そこで、イエスは彼かれらに答こたえられた、「わたしの父ちちは今いまに至いたるまで働はたらいておられる。わたしも働はたらくのである」。5:18 このためにユダヤ人じんたちは、ますますイエスを殺ころそうと計はかるようになった。それは、イエスが安息日あんそくにちを破やぶられたばかりではなく、神かみを自分じぶんの父ちちと呼よんで、自分じぶんを神かみと等ひとしいものとされたからである。 5:19 さて、イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。子こは父ちちのなさることを見みてする以外いがいに、自分じぶんからは何事なにごともすることができない。父ちちのなさることであればすべて、子こもそのとおりにするのである。5:20 なぜなら、父ちちは子こを愛あいして、みずからなさることは、すべて子こにお示しめしになるからである。そして、それよりもなお大おおきなわざを、お示しめしになるであろう。あなたがたが、それによって不思議ふしぎに思おもうためである。5:21 すなわち、父ちちが死人しにんを起おこして命いのちをお与あたえになるように、子こもまた、そのこころにかなう人々ひとびとに命いのちを与あたえるであろう。5:22 父ちちはだれをもさばかない。さばきのことはすべて、子こにゆだねられたからである。5:23 それは、すべての人ひとが父ちちを敬うやまうと同様どうように、子こを敬うやまうためである。子こを敬うやまわない者ものは、子こをつかわされた父ちちをも敬うやまわない。5:24 よくよくあなたがたに言いっておく。わたしの言葉ことばを聞きいて、わたしをつかわされたかたを信しんじる者ものは、永遠えいえんの命いのちを受うけ、またさばかれることがなく、死しから命いのちに移うつっているのである。5:25 よくよくあなたがたに言いっておく。死しんだ人ひとたちが、神かみの子この声こえを聞きく時ときが来くる。今いますでにきている。そして聞きく人ひとは生いきるであろう。5:26 それは、父ちちがご自分じぶんのうちに生命せいめいをお持もちになっていると同様どうように、子こにもまた、自分じぶんのうちに生命せいめいを持もつことをお許ゆるしになったからである。5:27 そして子こは人ひとの子こであるから、子こにさばきを行おこなう権威けんいをお与あたえになった。5:28 このことを驚おどろくには及およばない。墓はかの中なかにいる者ものたちがみな神かみの子この声こえを聞きき、5:29 善ぜんをおこなった人々ひとびとは、生命せいめいを受うけるためによみがえり、悪あくをおこなった人々ひとびとは、さばきを受うけるためによみがえって、それぞれ出でてくる時ときが来くるであろう。 5:30 わたしは、自分じぶんからは何事なにごともすることができない。ただ聞きくままにさばくのである。そして、わたしのこのさばきは正ただしい。それは、わたし自身じしんの考かんがえでするのではなく、わたしをつかわされたかたの、み旨むねを求もとめているからである。5:31 もし、わたしが自分じぶん自身じしんについてあかしをするならば、わたしのあかしはほんとうではない。5:32 わたしについてあかしをするかたはほかにあり、そして、その人ひとがするあかしがほんとうであることを、わたしは知しっている。5:33 あなたがたはヨハネのもとへ人ひとをつかわしたが、そのとき彼かれは真理しんりについてあかしをした。5:34 わたしは人ひとからあかしを受うけないが、このことを言いうのは、あなたがたが救すくわれるためである。5:35 ヨハネは燃もえて輝かがやくあかりであった。あなたがたは、しばらくの間あいだその光ひかりを喜よろこび楽たのしもうとした。5:36 しかし、わたしには、ヨハネのあかしよりも、もっと力ちからあるあかしがある。父ちちがわたしに成就じょうじゅさせようとしてお与あたえになったわざ、すなわち、今いまわたしがしているこのわざが、父ちちのわたしをつかわされたことをあかししている。5:37 また、わたしをつかわされた父ちちも、ご自分じぶんでわたしについてあかしをされた。あなたがたは、まだそのみ声こえを聞きいたこともなく、そのみ姿すがたを見みたこともない。5:38 また、神かみがつかわされた者ものを信しんじないから、神かみの御言みことばはあなたがたのうちにとどまっていない。5:39 あなたがたは、聖書せいしょの中なかに永遠えいえんの命いのちがあると思おもって調しらべているが、この聖書せいしょは、わたしについてあかしをするものである。5:40 しかも、あなたがたは、命いのちを得えるためにわたしのもとにこようともしない。5:41 わたしは人ひとからの誉ほまれを受うけることはしない。5:42 しかし、あなたがたのうちには神かみを愛あいする愛あいがないことを知しっている。5:43 わたしは父ちちの名なによってきたのに、あなたがたはわたしを受うけいれない。もし、ほかの人ひとが彼かれ自身じしんの名なによって来くるならば、その人ひとを受うけいれるのであろう。5:44 互たがいに誉ほまれを受うけながら、ただひとりの神かみからの誉ほまれを求もとめようとしないあなたがたは、どうして信しんじることができようか。5:45 わたしがあなたがたのことを父ちちに訴うったえると、考かんがえてはいけない。あなたがたを訴うったえる者ものは、あなたがたが頼たのみとしているモーセその人ひとである。5:46 もし、あなたがたがモーセを信しんじたならば、わたしをも信しんじたであろう。モーセは、わたしについて書かいたのである。5:47 しかし、モーセの書かいたものを信しんじないならば、どうしてわたしの言葉ことばを信しんじるだろうか」。 第6章 6:1 そののち、イエスはガリラヤの海うみ、すなわち、テベリヤ湖みずうみの向むこう岸ぎしへ渡わたられた。6:2 すると、大おおぜいの群衆ぐんしゅうがイエスについてきた。病人びょうにんたちになさっていたしるしを見みたからである。6:3 イエスは山やまに登のぼって、弟子でしたちと一緒いっしょにそこで座ざにつかれた。6:4 時ときに、ユダヤ人じんの祭まつりである過越すぎこしが間近まぢかになっていた。6:5 イエスは目めをあげ、大おおぜいの群衆ぐんしゅうが自分じぶんの方ほうに集あつまって来くるのを見みて、ピリポに言いわれた、「どこからパンを買かってきて、この人々ひとびとに食たべさせようか」。6:6 これはピリポをためそうとして言いわれたのであって、ご自分じぶんではしようとすることを、よくご承知しょうちであった。6:7 すると、ピリポはイエスに答こたえた、「二百デナリのパンがあっても、めいめいが少すこしずついただくにも足たりますまい」。6:8 弟子でしのひとり、シモン・ペテロの兄弟きょうだいアンデレがイエスに言いった、6:9 「ここに、大麦おおむぎのパン五つと、さかな二ひきとを持もっている子供こどもがいます。しかし、こんなに大おおぜいの人ひとでは、それが何なにになりましょう」。6:10 イエスは「人々ひとびとをすわらせなさい」と言いわれた。その場所ばしょには草くさが多おおかった。そこにすわった男おとこの数かずは五千人にんほどであった。6:11 そこで、イエスはパンを取とり、感謝かんしゃしてから、すわっている人々ひとびとに分わけ与あたえ、また、さかなをも同様どうようにして、彼かれらの望のぞむだけ分わけ与あたえられた。6:12 人々ひとびとがじゅうぶんに食たべたのち、イエスは弟子でしたちに言いわれた、「少すこしでもむだにならないように、パンくずのあまりを集あつめなさい」。6:13 そこで彼かれらが集あつめると、五つの大麦おおむぎのパンを食たべて残のこったパンくずは、十二のかごにいっぱいになった。6:14 人々ひとびとはイエスのなさったこのしるしを見みて、「ほんとうに、この人ひとこそ世よにきたるべき預言者よげんしゃである」と言いった。 6:15 イエスは人々ひとびとがきて、自分じぶんをとらえて王おうにしようとしていると知しって、ただひとり、また山やまに退しりぞかれた。 6:16 夕方ゆうがたになったとき、弟子でしたちは海うみべに下くだり、6:17 舟ふねに乗のって海うみを渡わたり、向むこう岸ぎしのカペナウムに行いきかけた。すでに暗くらくなっていたのに、イエスはまだ彼かれらのところにおいでにならなかった。6:18 その上うえ、強つよい風かぜが吹ふいてきて、海うみは荒あれ出だした。6:19 四、五十丁ちょうこぎ出だしたとき、イエスが海うみの上うえを歩あるいて舟ふねに近ちかづいてこられるのを見みて、彼かれらは恐おそれた。6:20 すると、イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしだ、恐おそれることはない」。6:21 そこで、彼かれらは喜よろこんでイエスを舟ふねに迎むかえようとした。すると舟ふねは、すぐ、彼かれらが行いこうとしていた地ちに着ついた。 6:22 その翌日よくじつ、海うみの向むこう岸ぎしに立たっていた群衆ぐんしゅうは、そこに小舟こぶねが一そうしかなく、またイエスは弟子でしたちと一緒いっしょに小舟こぶねにお乗のりにならず、ただ弟子でしたちだけが船出ふなでしたのを見みた。6:23 しかし、数すうそうの小舟こぶねがテベリヤからきて、主しゅが感謝かんしゃされたのちパンを人々ひとびとに食たべさせた場所ばしょに近ちかづいた。6:24 群衆ぐんしゅうは、イエスも弟子でしたちもそこにいないと知しって、それらの小舟こぶねに乗のり、イエスをたずねてカペナウムに行いった。6:25 そして、海うみの向むこう岸ぎしでイエスに出会であったので言いった、「先生せんせい、いつ、ここにおいでになったのですか」。6:26 イエスは答こたえて言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。あなたがたがわたしを尋たずねてきているのは、しるしを見みたためではなく、パンを食たべて満腹まんぷくしたからである。6:27 朽くちる食物しょくもつのためではなく、永遠えいえんの命いのちに至いたる朽くちない食物しょくもつのために働はたらくがよい。これは人ひとの子こがあなたがたに与あたえるものである。父ちちなる神かみは、人ひとの子こにそれをゆだねられたのである」。6:28 そこで、彼かれらはイエスに言いった、「神かみのわざを行おこなうために、わたしたちは何なにをしたらよいでしょうか」。6:29 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「神かみがつかわされた者ものを信しんじることが、神かみのわざである」。6:30 彼かれらはイエスに言いった、「わたしたちが見みてあなたを信しんじるために、どんなしるしを行おこなって下くださいますか。どんなことをして下くださいますか。6:31 わたしたちの先祖せんぞは荒野あらのでマナを食たべました。それは『天てんよりのパンを彼かれらに与あたえて食たべさせた』と書かいてあるとおりです」。6:32 そこでイエスは彼かれらに言いわれた、「よくよく言いっておく。天てんからのパンをあなたがたに与あたえたのは、モーセではない。天てんからのまことのパンをあなたがたに与あたえるのは、わたしの父ちちなのである。6:33 神かみのパンは、天てんから下くだってきて、この世よに命いのちを与あたえるものである」。6:34 彼かれらはイエスに言いった、「主しゅよ、そのパンをいつもわたしたちに下ください」。6:35 イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしが命いのちのパンである。わたしに来くる者ものは決けっして飢うえることがなく、わたしを信しんじる者ものは決けっしてかわくことがない。6:36 しかし、あなたがたに言いったが、あなたがたはわたしを見みたのに信しんじようとはしない。6:37 父ちちがわたしに与あたえて下くださる者ものは皆みな、わたしに来くるであろう。そして、わたしに来くる者ものを決けっして拒こばみはしない。6:38 わたしが天てんから下くだってきたのは、自分じぶんのこころのままを行おこなうためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行おこなうためである。6:39 わたしをつかわされたかたのみこころは、わたしに与あたえて下くださった者ものを、わたしがひとりも失うしなわずに、終おわりの日ひによみがえらせることである。6:40 わたしの父ちちのみこころは、子こを見みて信しんじる者ものが、ことごとく永遠えいえんの命いのちを得えることなのである。そして、わたしはその人々ひとびとを終おわりの日ひによみがえらせるであろう」。 6:41 ユダヤ人じんらは、イエスが「わたしは天てんから下くだってきたパンである」と言いわれたので、イエスについてつぶやき始はじめた。6:42 そして言いった、「これはヨセフの子こイエスではないか。わたしたちはその父母ふぼを知しっているではないか。わたしは天てんから下くだってきたと、どうして今いまいうのか」。6:43 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「互たがいにつぶやいてはいけない。6:44 わたしをつかわされた父ちちが引ひきよせて下くださらなければ、だれもわたしに来くることはできない。わたしは、その人々ひとびとを終おわりの日ひによみがえらせるであろう。6:45 預言者よげんしゃの書しょに、『彼かれらはみな神かみに教おしえられるであろう』と書かいてある。父ちちから聞きいて学まなんだ者ものは、みなわたしに来くるのである。6:46 神かみから出でた者もののほかに、だれかが父ちちを見みたのではない。その者ものだけが父ちちを見みたのである。6:47 よくよくあなたがたに言いっておく。信しんじる者ものには永遠えいえんの命いのちがある。6:48 わたしは命いのちのパンである。6:49 あなたがたの先祖せんぞは荒野あらのでマナを食たべたが、死しんでしまった。6:50 しかし、天てんから下くだってきたパンを食たべる人ひとは、決けっして死しぬことはない。6:51 わたしは天てんから下くだってきた生いきたパンである。それを食たべる者ものは、いつまでも生いきるであろう。わたしが与あたえるパンは、世よの命いのちのために与あたえるわたしの肉にくである」。 6:52 そこで、ユダヤ人じんらが互たがいに論ろんじて言いった、「この人ひとはどうして、自分じぶんの肉にくをわたしたちに与あたえて食たべさせることができようか」。6:53 イエスは彼かれらに言いわれた、「よくよく言いっておく。人ひとの子この肉にくを食たべず、また、その血ちを飲のまなければ、あなたがたの内うちに命いのちはない。6:54 わたしの肉にくを食たべ、わたしの血ちを飲のむ者ものには、永遠えいえんの命いのちがあり、わたしはその人ひとを終おわりの日ひによみがえらせるであろう。6:55 わたしの肉にくはまことの食物しょくもつ、わたしの血ちはまことの飲のみ物ものである。6:56 わたしの肉にくを食たべ、わたしの血ちを飲のむ者ものはわたしにおり、わたしもまたその人ひとにおる。6:57 生いける父ちちがわたしをつかわされ、また、わたしが父ちちによって生いきているように、わたしを食たべる者ものもわたしによって生いきるであろう。6:58 天てんから下くだってきたパンは、先祖せんぞたちが食たべたが死しんでしまったようなものではない。このパンを食たべる者ものは、いつまでも生いきるであろう」。6:59 これらのことは、イエスがカペナウムの会堂かいどうで教おしえておられたときに言いわれたものである。 6:60 弟子でしたちのうちの多おおくの者ものは、これを聞きいて言いった、「これは、ひどい言葉ことばだ。だれがそんなことを聞きいておられようか」。6:61 しかしイエスは、弟子でしたちがそのことでつぶやいているのを見破みやぶって、彼かれらに言いわれた、「このことがあなたがたのつまずきになるのか。6:62 それでは、もし人ひとの子こが前まえにいた所ところに上のぼるのを見みたら、どうなるのか。6:63 人ひとを生いかすものは霊れいであって、肉にくはなんの役やくにも立たたない。わたしがあなたがたに話はなした言葉ことばは霊れいであり、また命いのちである。6:64 しかし、あなたがたの中なかには信しんじない者ものがいる」。イエスは、初はじめから、だれが信しんじないか、また、だれが彼かれを裏切うらぎるかを知しっておられたのである。6:65 そしてイエスは言いわれた、「それだから、父ちちが与あたえて下くださった者ものでなければ、わたしに来くることはできないと、言いったのである」。 6:66 それ以来いらい、多おおくの弟子でしたちは去さっていって、もはやイエスと行動こうどうを共ともにしなかった。6:67 そこでイエスは十二弟子でしに言いわれた、「あなたがたも去さろうとするのか」。6:68 シモン・ペテロが答こたえた、「主しゅよ、わたしたちは、だれのところに行いきましょう。永遠えいえんの命いのちの言ことばをもっているのはあなたです。6:69 わたしたちは、あなたが神かみの聖者せいじゃであることを信しんじ、また知しっています」。6:70 イエスは彼かれらに答こたえられた、「あなたがた十二人にんを選えらんだのは、わたしではなかったか。それだのに、あなたがたのうちのひとりは悪魔あくまである」。6:71 これは、イスカリオテのシモンの子こユダをさして言いわれたのである。このユダは、十二弟子でしのひとりでありながら、イエスを裏切うらぎろうとしていた。 第7章 7:1 そののち、イエスはガリラヤを巡回じゅんかいしておられた。ユダヤ人じんたちが自分じぶんを殺ころそうとしていたので、ユダヤを巡回じゅんかいしようとはされなかった。7:2 時ときに、ユダヤ人じんの仮庵かりいおの祭まつりが近ちかづいていた。7:3 そこで、イエスの兄弟きょうだいたちがイエスに言いった、「あなたがしておられるわざを弟子でしたちにも見みせるために、ここを去さりユダヤに行いってはいかがです。7:4 自分じぶんを公おおやけけにあらわそうと思おもっている人ひとで、隠かくれて仕事しごとをするものはありません。あなたがこれらのことをするからには、自分じぶんをはっきりと世よにあらわしなさい」。7:5 こう言いったのは、兄弟きょうだいたちもイエスを信しんじていなかったからである。7:6 そこでイエスは彼かれらに言いわれた、「わたしの時ときはまだきていない。しかし、あなたがたの時ときはいつも備そなわっている。7:7 世よはあなたがたを憎にくみ得えないが、わたしを憎にくんでいる。わたしが世よのおこないの悪わるいことを、あかししているからである。7:8 あなたがたこそ祭まつりに行いきなさい。わたしはこの祭まつりには行いかない。わたしの時ときはまだ満みちていないから」。7:9 彼かれらにこう言いって、イエスはガリラヤにとどまっておられた。 7:10 しかし、兄弟きょうだいたちが祭まつりに行いったあとで、イエスも人目ひとめにたたぬように、ひそかに行いかれた。7:11 ユダヤ人じんらは祭まつりの時ときに、「あの人ひとはどこにいるのか」と言いって、イエスを捜さがしていた。7:12 群衆ぐんしゅうの中なかに、イエスについていろいろとうわさが立たった。ある人々ひとびとは、「あれはよい人ひとだ」と言いい、他たの人々ひとびとは、「いや、あれは群衆ぐんしゅうを惑まどわしている」と言いった。7:13 しかし、ユダヤ人じんらを恐おそれて、イエスのことを公然こうぜんと口くちにする者ものはいなかった。 7:14 祭まつりも半なかばになってから、イエスは宮みやに上のぼって教おしえ始はじめられた。7:15 すると、ユダヤ人じんたちは驚おどろいて言いった、「この人ひとは学問がくもんをしたこともないのに、どうして律法りっぽうの知識ちしきをもっているのだろう」。7:16 そこでイエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「わたしの教おしえはわたし自身じしんの教おしえではなく、わたしをつかわされたかたの教おしえである。7:17 神かみのみこころを行おこなおうと思おもう者ものであれば、だれでも、わたしの語かたっているこの教おしえが神かみからのものか、それとも、わたし自身じしんから出でたものか、わかるであろう。7:18 自分じぶんから出でたことを語かたる者ものは、自分じぶんの栄光えいこうを求もとめるが、自分じぶんをつかわされたかたの栄光えいこうを求もとめる者ものは真実しんじつであって、その人ひとの内うちには偽いつわりがない。7:19 モーセはあなたがたに律法りっぽうを与あたえたではないか。それだのに、あなたがたのうちには、その律法りっぽうを行おこなう者ものがひとりもない。あなたがたは、なぜわたしを殺ころそうと思おもっているのか」。7:20 群衆ぐんしゅうは答こたえた、「あなたは悪霊あくれいに取とりつかれている。だれがあなたを殺ころそうと思おもっているものか」。7:21 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「わたしが一つのわざをしたところ、あなたがたは皆みなそれを見みて驚おどろいている。7:22 モーセはあなたがたに割礼かつれいを命めいじたので、(これは、実じつは、モーセから始はじまったのではなく、先祖せんぞたちから始はじまったものである)あなたがたは安息日あんそくにちにも人ひとに割礼かつれいを施ほどこしている。7:23 もし、モーセの律法りっぽうが破やぶられないように、安息日あんそくにちであっても割礼かつれいを受うけるのなら、安息日あんそくにちに人ひとの全身ぜんしんを丈夫じょうぶにしてやったからといって、どうして、そんなにおこるのか。7:24 うわべで人ひとをさばかないで、正ただしいさばきをするがよい」。 7:25 さて、エルサレムのある人ひとたちが言いった、「この人ひとは人々ひとびとが殺ころそうと思おもっている者ものではないか。7:26 見みよ、彼かれは公然こうぜんと語かたっているのに、人々ひとびとはこれに対たいして何なにも言いわない。役人やくにんたちは、この人ひとがキリストであることを、ほんとうに知しっているのではなかろうか。7:27 わたしたちはこの人ひとがどこからきたのか知しっている。しかし、キリストが現あらわれる時ときには、どこから来くるのか知しっている者ものは、ひとりもいない」。7:28 イエスは宮みやの内うちで教おしえながら、叫さけんで言いわれた、「あなたがたは、わたしを知しっており、また、わたしがどこからきたかも知しっている。しかし、わたしは自分じぶんからきたのではない。わたしをつかわされたかたは真実しんじつであるが、あなたがたは、そのかたを知しらない。7:29 わたしは、そのかたを知しっている。わたしはそのかたのもとからきた者もので、そのかたがわたしをつかわされたのである」。7:30 そこで人々ひとびとはイエスを捕とらえようと計はかったが、だれひとり手てをかける者ものはなかった。イエスの時ときが、まだきていなかったからである。7:31 しかし、群衆ぐんしゅうの中なかの多おおくの者ものが、イエスを信しんじて言いった、「キリストがきても、この人ひとが行おこなったよりも多おおくのしるしを行おこなうだろうか」。 7:32 群衆ぐんしゅうがイエスについてこのようなうわさをしているのを、パリサイ人びとたちは耳みみにした。そこで、祭司長さいしちょうたちやパリサイ人びとたちは、イエスを捕とらえようとして、下役したやくどもをつかわした。7:33 イエスは言いわれた、「今いましばらくの間あいだ、わたしはあなたがたと一緒いっしょにいて、それから、わたしをおつかわしになったかたのみもとに行いく。7:34 あなたがたはわたしを捜さがすであろうが、見みつけることはできない。そしてわたしのいる所ところに、あなたがたは来くることができない」。7:35 そこでユダヤ人じんたちは互たがいに言いった、「わたしたちが見みつけることができないというのは、どこへ行いこうとしているのだろう。ギリシヤ人じんの中なかに離散りさんしている人ひとたちのところにでも行いって、ギリシヤ人じんを教おしえようというのだろうか。7:36 また、『わたしを捜さがすが、見みつけることはできない。そしてわたしのいる所ところには来くることができないだろう』と言いったその言葉ことばは、どういう意味いみだろう」。 7:37 祭まつりの終おわりの大事だいじな日ひに、イエスは立たって、叫さけんで言いわれた、「だれでもかわく者ものは、わたしのところにきて飲のむがよい。7:38 わたしを信しんじる者ものは、聖書せいしょに書かいてあるとおり、その腹はらから生いける水みずが川かわとなって流なれ出でるであろう」。7:39 これは、イエスを信しんじる人々ひとびとが受うけようとしている御霊みたまをさして言いわれたのである。すなわち、イエスはまだ栄光えいこうを受うけておられなかったので、御霊みたまがまだ下くだっていなかったのである。7:40 群衆ぐんしゅうのある者ものがこれらの言葉ことばを聞きいて、「このかたは、ほんとうに、あの預言者よげんしゃである」と言いい、7:41 ほかの人ひとたちは「このかたはキリストである」と言いい、また、ある人々ひとびとは、「キリストはまさか、ガリラヤからは出でてこないだろう。7:42 キリストは、ダビデの子孫しそんから、またダビデのいたベツレヘムの村むらから出でると、聖書せいしょに書かいてあるではないか」と言いった。7:43 こうして、群衆ぐんしゅうの間あいだにイエスのことで分争ぶんそうが生しょうじた。7:44 彼かれらのうちのある人々ひとびとは、イエスを捕とらえようと思おもったが、だれひとり手てをかける者ものはなかった。 7:45 さて、下役したやくどもが祭司長さいしちょうたちやパリサイ人びとたちのところに帰かえってきたので、彼かれらはその下役したやくどもに言いった、「なぜ、あの人ひとを連つれてこなかったのか」。7:46 下役したやくどもは答こたえた、「この人ひとの語かたるように語かたった者ものは、これまでにありませんでした」。7:47 パリサイ人びとたちが彼かれらに答こたえた、「あなたがたまでが、だまされているのではないか。7:48 役人やくにんたちやパリサイ人びとたちの中なかで、ひとりでも彼かれを信しんじた者ものがあっただろうか。7:49 律法りっぽうをわきまえないこの群衆ぐんしゅうは、のろわれている」。7:50 彼かれらの中なかのひとりで、以前いぜんにイエスに会あいにきたことのあるニコデモが、彼かれらに言いった、7:51 「わたしたちの律法りっぽうによれば、まずその人ひとの言いい分ぶんを聞きき、その人ひとのしたことを知しった上うえでなければ、さばくことをしないのではないか」。7:52 彼かれらは答こたえて言いった、「あなたもガリラヤ出でなのか。よく調しらべてみなさい、ガリラヤからは預言者よげんしゃが出でるものではないことが、わかるだろう」。 〔7:53 そして、人々ひとびとはおのおの家いえに帰かえって行いった。 第8章 8:1 イエスはオリブ山やまに行いかれた。8:2 朝あさ早はやくまた宮みやにはいられると、人々ひとびとが皆みなみもとに集あつまってきたので、イエスはすわって彼かれらを教おしえておられた。8:3 すると、律法りっぽう学者がくしゃたちやパリサイ人びとたちが、姦淫かんいんをしている時ときにつかまえられた女おんなをひっぱってきて、中なかに立たたせた上うえ、イエスに言いった、8:4 「先生せんせい、この女おんなは姦淫かんいんの場ばでつかまえられました。8:5 モーセは律法りっぽうの中なかで、こういう女おんなを石いしで打うち殺ころせと命めいじましたが、あなたはどう思おもいますか」。8:6 彼かれらがそう言いったのは、イエスをためして、訴うったえる口実こうじつを得えるためであった。しかし、イエスは身みをかがめて、指ゆびで地面じめんに何なにか書かいておられた。8:7 彼かれらが問とい続つづけるので、イエスは身みを起おこして彼かれらに言いわれた、「あなたがたの中なかで罪つみのない者ものが、まずこの女おんなに石いしを投なげつけるがよい」。8:8 そしてまた身みをかがめて、地面じめんに物ものを書かきつづけられた。8:9 これを聞きくと、彼かれらは年寄としよりから始はじめて、ひとりびとり出でて行いき、ついに、イエスだけになり、女おんなは中なかにいたまま残のこされた。8:10 そこでイエスは身みを起おこして女おんなに言いわれた、「女おんなよ、みんなはどこにいるか。あなたを罰ばっする者ものはなかったのか」。8:11 女おんなは言いった、「主しゅよ、だれもございません」。イエスは言いわれた、「わたしもあなたを罰ばっしない。お帰かえりなさい。今後こんごはもう罪つみを犯おかさないように」。〕 8:12 イエスは、また人々ひとびとに語かたってこう言いわれた、「わたしは世よの光ひかりである。わたしに従したがって来くる者ものは、やみのうちを歩あるくことがなく、命いのちの光ひかりをもつであろう」。8:13 するとパリサイ人びとたちがイエスに言いった、「あなたは、自分じぶんのことをあかししている。あなたのあかしは真実しんじつではない」。8:14 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「たとい、わたしが自分じぶんのことをあかししても、わたしのあかしは真実しんじつである。それは、わたしがどこからきたのか、また、どこへ行いくのかを知しっているからである。しかし、あなたがたは、わたしがどこからきて、どこへ行いくのかを知しらない。8:15 あなたがたは肉にくによって人ひとをさばくが、わたしはだれもさばかない。8:16 しかし、もしわたしがさばくとすれば、わたしのさばきは正ただしい。なぜなら、わたしはひとりではなく、わたしをつかわされたかたが、わたしと一緒いっしょだからである。8:17 あなたがたの律法りっぽうには、ふたりによる証言しょうげんは真実しんじつだと、書かいてある。8:18 わたし自身じしんのことをあかしするのは、わたしであるし、わたしをつかわされた父ちちも、わたしのことをあかしして下くださるのである」。8:19 すると、彼かれらはイエスに言いった、「あなたの父ちちはどこにいるのか」。イエスは答こたえられた、「あなたがたは、わたしをもわたしの父ちちをも知しっていない。もし、あなたがたがわたしを知しっていたなら、わたしの父ちちをも知しっていたであろう」。8:20 イエスが宮みやの内うちで教おしえていた時とき、これらの言葉ことばをさいせん箱はこのそばで語かたられたのであるが、イエスの時ときがまだきていなかったので、だれも捕とらえる者ものがなかった。 8:21 さて、また彼かれらに言いわれた、「わたしは去さって行いく。あなたがたはわたしを捜さがし求もとめるであろう。そして自分じぶんの罪つみのうちに死しぬであろう。わたしの行いく所ところには、あなたがたは来くることができない」。8:22 そこでユダヤ人じんたちは言いった、「わたしの行いく所ところに、あなたがたは来くることができないと、言いったのは、あるいは自殺じさつでもしようとするつもりか」。8:23 イエスは彼かれらに言いわれた、「あなたがたは下したから出でた者ものだが、わたしは上うえからきた者ものである。あなたがたはこの世よの者ものであるが、わたしはこの世よの者ものではない。8:24 だからわたしは、あなたがたは自分じぶんの罪つみのうちに死しぬであろうと、言いったのである。もしわたしがそういう者ものであることをあなたがたが信しんじなければ、罪つみのうちに死しぬことになるからである」。8:25 そこで彼かれらはイエスに言いった、「あなたは、いったい、どういうかたですか」。イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしがどういう者ものであるかは、初はじめからあなたがたに言いっているではないか。8:26 あなたがたについて、わたしの言いうべきこと、さばくべきことが、たくさんある。しかし、わたしをつかわされたかたは真実しんじつなかたである。わたしは、そのかたから聞きいたままを世よにむかって語かたるのである」。8:27 彼かれらは、イエスが父ちちについて話はなしておられたことを悟さとらなかった。8:28 そこでイエスは言いわれた、「あなたがたが人ひとの子こを上あげてしまった後のちはじめて、わたしがそういう者ものであること、また、わたしは自分じぶんからは何なにもせず、ただ父ちちが教おしえて下くださったままを話はなしていたことが、わかってくるであろう。8:29 わたしをつかわされたかたは、わたしと一緒いっしょにおられる。わたしは、いつも神かみのみこころにかなうことをしているから、わたしをひとり置おきざりになさることはない」。8:30 これらのことを語かたられたところ、多おおくの人々ひとびとがイエスを信しんじた。 8:31 イエスは自分じぶんを信しんじたユダヤ人じんたちに言いわれた、「もしわたしの言葉ことばのうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子でしなのである。8:32 また真理しんりを知しるであろう。そして真理しんりは、あなたがたに自由じゆうを得えさせるであろう」。8:33 そこで、彼かれらはイエスに言いった、「わたしたちはアブラハムの子孫しそんであって、人ひとの奴隷どれいになったことなどは、一度いちどもない。どうして、あなたがたに自由じゆうを得えさせるであろうと、言いわれるのか」。8:34 イエスは彼かれらに答こたえられた、「よくよくあなたがたに言いっておく。すべて罪つみを犯おかす者ものは罪つみの奴隷どれいである。8:35 そして、奴隷どれいはいつまでも家いえにいる者ものではない。しかし、子こはいつまでもいる。8:36 だから、もし子こがあなたがたに自由じゆうを得えさせるならば、あなたがたは、ほんとうに自由じゆうな者ものとなるのである。8:37 わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫しそんであることを知しっている。それだのに、あなたがたはわたしを殺ころそうとしている。わたしの言葉ことばが、あなたがたのうちに根ねをおろしていないからである。8:38 わたしはわたしの父ちちのもとで見みたことを語かたっているが、あなたがたは自分じぶんの父ちちから聞きいたことを行おこなっている」。8:39 彼かれらはイエスに答こたえて言いった、「わたしたちの父ちちはアブラハムである」。イエスは彼かれらに言いわれた、「もしアブラハムの子こであるなら、アブラハムのわざをするがよい。8:40 ところが今いま、神かみから聞きいた真理しんりをあなたがたに語かたってきたこのわたしを、殺ころそうとしている。そんなことをアブラハムはしなかった。8:41 あなたがたは、あなたがたの父ちちのわざを行おこなっているのである」。彼かれらは言いった、「わたしたちは、不品行ふひんこうの結果けっかうまれた者ものではない。わたしたちにはひとりの父ちちがある。それは神かみである」。8:42 イエスは彼かれらに言いわれた、「神かみがあなたがたの父ちちであるならば、あなたがたはわたしを愛あいするはずである。わたしは神かみから出でた者もの、また神かみからきている者ものであるからだ。わたしは自分じぶんからきたのではなく、神かみからつかわされたのである。8:43 どうしてあなたがたは、わたしの話はなすことがわからないのか。あなたがたが、わたしの言葉ことばを悟さとることができないからである。8:44 あなたがたは自分じぶんの父ちち、すなわち、悪魔あくまから出でてきた者ものであって、その父ちちの欲望よくぼうどおりを行おこなおうと思おもっている。彼かれは初はじめから、人殺ひとごろしであって、真理しんりに立たつ者ものではない。彼かれのうちには真理しんりがないからである。彼かれが偽いつわりを言いうとき、いつも自分じぶんの本音ほんねをはいているのである。彼かれは偽いつわり者ものであり、偽いつわりの父ちちであるからだ。8:45 しかし、わたしが真理しんりを語かたっているので、あなたがたはわたしを信しんじようとしない。8:46 あなたがたのうち、だれがわたしに罪つみがあると責せめうるのか。わたしは真理しんりを語かたっているのに、なぜあなたがたは、わたしを信しんじないのか。8:47 神かみからきた者ものは神かみの言葉ことばに聞きき従したがうが、あなたがたが聞きき従したがわないのは、神かみからきた者ものでないからである」。 8:48 ユダヤ人じんたちはイエスに答こたえて言いった、「あなたはサマリヤ人びとで、悪霊あくれいに取とりつかれていると、わたしたちが言いうのは、当然とうぜんではないか」。8:49 イエスは答こたえられた、「わたしは、悪霊あくれいに取とりつかれているのではなくて、わたしの父ちちを重おもんじているのだが、あなたがたはわたしを軽かろんじている。8:50 わたしは自分じぶんの栄光えいこうを求もとめてはいない。それを求もとめるかたが別べつにある。そのかたは、またさばくかたである。8:51 よくよく言いっておく。もし人ひとがわたしの言葉ことばを守まもるならば、その人ひとはいつまでも死しを見みることがないであろう」。8:52 ユダヤ人じんたちが言いった、「あなたが悪霊あくれいに取とりつかれていることが、今いまわかった。アブラハムは死しに、預言者よげんしゃたちも死しんでいる。それだのに、あなたは、わたしの言葉ことばを守まもる者ものはいつまでも死しを味あじわうことがないであろうと、言いわれる。8:53 あなたは、わたしたちの父ちちアブラハムより偉えらいのだろうか。彼かれも死しに、預言者よげんしゃたちも死しんだではないか。あなたは、いったい、自分じぶんをだれと思おもっているのか」。8:54 イエスは答こたえられた、「わたしがもし自分じぶんに栄光えいこうを帰きするなら、わたしの栄光えいこうは、むなしいものである。わたしに栄光えいこうを与あたえるかたは、わたしの父ちちであって、あなたがたが自分じぶんの神かみだと言いっているのは、そのかたのことである。8:55 あなたがたはその神かみを知しっていないが、わたしは知しっている。もしわたしが神かみを知しらないと言いうならば、あなたがたと同おなじような偽いつわり者ものであろう。しかし、わたしはそのかたを知しり、その御言みことばを守まもっている。8:56 あなたがたの父ちちアブラハムは、わたしのこの日ひを見みようとして楽たのしんでいた。そしてそれを見みて喜よろこんだ」。8:57 そこでユダヤ人じんたちはイエスに言いった、「あなたはまだ五十にもならないのに、アブラハムを見みたのか」。8:58 イエスは彼かれらに言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。アブラハムの生うまれる前まえからわたしは、いるのである」。8:59 そこで彼かれらは石いしをとって、イエスに投なげつけようとした。しかし、イエスは身みを隠かくして、宮みやから出でて行いかれた。 第9章 9:1 イエスが道みちをとおっておられるとき、生うまれつきの盲人もうじんを見みられた。9:2 弟子でしたちはイエスに尋たずねて言いった、「先生せんせい、この人ひとが生うまれつき盲人もうじんなのは、だれが罪つみを犯おかしたためですか。本人ほんにんですか、それともその両親りょうしんですか」。9:3 イエスは答こたえられた、「本人ほんにんが罪つみを犯おかしたのでもなく、また、その両親りょうしんが犯おかしたのでもない。ただ神かみのみわざが、彼かれの上うえに現あらわれるためである。9:4 わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼ひるの間あいだにしなければならない。夜よるが来くる。すると、だれも働はたらけなくなる。9:5 わたしは、この世よにいる間あいだは、世よの光ひかりである」。9:6 イエスはそう言いって、地ちにつばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人もうじんの目めに塗ぬって言いわれた、9:7 「シロアム(つかわされた者もの、の意い)の池いけに行いって洗あらいなさい」。そこで彼かれは行いって洗あらった。そして見みえるようになって、帰かえって行いった。9:8 近所きんじょの人々ひとびとや、彼かれがもと、こじきであったのを見知みしっていた人々ひとびとが言いった、「この人ひとは、すわってこじきをしていた者ものではないか」。9:9 ある人々ひとびとは「その人ひとだ」と言いい、他たの人々ひとびとは「いや、ただあの人ひとに似にているだけだ」と言いった。しかし、本人ほんにんは「わたしがそれだ」と言いった。9:10 そこで人々ひとびとは彼かれに言いった、「では、おまえの目めはどうしてあいたのか」。9:11 彼かれは答こたえた、「イエスというかたが、どろをつくって、わたしの目めに塗ぬり、『シロアムに行いって洗あらえ』と言いわれました。それで、行いって洗あらうと、見みえるようになりました」。9:12 人々ひとびとは彼かれに言いった、「その人ひとはどこにいるのか」。彼かれは「知しりません」と答こたえた。 9:13 人々ひとびとは、もと盲人もうじんであったこの人ひとを、パリサイ人びとたちのところにつれて行いった。9:14 イエスがどろをつくって彼かれの目めをあけたのは、安息日あんそくにちであった。9:15 パリサイ人びとたちもまた、「どうして見みえるようになったのか」、と彼かれに尋たずねた。彼かれは答こたえた、「あのかたがわたしの目めにどろを塗ぬり、わたしがそれを洗あらい、そして見みえるようになりました」。9:16 そこで、あるパリサイ人びとたちが言いった、「その人ひとは神かみからきた人ひとではない。安息日あんそくにちを守まもっていないのだから」。しかし、ほかの人々ひとびとは言いった、「罪つみのある人ひとが、どうしてそのようなしるしを行おこなうことができようか」。そして彼かれらの間あいだに分争ぶんそうが生しょうじた。9:17 そこで彼かれらは、もう一度どこの盲人もうじんに聞きいた、「おまえの目めをあけてくれたその人ひとを、どう思おもうか」。「預言者よげんしゃだと思おもいます」と彼かれは言いった。9:18 ユダヤ人じんたちは、彼かれがもと盲人もうじんであったが見みえるようになったことを、まだ信しんじなかった。ついに彼かれらは、目めが見みえるようになったこの人ひとの両親りょうしんを呼よんで、9:19 尋たずねて言いった、「これが、生うまれつき盲人もうじんであったと、おまえたちの言いっているむすこか。それではどうして、いま目めが見みえるのか」。9:20 両親りょうしんは答こたえて言いった、「これがわたしどものむすこであること、また生うまれつき盲人もうじんであったことは存ぞんじています。9:21 しかし、どうしていま見みえるようになったのか、それは知しりません。また、だれがその目めをあけて下くださったのかも知しりません。あれに聞きいて下ください。あれはもうおとなですから、自分じぶんのことは自分じぶんで話はなせるでしょう」。9:22 両親りょうしんはユダヤ人じんたちを恐おそれていたので、こう答こたえたのである。それは、もしイエスをキリストと告白こくはくする者ものがあれば、会堂かいどうから追おい出だすことに、ユダヤ人じんたちが既すでに決きめていたからである。9:23 彼かれの両親りょうしんが「おとなですから、あれに聞きいて下ください」と言いったのは、そのためであった。 9:24 そこで彼かれらは、盲人もうじんであった人ひとをもう一度いちど呼よんで言いった、「神かみに栄光えいこうを帰きするがよい。あの人ひとが罪人つみびとであることは、わたしたちにはわかっている」。9:25 すると彼かれは言いった、「あのかたが罪人つみびとであるかどうか、わたしは知しりません。ただ一つのことだけ知しっています。わたしは盲めくらであったが、今いまは見みえるということです」。9:26 そこで彼かれらは言いった、「その人ひとはおまえに何なにをしたのか。どんなにしておまえの目めをあけたのか」。9:27 彼かれは答こたえた、「そのことはもう話はなしてあげたのに、聞きいてくれませんでした。なぜまた聞きこうとするのですか。あなたがたも、あの人ひとの弟子でしになりたいのですか」。9:28 そこで彼かれらは彼かれをののしって言いった、「おまえはあれの弟子でしだが、わたしたちはモーセの弟子でしだ。9:29 モーセに神かみが語かたられたということは知しっている。だが、あの人ひとがどこからきた者ものか、わたしたちは知しらぬ」。9:30 そこで彼かれが答こたえて言いった、「わたしの目めをあけて下くださったのに、そのかたがどこからきたか、ご存ぞんじないとは、不思議ふしぎ千万せんばんです。9:31 わたしたちはこのことを知しっています。神かみは罪人つみびとの言いうことはお聞ききいれになりませんが、神かみを敬うやまい、そのみこころを行おこなう人ひとの言いうことは、聞ききいれて下くださいます。9:32 生うまれつき盲めくらであった者ものの目めをあけた人ひとがあるということは、世界せかいが始はじまって以来いらい、聞きいたことがありません。9:33 もしあのかたが神かみからきた人ひとでなかったら、何一なにひとつできなかったはずです」。9:34 これを聞きいて彼かれらは言いった、「おまえは全まったく罪つみの中なかに生うまれていながら、わたしたちを教おしえようとするのか」。そして彼かれを外そとへ追おい出だした。 9:35 イエスは、その人ひとが外そとへ追おい出だされたことを聞きかれた。そして彼かれに会あって言いわれた、「あなたは人ひとの子こを信しんじるか」。9:36 彼かれは答こたえて言いった、「主しゅよ、それはどなたですか。そのかたを信しんじたいのですが」。9:37 イエスは彼かれに言いわれた、「あなたは、もうその人ひとに会あっている。今いまあなたと話はなしているのが、その人ひとである」。9:38 すると彼かれは、「主しゅよ、信しんじます」と言いって、イエスを拝はいした。9:39 そこでイエスは言いわれた、「わたしがこの世よにきたのは、さばくためである。すなわち、見みえない人ひとたちが見みえるようになり、見みえる人ひとたちが見みえないようになるためである」。9:40 そこにイエスと一緒いっしょにいたあるパリサイ人びとたちが、それを聞きいてイエスに言いった、「それでは、わたしたちも盲めくらなのでしょうか」。9:41 イエスは彼かれらに言いわれた、「もしあなたがたが盲人もうじんであったなら、罪つみはなかったであろう。しかし、今いまあなたがたが『見みえる』と言いい張はるところに、あなたがたの罪つみがある。 第10章 10:1 よくよくあなたがたに言いっておく。羊ひつじの囲かこいにはいるのに、門もんからでなく、ほかの所ところからのりこえて来くる者ものは、盗人ぬすびとであり、強盗ごうとうである。10:2 門もんからはいる者ものは、羊ひつじの羊飼ひつじかいである。10:3 門番もんばんは彼かれのために門もんを開ひらき、羊ひつじは彼かれの声こえを聞きく。そして彼かれは自分じぶんの羊ひつじの名なをよんで連つれ出だす。10:4 自分じぶんの羊ひつじをみな出だしてしまうと、彼かれは羊ひつじの先頭せんとうに立たって行いく。羊ひつじはその声こえを知しっているので、彼かれについて行いくのである。10:5 ほかの人ひとには、ついて行いかないで逃にげ去さる。その人ひとの声こえを知しらないからである」。10:6 イエスは彼かれらにこの比喩ひゆを話はなされたが、彼かれらは自分じぶんたちにお話はなしになっているのが何なにのことだか、わからなかった。 10:7 そこで、イエスはまた言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。わたしは羊ひつじの門もんである。10:8 わたしよりも前まえにきた人ひとは、みな盗人ぬすびとであり、強盗ごうとうである。羊ひつじは彼かれらに聞きき従したがわなかった。10:9 わたしは門もんである。わたしをとおってはいる者ものは救すくわれ、また出入でいりし、牧草ぼくそうにありつくであろう。10:10 盗人ぬすびとが来くるのは、盗ぬすんだり、殺ころしたり、滅ほろぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊ひつじに命いのちを得えさせ、豊ゆたかに得えさせるためである。10:11 わたしはよい羊飼ひつじかいである。よい羊飼ひつじかいは、羊ひつじのために命いのちを捨すてる。10:12 羊飼ひつじかいではなく、羊ひつじが自分じぶんのものでもない雇人やといにんは、おおかみが来くるのを見みると、羊ひつじをすてて逃にげ去さる。そして、おおかみは羊ひつじを奪うばい、また追おい散ちらす。10:13 彼かれは雇人やといにんであって、羊ひつじのことを心こころにかけていないからである。10:14 わたしはよい羊飼ひつじかいであって、わたしの羊ひつじを知しり、わたしの羊ひつじはまた、わたしを知しっている。10:15 それはちょうど、父ちちがわたしを知しっておられ、わたしが父ちちを知しっているのと同おなじである。そして、わたしは羊ひつじのために命いのちを捨すてるのである。10:16 わたしにはまた、この囲かこいにいない他たの羊ひつじがある。わたしは彼かれらをも導みちびかねばならない。彼かれらも、わたしの声こえに聞きき従したがうであろう。そして、ついに一つの群むれ、ひとりの羊飼ひつじかいとなるであろう。10:17 父ちちは、わたしが自分じぶんの命いのちを捨すてるから、わたしを愛あいして下くださるのである。命いのちを捨すてるのは、それを再ふたたび得えるためである。10:18 だれかが、わたしからそれを取とり去さるのではない。わたしが、自分じぶんからそれを捨すてるのである。わたしには、それを捨すてる力ちからがあり、またそれを受うける力ちからもある。これはわたしの父ちちから授さずかった定さだめである」。 10:19 これらの言葉ことばを語かたられたため、ユダヤ人じんの間あいだにまたも分争ぶんそうが生しょうじた。10:20 そのうちの多おおくの者ものが言いった、「彼かれは悪霊あくれいに取とりつかれて、気きが狂くるっている。どうして、あなたがたはその言いうことを聞きくのか」。10:21 他たの人々ひとびとは言いった、「それは悪霊あくれいに取とりつかれた者ものの言葉ことばではない。悪霊あくれいは盲人もうじんの目めをあけることができようか」。 10:22 そのころ、エルサレムで宮みやきよめの祭まつりが行おこなわれた。時ときは冬ふゆであった。10:23 イエスは、宮みやの中なかにあるソロモンの廊ろうを歩あるいておられた。10:24 するとユダヤ人じんたちが、イエスを取とり囲かこんで言いった、「いつまでわたしたちを不安ふあんのままにしておくのか。あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言いっていただきたい」。10:25 イエスは彼かれらに答こたえられた、「わたしは話はなしたのだが、あなたがたは信しんじようとしない。わたしの父ちちの名なによってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。10:26 あなたがたが信しんじないのは、わたしの羊ひつじでないからである。10:27 わたしの羊ひつじはわたしの声こえに聞きき従したがう。わたしは彼かれらを知しっており、彼かれらはわたしについて来くる。10:28 わたしは、彼かれらに永遠えいえんの命いのちを与あたえる。だから、彼かれらはいつまでも滅ほろびることがなく、また、彼かれらをわたしの手てから奪うばい去さる者ものはない。10:29 わたしの父ちちがわたしに下くださったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父ちちのみ手てから、それを奪うばい取とることはできない。10:30 わたしと父ちちとは一つである」。10:31 そこでユダヤ人じんたちは、イエスを打うち殺ころそうとして、また石いしを取とりあげた。10:32 するとイエスは彼かれらに答こたえられた、「わたしは、父ちちによる多おおくのよいわざを、あなたがたに示しめした。その中なかのどのわざのために、わたしを石いしで打うち殺ころそうとするのか」。10:33 ユダヤ人じんたちは答こたえた、「あなたを石いしで殺ころそうとするのは、よいわざをしたからではなく、神かみを汚けがしたからである。また、あなたは人間にんげんであるのに、自分じぶんを神かみとしているからである」。10:34 イエスは彼かれらに答こたえられた、「あなたがたの律法りっぽうに、『わたしは言いう、あなたがたは神々かみがみである』と書かいてあるではないか。10:35 神かみの言ことばを託たくされた人々ひとびとが、神々かみがみといわれておるとすれば、(そして聖書せいしょの言ことばは、すたることがあり得えない)10:36 父ちちが聖せい別べつして、世よにつかわされた者ものが、『わたしは神かみの子こである』と言いったからとて、どうして『あなたは神かみを汚けがす者ものだ』と言いうのか。10:37 もしわたしが父ちちのわざを行おこなわないとすれば、わたしを信しんじなくてもよい。10:38 しかし、もし行おこなっているなら、たといわたしを信しんじなくても、わたしのわざを信しんじるがよい。そうすれば、父ちちがわたしにおり、また、わたしが父ちちにおることを知しって悟さとるであろう」。10:39 そこで、彼かれらはまたイエスを捕とらえようとしたが、イエスは彼かれらの手てをのがれて、去さって行いかれた。 10:40 さて、イエスはまたヨルダンの向むこう岸ぎし、すなわち、ヨハネが初はじめにバプテスマを授さづけていた所ところに行いき、そこに滞在たいざいしておられた。10:41 多おおくの人々ひとびとがイエスのところにきて、互たがいに言いった、「ヨハネはなんのしるしも行おこなわなかったが、ヨハネがこのかたについて言いったことは、皆みなほんとうであった」。10:42 そして、そこで多おおくの者ものがイエスを信しんじた。
4:1 イエスが、ヨハネよりも多おおく弟子でしをつくり、またバプテスマを授さづけておられるということを、パリサイ人びとたちが聞きき、それを主しゅが知しられたとき、
4:2 (しかし、イエスみずからが、バプテスマをお授さづけになったのではなく、その弟子でしたちであった)
4:3 ユダヤを去さって、またガリラヤへ行いかれた。
4:4 しかし、イエスはサマリヤを通過つうかしなければならなかった。
4:5 そこで、イエスはサマリヤのスカルという町まちにおいでになった。この町まちは、ヤコブがその子こヨセフに与あたえた土地とちの近ちかくにあったが、
4:6 そこにヤコブの井戸いどがあった。イエスは旅たびの疲つかれを覚おぼえて、そのまま、この井戸いどのそばにすわっておられた。時ときは昼ひるの十二時じごろであった。
4:7 ひとりのサマリヤの女おんなが水みずをくみにきたので、イエスはこの女おんなに、「水みずを飲のませて下ください」と言いわれた。
4:8 弟子でしたちは食物しょくもつを買かいに町まちに行いっていたのである。
4:9 すると、サマリヤの女おんなはイエスに言いった、「あなたはユダヤ人じんでありながら、どうしてサマリヤの女おんなのわたしに、飲のませてくれとおっしゃるのですか」。これは、ユダヤ人じんはサマリヤ人びとと交際こうさいしていなかったからである。
4:10 イエスは答こたえて言いわれた、「もしあなたが神かみの賜物たまもののことを知しり、また、『水みずを飲のませてくれ』と言いった者ものが、だれであるか知しっていたならば、あなたの方ほうから願ねがい出でて、その人ひとから生いける水みずをもらったことであろう」。
4:11 女おんなはイエスに言いった、「主しゅよ、あなたは、くむ物ものをお持もちにならず、その上うえ、井戸いどは深ふかいのです。その生いける水みずを、どこから手てに入いれるのですか。
4:12 あなたは、この井戸いどを下くださったわたしたちの父ちちヤコブよりも、偉えらいかたなのですか。ヤコブ自身じしんも飲のみ、その子こらも、その家畜かちくも、この井戸いどから飲のんだのですが」。
4:13 イエスは女おんなに答こたえて言いわれた、「この水みずを飲のむ者ものはだれでも、またかわくであろう。
4:14 しかし、わたしが与あたえる水みずを飲のむ者ものは、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与あたえる水みずは、その人ひとのうちで泉いずみとなり、永遠えいえんの命いのちに至いたる水みずが、わきあがるであろう」。
4:15 女おんなはイエスに言いった、「主しゅよ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水みずをわたしに下ください」。
4:16 イエスは女おんなに言いわれた、「あなたの夫おっとを呼よびに行いって、ここに連つれてきなさい」。
4:17 女おんなは答こたえて言いった、「わたしには夫おっとはありません」。イエスは女おんなに言いわれた、「夫おっとがないと言いったのは、もっともだ。
4:18 あなたには五人にんの夫おっとがあったが、今いまのはあなたの夫おっとではない。あなたの言葉ことばのとおりである」。
4:19 女おんなはイエスに言いった、「主しゅよ、わたしはあなたを預言者よげんしゃと見みます。
4:20 わたしたちの先祖せんぞは、この山やまで礼拝れいはいをしたのですが、あなたがたは礼拝れいはいすべき場所ばしょは、エルサレムにあると言いっています」。
4:21 イエスは女おんなに言いわれた、「女おんなよ、わたしの言いうことを信しんじなさい。あなたがたが、この山やまでも、またエルサレムでもない所ところで、父ちちを礼拝れいはいする時ときが来くる。
4:22 あなたがたは自分じぶんの知しらないものを拝おがんでいるが、わたしたちは知しっているかたを礼拝れいはいしている。救すくいはユダヤ人じんから来くるからである。
4:23 しかし、まことの礼拝れいはいをする者ものたちが、霊れいとまこととをもって父ちちを礼拝れいはいする時ときが来くる。そうだ、今いまきている。父ちちは、このような礼拝れいはいをする者ものたちを求もとめておられるからである。
4:24 神かみは霊れいであるから、礼拝れいはいをする者ものも、霊れいとまこととをもって礼拝れいはいすべきである」。
4:25 女おんなはイエスに言いった、「わたしは、キリストと呼よばれるメシヤがこられることを知しっています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを知しらせて下くださるでしょう」。
4:26 イエスは女おんなに言いわれた、「あなたと話はなしをしているこのわたしが、それである」。
4:27 そのとき、弟子でしたちが帰かえって来きて、イエスがひとりの女おんなと話はなしておられるのを見みて不思議ふしぎに思おもったが、しかし、「何なにを求もとめておられますか」とも、「何なにを彼女かのじょと話はなしておられるのですか」とも、尋たずねる者ものはひとりもなかった。
4:28 この女おんなは水みずがめをそのままそこに置おいて町まちに行いき、人々ひとびとに言いった、
4:29 「わたしのしたことを何なにもかも、言いいあてた人ひとがいます。さあ、見みにきてごらんなさい。もしかしたら、この人ひとがキリストかも知しれません」。
4:30 人々ひとびとは町まちを出でて、ぞくぞくとイエスのところへ行いった。
4:31 その間あいだに弟子でしたちはイエスに、「先生せんせい、召めしあがってください」とすすめた。
4:32 ところが、イエスは言いわれた、「わたしには、あなたがたの知しらない食物しょくもつがある」。
4:33 そこで、弟子でしたちが互たがいに言いった、「だれかが、何なにか食たべるものを持もってきてさしあげたのであろうか」。
4:34 イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしの食物しょくもつというのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行おこない、そのみわざをなし遂とげることである。
4:35 あなたがたは、刈入かりいれ時ときが来くるまでには、まだ四か月げつあると、言いっているではないか。しかし、わたしはあなたがたに言いう。目めをあげて畑はたけを見みなさい。はや色いろづいて刈入かりいれを待まっている。
4:36 刈かる者ものは報酬ほうしゅうを受うけて、永遠えいえんの命いのちに至いたる実みを集あつめている。まく者ものも刈かる者ものも、共々ともどもに喜よろこぶためである。
4:37 そこで、『ひとりがまき、ひとりが刈かる』ということわざが、ほんとうのこととなる。
4:38 わたしは、あなたがたをつかわして、あなたがたがそのために労苦ろうくしなかったものを刈かりとらせた。ほかの人々ひとびとが労苦ろうくし、あなたがたは、彼かれらの労苦ろうくの実みにあずかっているのである」。
4:39 さて、この町まちからきた多おおくのサマリヤ人ひとは、「この人ひとは、わたしのしたことを何なにもかも言いいあてた」とあかしした女おんなの言葉ことばによって、イエスを信しんじた。
4:40 そこで、サマリヤ人ひとたちはイエスのもとにきて、自分じぶんたちのところに滞在たいざいしていただきたいと願ねがったので、イエスはそこにふつか滞在たいざいされた。
4:41 そしてなお多おおくの人々ひとびとが、イエスの言葉ことばを聞きいて信しんじた。
4:42 彼かれらは女おんなに言いった、「わたしたちが信しんじるのは、もうあなたが話はなしてくれたからではない。自分じぶん自身じしんで親したしく聞きいて、この人ひとこそまことに世よの救主すくいぬしであることが、わかったからである」。
4:43 ふつかの後のちに、イエスはここを去さってガリラヤへ行いかれた。
4:44 イエスはみずからはっきり、「預言者よげんしゃは自分じぶんの故郷こきょうでは敬うやまわれないものだ」と言いわれたのである。
4:45 ガリラヤに着つかれると、ガリラヤの人ひとたちはイエスを歓迎かんげいした。それは、彼かれらも祭まつりに行いっていたので、その祭まつりの時とき、イエスがエルサレムでなされたことをことごとく見みていたからである。
4:46 イエスは、またガリラヤのカナに行いかれた。そこは、かつて水みずをぶどう酒しゅにかえられた所ところである。ところが、病気びょうきをしているむすこを持もつある役人やくにんがカペナウムにいた。
4:47 この人ひとが、ユダヤからガリラヤにイエスのきておられることを聞きき、みもとにきて、カペナウムに下くだって、彼かれの子こをなおしていただきたいと、願ねがった。その子こが死しにかかっていたからである。
4:48 そこで、イエスは彼かれに言いわれた、「あなたがたは、しるしと奇跡きせきとを見みない限かぎり、決けっして信しんじないだろう」。
4:49 この役人やくにんはイエスに言いった、「主しゅよ、どうぞ、子供こどもが死しなないうちにきて下ください」。
4:50 イエスは彼かれに言いわれた、「お帰かえりなさい。あなたのむすこは助たすかるのだ」。彼かれは自分じぶんに言いわれたイエスの言葉ことばを信しんじて帰かえって行いった。
4:51 その下くだって行いく途中とちゅう、僕しもべたちが彼かれに出会であい、その子こが助たすかったことを告つげた。
4:52 そこで、彼かれは僕しもべたちに、そのなおりはじめた時刻じこくを尋たずねてみたら、「きのうの午後ごご一時じに熱ねつが引ひきました」と答こたえた。
4:53 それは、イエスが「あなたのむすこは助たすかるのだ」と言いわれたのと同おなじ時刻じこくであったことを、この父ちちは知しって、彼かれ自身じしんもその家族かぞく一同いちどうも信しんじた。
4:54 これは、イエスがユダヤからガリラヤにきてなされた第だい二のしるしである。
第5章 5:1 こののち、ユダヤ人じんの祭まつりがあったので、イエスはエルサレムに上のぼられた。 5:2 エルサレムにある羊ひつじの門もんのそばに、ヘブル語ごでベテスダと呼よばれる池いけがあった。そこには五つの廊ろうがあった。5:3 その廊ろうの中なかには、病人びょうにん、盲人もうじん、足あしなえ、やせ衰おとろえた者ものなどが、大おおぜいからだを横よこたえていた。〔彼かれらは水みずの動うごくのを待まっていたのである。5:4 それは、時々ときどき、主しゅの御使みつかいがこの池いけに降おりてきて水みずを動うごかすことがあるが、水みずが動うごいた時ときまっ先さきにはいる者ものは、どんな病気びょうきにかかっていても、いやされたからである。〕5:5 さて、そこに三十八年ねんのあいだ、病気びょうきに悩なやんでいる人ひとがあった。5:6 イエスはその人ひとが横よこになっているのを見み、また長ながい間あいだわずらっていたのを知しって、その人ひとに「なおりたいのか」と言いわれた。5:7 この病人びょうにんはイエスに答こたえた、「主しゅよ、水みずが動うごく時ときに、わたしを池いけの中なかに入いれてくれる人ひとがいません。わたしがはいりかけると、ほかの人ひとが先さきに降おりて行いくのです」。5:8 イエスは彼かれに言いわれた、「起おきて、あなたの床とこを取とりあげ、そして歩あるきなさい」。5:9 すると、この人ひとはすぐにいやされ、床とこをとりあげて歩あるいて行いった。 その日ひは安息日あんそくにちであった。5:10 そこでユダヤ人じんたちは、そのいやされた人ひとに言いった、「きょうは安息日あんそくにちだ。床とこを取とりあげるのは、よろしくない」。5:11 彼かれは答こたえた、「わたしをなおして下くださったかたが、床とこを取とりあげて歩あるけと、わたしに言いわれました」。5:12 彼かれらは尋たずねた、「取とりあげて歩あるけと言いった人ひとは、だれか」。5:13 しかし、このいやされた人ひとは、それがだれであるか知しらなかった。群衆ぐんしゅうがその場ばにいたので、イエスはそっと出でて行いかれたからである。5:14 そののち、イエスは宮みやでその人ひとに出会であったので、彼かれに言いわれた、「ごらん、あなたはよくなった。もう罪つみを犯おかしてはいけない。何なにかもっと悪わるいことが、あなたの身みに起おこるかも知しれないから」。5:15 彼かれは出でて行いって、自分じぶんをいやしたのはイエスであったと、ユダヤ人じんたちに告つげた。5:16 そのためユダヤ人じんたちは、安息日あんそくにちにこのようなことをしたと言いって、イエスを責せめた。5:17 そこで、イエスは彼かれらに答こたえられた、「わたしの父ちちは今いまに至いたるまで働はたらいておられる。わたしも働はたらくのである」。5:18 このためにユダヤ人じんたちは、ますますイエスを殺ころそうと計はかるようになった。それは、イエスが安息日あんそくにちを破やぶられたばかりではなく、神かみを自分じぶんの父ちちと呼よんで、自分じぶんを神かみと等ひとしいものとされたからである。 5:19 さて、イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。子こは父ちちのなさることを見みてする以外いがいに、自分じぶんからは何事なにごともすることができない。父ちちのなさることであればすべて、子こもそのとおりにするのである。5:20 なぜなら、父ちちは子こを愛あいして、みずからなさることは、すべて子こにお示しめしになるからである。そして、それよりもなお大おおきなわざを、お示しめしになるであろう。あなたがたが、それによって不思議ふしぎに思おもうためである。5:21 すなわち、父ちちが死人しにんを起おこして命いのちをお与あたえになるように、子こもまた、そのこころにかなう人々ひとびとに命いのちを与あたえるであろう。5:22 父ちちはだれをもさばかない。さばきのことはすべて、子こにゆだねられたからである。5:23 それは、すべての人ひとが父ちちを敬うやまうと同様どうように、子こを敬うやまうためである。子こを敬うやまわない者ものは、子こをつかわされた父ちちをも敬うやまわない。5:24 よくよくあなたがたに言いっておく。わたしの言葉ことばを聞きいて、わたしをつかわされたかたを信しんじる者ものは、永遠えいえんの命いのちを受うけ、またさばかれることがなく、死しから命いのちに移うつっているのである。5:25 よくよくあなたがたに言いっておく。死しんだ人ひとたちが、神かみの子この声こえを聞きく時ときが来くる。今いますでにきている。そして聞きく人ひとは生いきるであろう。5:26 それは、父ちちがご自分じぶんのうちに生命せいめいをお持もちになっていると同様どうように、子こにもまた、自分じぶんのうちに生命せいめいを持もつことをお許ゆるしになったからである。5:27 そして子こは人ひとの子こであるから、子こにさばきを行おこなう権威けんいをお与あたえになった。5:28 このことを驚おどろくには及およばない。墓はかの中なかにいる者ものたちがみな神かみの子この声こえを聞きき、5:29 善ぜんをおこなった人々ひとびとは、生命せいめいを受うけるためによみがえり、悪あくをおこなった人々ひとびとは、さばきを受うけるためによみがえって、それぞれ出でてくる時ときが来くるであろう。 5:30 わたしは、自分じぶんからは何事なにごともすることができない。ただ聞きくままにさばくのである。そして、わたしのこのさばきは正ただしい。それは、わたし自身じしんの考かんがえでするのではなく、わたしをつかわされたかたの、み旨むねを求もとめているからである。5:31 もし、わたしが自分じぶん自身じしんについてあかしをするならば、わたしのあかしはほんとうではない。5:32 わたしについてあかしをするかたはほかにあり、そして、その人ひとがするあかしがほんとうであることを、わたしは知しっている。5:33 あなたがたはヨハネのもとへ人ひとをつかわしたが、そのとき彼かれは真理しんりについてあかしをした。5:34 わたしは人ひとからあかしを受うけないが、このことを言いうのは、あなたがたが救すくわれるためである。5:35 ヨハネは燃もえて輝かがやくあかりであった。あなたがたは、しばらくの間あいだその光ひかりを喜よろこび楽たのしもうとした。5:36 しかし、わたしには、ヨハネのあかしよりも、もっと力ちからあるあかしがある。父ちちがわたしに成就じょうじゅさせようとしてお与あたえになったわざ、すなわち、今いまわたしがしているこのわざが、父ちちのわたしをつかわされたことをあかししている。5:37 また、わたしをつかわされた父ちちも、ご自分じぶんでわたしについてあかしをされた。あなたがたは、まだそのみ声こえを聞きいたこともなく、そのみ姿すがたを見みたこともない。5:38 また、神かみがつかわされた者ものを信しんじないから、神かみの御言みことばはあなたがたのうちにとどまっていない。5:39 あなたがたは、聖書せいしょの中なかに永遠えいえんの命いのちがあると思おもって調しらべているが、この聖書せいしょは、わたしについてあかしをするものである。5:40 しかも、あなたがたは、命いのちを得えるためにわたしのもとにこようともしない。5:41 わたしは人ひとからの誉ほまれを受うけることはしない。5:42 しかし、あなたがたのうちには神かみを愛あいする愛あいがないことを知しっている。5:43 わたしは父ちちの名なによってきたのに、あなたがたはわたしを受うけいれない。もし、ほかの人ひとが彼かれ自身じしんの名なによって来くるならば、その人ひとを受うけいれるのであろう。5:44 互たがいに誉ほまれを受うけながら、ただひとりの神かみからの誉ほまれを求もとめようとしないあなたがたは、どうして信しんじることができようか。5:45 わたしがあなたがたのことを父ちちに訴うったえると、考かんがえてはいけない。あなたがたを訴うったえる者ものは、あなたがたが頼たのみとしているモーセその人ひとである。5:46 もし、あなたがたがモーセを信しんじたならば、わたしをも信しんじたであろう。モーセは、わたしについて書かいたのである。5:47 しかし、モーセの書かいたものを信しんじないならば、どうしてわたしの言葉ことばを信しんじるだろうか」。 第6章 6:1 そののち、イエスはガリラヤの海うみ、すなわち、テベリヤ湖みずうみの向むこう岸ぎしへ渡わたられた。6:2 すると、大おおぜいの群衆ぐんしゅうがイエスについてきた。病人びょうにんたちになさっていたしるしを見みたからである。6:3 イエスは山やまに登のぼって、弟子でしたちと一緒いっしょにそこで座ざにつかれた。6:4 時ときに、ユダヤ人じんの祭まつりである過越すぎこしが間近まぢかになっていた。6:5 イエスは目めをあげ、大おおぜいの群衆ぐんしゅうが自分じぶんの方ほうに集あつまって来くるのを見みて、ピリポに言いわれた、「どこからパンを買かってきて、この人々ひとびとに食たべさせようか」。6:6 これはピリポをためそうとして言いわれたのであって、ご自分じぶんではしようとすることを、よくご承知しょうちであった。6:7 すると、ピリポはイエスに答こたえた、「二百デナリのパンがあっても、めいめいが少すこしずついただくにも足たりますまい」。6:8 弟子でしのひとり、シモン・ペテロの兄弟きょうだいアンデレがイエスに言いった、6:9 「ここに、大麦おおむぎのパン五つと、さかな二ひきとを持もっている子供こどもがいます。しかし、こんなに大おおぜいの人ひとでは、それが何なにになりましょう」。6:10 イエスは「人々ひとびとをすわらせなさい」と言いわれた。その場所ばしょには草くさが多おおかった。そこにすわった男おとこの数かずは五千人にんほどであった。6:11 そこで、イエスはパンを取とり、感謝かんしゃしてから、すわっている人々ひとびとに分わけ与あたえ、また、さかなをも同様どうようにして、彼かれらの望のぞむだけ分わけ与あたえられた。6:12 人々ひとびとがじゅうぶんに食たべたのち、イエスは弟子でしたちに言いわれた、「少すこしでもむだにならないように、パンくずのあまりを集あつめなさい」。6:13 そこで彼かれらが集あつめると、五つの大麦おおむぎのパンを食たべて残のこったパンくずは、十二のかごにいっぱいになった。6:14 人々ひとびとはイエスのなさったこのしるしを見みて、「ほんとうに、この人ひとこそ世よにきたるべき預言者よげんしゃである」と言いった。 6:15 イエスは人々ひとびとがきて、自分じぶんをとらえて王おうにしようとしていると知しって、ただひとり、また山やまに退しりぞかれた。 6:16 夕方ゆうがたになったとき、弟子でしたちは海うみべに下くだり、6:17 舟ふねに乗のって海うみを渡わたり、向むこう岸ぎしのカペナウムに行いきかけた。すでに暗くらくなっていたのに、イエスはまだ彼かれらのところにおいでにならなかった。6:18 その上うえ、強つよい風かぜが吹ふいてきて、海うみは荒あれ出だした。6:19 四、五十丁ちょうこぎ出だしたとき、イエスが海うみの上うえを歩あるいて舟ふねに近ちかづいてこられるのを見みて、彼かれらは恐おそれた。6:20 すると、イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしだ、恐おそれることはない」。6:21 そこで、彼かれらは喜よろこんでイエスを舟ふねに迎むかえようとした。すると舟ふねは、すぐ、彼かれらが行いこうとしていた地ちに着ついた。 6:22 その翌日よくじつ、海うみの向むこう岸ぎしに立たっていた群衆ぐんしゅうは、そこに小舟こぶねが一そうしかなく、またイエスは弟子でしたちと一緒いっしょに小舟こぶねにお乗のりにならず、ただ弟子でしたちだけが船出ふなでしたのを見みた。6:23 しかし、数すうそうの小舟こぶねがテベリヤからきて、主しゅが感謝かんしゃされたのちパンを人々ひとびとに食たべさせた場所ばしょに近ちかづいた。6:24 群衆ぐんしゅうは、イエスも弟子でしたちもそこにいないと知しって、それらの小舟こぶねに乗のり、イエスをたずねてカペナウムに行いった。6:25 そして、海うみの向むこう岸ぎしでイエスに出会であったので言いった、「先生せんせい、いつ、ここにおいでになったのですか」。6:26 イエスは答こたえて言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。あなたがたがわたしを尋たずねてきているのは、しるしを見みたためではなく、パンを食たべて満腹まんぷくしたからである。6:27 朽くちる食物しょくもつのためではなく、永遠えいえんの命いのちに至いたる朽くちない食物しょくもつのために働はたらくがよい。これは人ひとの子こがあなたがたに与あたえるものである。父ちちなる神かみは、人ひとの子こにそれをゆだねられたのである」。6:28 そこで、彼かれらはイエスに言いった、「神かみのわざを行おこなうために、わたしたちは何なにをしたらよいでしょうか」。6:29 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「神かみがつかわされた者ものを信しんじることが、神かみのわざである」。6:30 彼かれらはイエスに言いった、「わたしたちが見みてあなたを信しんじるために、どんなしるしを行おこなって下くださいますか。どんなことをして下くださいますか。6:31 わたしたちの先祖せんぞは荒野あらのでマナを食たべました。それは『天てんよりのパンを彼かれらに与あたえて食たべさせた』と書かいてあるとおりです」。6:32 そこでイエスは彼かれらに言いわれた、「よくよく言いっておく。天てんからのパンをあなたがたに与あたえたのは、モーセではない。天てんからのまことのパンをあなたがたに与あたえるのは、わたしの父ちちなのである。6:33 神かみのパンは、天てんから下くだってきて、この世よに命いのちを与あたえるものである」。6:34 彼かれらはイエスに言いった、「主しゅよ、そのパンをいつもわたしたちに下ください」。6:35 イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしが命いのちのパンである。わたしに来くる者ものは決けっして飢うえることがなく、わたしを信しんじる者ものは決けっしてかわくことがない。6:36 しかし、あなたがたに言いったが、あなたがたはわたしを見みたのに信しんじようとはしない。6:37 父ちちがわたしに与あたえて下くださる者ものは皆みな、わたしに来くるであろう。そして、わたしに来くる者ものを決けっして拒こばみはしない。6:38 わたしが天てんから下くだってきたのは、自分じぶんのこころのままを行おこなうためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行おこなうためである。6:39 わたしをつかわされたかたのみこころは、わたしに与あたえて下くださった者ものを、わたしがひとりも失うしなわずに、終おわりの日ひによみがえらせることである。6:40 わたしの父ちちのみこころは、子こを見みて信しんじる者ものが、ことごとく永遠えいえんの命いのちを得えることなのである。そして、わたしはその人々ひとびとを終おわりの日ひによみがえらせるであろう」。 6:41 ユダヤ人じんらは、イエスが「わたしは天てんから下くだってきたパンである」と言いわれたので、イエスについてつぶやき始はじめた。6:42 そして言いった、「これはヨセフの子こイエスではないか。わたしたちはその父母ふぼを知しっているではないか。わたしは天てんから下くだってきたと、どうして今いまいうのか」。6:43 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「互たがいにつぶやいてはいけない。6:44 わたしをつかわされた父ちちが引ひきよせて下くださらなければ、だれもわたしに来くることはできない。わたしは、その人々ひとびとを終おわりの日ひによみがえらせるであろう。6:45 預言者よげんしゃの書しょに、『彼かれらはみな神かみに教おしえられるであろう』と書かいてある。父ちちから聞きいて学まなんだ者ものは、みなわたしに来くるのである。6:46 神かみから出でた者もののほかに、だれかが父ちちを見みたのではない。その者ものだけが父ちちを見みたのである。6:47 よくよくあなたがたに言いっておく。信しんじる者ものには永遠えいえんの命いのちがある。6:48 わたしは命いのちのパンである。6:49 あなたがたの先祖せんぞは荒野あらのでマナを食たべたが、死しんでしまった。6:50 しかし、天てんから下くだってきたパンを食たべる人ひとは、決けっして死しぬことはない。6:51 わたしは天てんから下くだってきた生いきたパンである。それを食たべる者ものは、いつまでも生いきるであろう。わたしが与あたえるパンは、世よの命いのちのために与あたえるわたしの肉にくである」。 6:52 そこで、ユダヤ人じんらが互たがいに論ろんじて言いった、「この人ひとはどうして、自分じぶんの肉にくをわたしたちに与あたえて食たべさせることができようか」。6:53 イエスは彼かれらに言いわれた、「よくよく言いっておく。人ひとの子この肉にくを食たべず、また、その血ちを飲のまなければ、あなたがたの内うちに命いのちはない。6:54 わたしの肉にくを食たべ、わたしの血ちを飲のむ者ものには、永遠えいえんの命いのちがあり、わたしはその人ひとを終おわりの日ひによみがえらせるであろう。6:55 わたしの肉にくはまことの食物しょくもつ、わたしの血ちはまことの飲のみ物ものである。6:56 わたしの肉にくを食たべ、わたしの血ちを飲のむ者ものはわたしにおり、わたしもまたその人ひとにおる。6:57 生いける父ちちがわたしをつかわされ、また、わたしが父ちちによって生いきているように、わたしを食たべる者ものもわたしによって生いきるであろう。6:58 天てんから下くだってきたパンは、先祖せんぞたちが食たべたが死しんでしまったようなものではない。このパンを食たべる者ものは、いつまでも生いきるであろう」。6:59 これらのことは、イエスがカペナウムの会堂かいどうで教おしえておられたときに言いわれたものである。 6:60 弟子でしたちのうちの多おおくの者ものは、これを聞きいて言いった、「これは、ひどい言葉ことばだ。だれがそんなことを聞きいておられようか」。6:61 しかしイエスは、弟子でしたちがそのことでつぶやいているのを見破みやぶって、彼かれらに言いわれた、「このことがあなたがたのつまずきになるのか。6:62 それでは、もし人ひとの子こが前まえにいた所ところに上のぼるのを見みたら、どうなるのか。6:63 人ひとを生いかすものは霊れいであって、肉にくはなんの役やくにも立たたない。わたしがあなたがたに話はなした言葉ことばは霊れいであり、また命いのちである。6:64 しかし、あなたがたの中なかには信しんじない者ものがいる」。イエスは、初はじめから、だれが信しんじないか、また、だれが彼かれを裏切うらぎるかを知しっておられたのである。6:65 そしてイエスは言いわれた、「それだから、父ちちが与あたえて下くださった者ものでなければ、わたしに来くることはできないと、言いったのである」。 6:66 それ以来いらい、多おおくの弟子でしたちは去さっていって、もはやイエスと行動こうどうを共ともにしなかった。6:67 そこでイエスは十二弟子でしに言いわれた、「あなたがたも去さろうとするのか」。6:68 シモン・ペテロが答こたえた、「主しゅよ、わたしたちは、だれのところに行いきましょう。永遠えいえんの命いのちの言ことばをもっているのはあなたです。6:69 わたしたちは、あなたが神かみの聖者せいじゃであることを信しんじ、また知しっています」。6:70 イエスは彼かれらに答こたえられた、「あなたがた十二人にんを選えらんだのは、わたしではなかったか。それだのに、あなたがたのうちのひとりは悪魔あくまである」。6:71 これは、イスカリオテのシモンの子こユダをさして言いわれたのである。このユダは、十二弟子でしのひとりでありながら、イエスを裏切うらぎろうとしていた。 第7章 7:1 そののち、イエスはガリラヤを巡回じゅんかいしておられた。ユダヤ人じんたちが自分じぶんを殺ころそうとしていたので、ユダヤを巡回じゅんかいしようとはされなかった。7:2 時ときに、ユダヤ人じんの仮庵かりいおの祭まつりが近ちかづいていた。7:3 そこで、イエスの兄弟きょうだいたちがイエスに言いった、「あなたがしておられるわざを弟子でしたちにも見みせるために、ここを去さりユダヤに行いってはいかがです。7:4 自分じぶんを公おおやけけにあらわそうと思おもっている人ひとで、隠かくれて仕事しごとをするものはありません。あなたがこれらのことをするからには、自分じぶんをはっきりと世よにあらわしなさい」。7:5 こう言いったのは、兄弟きょうだいたちもイエスを信しんじていなかったからである。7:6 そこでイエスは彼かれらに言いわれた、「わたしの時ときはまだきていない。しかし、あなたがたの時ときはいつも備そなわっている。7:7 世よはあなたがたを憎にくみ得えないが、わたしを憎にくんでいる。わたしが世よのおこないの悪わるいことを、あかししているからである。7:8 あなたがたこそ祭まつりに行いきなさい。わたしはこの祭まつりには行いかない。わたしの時ときはまだ満みちていないから」。7:9 彼かれらにこう言いって、イエスはガリラヤにとどまっておられた。 7:10 しかし、兄弟きょうだいたちが祭まつりに行いったあとで、イエスも人目ひとめにたたぬように、ひそかに行いかれた。7:11 ユダヤ人じんらは祭まつりの時ときに、「あの人ひとはどこにいるのか」と言いって、イエスを捜さがしていた。7:12 群衆ぐんしゅうの中なかに、イエスについていろいろとうわさが立たった。ある人々ひとびとは、「あれはよい人ひとだ」と言いい、他たの人々ひとびとは、「いや、あれは群衆ぐんしゅうを惑まどわしている」と言いった。7:13 しかし、ユダヤ人じんらを恐おそれて、イエスのことを公然こうぜんと口くちにする者ものはいなかった。 7:14 祭まつりも半なかばになってから、イエスは宮みやに上のぼって教おしえ始はじめられた。7:15 すると、ユダヤ人じんたちは驚おどろいて言いった、「この人ひとは学問がくもんをしたこともないのに、どうして律法りっぽうの知識ちしきをもっているのだろう」。7:16 そこでイエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「わたしの教おしえはわたし自身じしんの教おしえではなく、わたしをつかわされたかたの教おしえである。7:17 神かみのみこころを行おこなおうと思おもう者ものであれば、だれでも、わたしの語かたっているこの教おしえが神かみからのものか、それとも、わたし自身じしんから出でたものか、わかるであろう。7:18 自分じぶんから出でたことを語かたる者ものは、自分じぶんの栄光えいこうを求もとめるが、自分じぶんをつかわされたかたの栄光えいこうを求もとめる者ものは真実しんじつであって、その人ひとの内うちには偽いつわりがない。7:19 モーセはあなたがたに律法りっぽうを与あたえたではないか。それだのに、あなたがたのうちには、その律法りっぽうを行おこなう者ものがひとりもない。あなたがたは、なぜわたしを殺ころそうと思おもっているのか」。7:20 群衆ぐんしゅうは答こたえた、「あなたは悪霊あくれいに取とりつかれている。だれがあなたを殺ころそうと思おもっているものか」。7:21 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「わたしが一つのわざをしたところ、あなたがたは皆みなそれを見みて驚おどろいている。7:22 モーセはあなたがたに割礼かつれいを命めいじたので、(これは、実じつは、モーセから始はじまったのではなく、先祖せんぞたちから始はじまったものである)あなたがたは安息日あんそくにちにも人ひとに割礼かつれいを施ほどこしている。7:23 もし、モーセの律法りっぽうが破やぶられないように、安息日あんそくにちであっても割礼かつれいを受うけるのなら、安息日あんそくにちに人ひとの全身ぜんしんを丈夫じょうぶにしてやったからといって、どうして、そんなにおこるのか。7:24 うわべで人ひとをさばかないで、正ただしいさばきをするがよい」。 7:25 さて、エルサレムのある人ひとたちが言いった、「この人ひとは人々ひとびとが殺ころそうと思おもっている者ものではないか。7:26 見みよ、彼かれは公然こうぜんと語かたっているのに、人々ひとびとはこれに対たいして何なにも言いわない。役人やくにんたちは、この人ひとがキリストであることを、ほんとうに知しっているのではなかろうか。7:27 わたしたちはこの人ひとがどこからきたのか知しっている。しかし、キリストが現あらわれる時ときには、どこから来くるのか知しっている者ものは、ひとりもいない」。7:28 イエスは宮みやの内うちで教おしえながら、叫さけんで言いわれた、「あなたがたは、わたしを知しっており、また、わたしがどこからきたかも知しっている。しかし、わたしは自分じぶんからきたのではない。わたしをつかわされたかたは真実しんじつであるが、あなたがたは、そのかたを知しらない。7:29 わたしは、そのかたを知しっている。わたしはそのかたのもとからきた者もので、そのかたがわたしをつかわされたのである」。7:30 そこで人々ひとびとはイエスを捕とらえようと計はかったが、だれひとり手てをかける者ものはなかった。イエスの時ときが、まだきていなかったからである。7:31 しかし、群衆ぐんしゅうの中なかの多おおくの者ものが、イエスを信しんじて言いった、「キリストがきても、この人ひとが行おこなったよりも多おおくのしるしを行おこなうだろうか」。 7:32 群衆ぐんしゅうがイエスについてこのようなうわさをしているのを、パリサイ人びとたちは耳みみにした。そこで、祭司長さいしちょうたちやパリサイ人びとたちは、イエスを捕とらえようとして、下役したやくどもをつかわした。7:33 イエスは言いわれた、「今いましばらくの間あいだ、わたしはあなたがたと一緒いっしょにいて、それから、わたしをおつかわしになったかたのみもとに行いく。7:34 あなたがたはわたしを捜さがすであろうが、見みつけることはできない。そしてわたしのいる所ところに、あなたがたは来くることができない」。7:35 そこでユダヤ人じんたちは互たがいに言いった、「わたしたちが見みつけることができないというのは、どこへ行いこうとしているのだろう。ギリシヤ人じんの中なかに離散りさんしている人ひとたちのところにでも行いって、ギリシヤ人じんを教おしえようというのだろうか。7:36 また、『わたしを捜さがすが、見みつけることはできない。そしてわたしのいる所ところには来くることができないだろう』と言いったその言葉ことばは、どういう意味いみだろう」。 7:37 祭まつりの終おわりの大事だいじな日ひに、イエスは立たって、叫さけんで言いわれた、「だれでもかわく者ものは、わたしのところにきて飲のむがよい。7:38 わたしを信しんじる者ものは、聖書せいしょに書かいてあるとおり、その腹はらから生いける水みずが川かわとなって流なれ出でるであろう」。7:39 これは、イエスを信しんじる人々ひとびとが受うけようとしている御霊みたまをさして言いわれたのである。すなわち、イエスはまだ栄光えいこうを受うけておられなかったので、御霊みたまがまだ下くだっていなかったのである。7:40 群衆ぐんしゅうのある者ものがこれらの言葉ことばを聞きいて、「このかたは、ほんとうに、あの預言者よげんしゃである」と言いい、7:41 ほかの人ひとたちは「このかたはキリストである」と言いい、また、ある人々ひとびとは、「キリストはまさか、ガリラヤからは出でてこないだろう。7:42 キリストは、ダビデの子孫しそんから、またダビデのいたベツレヘムの村むらから出でると、聖書せいしょに書かいてあるではないか」と言いった。7:43 こうして、群衆ぐんしゅうの間あいだにイエスのことで分争ぶんそうが生しょうじた。7:44 彼かれらのうちのある人々ひとびとは、イエスを捕とらえようと思おもったが、だれひとり手てをかける者ものはなかった。 7:45 さて、下役したやくどもが祭司長さいしちょうたちやパリサイ人びとたちのところに帰かえってきたので、彼かれらはその下役したやくどもに言いった、「なぜ、あの人ひとを連つれてこなかったのか」。7:46 下役したやくどもは答こたえた、「この人ひとの語かたるように語かたった者ものは、これまでにありませんでした」。7:47 パリサイ人びとたちが彼かれらに答こたえた、「あなたがたまでが、だまされているのではないか。7:48 役人やくにんたちやパリサイ人びとたちの中なかで、ひとりでも彼かれを信しんじた者ものがあっただろうか。7:49 律法りっぽうをわきまえないこの群衆ぐんしゅうは、のろわれている」。7:50 彼かれらの中なかのひとりで、以前いぜんにイエスに会あいにきたことのあるニコデモが、彼かれらに言いった、7:51 「わたしたちの律法りっぽうによれば、まずその人ひとの言いい分ぶんを聞きき、その人ひとのしたことを知しった上うえでなければ、さばくことをしないのではないか」。7:52 彼かれらは答こたえて言いった、「あなたもガリラヤ出でなのか。よく調しらべてみなさい、ガリラヤからは預言者よげんしゃが出でるものではないことが、わかるだろう」。 〔7:53 そして、人々ひとびとはおのおの家いえに帰かえって行いった。 第8章 8:1 イエスはオリブ山やまに行いかれた。8:2 朝あさ早はやくまた宮みやにはいられると、人々ひとびとが皆みなみもとに集あつまってきたので、イエスはすわって彼かれらを教おしえておられた。8:3 すると、律法りっぽう学者がくしゃたちやパリサイ人びとたちが、姦淫かんいんをしている時ときにつかまえられた女おんなをひっぱってきて、中なかに立たたせた上うえ、イエスに言いった、8:4 「先生せんせい、この女おんなは姦淫かんいんの場ばでつかまえられました。8:5 モーセは律法りっぽうの中なかで、こういう女おんなを石いしで打うち殺ころせと命めいじましたが、あなたはどう思おもいますか」。8:6 彼かれらがそう言いったのは、イエスをためして、訴うったえる口実こうじつを得えるためであった。しかし、イエスは身みをかがめて、指ゆびで地面じめんに何なにか書かいておられた。8:7 彼かれらが問とい続つづけるので、イエスは身みを起おこして彼かれらに言いわれた、「あなたがたの中なかで罪つみのない者ものが、まずこの女おんなに石いしを投なげつけるがよい」。8:8 そしてまた身みをかがめて、地面じめんに物ものを書かきつづけられた。8:9 これを聞きくと、彼かれらは年寄としよりから始はじめて、ひとりびとり出でて行いき、ついに、イエスだけになり、女おんなは中なかにいたまま残のこされた。8:10 そこでイエスは身みを起おこして女おんなに言いわれた、「女おんなよ、みんなはどこにいるか。あなたを罰ばっする者ものはなかったのか」。8:11 女おんなは言いった、「主しゅよ、だれもございません」。イエスは言いわれた、「わたしもあなたを罰ばっしない。お帰かえりなさい。今後こんごはもう罪つみを犯おかさないように」。〕 8:12 イエスは、また人々ひとびとに語かたってこう言いわれた、「わたしは世よの光ひかりである。わたしに従したがって来くる者ものは、やみのうちを歩あるくことがなく、命いのちの光ひかりをもつであろう」。8:13 するとパリサイ人びとたちがイエスに言いった、「あなたは、自分じぶんのことをあかししている。あなたのあかしは真実しんじつではない」。8:14 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「たとい、わたしが自分じぶんのことをあかししても、わたしのあかしは真実しんじつである。それは、わたしがどこからきたのか、また、どこへ行いくのかを知しっているからである。しかし、あなたがたは、わたしがどこからきて、どこへ行いくのかを知しらない。8:15 あなたがたは肉にくによって人ひとをさばくが、わたしはだれもさばかない。8:16 しかし、もしわたしがさばくとすれば、わたしのさばきは正ただしい。なぜなら、わたしはひとりではなく、わたしをつかわされたかたが、わたしと一緒いっしょだからである。8:17 あなたがたの律法りっぽうには、ふたりによる証言しょうげんは真実しんじつだと、書かいてある。8:18 わたし自身じしんのことをあかしするのは、わたしであるし、わたしをつかわされた父ちちも、わたしのことをあかしして下くださるのである」。8:19 すると、彼かれらはイエスに言いった、「あなたの父ちちはどこにいるのか」。イエスは答こたえられた、「あなたがたは、わたしをもわたしの父ちちをも知しっていない。もし、あなたがたがわたしを知しっていたなら、わたしの父ちちをも知しっていたであろう」。8:20 イエスが宮みやの内うちで教おしえていた時とき、これらの言葉ことばをさいせん箱はこのそばで語かたられたのであるが、イエスの時ときがまだきていなかったので、だれも捕とらえる者ものがなかった。 8:21 さて、また彼かれらに言いわれた、「わたしは去さって行いく。あなたがたはわたしを捜さがし求もとめるであろう。そして自分じぶんの罪つみのうちに死しぬであろう。わたしの行いく所ところには、あなたがたは来くることができない」。8:22 そこでユダヤ人じんたちは言いった、「わたしの行いく所ところに、あなたがたは来くることができないと、言いったのは、あるいは自殺じさつでもしようとするつもりか」。8:23 イエスは彼かれらに言いわれた、「あなたがたは下したから出でた者ものだが、わたしは上うえからきた者ものである。あなたがたはこの世よの者ものであるが、わたしはこの世よの者ものではない。8:24 だからわたしは、あなたがたは自分じぶんの罪つみのうちに死しぬであろうと、言いったのである。もしわたしがそういう者ものであることをあなたがたが信しんじなければ、罪つみのうちに死しぬことになるからである」。8:25 そこで彼かれらはイエスに言いった、「あなたは、いったい、どういうかたですか」。イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしがどういう者ものであるかは、初はじめからあなたがたに言いっているではないか。8:26 あなたがたについて、わたしの言いうべきこと、さばくべきことが、たくさんある。しかし、わたしをつかわされたかたは真実しんじつなかたである。わたしは、そのかたから聞きいたままを世よにむかって語かたるのである」。8:27 彼かれらは、イエスが父ちちについて話はなしておられたことを悟さとらなかった。8:28 そこでイエスは言いわれた、「あなたがたが人ひとの子こを上あげてしまった後のちはじめて、わたしがそういう者ものであること、また、わたしは自分じぶんからは何なにもせず、ただ父ちちが教おしえて下くださったままを話はなしていたことが、わかってくるであろう。8:29 わたしをつかわされたかたは、わたしと一緒いっしょにおられる。わたしは、いつも神かみのみこころにかなうことをしているから、わたしをひとり置おきざりになさることはない」。8:30 これらのことを語かたられたところ、多おおくの人々ひとびとがイエスを信しんじた。 8:31 イエスは自分じぶんを信しんじたユダヤ人じんたちに言いわれた、「もしわたしの言葉ことばのうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子でしなのである。8:32 また真理しんりを知しるであろう。そして真理しんりは、あなたがたに自由じゆうを得えさせるであろう」。8:33 そこで、彼かれらはイエスに言いった、「わたしたちはアブラハムの子孫しそんであって、人ひとの奴隷どれいになったことなどは、一度いちどもない。どうして、あなたがたに自由じゆうを得えさせるであろうと、言いわれるのか」。8:34 イエスは彼かれらに答こたえられた、「よくよくあなたがたに言いっておく。すべて罪つみを犯おかす者ものは罪つみの奴隷どれいである。8:35 そして、奴隷どれいはいつまでも家いえにいる者ものではない。しかし、子こはいつまでもいる。8:36 だから、もし子こがあなたがたに自由じゆうを得えさせるならば、あなたがたは、ほんとうに自由じゆうな者ものとなるのである。8:37 わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫しそんであることを知しっている。それだのに、あなたがたはわたしを殺ころそうとしている。わたしの言葉ことばが、あなたがたのうちに根ねをおろしていないからである。8:38 わたしはわたしの父ちちのもとで見みたことを語かたっているが、あなたがたは自分じぶんの父ちちから聞きいたことを行おこなっている」。8:39 彼かれらはイエスに答こたえて言いった、「わたしたちの父ちちはアブラハムである」。イエスは彼かれらに言いわれた、「もしアブラハムの子こであるなら、アブラハムのわざをするがよい。8:40 ところが今いま、神かみから聞きいた真理しんりをあなたがたに語かたってきたこのわたしを、殺ころそうとしている。そんなことをアブラハムはしなかった。8:41 あなたがたは、あなたがたの父ちちのわざを行おこなっているのである」。彼かれらは言いった、「わたしたちは、不品行ふひんこうの結果けっかうまれた者ものではない。わたしたちにはひとりの父ちちがある。それは神かみである」。8:42 イエスは彼かれらに言いわれた、「神かみがあなたがたの父ちちであるならば、あなたがたはわたしを愛あいするはずである。わたしは神かみから出でた者もの、また神かみからきている者ものであるからだ。わたしは自分じぶんからきたのではなく、神かみからつかわされたのである。8:43 どうしてあなたがたは、わたしの話はなすことがわからないのか。あなたがたが、わたしの言葉ことばを悟さとることができないからである。8:44 あなたがたは自分じぶんの父ちち、すなわち、悪魔あくまから出でてきた者ものであって、その父ちちの欲望よくぼうどおりを行おこなおうと思おもっている。彼かれは初はじめから、人殺ひとごろしであって、真理しんりに立たつ者ものではない。彼かれのうちには真理しんりがないからである。彼かれが偽いつわりを言いうとき、いつも自分じぶんの本音ほんねをはいているのである。彼かれは偽いつわり者ものであり、偽いつわりの父ちちであるからだ。8:45 しかし、わたしが真理しんりを語かたっているので、あなたがたはわたしを信しんじようとしない。8:46 あなたがたのうち、だれがわたしに罪つみがあると責せめうるのか。わたしは真理しんりを語かたっているのに、なぜあなたがたは、わたしを信しんじないのか。8:47 神かみからきた者ものは神かみの言葉ことばに聞きき従したがうが、あなたがたが聞きき従したがわないのは、神かみからきた者ものでないからである」。 8:48 ユダヤ人じんたちはイエスに答こたえて言いった、「あなたはサマリヤ人びとで、悪霊あくれいに取とりつかれていると、わたしたちが言いうのは、当然とうぜんではないか」。8:49 イエスは答こたえられた、「わたしは、悪霊あくれいに取とりつかれているのではなくて、わたしの父ちちを重おもんじているのだが、あなたがたはわたしを軽かろんじている。8:50 わたしは自分じぶんの栄光えいこうを求もとめてはいない。それを求もとめるかたが別べつにある。そのかたは、またさばくかたである。8:51 よくよく言いっておく。もし人ひとがわたしの言葉ことばを守まもるならば、その人ひとはいつまでも死しを見みることがないであろう」。8:52 ユダヤ人じんたちが言いった、「あなたが悪霊あくれいに取とりつかれていることが、今いまわかった。アブラハムは死しに、預言者よげんしゃたちも死しんでいる。それだのに、あなたは、わたしの言葉ことばを守まもる者ものはいつまでも死しを味あじわうことがないであろうと、言いわれる。8:53 あなたは、わたしたちの父ちちアブラハムより偉えらいのだろうか。彼かれも死しに、預言者よげんしゃたちも死しんだではないか。あなたは、いったい、自分じぶんをだれと思おもっているのか」。8:54 イエスは答こたえられた、「わたしがもし自分じぶんに栄光えいこうを帰きするなら、わたしの栄光えいこうは、むなしいものである。わたしに栄光えいこうを与あたえるかたは、わたしの父ちちであって、あなたがたが自分じぶんの神かみだと言いっているのは、そのかたのことである。8:55 あなたがたはその神かみを知しっていないが、わたしは知しっている。もしわたしが神かみを知しらないと言いうならば、あなたがたと同おなじような偽いつわり者ものであろう。しかし、わたしはそのかたを知しり、その御言みことばを守まもっている。8:56 あなたがたの父ちちアブラハムは、わたしのこの日ひを見みようとして楽たのしんでいた。そしてそれを見みて喜よろこんだ」。8:57 そこでユダヤ人じんたちはイエスに言いった、「あなたはまだ五十にもならないのに、アブラハムを見みたのか」。8:58 イエスは彼かれらに言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。アブラハムの生うまれる前まえからわたしは、いるのである」。8:59 そこで彼かれらは石いしをとって、イエスに投なげつけようとした。しかし、イエスは身みを隠かくして、宮みやから出でて行いかれた。 第9章 9:1 イエスが道みちをとおっておられるとき、生うまれつきの盲人もうじんを見みられた。9:2 弟子でしたちはイエスに尋たずねて言いった、「先生せんせい、この人ひとが生うまれつき盲人もうじんなのは、だれが罪つみを犯おかしたためですか。本人ほんにんですか、それともその両親りょうしんですか」。9:3 イエスは答こたえられた、「本人ほんにんが罪つみを犯おかしたのでもなく、また、その両親りょうしんが犯おかしたのでもない。ただ神かみのみわざが、彼かれの上うえに現あらわれるためである。9:4 わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼ひるの間あいだにしなければならない。夜よるが来くる。すると、だれも働はたらけなくなる。9:5 わたしは、この世よにいる間あいだは、世よの光ひかりである」。9:6 イエスはそう言いって、地ちにつばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人もうじんの目めに塗ぬって言いわれた、9:7 「シロアム(つかわされた者もの、の意い)の池いけに行いって洗あらいなさい」。そこで彼かれは行いって洗あらった。そして見みえるようになって、帰かえって行いった。9:8 近所きんじょの人々ひとびとや、彼かれがもと、こじきであったのを見知みしっていた人々ひとびとが言いった、「この人ひとは、すわってこじきをしていた者ものではないか」。9:9 ある人々ひとびとは「その人ひとだ」と言いい、他たの人々ひとびとは「いや、ただあの人ひとに似にているだけだ」と言いった。しかし、本人ほんにんは「わたしがそれだ」と言いった。9:10 そこで人々ひとびとは彼かれに言いった、「では、おまえの目めはどうしてあいたのか」。9:11 彼かれは答こたえた、「イエスというかたが、どろをつくって、わたしの目めに塗ぬり、『シロアムに行いって洗あらえ』と言いわれました。それで、行いって洗あらうと、見みえるようになりました」。9:12 人々ひとびとは彼かれに言いった、「その人ひとはどこにいるのか」。彼かれは「知しりません」と答こたえた。 9:13 人々ひとびとは、もと盲人もうじんであったこの人ひとを、パリサイ人びとたちのところにつれて行いった。9:14 イエスがどろをつくって彼かれの目めをあけたのは、安息日あんそくにちであった。9:15 パリサイ人びとたちもまた、「どうして見みえるようになったのか」、と彼かれに尋たずねた。彼かれは答こたえた、「あのかたがわたしの目めにどろを塗ぬり、わたしがそれを洗あらい、そして見みえるようになりました」。9:16 そこで、あるパリサイ人びとたちが言いった、「その人ひとは神かみからきた人ひとではない。安息日あんそくにちを守まもっていないのだから」。しかし、ほかの人々ひとびとは言いった、「罪つみのある人ひとが、どうしてそのようなしるしを行おこなうことができようか」。そして彼かれらの間あいだに分争ぶんそうが生しょうじた。9:17 そこで彼かれらは、もう一度どこの盲人もうじんに聞きいた、「おまえの目めをあけてくれたその人ひとを、どう思おもうか」。「預言者よげんしゃだと思おもいます」と彼かれは言いった。9:18 ユダヤ人じんたちは、彼かれがもと盲人もうじんであったが見みえるようになったことを、まだ信しんじなかった。ついに彼かれらは、目めが見みえるようになったこの人ひとの両親りょうしんを呼よんで、9:19 尋たずねて言いった、「これが、生うまれつき盲人もうじんであったと、おまえたちの言いっているむすこか。それではどうして、いま目めが見みえるのか」。9:20 両親りょうしんは答こたえて言いった、「これがわたしどものむすこであること、また生うまれつき盲人もうじんであったことは存ぞんじています。9:21 しかし、どうしていま見みえるようになったのか、それは知しりません。また、だれがその目めをあけて下くださったのかも知しりません。あれに聞きいて下ください。あれはもうおとなですから、自分じぶんのことは自分じぶんで話はなせるでしょう」。9:22 両親りょうしんはユダヤ人じんたちを恐おそれていたので、こう答こたえたのである。それは、もしイエスをキリストと告白こくはくする者ものがあれば、会堂かいどうから追おい出だすことに、ユダヤ人じんたちが既すでに決きめていたからである。9:23 彼かれの両親りょうしんが「おとなですから、あれに聞きいて下ください」と言いったのは、そのためであった。 9:24 そこで彼かれらは、盲人もうじんであった人ひとをもう一度いちど呼よんで言いった、「神かみに栄光えいこうを帰きするがよい。あの人ひとが罪人つみびとであることは、わたしたちにはわかっている」。9:25 すると彼かれは言いった、「あのかたが罪人つみびとであるかどうか、わたしは知しりません。ただ一つのことだけ知しっています。わたしは盲めくらであったが、今いまは見みえるということです」。9:26 そこで彼かれらは言いった、「その人ひとはおまえに何なにをしたのか。どんなにしておまえの目めをあけたのか」。9:27 彼かれは答こたえた、「そのことはもう話はなしてあげたのに、聞きいてくれませんでした。なぜまた聞きこうとするのですか。あなたがたも、あの人ひとの弟子でしになりたいのですか」。9:28 そこで彼かれらは彼かれをののしって言いった、「おまえはあれの弟子でしだが、わたしたちはモーセの弟子でしだ。9:29 モーセに神かみが語かたられたということは知しっている。だが、あの人ひとがどこからきた者ものか、わたしたちは知しらぬ」。9:30 そこで彼かれが答こたえて言いった、「わたしの目めをあけて下くださったのに、そのかたがどこからきたか、ご存ぞんじないとは、不思議ふしぎ千万せんばんです。9:31 わたしたちはこのことを知しっています。神かみは罪人つみびとの言いうことはお聞ききいれになりませんが、神かみを敬うやまい、そのみこころを行おこなう人ひとの言いうことは、聞ききいれて下くださいます。9:32 生うまれつき盲めくらであった者ものの目めをあけた人ひとがあるということは、世界せかいが始はじまって以来いらい、聞きいたことがありません。9:33 もしあのかたが神かみからきた人ひとでなかったら、何一なにひとつできなかったはずです」。9:34 これを聞きいて彼かれらは言いった、「おまえは全まったく罪つみの中なかに生うまれていながら、わたしたちを教おしえようとするのか」。そして彼かれを外そとへ追おい出だした。 9:35 イエスは、その人ひとが外そとへ追おい出だされたことを聞きかれた。そして彼かれに会あって言いわれた、「あなたは人ひとの子こを信しんじるか」。9:36 彼かれは答こたえて言いった、「主しゅよ、それはどなたですか。そのかたを信しんじたいのですが」。9:37 イエスは彼かれに言いわれた、「あなたは、もうその人ひとに会あっている。今いまあなたと話はなしているのが、その人ひとである」。9:38 すると彼かれは、「主しゅよ、信しんじます」と言いって、イエスを拝はいした。9:39 そこでイエスは言いわれた、「わたしがこの世よにきたのは、さばくためである。すなわち、見みえない人ひとたちが見みえるようになり、見みえる人ひとたちが見みえないようになるためである」。9:40 そこにイエスと一緒いっしょにいたあるパリサイ人びとたちが、それを聞きいてイエスに言いった、「それでは、わたしたちも盲めくらなのでしょうか」。9:41 イエスは彼かれらに言いわれた、「もしあなたがたが盲人もうじんであったなら、罪つみはなかったであろう。しかし、今いまあなたがたが『見みえる』と言いい張はるところに、あなたがたの罪つみがある。 第10章 10:1 よくよくあなたがたに言いっておく。羊ひつじの囲かこいにはいるのに、門もんからでなく、ほかの所ところからのりこえて来くる者ものは、盗人ぬすびとであり、強盗ごうとうである。10:2 門もんからはいる者ものは、羊ひつじの羊飼ひつじかいである。10:3 門番もんばんは彼かれのために門もんを開ひらき、羊ひつじは彼かれの声こえを聞きく。そして彼かれは自分じぶんの羊ひつじの名なをよんで連つれ出だす。10:4 自分じぶんの羊ひつじをみな出だしてしまうと、彼かれは羊ひつじの先頭せんとうに立たって行いく。羊ひつじはその声こえを知しっているので、彼かれについて行いくのである。10:5 ほかの人ひとには、ついて行いかないで逃にげ去さる。その人ひとの声こえを知しらないからである」。10:6 イエスは彼かれらにこの比喩ひゆを話はなされたが、彼かれらは自分じぶんたちにお話はなしになっているのが何なにのことだか、わからなかった。 10:7 そこで、イエスはまた言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。わたしは羊ひつじの門もんである。10:8 わたしよりも前まえにきた人ひとは、みな盗人ぬすびとであり、強盗ごうとうである。羊ひつじは彼かれらに聞きき従したがわなかった。10:9 わたしは門もんである。わたしをとおってはいる者ものは救すくわれ、また出入でいりし、牧草ぼくそうにありつくであろう。10:10 盗人ぬすびとが来くるのは、盗ぬすんだり、殺ころしたり、滅ほろぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊ひつじに命いのちを得えさせ、豊ゆたかに得えさせるためである。10:11 わたしはよい羊飼ひつじかいである。よい羊飼ひつじかいは、羊ひつじのために命いのちを捨すてる。10:12 羊飼ひつじかいではなく、羊ひつじが自分じぶんのものでもない雇人やといにんは、おおかみが来くるのを見みると、羊ひつじをすてて逃にげ去さる。そして、おおかみは羊ひつじを奪うばい、また追おい散ちらす。10:13 彼かれは雇人やといにんであって、羊ひつじのことを心こころにかけていないからである。10:14 わたしはよい羊飼ひつじかいであって、わたしの羊ひつじを知しり、わたしの羊ひつじはまた、わたしを知しっている。10:15 それはちょうど、父ちちがわたしを知しっておられ、わたしが父ちちを知しっているのと同おなじである。そして、わたしは羊ひつじのために命いのちを捨すてるのである。10:16 わたしにはまた、この囲かこいにいない他たの羊ひつじがある。わたしは彼かれらをも導みちびかねばならない。彼かれらも、わたしの声こえに聞きき従したがうであろう。そして、ついに一つの群むれ、ひとりの羊飼ひつじかいとなるであろう。10:17 父ちちは、わたしが自分じぶんの命いのちを捨すてるから、わたしを愛あいして下くださるのである。命いのちを捨すてるのは、それを再ふたたび得えるためである。10:18 だれかが、わたしからそれを取とり去さるのではない。わたしが、自分じぶんからそれを捨すてるのである。わたしには、それを捨すてる力ちからがあり、またそれを受うける力ちからもある。これはわたしの父ちちから授さずかった定さだめである」。 10:19 これらの言葉ことばを語かたられたため、ユダヤ人じんの間あいだにまたも分争ぶんそうが生しょうじた。10:20 そのうちの多おおくの者ものが言いった、「彼かれは悪霊あくれいに取とりつかれて、気きが狂くるっている。どうして、あなたがたはその言いうことを聞きくのか」。10:21 他たの人々ひとびとは言いった、「それは悪霊あくれいに取とりつかれた者ものの言葉ことばではない。悪霊あくれいは盲人もうじんの目めをあけることができようか」。 10:22 そのころ、エルサレムで宮みやきよめの祭まつりが行おこなわれた。時ときは冬ふゆであった。10:23 イエスは、宮みやの中なかにあるソロモンの廊ろうを歩あるいておられた。10:24 するとユダヤ人じんたちが、イエスを取とり囲かこんで言いった、「いつまでわたしたちを不安ふあんのままにしておくのか。あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言いっていただきたい」。10:25 イエスは彼かれらに答こたえられた、「わたしは話はなしたのだが、あなたがたは信しんじようとしない。わたしの父ちちの名なによってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。10:26 あなたがたが信しんじないのは、わたしの羊ひつじでないからである。10:27 わたしの羊ひつじはわたしの声こえに聞きき従したがう。わたしは彼かれらを知しっており、彼かれらはわたしについて来くる。10:28 わたしは、彼かれらに永遠えいえんの命いのちを与あたえる。だから、彼かれらはいつまでも滅ほろびることがなく、また、彼かれらをわたしの手てから奪うばい去さる者ものはない。10:29 わたしの父ちちがわたしに下くださったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父ちちのみ手てから、それを奪うばい取とることはできない。10:30 わたしと父ちちとは一つである」。10:31 そこでユダヤ人じんたちは、イエスを打うち殺ころそうとして、また石いしを取とりあげた。10:32 するとイエスは彼かれらに答こたえられた、「わたしは、父ちちによる多おおくのよいわざを、あなたがたに示しめした。その中なかのどのわざのために、わたしを石いしで打うち殺ころそうとするのか」。10:33 ユダヤ人じんたちは答こたえた、「あなたを石いしで殺ころそうとするのは、よいわざをしたからではなく、神かみを汚けがしたからである。また、あなたは人間にんげんであるのに、自分じぶんを神かみとしているからである」。10:34 イエスは彼かれらに答こたえられた、「あなたがたの律法りっぽうに、『わたしは言いう、あなたがたは神々かみがみである』と書かいてあるではないか。10:35 神かみの言ことばを託たくされた人々ひとびとが、神々かみがみといわれておるとすれば、(そして聖書せいしょの言ことばは、すたることがあり得えない)10:36 父ちちが聖せい別べつして、世よにつかわされた者ものが、『わたしは神かみの子こである』と言いったからとて、どうして『あなたは神かみを汚けがす者ものだ』と言いうのか。10:37 もしわたしが父ちちのわざを行おこなわないとすれば、わたしを信しんじなくてもよい。10:38 しかし、もし行おこなっているなら、たといわたしを信しんじなくても、わたしのわざを信しんじるがよい。そうすれば、父ちちがわたしにおり、また、わたしが父ちちにおることを知しって悟さとるであろう」。10:39 そこで、彼かれらはまたイエスを捕とらえようとしたが、イエスは彼かれらの手てをのがれて、去さって行いかれた。 10:40 さて、イエスはまたヨルダンの向むこう岸ぎし、すなわち、ヨハネが初はじめにバプテスマを授さづけていた所ところに行いき、そこに滞在たいざいしておられた。10:41 多おおくの人々ひとびとがイエスのところにきて、互たがいに言いった、「ヨハネはなんのしるしも行おこなわなかったが、ヨハネがこのかたについて言いったことは、皆みなほんとうであった」。10:42 そして、そこで多おおくの者ものがイエスを信しんじた。
5:1 こののち、ユダヤ人じんの祭まつりがあったので、イエスはエルサレムに上のぼられた。
5:2 エルサレムにある羊ひつじの門もんのそばに、ヘブル語ごでベテスダと呼よばれる池いけがあった。そこには五つの廊ろうがあった。
5:3 その廊ろうの中なかには、病人びょうにん、盲人もうじん、足あしなえ、やせ衰おとろえた者ものなどが、大おおぜいからだを横よこたえていた。〔彼かれらは水みずの動うごくのを待まっていたのである。
5:4 それは、時々ときどき、主しゅの御使みつかいがこの池いけに降おりてきて水みずを動うごかすことがあるが、水みずが動うごいた時ときまっ先さきにはいる者ものは、どんな病気びょうきにかかっていても、いやされたからである。〕
5:5 さて、そこに三十八年ねんのあいだ、病気びょうきに悩なやんでいる人ひとがあった。
5:6 イエスはその人ひとが横よこになっているのを見み、また長ながい間あいだわずらっていたのを知しって、その人ひとに「なおりたいのか」と言いわれた。
5:7 この病人びょうにんはイエスに答こたえた、「主しゅよ、水みずが動うごく時ときに、わたしを池いけの中なかに入いれてくれる人ひとがいません。わたしがはいりかけると、ほかの人ひとが先さきに降おりて行いくのです」。
5:8 イエスは彼かれに言いわれた、「起おきて、あなたの床とこを取とりあげ、そして歩あるきなさい」。
5:9 すると、この人ひとはすぐにいやされ、床とこをとりあげて歩あるいて行いった。
その日ひは安息日あんそくにちであった。
5:10 そこでユダヤ人じんたちは、そのいやされた人ひとに言いった、「きょうは安息日あんそくにちだ。床とこを取とりあげるのは、よろしくない」。
5:11 彼かれは答こたえた、「わたしをなおして下くださったかたが、床とこを取とりあげて歩あるけと、わたしに言いわれました」。
5:12 彼かれらは尋たずねた、「取とりあげて歩あるけと言いった人ひとは、だれか」。
5:13 しかし、このいやされた人ひとは、それがだれであるか知しらなかった。群衆ぐんしゅうがその場ばにいたので、イエスはそっと出でて行いかれたからである。
5:14 そののち、イエスは宮みやでその人ひとに出会であったので、彼かれに言いわれた、「ごらん、あなたはよくなった。もう罪つみを犯おかしてはいけない。何なにかもっと悪わるいことが、あなたの身みに起おこるかも知しれないから」。
5:15 彼かれは出でて行いって、自分じぶんをいやしたのはイエスであったと、ユダヤ人じんたちに告つげた。
5:16 そのためユダヤ人じんたちは、安息日あんそくにちにこのようなことをしたと言いって、イエスを責せめた。
5:17 そこで、イエスは彼かれらに答こたえられた、「わたしの父ちちは今いまに至いたるまで働はたらいておられる。わたしも働はたらくのである」。
5:18 このためにユダヤ人じんたちは、ますますイエスを殺ころそうと計はかるようになった。それは、イエスが安息日あんそくにちを破やぶられたばかりではなく、神かみを自分じぶんの父ちちと呼よんで、自分じぶんを神かみと等ひとしいものとされたからである。
5:19 さて、イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。子こは父ちちのなさることを見みてする以外いがいに、自分じぶんからは何事なにごともすることができない。父ちちのなさることであればすべて、子こもそのとおりにするのである。
5:20 なぜなら、父ちちは子こを愛あいして、みずからなさることは、すべて子こにお示しめしになるからである。そして、それよりもなお大おおきなわざを、お示しめしになるであろう。あなたがたが、それによって不思議ふしぎに思おもうためである。
5:21 すなわち、父ちちが死人しにんを起おこして命いのちをお与あたえになるように、子こもまた、そのこころにかなう人々ひとびとに命いのちを与あたえるであろう。
5:22 父ちちはだれをもさばかない。さばきのことはすべて、子こにゆだねられたからである。
5:23 それは、すべての人ひとが父ちちを敬うやまうと同様どうように、子こを敬うやまうためである。子こを敬うやまわない者ものは、子こをつかわされた父ちちをも敬うやまわない。
5:24 よくよくあなたがたに言いっておく。わたしの言葉ことばを聞きいて、わたしをつかわされたかたを信しんじる者ものは、永遠えいえんの命いのちを受うけ、またさばかれることがなく、死しから命いのちに移うつっているのである。
5:25 よくよくあなたがたに言いっておく。死しんだ人ひとたちが、神かみの子この声こえを聞きく時ときが来くる。今いますでにきている。そして聞きく人ひとは生いきるであろう。
5:26 それは、父ちちがご自分じぶんのうちに生命せいめいをお持もちになっていると同様どうように、子こにもまた、自分じぶんのうちに生命せいめいを持もつことをお許ゆるしになったからである。
5:27 そして子こは人ひとの子こであるから、子こにさばきを行おこなう権威けんいをお与あたえになった。
5:28 このことを驚おどろくには及およばない。墓はかの中なかにいる者ものたちがみな神かみの子この声こえを聞きき、
5:29 善ぜんをおこなった人々ひとびとは、生命せいめいを受うけるためによみがえり、悪あくをおこなった人々ひとびとは、さばきを受うけるためによみがえって、それぞれ出でてくる時ときが来くるであろう。
5:30 わたしは、自分じぶんからは何事なにごともすることができない。ただ聞きくままにさばくのである。そして、わたしのこのさばきは正ただしい。それは、わたし自身じしんの考かんがえでするのではなく、わたしをつかわされたかたの、み旨むねを求もとめているからである。
5:31 もし、わたしが自分じぶん自身じしんについてあかしをするならば、わたしのあかしはほんとうではない。
5:32 わたしについてあかしをするかたはほかにあり、そして、その人ひとがするあかしがほんとうであることを、わたしは知しっている。
5:33 あなたがたはヨハネのもとへ人ひとをつかわしたが、そのとき彼かれは真理しんりについてあかしをした。
5:34 わたしは人ひとからあかしを受うけないが、このことを言いうのは、あなたがたが救すくわれるためである。
5:35 ヨハネは燃もえて輝かがやくあかりであった。あなたがたは、しばらくの間あいだその光ひかりを喜よろこび楽たのしもうとした。
5:36 しかし、わたしには、ヨハネのあかしよりも、もっと力ちからあるあかしがある。父ちちがわたしに成就じょうじゅさせようとしてお与あたえになったわざ、すなわち、今いまわたしがしているこのわざが、父ちちのわたしをつかわされたことをあかししている。
5:37 また、わたしをつかわされた父ちちも、ご自分じぶんでわたしについてあかしをされた。あなたがたは、まだそのみ声こえを聞きいたこともなく、そのみ姿すがたを見みたこともない。
5:38 また、神かみがつかわされた者ものを信しんじないから、神かみの御言みことばはあなたがたのうちにとどまっていない。
5:39 あなたがたは、聖書せいしょの中なかに永遠えいえんの命いのちがあると思おもって調しらべているが、この聖書せいしょは、わたしについてあかしをするものである。
5:40 しかも、あなたがたは、命いのちを得えるためにわたしのもとにこようともしない。
5:41 わたしは人ひとからの誉ほまれを受うけることはしない。
5:42 しかし、あなたがたのうちには神かみを愛あいする愛あいがないことを知しっている。
5:43 わたしは父ちちの名なによってきたのに、あなたがたはわたしを受うけいれない。もし、ほかの人ひとが彼かれ自身じしんの名なによって来くるならば、その人ひとを受うけいれるのであろう。
5:44 互たがいに誉ほまれを受うけながら、ただひとりの神かみからの誉ほまれを求もとめようとしないあなたがたは、どうして信しんじることができようか。
5:45 わたしがあなたがたのことを父ちちに訴うったえると、考かんがえてはいけない。あなたがたを訴うったえる者ものは、あなたがたが頼たのみとしているモーセその人ひとである。
5:46 もし、あなたがたがモーセを信しんじたならば、わたしをも信しんじたであろう。モーセは、わたしについて書かいたのである。
5:47 しかし、モーセの書かいたものを信しんじないならば、どうしてわたしの言葉ことばを信しんじるだろうか」。
第6章 6:1 そののち、イエスはガリラヤの海うみ、すなわち、テベリヤ湖みずうみの向むこう岸ぎしへ渡わたられた。6:2 すると、大おおぜいの群衆ぐんしゅうがイエスについてきた。病人びょうにんたちになさっていたしるしを見みたからである。6:3 イエスは山やまに登のぼって、弟子でしたちと一緒いっしょにそこで座ざにつかれた。6:4 時ときに、ユダヤ人じんの祭まつりである過越すぎこしが間近まぢかになっていた。6:5 イエスは目めをあげ、大おおぜいの群衆ぐんしゅうが自分じぶんの方ほうに集あつまって来くるのを見みて、ピリポに言いわれた、「どこからパンを買かってきて、この人々ひとびとに食たべさせようか」。6:6 これはピリポをためそうとして言いわれたのであって、ご自分じぶんではしようとすることを、よくご承知しょうちであった。6:7 すると、ピリポはイエスに答こたえた、「二百デナリのパンがあっても、めいめいが少すこしずついただくにも足たりますまい」。6:8 弟子でしのひとり、シモン・ペテロの兄弟きょうだいアンデレがイエスに言いった、6:9 「ここに、大麦おおむぎのパン五つと、さかな二ひきとを持もっている子供こどもがいます。しかし、こんなに大おおぜいの人ひとでは、それが何なにになりましょう」。6:10 イエスは「人々ひとびとをすわらせなさい」と言いわれた。その場所ばしょには草くさが多おおかった。そこにすわった男おとこの数かずは五千人にんほどであった。6:11 そこで、イエスはパンを取とり、感謝かんしゃしてから、すわっている人々ひとびとに分わけ与あたえ、また、さかなをも同様どうようにして、彼かれらの望のぞむだけ分わけ与あたえられた。6:12 人々ひとびとがじゅうぶんに食たべたのち、イエスは弟子でしたちに言いわれた、「少すこしでもむだにならないように、パンくずのあまりを集あつめなさい」。6:13 そこで彼かれらが集あつめると、五つの大麦おおむぎのパンを食たべて残のこったパンくずは、十二のかごにいっぱいになった。6:14 人々ひとびとはイエスのなさったこのしるしを見みて、「ほんとうに、この人ひとこそ世よにきたるべき預言者よげんしゃである」と言いった。 6:15 イエスは人々ひとびとがきて、自分じぶんをとらえて王おうにしようとしていると知しって、ただひとり、また山やまに退しりぞかれた。 6:16 夕方ゆうがたになったとき、弟子でしたちは海うみべに下くだり、6:17 舟ふねに乗のって海うみを渡わたり、向むこう岸ぎしのカペナウムに行いきかけた。すでに暗くらくなっていたのに、イエスはまだ彼かれらのところにおいでにならなかった。6:18 その上うえ、強つよい風かぜが吹ふいてきて、海うみは荒あれ出だした。6:19 四、五十丁ちょうこぎ出だしたとき、イエスが海うみの上うえを歩あるいて舟ふねに近ちかづいてこられるのを見みて、彼かれらは恐おそれた。6:20 すると、イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしだ、恐おそれることはない」。6:21 そこで、彼かれらは喜よろこんでイエスを舟ふねに迎むかえようとした。すると舟ふねは、すぐ、彼かれらが行いこうとしていた地ちに着ついた。 6:22 その翌日よくじつ、海うみの向むこう岸ぎしに立たっていた群衆ぐんしゅうは、そこに小舟こぶねが一そうしかなく、またイエスは弟子でしたちと一緒いっしょに小舟こぶねにお乗のりにならず、ただ弟子でしたちだけが船出ふなでしたのを見みた。6:23 しかし、数すうそうの小舟こぶねがテベリヤからきて、主しゅが感謝かんしゃされたのちパンを人々ひとびとに食たべさせた場所ばしょに近ちかづいた。6:24 群衆ぐんしゅうは、イエスも弟子でしたちもそこにいないと知しって、それらの小舟こぶねに乗のり、イエスをたずねてカペナウムに行いった。6:25 そして、海うみの向むこう岸ぎしでイエスに出会であったので言いった、「先生せんせい、いつ、ここにおいでになったのですか」。6:26 イエスは答こたえて言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。あなたがたがわたしを尋たずねてきているのは、しるしを見みたためではなく、パンを食たべて満腹まんぷくしたからである。6:27 朽くちる食物しょくもつのためではなく、永遠えいえんの命いのちに至いたる朽くちない食物しょくもつのために働はたらくがよい。これは人ひとの子こがあなたがたに与あたえるものである。父ちちなる神かみは、人ひとの子こにそれをゆだねられたのである」。6:28 そこで、彼かれらはイエスに言いった、「神かみのわざを行おこなうために、わたしたちは何なにをしたらよいでしょうか」。6:29 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「神かみがつかわされた者ものを信しんじることが、神かみのわざである」。6:30 彼かれらはイエスに言いった、「わたしたちが見みてあなたを信しんじるために、どんなしるしを行おこなって下くださいますか。どんなことをして下くださいますか。6:31 わたしたちの先祖せんぞは荒野あらのでマナを食たべました。それは『天てんよりのパンを彼かれらに与あたえて食たべさせた』と書かいてあるとおりです」。6:32 そこでイエスは彼かれらに言いわれた、「よくよく言いっておく。天てんからのパンをあなたがたに与あたえたのは、モーセではない。天てんからのまことのパンをあなたがたに与あたえるのは、わたしの父ちちなのである。6:33 神かみのパンは、天てんから下くだってきて、この世よに命いのちを与あたえるものである」。6:34 彼かれらはイエスに言いった、「主しゅよ、そのパンをいつもわたしたちに下ください」。6:35 イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしが命いのちのパンである。わたしに来くる者ものは決けっして飢うえることがなく、わたしを信しんじる者ものは決けっしてかわくことがない。6:36 しかし、あなたがたに言いったが、あなたがたはわたしを見みたのに信しんじようとはしない。6:37 父ちちがわたしに与あたえて下くださる者ものは皆みな、わたしに来くるであろう。そして、わたしに来くる者ものを決けっして拒こばみはしない。6:38 わたしが天てんから下くだってきたのは、自分じぶんのこころのままを行おこなうためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行おこなうためである。6:39 わたしをつかわされたかたのみこころは、わたしに与あたえて下くださった者ものを、わたしがひとりも失うしなわずに、終おわりの日ひによみがえらせることである。6:40 わたしの父ちちのみこころは、子こを見みて信しんじる者ものが、ことごとく永遠えいえんの命いのちを得えることなのである。そして、わたしはその人々ひとびとを終おわりの日ひによみがえらせるであろう」。 6:41 ユダヤ人じんらは、イエスが「わたしは天てんから下くだってきたパンである」と言いわれたので、イエスについてつぶやき始はじめた。6:42 そして言いった、「これはヨセフの子こイエスではないか。わたしたちはその父母ふぼを知しっているではないか。わたしは天てんから下くだってきたと、どうして今いまいうのか」。6:43 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「互たがいにつぶやいてはいけない。6:44 わたしをつかわされた父ちちが引ひきよせて下くださらなければ、だれもわたしに来くることはできない。わたしは、その人々ひとびとを終おわりの日ひによみがえらせるであろう。6:45 預言者よげんしゃの書しょに、『彼かれらはみな神かみに教おしえられるであろう』と書かいてある。父ちちから聞きいて学まなんだ者ものは、みなわたしに来くるのである。6:46 神かみから出でた者もののほかに、だれかが父ちちを見みたのではない。その者ものだけが父ちちを見みたのである。6:47 よくよくあなたがたに言いっておく。信しんじる者ものには永遠えいえんの命いのちがある。6:48 わたしは命いのちのパンである。6:49 あなたがたの先祖せんぞは荒野あらのでマナを食たべたが、死しんでしまった。6:50 しかし、天てんから下くだってきたパンを食たべる人ひとは、決けっして死しぬことはない。6:51 わたしは天てんから下くだってきた生いきたパンである。それを食たべる者ものは、いつまでも生いきるであろう。わたしが与あたえるパンは、世よの命いのちのために与あたえるわたしの肉にくである」。 6:52 そこで、ユダヤ人じんらが互たがいに論ろんじて言いった、「この人ひとはどうして、自分じぶんの肉にくをわたしたちに与あたえて食たべさせることができようか」。6:53 イエスは彼かれらに言いわれた、「よくよく言いっておく。人ひとの子この肉にくを食たべず、また、その血ちを飲のまなければ、あなたがたの内うちに命いのちはない。6:54 わたしの肉にくを食たべ、わたしの血ちを飲のむ者ものには、永遠えいえんの命いのちがあり、わたしはその人ひとを終おわりの日ひによみがえらせるであろう。6:55 わたしの肉にくはまことの食物しょくもつ、わたしの血ちはまことの飲のみ物ものである。6:56 わたしの肉にくを食たべ、わたしの血ちを飲のむ者ものはわたしにおり、わたしもまたその人ひとにおる。6:57 生いける父ちちがわたしをつかわされ、また、わたしが父ちちによって生いきているように、わたしを食たべる者ものもわたしによって生いきるであろう。6:58 天てんから下くだってきたパンは、先祖せんぞたちが食たべたが死しんでしまったようなものではない。このパンを食たべる者ものは、いつまでも生いきるであろう」。6:59 これらのことは、イエスがカペナウムの会堂かいどうで教おしえておられたときに言いわれたものである。 6:60 弟子でしたちのうちの多おおくの者ものは、これを聞きいて言いった、「これは、ひどい言葉ことばだ。だれがそんなことを聞きいておられようか」。6:61 しかしイエスは、弟子でしたちがそのことでつぶやいているのを見破みやぶって、彼かれらに言いわれた、「このことがあなたがたのつまずきになるのか。6:62 それでは、もし人ひとの子こが前まえにいた所ところに上のぼるのを見みたら、どうなるのか。6:63 人ひとを生いかすものは霊れいであって、肉にくはなんの役やくにも立たたない。わたしがあなたがたに話はなした言葉ことばは霊れいであり、また命いのちである。6:64 しかし、あなたがたの中なかには信しんじない者ものがいる」。イエスは、初はじめから、だれが信しんじないか、また、だれが彼かれを裏切うらぎるかを知しっておられたのである。6:65 そしてイエスは言いわれた、「それだから、父ちちが与あたえて下くださった者ものでなければ、わたしに来くることはできないと、言いったのである」。 6:66 それ以来いらい、多おおくの弟子でしたちは去さっていって、もはやイエスと行動こうどうを共ともにしなかった。6:67 そこでイエスは十二弟子でしに言いわれた、「あなたがたも去さろうとするのか」。6:68 シモン・ペテロが答こたえた、「主しゅよ、わたしたちは、だれのところに行いきましょう。永遠えいえんの命いのちの言ことばをもっているのはあなたです。6:69 わたしたちは、あなたが神かみの聖者せいじゃであることを信しんじ、また知しっています」。6:70 イエスは彼かれらに答こたえられた、「あなたがた十二人にんを選えらんだのは、わたしではなかったか。それだのに、あなたがたのうちのひとりは悪魔あくまである」。6:71 これは、イスカリオテのシモンの子こユダをさして言いわれたのである。このユダは、十二弟子でしのひとりでありながら、イエスを裏切うらぎろうとしていた。 第7章 7:1 そののち、イエスはガリラヤを巡回じゅんかいしておられた。ユダヤ人じんたちが自分じぶんを殺ころそうとしていたので、ユダヤを巡回じゅんかいしようとはされなかった。7:2 時ときに、ユダヤ人じんの仮庵かりいおの祭まつりが近ちかづいていた。7:3 そこで、イエスの兄弟きょうだいたちがイエスに言いった、「あなたがしておられるわざを弟子でしたちにも見みせるために、ここを去さりユダヤに行いってはいかがです。7:4 自分じぶんを公おおやけけにあらわそうと思おもっている人ひとで、隠かくれて仕事しごとをするものはありません。あなたがこれらのことをするからには、自分じぶんをはっきりと世よにあらわしなさい」。7:5 こう言いったのは、兄弟きょうだいたちもイエスを信しんじていなかったからである。7:6 そこでイエスは彼かれらに言いわれた、「わたしの時ときはまだきていない。しかし、あなたがたの時ときはいつも備そなわっている。7:7 世よはあなたがたを憎にくみ得えないが、わたしを憎にくんでいる。わたしが世よのおこないの悪わるいことを、あかししているからである。7:8 あなたがたこそ祭まつりに行いきなさい。わたしはこの祭まつりには行いかない。わたしの時ときはまだ満みちていないから」。7:9 彼かれらにこう言いって、イエスはガリラヤにとどまっておられた。 7:10 しかし、兄弟きょうだいたちが祭まつりに行いったあとで、イエスも人目ひとめにたたぬように、ひそかに行いかれた。7:11 ユダヤ人じんらは祭まつりの時ときに、「あの人ひとはどこにいるのか」と言いって、イエスを捜さがしていた。7:12 群衆ぐんしゅうの中なかに、イエスについていろいろとうわさが立たった。ある人々ひとびとは、「あれはよい人ひとだ」と言いい、他たの人々ひとびとは、「いや、あれは群衆ぐんしゅうを惑まどわしている」と言いった。7:13 しかし、ユダヤ人じんらを恐おそれて、イエスのことを公然こうぜんと口くちにする者ものはいなかった。 7:14 祭まつりも半なかばになってから、イエスは宮みやに上のぼって教おしえ始はじめられた。7:15 すると、ユダヤ人じんたちは驚おどろいて言いった、「この人ひとは学問がくもんをしたこともないのに、どうして律法りっぽうの知識ちしきをもっているのだろう」。7:16 そこでイエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「わたしの教おしえはわたし自身じしんの教おしえではなく、わたしをつかわされたかたの教おしえである。7:17 神かみのみこころを行おこなおうと思おもう者ものであれば、だれでも、わたしの語かたっているこの教おしえが神かみからのものか、それとも、わたし自身じしんから出でたものか、わかるであろう。7:18 自分じぶんから出でたことを語かたる者ものは、自分じぶんの栄光えいこうを求もとめるが、自分じぶんをつかわされたかたの栄光えいこうを求もとめる者ものは真実しんじつであって、その人ひとの内うちには偽いつわりがない。7:19 モーセはあなたがたに律法りっぽうを与あたえたではないか。それだのに、あなたがたのうちには、その律法りっぽうを行おこなう者ものがひとりもない。あなたがたは、なぜわたしを殺ころそうと思おもっているのか」。7:20 群衆ぐんしゅうは答こたえた、「あなたは悪霊あくれいに取とりつかれている。だれがあなたを殺ころそうと思おもっているものか」。7:21 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「わたしが一つのわざをしたところ、あなたがたは皆みなそれを見みて驚おどろいている。7:22 モーセはあなたがたに割礼かつれいを命めいじたので、(これは、実じつは、モーセから始はじまったのではなく、先祖せんぞたちから始はじまったものである)あなたがたは安息日あんそくにちにも人ひとに割礼かつれいを施ほどこしている。7:23 もし、モーセの律法りっぽうが破やぶられないように、安息日あんそくにちであっても割礼かつれいを受うけるのなら、安息日あんそくにちに人ひとの全身ぜんしんを丈夫じょうぶにしてやったからといって、どうして、そんなにおこるのか。7:24 うわべで人ひとをさばかないで、正ただしいさばきをするがよい」。 7:25 さて、エルサレムのある人ひとたちが言いった、「この人ひとは人々ひとびとが殺ころそうと思おもっている者ものではないか。7:26 見みよ、彼かれは公然こうぜんと語かたっているのに、人々ひとびとはこれに対たいして何なにも言いわない。役人やくにんたちは、この人ひとがキリストであることを、ほんとうに知しっているのではなかろうか。7:27 わたしたちはこの人ひとがどこからきたのか知しっている。しかし、キリストが現あらわれる時ときには、どこから来くるのか知しっている者ものは、ひとりもいない」。7:28 イエスは宮みやの内うちで教おしえながら、叫さけんで言いわれた、「あなたがたは、わたしを知しっており、また、わたしがどこからきたかも知しっている。しかし、わたしは自分じぶんからきたのではない。わたしをつかわされたかたは真実しんじつであるが、あなたがたは、そのかたを知しらない。7:29 わたしは、そのかたを知しっている。わたしはそのかたのもとからきた者もので、そのかたがわたしをつかわされたのである」。7:30 そこで人々ひとびとはイエスを捕とらえようと計はかったが、だれひとり手てをかける者ものはなかった。イエスの時ときが、まだきていなかったからである。7:31 しかし、群衆ぐんしゅうの中なかの多おおくの者ものが、イエスを信しんじて言いった、「キリストがきても、この人ひとが行おこなったよりも多おおくのしるしを行おこなうだろうか」。 7:32 群衆ぐんしゅうがイエスについてこのようなうわさをしているのを、パリサイ人びとたちは耳みみにした。そこで、祭司長さいしちょうたちやパリサイ人びとたちは、イエスを捕とらえようとして、下役したやくどもをつかわした。7:33 イエスは言いわれた、「今いましばらくの間あいだ、わたしはあなたがたと一緒いっしょにいて、それから、わたしをおつかわしになったかたのみもとに行いく。7:34 あなたがたはわたしを捜さがすであろうが、見みつけることはできない。そしてわたしのいる所ところに、あなたがたは来くることができない」。7:35 そこでユダヤ人じんたちは互たがいに言いった、「わたしたちが見みつけることができないというのは、どこへ行いこうとしているのだろう。ギリシヤ人じんの中なかに離散りさんしている人ひとたちのところにでも行いって、ギリシヤ人じんを教おしえようというのだろうか。7:36 また、『わたしを捜さがすが、見みつけることはできない。そしてわたしのいる所ところには来くることができないだろう』と言いったその言葉ことばは、どういう意味いみだろう」。 7:37 祭まつりの終おわりの大事だいじな日ひに、イエスは立たって、叫さけんで言いわれた、「だれでもかわく者ものは、わたしのところにきて飲のむがよい。7:38 わたしを信しんじる者ものは、聖書せいしょに書かいてあるとおり、その腹はらから生いける水みずが川かわとなって流なれ出でるであろう」。7:39 これは、イエスを信しんじる人々ひとびとが受うけようとしている御霊みたまをさして言いわれたのである。すなわち、イエスはまだ栄光えいこうを受うけておられなかったので、御霊みたまがまだ下くだっていなかったのである。7:40 群衆ぐんしゅうのある者ものがこれらの言葉ことばを聞きいて、「このかたは、ほんとうに、あの預言者よげんしゃである」と言いい、7:41 ほかの人ひとたちは「このかたはキリストである」と言いい、また、ある人々ひとびとは、「キリストはまさか、ガリラヤからは出でてこないだろう。7:42 キリストは、ダビデの子孫しそんから、またダビデのいたベツレヘムの村むらから出でると、聖書せいしょに書かいてあるではないか」と言いった。7:43 こうして、群衆ぐんしゅうの間あいだにイエスのことで分争ぶんそうが生しょうじた。7:44 彼かれらのうちのある人々ひとびとは、イエスを捕とらえようと思おもったが、だれひとり手てをかける者ものはなかった。 7:45 さて、下役したやくどもが祭司長さいしちょうたちやパリサイ人びとたちのところに帰かえってきたので、彼かれらはその下役したやくどもに言いった、「なぜ、あの人ひとを連つれてこなかったのか」。7:46 下役したやくどもは答こたえた、「この人ひとの語かたるように語かたった者ものは、これまでにありませんでした」。7:47 パリサイ人びとたちが彼かれらに答こたえた、「あなたがたまでが、だまされているのではないか。7:48 役人やくにんたちやパリサイ人びとたちの中なかで、ひとりでも彼かれを信しんじた者ものがあっただろうか。7:49 律法りっぽうをわきまえないこの群衆ぐんしゅうは、のろわれている」。7:50 彼かれらの中なかのひとりで、以前いぜんにイエスに会あいにきたことのあるニコデモが、彼かれらに言いった、7:51 「わたしたちの律法りっぽうによれば、まずその人ひとの言いい分ぶんを聞きき、その人ひとのしたことを知しった上うえでなければ、さばくことをしないのではないか」。7:52 彼かれらは答こたえて言いった、「あなたもガリラヤ出でなのか。よく調しらべてみなさい、ガリラヤからは預言者よげんしゃが出でるものではないことが、わかるだろう」。 〔7:53 そして、人々ひとびとはおのおの家いえに帰かえって行いった。 第8章 8:1 イエスはオリブ山やまに行いかれた。8:2 朝あさ早はやくまた宮みやにはいられると、人々ひとびとが皆みなみもとに集あつまってきたので、イエスはすわって彼かれらを教おしえておられた。8:3 すると、律法りっぽう学者がくしゃたちやパリサイ人びとたちが、姦淫かんいんをしている時ときにつかまえられた女おんなをひっぱってきて、中なかに立たたせた上うえ、イエスに言いった、8:4 「先生せんせい、この女おんなは姦淫かんいんの場ばでつかまえられました。8:5 モーセは律法りっぽうの中なかで、こういう女おんなを石いしで打うち殺ころせと命めいじましたが、あなたはどう思おもいますか」。8:6 彼かれらがそう言いったのは、イエスをためして、訴うったえる口実こうじつを得えるためであった。しかし、イエスは身みをかがめて、指ゆびで地面じめんに何なにか書かいておられた。8:7 彼かれらが問とい続つづけるので、イエスは身みを起おこして彼かれらに言いわれた、「あなたがたの中なかで罪つみのない者ものが、まずこの女おんなに石いしを投なげつけるがよい」。8:8 そしてまた身みをかがめて、地面じめんに物ものを書かきつづけられた。8:9 これを聞きくと、彼かれらは年寄としよりから始はじめて、ひとりびとり出でて行いき、ついに、イエスだけになり、女おんなは中なかにいたまま残のこされた。8:10 そこでイエスは身みを起おこして女おんなに言いわれた、「女おんなよ、みんなはどこにいるか。あなたを罰ばっする者ものはなかったのか」。8:11 女おんなは言いった、「主しゅよ、だれもございません」。イエスは言いわれた、「わたしもあなたを罰ばっしない。お帰かえりなさい。今後こんごはもう罪つみを犯おかさないように」。〕 8:12 イエスは、また人々ひとびとに語かたってこう言いわれた、「わたしは世よの光ひかりである。わたしに従したがって来くる者ものは、やみのうちを歩あるくことがなく、命いのちの光ひかりをもつであろう」。8:13 するとパリサイ人びとたちがイエスに言いった、「あなたは、自分じぶんのことをあかししている。あなたのあかしは真実しんじつではない」。8:14 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「たとい、わたしが自分じぶんのことをあかししても、わたしのあかしは真実しんじつである。それは、わたしがどこからきたのか、また、どこへ行いくのかを知しっているからである。しかし、あなたがたは、わたしがどこからきて、どこへ行いくのかを知しらない。8:15 あなたがたは肉にくによって人ひとをさばくが、わたしはだれもさばかない。8:16 しかし、もしわたしがさばくとすれば、わたしのさばきは正ただしい。なぜなら、わたしはひとりではなく、わたしをつかわされたかたが、わたしと一緒いっしょだからである。8:17 あなたがたの律法りっぽうには、ふたりによる証言しょうげんは真実しんじつだと、書かいてある。8:18 わたし自身じしんのことをあかしするのは、わたしであるし、わたしをつかわされた父ちちも、わたしのことをあかしして下くださるのである」。8:19 すると、彼かれらはイエスに言いった、「あなたの父ちちはどこにいるのか」。イエスは答こたえられた、「あなたがたは、わたしをもわたしの父ちちをも知しっていない。もし、あなたがたがわたしを知しっていたなら、わたしの父ちちをも知しっていたであろう」。8:20 イエスが宮みやの内うちで教おしえていた時とき、これらの言葉ことばをさいせん箱はこのそばで語かたられたのであるが、イエスの時ときがまだきていなかったので、だれも捕とらえる者ものがなかった。 8:21 さて、また彼かれらに言いわれた、「わたしは去さって行いく。あなたがたはわたしを捜さがし求もとめるであろう。そして自分じぶんの罪つみのうちに死しぬであろう。わたしの行いく所ところには、あなたがたは来くることができない」。8:22 そこでユダヤ人じんたちは言いった、「わたしの行いく所ところに、あなたがたは来くることができないと、言いったのは、あるいは自殺じさつでもしようとするつもりか」。8:23 イエスは彼かれらに言いわれた、「あなたがたは下したから出でた者ものだが、わたしは上うえからきた者ものである。あなたがたはこの世よの者ものであるが、わたしはこの世よの者ものではない。8:24 だからわたしは、あなたがたは自分じぶんの罪つみのうちに死しぬであろうと、言いったのである。もしわたしがそういう者ものであることをあなたがたが信しんじなければ、罪つみのうちに死しぬことになるからである」。8:25 そこで彼かれらはイエスに言いった、「あなたは、いったい、どういうかたですか」。イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしがどういう者ものであるかは、初はじめからあなたがたに言いっているではないか。8:26 あなたがたについて、わたしの言いうべきこと、さばくべきことが、たくさんある。しかし、わたしをつかわされたかたは真実しんじつなかたである。わたしは、そのかたから聞きいたままを世よにむかって語かたるのである」。8:27 彼かれらは、イエスが父ちちについて話はなしておられたことを悟さとらなかった。8:28 そこでイエスは言いわれた、「あなたがたが人ひとの子こを上あげてしまった後のちはじめて、わたしがそういう者ものであること、また、わたしは自分じぶんからは何なにもせず、ただ父ちちが教おしえて下くださったままを話はなしていたことが、わかってくるであろう。8:29 わたしをつかわされたかたは、わたしと一緒いっしょにおられる。わたしは、いつも神かみのみこころにかなうことをしているから、わたしをひとり置おきざりになさることはない」。8:30 これらのことを語かたられたところ、多おおくの人々ひとびとがイエスを信しんじた。 8:31 イエスは自分じぶんを信しんじたユダヤ人じんたちに言いわれた、「もしわたしの言葉ことばのうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子でしなのである。8:32 また真理しんりを知しるであろう。そして真理しんりは、あなたがたに自由じゆうを得えさせるであろう」。8:33 そこで、彼かれらはイエスに言いった、「わたしたちはアブラハムの子孫しそんであって、人ひとの奴隷どれいになったことなどは、一度いちどもない。どうして、あなたがたに自由じゆうを得えさせるであろうと、言いわれるのか」。8:34 イエスは彼かれらに答こたえられた、「よくよくあなたがたに言いっておく。すべて罪つみを犯おかす者ものは罪つみの奴隷どれいである。8:35 そして、奴隷どれいはいつまでも家いえにいる者ものではない。しかし、子こはいつまでもいる。8:36 だから、もし子こがあなたがたに自由じゆうを得えさせるならば、あなたがたは、ほんとうに自由じゆうな者ものとなるのである。8:37 わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫しそんであることを知しっている。それだのに、あなたがたはわたしを殺ころそうとしている。わたしの言葉ことばが、あなたがたのうちに根ねをおろしていないからである。8:38 わたしはわたしの父ちちのもとで見みたことを語かたっているが、あなたがたは自分じぶんの父ちちから聞きいたことを行おこなっている」。8:39 彼かれらはイエスに答こたえて言いった、「わたしたちの父ちちはアブラハムである」。イエスは彼かれらに言いわれた、「もしアブラハムの子こであるなら、アブラハムのわざをするがよい。8:40 ところが今いま、神かみから聞きいた真理しんりをあなたがたに語かたってきたこのわたしを、殺ころそうとしている。そんなことをアブラハムはしなかった。8:41 あなたがたは、あなたがたの父ちちのわざを行おこなっているのである」。彼かれらは言いった、「わたしたちは、不品行ふひんこうの結果けっかうまれた者ものではない。わたしたちにはひとりの父ちちがある。それは神かみである」。8:42 イエスは彼かれらに言いわれた、「神かみがあなたがたの父ちちであるならば、あなたがたはわたしを愛あいするはずである。わたしは神かみから出でた者もの、また神かみからきている者ものであるからだ。わたしは自分じぶんからきたのではなく、神かみからつかわされたのである。8:43 どうしてあなたがたは、わたしの話はなすことがわからないのか。あなたがたが、わたしの言葉ことばを悟さとることができないからである。8:44 あなたがたは自分じぶんの父ちち、すなわち、悪魔あくまから出でてきた者ものであって、その父ちちの欲望よくぼうどおりを行おこなおうと思おもっている。彼かれは初はじめから、人殺ひとごろしであって、真理しんりに立たつ者ものではない。彼かれのうちには真理しんりがないからである。彼かれが偽いつわりを言いうとき、いつも自分じぶんの本音ほんねをはいているのである。彼かれは偽いつわり者ものであり、偽いつわりの父ちちであるからだ。8:45 しかし、わたしが真理しんりを語かたっているので、あなたがたはわたしを信しんじようとしない。8:46 あなたがたのうち、だれがわたしに罪つみがあると責せめうるのか。わたしは真理しんりを語かたっているのに、なぜあなたがたは、わたしを信しんじないのか。8:47 神かみからきた者ものは神かみの言葉ことばに聞きき従したがうが、あなたがたが聞きき従したがわないのは、神かみからきた者ものでないからである」。 8:48 ユダヤ人じんたちはイエスに答こたえて言いった、「あなたはサマリヤ人びとで、悪霊あくれいに取とりつかれていると、わたしたちが言いうのは、当然とうぜんではないか」。8:49 イエスは答こたえられた、「わたしは、悪霊あくれいに取とりつかれているのではなくて、わたしの父ちちを重おもんじているのだが、あなたがたはわたしを軽かろんじている。8:50 わたしは自分じぶんの栄光えいこうを求もとめてはいない。それを求もとめるかたが別べつにある。そのかたは、またさばくかたである。8:51 よくよく言いっておく。もし人ひとがわたしの言葉ことばを守まもるならば、その人ひとはいつまでも死しを見みることがないであろう」。8:52 ユダヤ人じんたちが言いった、「あなたが悪霊あくれいに取とりつかれていることが、今いまわかった。アブラハムは死しに、預言者よげんしゃたちも死しんでいる。それだのに、あなたは、わたしの言葉ことばを守まもる者ものはいつまでも死しを味あじわうことがないであろうと、言いわれる。8:53 あなたは、わたしたちの父ちちアブラハムより偉えらいのだろうか。彼かれも死しに、預言者よげんしゃたちも死しんだではないか。あなたは、いったい、自分じぶんをだれと思おもっているのか」。8:54 イエスは答こたえられた、「わたしがもし自分じぶんに栄光えいこうを帰きするなら、わたしの栄光えいこうは、むなしいものである。わたしに栄光えいこうを与あたえるかたは、わたしの父ちちであって、あなたがたが自分じぶんの神かみだと言いっているのは、そのかたのことである。8:55 あなたがたはその神かみを知しっていないが、わたしは知しっている。もしわたしが神かみを知しらないと言いうならば、あなたがたと同おなじような偽いつわり者ものであろう。しかし、わたしはそのかたを知しり、その御言みことばを守まもっている。8:56 あなたがたの父ちちアブラハムは、わたしのこの日ひを見みようとして楽たのしんでいた。そしてそれを見みて喜よろこんだ」。8:57 そこでユダヤ人じんたちはイエスに言いった、「あなたはまだ五十にもならないのに、アブラハムを見みたのか」。8:58 イエスは彼かれらに言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。アブラハムの生うまれる前まえからわたしは、いるのである」。8:59 そこで彼かれらは石いしをとって、イエスに投なげつけようとした。しかし、イエスは身みを隠かくして、宮みやから出でて行いかれた。 第9章 9:1 イエスが道みちをとおっておられるとき、生うまれつきの盲人もうじんを見みられた。9:2 弟子でしたちはイエスに尋たずねて言いった、「先生せんせい、この人ひとが生うまれつき盲人もうじんなのは、だれが罪つみを犯おかしたためですか。本人ほんにんですか、それともその両親りょうしんですか」。9:3 イエスは答こたえられた、「本人ほんにんが罪つみを犯おかしたのでもなく、また、その両親りょうしんが犯おかしたのでもない。ただ神かみのみわざが、彼かれの上うえに現あらわれるためである。9:4 わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼ひるの間あいだにしなければならない。夜よるが来くる。すると、だれも働はたらけなくなる。9:5 わたしは、この世よにいる間あいだは、世よの光ひかりである」。9:6 イエスはそう言いって、地ちにつばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人もうじんの目めに塗ぬって言いわれた、9:7 「シロアム(つかわされた者もの、の意い)の池いけに行いって洗あらいなさい」。そこで彼かれは行いって洗あらった。そして見みえるようになって、帰かえって行いった。9:8 近所きんじょの人々ひとびとや、彼かれがもと、こじきであったのを見知みしっていた人々ひとびとが言いった、「この人ひとは、すわってこじきをしていた者ものではないか」。9:9 ある人々ひとびとは「その人ひとだ」と言いい、他たの人々ひとびとは「いや、ただあの人ひとに似にているだけだ」と言いった。しかし、本人ほんにんは「わたしがそれだ」と言いった。9:10 そこで人々ひとびとは彼かれに言いった、「では、おまえの目めはどうしてあいたのか」。9:11 彼かれは答こたえた、「イエスというかたが、どろをつくって、わたしの目めに塗ぬり、『シロアムに行いって洗あらえ』と言いわれました。それで、行いって洗あらうと、見みえるようになりました」。9:12 人々ひとびとは彼かれに言いった、「その人ひとはどこにいるのか」。彼かれは「知しりません」と答こたえた。 9:13 人々ひとびとは、もと盲人もうじんであったこの人ひとを、パリサイ人びとたちのところにつれて行いった。9:14 イエスがどろをつくって彼かれの目めをあけたのは、安息日あんそくにちであった。9:15 パリサイ人びとたちもまた、「どうして見みえるようになったのか」、と彼かれに尋たずねた。彼かれは答こたえた、「あのかたがわたしの目めにどろを塗ぬり、わたしがそれを洗あらい、そして見みえるようになりました」。9:16 そこで、あるパリサイ人びとたちが言いった、「その人ひとは神かみからきた人ひとではない。安息日あんそくにちを守まもっていないのだから」。しかし、ほかの人々ひとびとは言いった、「罪つみのある人ひとが、どうしてそのようなしるしを行おこなうことができようか」。そして彼かれらの間あいだに分争ぶんそうが生しょうじた。9:17 そこで彼かれらは、もう一度どこの盲人もうじんに聞きいた、「おまえの目めをあけてくれたその人ひとを、どう思おもうか」。「預言者よげんしゃだと思おもいます」と彼かれは言いった。9:18 ユダヤ人じんたちは、彼かれがもと盲人もうじんであったが見みえるようになったことを、まだ信しんじなかった。ついに彼かれらは、目めが見みえるようになったこの人ひとの両親りょうしんを呼よんで、9:19 尋たずねて言いった、「これが、生うまれつき盲人もうじんであったと、おまえたちの言いっているむすこか。それではどうして、いま目めが見みえるのか」。9:20 両親りょうしんは答こたえて言いった、「これがわたしどものむすこであること、また生うまれつき盲人もうじんであったことは存ぞんじています。9:21 しかし、どうしていま見みえるようになったのか、それは知しりません。また、だれがその目めをあけて下くださったのかも知しりません。あれに聞きいて下ください。あれはもうおとなですから、自分じぶんのことは自分じぶんで話はなせるでしょう」。9:22 両親りょうしんはユダヤ人じんたちを恐おそれていたので、こう答こたえたのである。それは、もしイエスをキリストと告白こくはくする者ものがあれば、会堂かいどうから追おい出だすことに、ユダヤ人じんたちが既すでに決きめていたからである。9:23 彼かれの両親りょうしんが「おとなですから、あれに聞きいて下ください」と言いったのは、そのためであった。 9:24 そこで彼かれらは、盲人もうじんであった人ひとをもう一度いちど呼よんで言いった、「神かみに栄光えいこうを帰きするがよい。あの人ひとが罪人つみびとであることは、わたしたちにはわかっている」。9:25 すると彼かれは言いった、「あのかたが罪人つみびとであるかどうか、わたしは知しりません。ただ一つのことだけ知しっています。わたしは盲めくらであったが、今いまは見みえるということです」。9:26 そこで彼かれらは言いった、「その人ひとはおまえに何なにをしたのか。どんなにしておまえの目めをあけたのか」。9:27 彼かれは答こたえた、「そのことはもう話はなしてあげたのに、聞きいてくれませんでした。なぜまた聞きこうとするのですか。あなたがたも、あの人ひとの弟子でしになりたいのですか」。9:28 そこで彼かれらは彼かれをののしって言いった、「おまえはあれの弟子でしだが、わたしたちはモーセの弟子でしだ。9:29 モーセに神かみが語かたられたということは知しっている。だが、あの人ひとがどこからきた者ものか、わたしたちは知しらぬ」。9:30 そこで彼かれが答こたえて言いった、「わたしの目めをあけて下くださったのに、そのかたがどこからきたか、ご存ぞんじないとは、不思議ふしぎ千万せんばんです。9:31 わたしたちはこのことを知しっています。神かみは罪人つみびとの言いうことはお聞ききいれになりませんが、神かみを敬うやまい、そのみこころを行おこなう人ひとの言いうことは、聞ききいれて下くださいます。9:32 生うまれつき盲めくらであった者ものの目めをあけた人ひとがあるということは、世界せかいが始はじまって以来いらい、聞きいたことがありません。9:33 もしあのかたが神かみからきた人ひとでなかったら、何一なにひとつできなかったはずです」。9:34 これを聞きいて彼かれらは言いった、「おまえは全まったく罪つみの中なかに生うまれていながら、わたしたちを教おしえようとするのか」。そして彼かれを外そとへ追おい出だした。 9:35 イエスは、その人ひとが外そとへ追おい出だされたことを聞きかれた。そして彼かれに会あって言いわれた、「あなたは人ひとの子こを信しんじるか」。9:36 彼かれは答こたえて言いった、「主しゅよ、それはどなたですか。そのかたを信しんじたいのですが」。9:37 イエスは彼かれに言いわれた、「あなたは、もうその人ひとに会あっている。今いまあなたと話はなしているのが、その人ひとである」。9:38 すると彼かれは、「主しゅよ、信しんじます」と言いって、イエスを拝はいした。9:39 そこでイエスは言いわれた、「わたしがこの世よにきたのは、さばくためである。すなわち、見みえない人ひとたちが見みえるようになり、見みえる人ひとたちが見みえないようになるためである」。9:40 そこにイエスと一緒いっしょにいたあるパリサイ人びとたちが、それを聞きいてイエスに言いった、「それでは、わたしたちも盲めくらなのでしょうか」。9:41 イエスは彼かれらに言いわれた、「もしあなたがたが盲人もうじんであったなら、罪つみはなかったであろう。しかし、今いまあなたがたが『見みえる』と言いい張はるところに、あなたがたの罪つみがある。 第10章 10:1 よくよくあなたがたに言いっておく。羊ひつじの囲かこいにはいるのに、門もんからでなく、ほかの所ところからのりこえて来くる者ものは、盗人ぬすびとであり、強盗ごうとうである。10:2 門もんからはいる者ものは、羊ひつじの羊飼ひつじかいである。10:3 門番もんばんは彼かれのために門もんを開ひらき、羊ひつじは彼かれの声こえを聞きく。そして彼かれは自分じぶんの羊ひつじの名なをよんで連つれ出だす。10:4 自分じぶんの羊ひつじをみな出だしてしまうと、彼かれは羊ひつじの先頭せんとうに立たって行いく。羊ひつじはその声こえを知しっているので、彼かれについて行いくのである。10:5 ほかの人ひとには、ついて行いかないで逃にげ去さる。その人ひとの声こえを知しらないからである」。10:6 イエスは彼かれらにこの比喩ひゆを話はなされたが、彼かれらは自分じぶんたちにお話はなしになっているのが何なにのことだか、わからなかった。 10:7 そこで、イエスはまた言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。わたしは羊ひつじの門もんである。10:8 わたしよりも前まえにきた人ひとは、みな盗人ぬすびとであり、強盗ごうとうである。羊ひつじは彼かれらに聞きき従したがわなかった。10:9 わたしは門もんである。わたしをとおってはいる者ものは救すくわれ、また出入でいりし、牧草ぼくそうにありつくであろう。10:10 盗人ぬすびとが来くるのは、盗ぬすんだり、殺ころしたり、滅ほろぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊ひつじに命いのちを得えさせ、豊ゆたかに得えさせるためである。10:11 わたしはよい羊飼ひつじかいである。よい羊飼ひつじかいは、羊ひつじのために命いのちを捨すてる。10:12 羊飼ひつじかいではなく、羊ひつじが自分じぶんのものでもない雇人やといにんは、おおかみが来くるのを見みると、羊ひつじをすてて逃にげ去さる。そして、おおかみは羊ひつじを奪うばい、また追おい散ちらす。10:13 彼かれは雇人やといにんであって、羊ひつじのことを心こころにかけていないからである。10:14 わたしはよい羊飼ひつじかいであって、わたしの羊ひつじを知しり、わたしの羊ひつじはまた、わたしを知しっている。10:15 それはちょうど、父ちちがわたしを知しっておられ、わたしが父ちちを知しっているのと同おなじである。そして、わたしは羊ひつじのために命いのちを捨すてるのである。10:16 わたしにはまた、この囲かこいにいない他たの羊ひつじがある。わたしは彼かれらをも導みちびかねばならない。彼かれらも、わたしの声こえに聞きき従したがうであろう。そして、ついに一つの群むれ、ひとりの羊飼ひつじかいとなるであろう。10:17 父ちちは、わたしが自分じぶんの命いのちを捨すてるから、わたしを愛あいして下くださるのである。命いのちを捨すてるのは、それを再ふたたび得えるためである。10:18 だれかが、わたしからそれを取とり去さるのではない。わたしが、自分じぶんからそれを捨すてるのである。わたしには、それを捨すてる力ちからがあり、またそれを受うける力ちからもある。これはわたしの父ちちから授さずかった定さだめである」。 10:19 これらの言葉ことばを語かたられたため、ユダヤ人じんの間あいだにまたも分争ぶんそうが生しょうじた。10:20 そのうちの多おおくの者ものが言いった、「彼かれは悪霊あくれいに取とりつかれて、気きが狂くるっている。どうして、あなたがたはその言いうことを聞きくのか」。10:21 他たの人々ひとびとは言いった、「それは悪霊あくれいに取とりつかれた者ものの言葉ことばではない。悪霊あくれいは盲人もうじんの目めをあけることができようか」。 10:22 そのころ、エルサレムで宮みやきよめの祭まつりが行おこなわれた。時ときは冬ふゆであった。10:23 イエスは、宮みやの中なかにあるソロモンの廊ろうを歩あるいておられた。10:24 するとユダヤ人じんたちが、イエスを取とり囲かこんで言いった、「いつまでわたしたちを不安ふあんのままにしておくのか。あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言いっていただきたい」。10:25 イエスは彼かれらに答こたえられた、「わたしは話はなしたのだが、あなたがたは信しんじようとしない。わたしの父ちちの名なによってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。10:26 あなたがたが信しんじないのは、わたしの羊ひつじでないからである。10:27 わたしの羊ひつじはわたしの声こえに聞きき従したがう。わたしは彼かれらを知しっており、彼かれらはわたしについて来くる。10:28 わたしは、彼かれらに永遠えいえんの命いのちを与あたえる。だから、彼かれらはいつまでも滅ほろびることがなく、また、彼かれらをわたしの手てから奪うばい去さる者ものはない。10:29 わたしの父ちちがわたしに下くださったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父ちちのみ手てから、それを奪うばい取とることはできない。10:30 わたしと父ちちとは一つである」。10:31 そこでユダヤ人じんたちは、イエスを打うち殺ころそうとして、また石いしを取とりあげた。10:32 するとイエスは彼かれらに答こたえられた、「わたしは、父ちちによる多おおくのよいわざを、あなたがたに示しめした。その中なかのどのわざのために、わたしを石いしで打うち殺ころそうとするのか」。10:33 ユダヤ人じんたちは答こたえた、「あなたを石いしで殺ころそうとするのは、よいわざをしたからではなく、神かみを汚けがしたからである。また、あなたは人間にんげんであるのに、自分じぶんを神かみとしているからである」。10:34 イエスは彼かれらに答こたえられた、「あなたがたの律法りっぽうに、『わたしは言いう、あなたがたは神々かみがみである』と書かいてあるではないか。10:35 神かみの言ことばを託たくされた人々ひとびとが、神々かみがみといわれておるとすれば、(そして聖書せいしょの言ことばは、すたることがあり得えない)10:36 父ちちが聖せい別べつして、世よにつかわされた者ものが、『わたしは神かみの子こである』と言いったからとて、どうして『あなたは神かみを汚けがす者ものだ』と言いうのか。10:37 もしわたしが父ちちのわざを行おこなわないとすれば、わたしを信しんじなくてもよい。10:38 しかし、もし行おこなっているなら、たといわたしを信しんじなくても、わたしのわざを信しんじるがよい。そうすれば、父ちちがわたしにおり、また、わたしが父ちちにおることを知しって悟さとるであろう」。10:39 そこで、彼かれらはまたイエスを捕とらえようとしたが、イエスは彼かれらの手てをのがれて、去さって行いかれた。 10:40 さて、イエスはまたヨルダンの向むこう岸ぎし、すなわち、ヨハネが初はじめにバプテスマを授さづけていた所ところに行いき、そこに滞在たいざいしておられた。10:41 多おおくの人々ひとびとがイエスのところにきて、互たがいに言いった、「ヨハネはなんのしるしも行おこなわなかったが、ヨハネがこのかたについて言いったことは、皆みなほんとうであった」。10:42 そして、そこで多おおくの者ものがイエスを信しんじた。
6:1 そののち、イエスはガリラヤの海うみ、すなわち、テベリヤ湖みずうみの向むこう岸ぎしへ渡わたられた。
6:2 すると、大おおぜいの群衆ぐんしゅうがイエスについてきた。病人びょうにんたちになさっていたしるしを見みたからである。
6:3 イエスは山やまに登のぼって、弟子でしたちと一緒いっしょにそこで座ざにつかれた。
6:4 時ときに、ユダヤ人じんの祭まつりである過越すぎこしが間近まぢかになっていた。
6:5 イエスは目めをあげ、大おおぜいの群衆ぐんしゅうが自分じぶんの方ほうに集あつまって来くるのを見みて、ピリポに言いわれた、「どこからパンを買かってきて、この人々ひとびとに食たべさせようか」。
6:6 これはピリポをためそうとして言いわれたのであって、ご自分じぶんではしようとすることを、よくご承知しょうちであった。
6:7 すると、ピリポはイエスに答こたえた、「二百デナリのパンがあっても、めいめいが少すこしずついただくにも足たりますまい」。
6:8 弟子でしのひとり、シモン・ペテロの兄弟きょうだいアンデレがイエスに言いった、
6:9 「ここに、大麦おおむぎのパン五つと、さかな二ひきとを持もっている子供こどもがいます。しかし、こんなに大おおぜいの人ひとでは、それが何なにになりましょう」。
6:10 イエスは「人々ひとびとをすわらせなさい」と言いわれた。その場所ばしょには草くさが多おおかった。そこにすわった男おとこの数かずは五千人にんほどであった。
6:11 そこで、イエスはパンを取とり、感謝かんしゃしてから、すわっている人々ひとびとに分わけ与あたえ、また、さかなをも同様どうようにして、彼かれらの望のぞむだけ分わけ与あたえられた。
6:12 人々ひとびとがじゅうぶんに食たべたのち、イエスは弟子でしたちに言いわれた、「少すこしでもむだにならないように、パンくずのあまりを集あつめなさい」。
6:13 そこで彼かれらが集あつめると、五つの大麦おおむぎのパンを食たべて残のこったパンくずは、十二のかごにいっぱいになった。
6:14 人々ひとびとはイエスのなさったこのしるしを見みて、「ほんとうに、この人ひとこそ世よにきたるべき預言者よげんしゃである」と言いった。
6:15 イエスは人々ひとびとがきて、自分じぶんをとらえて王おうにしようとしていると知しって、ただひとり、また山やまに退しりぞかれた。
6:16 夕方ゆうがたになったとき、弟子でしたちは海うみべに下くだり、
6:17 舟ふねに乗のって海うみを渡わたり、向むこう岸ぎしのカペナウムに行いきかけた。すでに暗くらくなっていたのに、イエスはまだ彼かれらのところにおいでにならなかった。
6:18 その上うえ、強つよい風かぜが吹ふいてきて、海うみは荒あれ出だした。
6:19 四、五十丁ちょうこぎ出だしたとき、イエスが海うみの上うえを歩あるいて舟ふねに近ちかづいてこられるのを見みて、彼かれらは恐おそれた。
6:20 すると、イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしだ、恐おそれることはない」。
6:21 そこで、彼かれらは喜よろこんでイエスを舟ふねに迎むかえようとした。すると舟ふねは、すぐ、彼かれらが行いこうとしていた地ちに着ついた。
6:22 その翌日よくじつ、海うみの向むこう岸ぎしに立たっていた群衆ぐんしゅうは、そこに小舟こぶねが一そうしかなく、またイエスは弟子でしたちと一緒いっしょに小舟こぶねにお乗のりにならず、ただ弟子でしたちだけが船出ふなでしたのを見みた。
6:23 しかし、数すうそうの小舟こぶねがテベリヤからきて、主しゅが感謝かんしゃされたのちパンを人々ひとびとに食たべさせた場所ばしょに近ちかづいた。
6:24 群衆ぐんしゅうは、イエスも弟子でしたちもそこにいないと知しって、それらの小舟こぶねに乗のり、イエスをたずねてカペナウムに行いった。
6:25 そして、海うみの向むこう岸ぎしでイエスに出会であったので言いった、「先生せんせい、いつ、ここにおいでになったのですか」。
6:26 イエスは答こたえて言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。あなたがたがわたしを尋たずねてきているのは、しるしを見みたためではなく、パンを食たべて満腹まんぷくしたからである。
6:27 朽くちる食物しょくもつのためではなく、永遠えいえんの命いのちに至いたる朽くちない食物しょくもつのために働はたらくがよい。これは人ひとの子こがあなたがたに与あたえるものである。父ちちなる神かみは、人ひとの子こにそれをゆだねられたのである」。
6:28 そこで、彼かれらはイエスに言いった、「神かみのわざを行おこなうために、わたしたちは何なにをしたらよいでしょうか」。
6:29 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「神かみがつかわされた者ものを信しんじることが、神かみのわざである」。
6:30 彼かれらはイエスに言いった、「わたしたちが見みてあなたを信しんじるために、どんなしるしを行おこなって下くださいますか。どんなことをして下くださいますか。
6:31 わたしたちの先祖せんぞは荒野あらのでマナを食たべました。それは『天てんよりのパンを彼かれらに与あたえて食たべさせた』と書かいてあるとおりです」。
6:32 そこでイエスは彼かれらに言いわれた、「よくよく言いっておく。天てんからのパンをあなたがたに与あたえたのは、モーセではない。天てんからのまことのパンをあなたがたに与あたえるのは、わたしの父ちちなのである。
6:33 神かみのパンは、天てんから下くだってきて、この世よに命いのちを与あたえるものである」。
6:34 彼かれらはイエスに言いった、「主しゅよ、そのパンをいつもわたしたちに下ください」。
6:35 イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしが命いのちのパンである。わたしに来くる者ものは決けっして飢うえることがなく、わたしを信しんじる者ものは決けっしてかわくことがない。
6:36 しかし、あなたがたに言いったが、あなたがたはわたしを見みたのに信しんじようとはしない。
6:37 父ちちがわたしに与あたえて下くださる者ものは皆みな、わたしに来くるであろう。そして、わたしに来くる者ものを決けっして拒こばみはしない。
6:38 わたしが天てんから下くだってきたのは、自分じぶんのこころのままを行おこなうためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行おこなうためである。
6:39 わたしをつかわされたかたのみこころは、わたしに与あたえて下くださった者ものを、わたしがひとりも失うしなわずに、終おわりの日ひによみがえらせることである。
6:40 わたしの父ちちのみこころは、子こを見みて信しんじる者ものが、ことごとく永遠えいえんの命いのちを得えることなのである。そして、わたしはその人々ひとびとを終おわりの日ひによみがえらせるであろう」。
6:41 ユダヤ人じんらは、イエスが「わたしは天てんから下くだってきたパンである」と言いわれたので、イエスについてつぶやき始はじめた。
6:42 そして言いった、「これはヨセフの子こイエスではないか。わたしたちはその父母ふぼを知しっているではないか。わたしは天てんから下くだってきたと、どうして今いまいうのか」。
6:43 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「互たがいにつぶやいてはいけない。
6:44 わたしをつかわされた父ちちが引ひきよせて下くださらなければ、だれもわたしに来くることはできない。わたしは、その人々ひとびとを終おわりの日ひによみがえらせるであろう。
6:45 預言者よげんしゃの書しょに、『彼かれらはみな神かみに教おしえられるであろう』と書かいてある。父ちちから聞きいて学まなんだ者ものは、みなわたしに来くるのである。
6:46 神かみから出でた者もののほかに、だれかが父ちちを見みたのではない。その者ものだけが父ちちを見みたのである。
6:47 よくよくあなたがたに言いっておく。信しんじる者ものには永遠えいえんの命いのちがある。
6:48 わたしは命いのちのパンである。
6:49 あなたがたの先祖せんぞは荒野あらのでマナを食たべたが、死しんでしまった。
6:50 しかし、天てんから下くだってきたパンを食たべる人ひとは、決けっして死しぬことはない。
6:51 わたしは天てんから下くだってきた生いきたパンである。それを食たべる者ものは、いつまでも生いきるであろう。わたしが与あたえるパンは、世よの命いのちのために与あたえるわたしの肉にくである」。
6:52 そこで、ユダヤ人じんらが互たがいに論ろんじて言いった、「この人ひとはどうして、自分じぶんの肉にくをわたしたちに与あたえて食たべさせることができようか」。
6:53 イエスは彼かれらに言いわれた、「よくよく言いっておく。人ひとの子この肉にくを食たべず、また、その血ちを飲のまなければ、あなたがたの内うちに命いのちはない。
6:54 わたしの肉にくを食たべ、わたしの血ちを飲のむ者ものには、永遠えいえんの命いのちがあり、わたしはその人ひとを終おわりの日ひによみがえらせるであろう。
6:55 わたしの肉にくはまことの食物しょくもつ、わたしの血ちはまことの飲のみ物ものである。
6:56 わたしの肉にくを食たべ、わたしの血ちを飲のむ者ものはわたしにおり、わたしもまたその人ひとにおる。
6:57 生いける父ちちがわたしをつかわされ、また、わたしが父ちちによって生いきているように、わたしを食たべる者ものもわたしによって生いきるであろう。
6:58 天てんから下くだってきたパンは、先祖せんぞたちが食たべたが死しんでしまったようなものではない。このパンを食たべる者ものは、いつまでも生いきるであろう」。
6:59 これらのことは、イエスがカペナウムの会堂かいどうで教おしえておられたときに言いわれたものである。
6:60 弟子でしたちのうちの多おおくの者ものは、これを聞きいて言いった、「これは、ひどい言葉ことばだ。だれがそんなことを聞きいておられようか」。
6:61 しかしイエスは、弟子でしたちがそのことでつぶやいているのを見破みやぶって、彼かれらに言いわれた、「このことがあなたがたのつまずきになるのか。
6:62 それでは、もし人ひとの子こが前まえにいた所ところに上のぼるのを見みたら、どうなるのか。
6:63 人ひとを生いかすものは霊れいであって、肉にくはなんの役やくにも立たたない。わたしがあなたがたに話はなした言葉ことばは霊れいであり、また命いのちである。
6:64 しかし、あなたがたの中なかには信しんじない者ものがいる」。イエスは、初はじめから、だれが信しんじないか、また、だれが彼かれを裏切うらぎるかを知しっておられたのである。
6:65 そしてイエスは言いわれた、「それだから、父ちちが与あたえて下くださった者ものでなければ、わたしに来くることはできないと、言いったのである」。
6:66 それ以来いらい、多おおくの弟子でしたちは去さっていって、もはやイエスと行動こうどうを共ともにしなかった。
6:67 そこでイエスは十二弟子でしに言いわれた、「あなたがたも去さろうとするのか」。
6:68 シモン・ペテロが答こたえた、「主しゅよ、わたしたちは、だれのところに行いきましょう。永遠えいえんの命いのちの言ことばをもっているのはあなたです。
6:69 わたしたちは、あなたが神かみの聖者せいじゃであることを信しんじ、また知しっています」。
6:70 イエスは彼かれらに答こたえられた、「あなたがた十二人にんを選えらんだのは、わたしではなかったか。それだのに、あなたがたのうちのひとりは悪魔あくまである」。
6:71 これは、イスカリオテのシモンの子こユダをさして言いわれたのである。このユダは、十二弟子でしのひとりでありながら、イエスを裏切うらぎろうとしていた。
第7章 7:1 そののち、イエスはガリラヤを巡回じゅんかいしておられた。ユダヤ人じんたちが自分じぶんを殺ころそうとしていたので、ユダヤを巡回じゅんかいしようとはされなかった。7:2 時ときに、ユダヤ人じんの仮庵かりいおの祭まつりが近ちかづいていた。7:3 そこで、イエスの兄弟きょうだいたちがイエスに言いった、「あなたがしておられるわざを弟子でしたちにも見みせるために、ここを去さりユダヤに行いってはいかがです。7:4 自分じぶんを公おおやけけにあらわそうと思おもっている人ひとで、隠かくれて仕事しごとをするものはありません。あなたがこれらのことをするからには、自分じぶんをはっきりと世よにあらわしなさい」。7:5 こう言いったのは、兄弟きょうだいたちもイエスを信しんじていなかったからである。7:6 そこでイエスは彼かれらに言いわれた、「わたしの時ときはまだきていない。しかし、あなたがたの時ときはいつも備そなわっている。7:7 世よはあなたがたを憎にくみ得えないが、わたしを憎にくんでいる。わたしが世よのおこないの悪わるいことを、あかししているからである。7:8 あなたがたこそ祭まつりに行いきなさい。わたしはこの祭まつりには行いかない。わたしの時ときはまだ満みちていないから」。7:9 彼かれらにこう言いって、イエスはガリラヤにとどまっておられた。 7:10 しかし、兄弟きょうだいたちが祭まつりに行いったあとで、イエスも人目ひとめにたたぬように、ひそかに行いかれた。7:11 ユダヤ人じんらは祭まつりの時ときに、「あの人ひとはどこにいるのか」と言いって、イエスを捜さがしていた。7:12 群衆ぐんしゅうの中なかに、イエスについていろいろとうわさが立たった。ある人々ひとびとは、「あれはよい人ひとだ」と言いい、他たの人々ひとびとは、「いや、あれは群衆ぐんしゅうを惑まどわしている」と言いった。7:13 しかし、ユダヤ人じんらを恐おそれて、イエスのことを公然こうぜんと口くちにする者ものはいなかった。 7:14 祭まつりも半なかばになってから、イエスは宮みやに上のぼって教おしえ始はじめられた。7:15 すると、ユダヤ人じんたちは驚おどろいて言いった、「この人ひとは学問がくもんをしたこともないのに、どうして律法りっぽうの知識ちしきをもっているのだろう」。7:16 そこでイエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「わたしの教おしえはわたし自身じしんの教おしえではなく、わたしをつかわされたかたの教おしえである。7:17 神かみのみこころを行おこなおうと思おもう者ものであれば、だれでも、わたしの語かたっているこの教おしえが神かみからのものか、それとも、わたし自身じしんから出でたものか、わかるであろう。7:18 自分じぶんから出でたことを語かたる者ものは、自分じぶんの栄光えいこうを求もとめるが、自分じぶんをつかわされたかたの栄光えいこうを求もとめる者ものは真実しんじつであって、その人ひとの内うちには偽いつわりがない。7:19 モーセはあなたがたに律法りっぽうを与あたえたではないか。それだのに、あなたがたのうちには、その律法りっぽうを行おこなう者ものがひとりもない。あなたがたは、なぜわたしを殺ころそうと思おもっているのか」。7:20 群衆ぐんしゅうは答こたえた、「あなたは悪霊あくれいに取とりつかれている。だれがあなたを殺ころそうと思おもっているものか」。7:21 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「わたしが一つのわざをしたところ、あなたがたは皆みなそれを見みて驚おどろいている。7:22 モーセはあなたがたに割礼かつれいを命めいじたので、(これは、実じつは、モーセから始はじまったのではなく、先祖せんぞたちから始はじまったものである)あなたがたは安息日あんそくにちにも人ひとに割礼かつれいを施ほどこしている。7:23 もし、モーセの律法りっぽうが破やぶられないように、安息日あんそくにちであっても割礼かつれいを受うけるのなら、安息日あんそくにちに人ひとの全身ぜんしんを丈夫じょうぶにしてやったからといって、どうして、そんなにおこるのか。7:24 うわべで人ひとをさばかないで、正ただしいさばきをするがよい」。 7:25 さて、エルサレムのある人ひとたちが言いった、「この人ひとは人々ひとびとが殺ころそうと思おもっている者ものではないか。7:26 見みよ、彼かれは公然こうぜんと語かたっているのに、人々ひとびとはこれに対たいして何なにも言いわない。役人やくにんたちは、この人ひとがキリストであることを、ほんとうに知しっているのではなかろうか。7:27 わたしたちはこの人ひとがどこからきたのか知しっている。しかし、キリストが現あらわれる時ときには、どこから来くるのか知しっている者ものは、ひとりもいない」。7:28 イエスは宮みやの内うちで教おしえながら、叫さけんで言いわれた、「あなたがたは、わたしを知しっており、また、わたしがどこからきたかも知しっている。しかし、わたしは自分じぶんからきたのではない。わたしをつかわされたかたは真実しんじつであるが、あなたがたは、そのかたを知しらない。7:29 わたしは、そのかたを知しっている。わたしはそのかたのもとからきた者もので、そのかたがわたしをつかわされたのである」。7:30 そこで人々ひとびとはイエスを捕とらえようと計はかったが、だれひとり手てをかける者ものはなかった。イエスの時ときが、まだきていなかったからである。7:31 しかし、群衆ぐんしゅうの中なかの多おおくの者ものが、イエスを信しんじて言いった、「キリストがきても、この人ひとが行おこなったよりも多おおくのしるしを行おこなうだろうか」。 7:32 群衆ぐんしゅうがイエスについてこのようなうわさをしているのを、パリサイ人びとたちは耳みみにした。そこで、祭司長さいしちょうたちやパリサイ人びとたちは、イエスを捕とらえようとして、下役したやくどもをつかわした。7:33 イエスは言いわれた、「今いましばらくの間あいだ、わたしはあなたがたと一緒いっしょにいて、それから、わたしをおつかわしになったかたのみもとに行いく。7:34 あなたがたはわたしを捜さがすであろうが、見みつけることはできない。そしてわたしのいる所ところに、あなたがたは来くることができない」。7:35 そこでユダヤ人じんたちは互たがいに言いった、「わたしたちが見みつけることができないというのは、どこへ行いこうとしているのだろう。ギリシヤ人じんの中なかに離散りさんしている人ひとたちのところにでも行いって、ギリシヤ人じんを教おしえようというのだろうか。7:36 また、『わたしを捜さがすが、見みつけることはできない。そしてわたしのいる所ところには来くることができないだろう』と言いったその言葉ことばは、どういう意味いみだろう」。 7:37 祭まつりの終おわりの大事だいじな日ひに、イエスは立たって、叫さけんで言いわれた、「だれでもかわく者ものは、わたしのところにきて飲のむがよい。7:38 わたしを信しんじる者ものは、聖書せいしょに書かいてあるとおり、その腹はらから生いける水みずが川かわとなって流なれ出でるであろう」。7:39 これは、イエスを信しんじる人々ひとびとが受うけようとしている御霊みたまをさして言いわれたのである。すなわち、イエスはまだ栄光えいこうを受うけておられなかったので、御霊みたまがまだ下くだっていなかったのである。7:40 群衆ぐんしゅうのある者ものがこれらの言葉ことばを聞きいて、「このかたは、ほんとうに、あの預言者よげんしゃである」と言いい、7:41 ほかの人ひとたちは「このかたはキリストである」と言いい、また、ある人々ひとびとは、「キリストはまさか、ガリラヤからは出でてこないだろう。7:42 キリストは、ダビデの子孫しそんから、またダビデのいたベツレヘムの村むらから出でると、聖書せいしょに書かいてあるではないか」と言いった。7:43 こうして、群衆ぐんしゅうの間あいだにイエスのことで分争ぶんそうが生しょうじた。7:44 彼かれらのうちのある人々ひとびとは、イエスを捕とらえようと思おもったが、だれひとり手てをかける者ものはなかった。 7:45 さて、下役したやくどもが祭司長さいしちょうたちやパリサイ人びとたちのところに帰かえってきたので、彼かれらはその下役したやくどもに言いった、「なぜ、あの人ひとを連つれてこなかったのか」。7:46 下役したやくどもは答こたえた、「この人ひとの語かたるように語かたった者ものは、これまでにありませんでした」。7:47 パリサイ人びとたちが彼かれらに答こたえた、「あなたがたまでが、だまされているのではないか。7:48 役人やくにんたちやパリサイ人びとたちの中なかで、ひとりでも彼かれを信しんじた者ものがあっただろうか。7:49 律法りっぽうをわきまえないこの群衆ぐんしゅうは、のろわれている」。7:50 彼かれらの中なかのひとりで、以前いぜんにイエスに会あいにきたことのあるニコデモが、彼かれらに言いった、7:51 「わたしたちの律法りっぽうによれば、まずその人ひとの言いい分ぶんを聞きき、その人ひとのしたことを知しった上うえでなければ、さばくことをしないのではないか」。7:52 彼かれらは答こたえて言いった、「あなたもガリラヤ出でなのか。よく調しらべてみなさい、ガリラヤからは預言者よげんしゃが出でるものではないことが、わかるだろう」。 〔7:53 そして、人々ひとびとはおのおの家いえに帰かえって行いった。 第8章 8:1 イエスはオリブ山やまに行いかれた。8:2 朝あさ早はやくまた宮みやにはいられると、人々ひとびとが皆みなみもとに集あつまってきたので、イエスはすわって彼かれらを教おしえておられた。8:3 すると、律法りっぽう学者がくしゃたちやパリサイ人びとたちが、姦淫かんいんをしている時ときにつかまえられた女おんなをひっぱってきて、中なかに立たたせた上うえ、イエスに言いった、8:4 「先生せんせい、この女おんなは姦淫かんいんの場ばでつかまえられました。8:5 モーセは律法りっぽうの中なかで、こういう女おんなを石いしで打うち殺ころせと命めいじましたが、あなたはどう思おもいますか」。8:6 彼かれらがそう言いったのは、イエスをためして、訴うったえる口実こうじつを得えるためであった。しかし、イエスは身みをかがめて、指ゆびで地面じめんに何なにか書かいておられた。8:7 彼かれらが問とい続つづけるので、イエスは身みを起おこして彼かれらに言いわれた、「あなたがたの中なかで罪つみのない者ものが、まずこの女おんなに石いしを投なげつけるがよい」。8:8 そしてまた身みをかがめて、地面じめんに物ものを書かきつづけられた。8:9 これを聞きくと、彼かれらは年寄としよりから始はじめて、ひとりびとり出でて行いき、ついに、イエスだけになり、女おんなは中なかにいたまま残のこされた。8:10 そこでイエスは身みを起おこして女おんなに言いわれた、「女おんなよ、みんなはどこにいるか。あなたを罰ばっする者ものはなかったのか」。8:11 女おんなは言いった、「主しゅよ、だれもございません」。イエスは言いわれた、「わたしもあなたを罰ばっしない。お帰かえりなさい。今後こんごはもう罪つみを犯おかさないように」。〕 8:12 イエスは、また人々ひとびとに語かたってこう言いわれた、「わたしは世よの光ひかりである。わたしに従したがって来くる者ものは、やみのうちを歩あるくことがなく、命いのちの光ひかりをもつであろう」。8:13 するとパリサイ人びとたちがイエスに言いった、「あなたは、自分じぶんのことをあかししている。あなたのあかしは真実しんじつではない」。8:14 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「たとい、わたしが自分じぶんのことをあかししても、わたしのあかしは真実しんじつである。それは、わたしがどこからきたのか、また、どこへ行いくのかを知しっているからである。しかし、あなたがたは、わたしがどこからきて、どこへ行いくのかを知しらない。8:15 あなたがたは肉にくによって人ひとをさばくが、わたしはだれもさばかない。8:16 しかし、もしわたしがさばくとすれば、わたしのさばきは正ただしい。なぜなら、わたしはひとりではなく、わたしをつかわされたかたが、わたしと一緒いっしょだからである。8:17 あなたがたの律法りっぽうには、ふたりによる証言しょうげんは真実しんじつだと、書かいてある。8:18 わたし自身じしんのことをあかしするのは、わたしであるし、わたしをつかわされた父ちちも、わたしのことをあかしして下くださるのである」。8:19 すると、彼かれらはイエスに言いった、「あなたの父ちちはどこにいるのか」。イエスは答こたえられた、「あなたがたは、わたしをもわたしの父ちちをも知しっていない。もし、あなたがたがわたしを知しっていたなら、わたしの父ちちをも知しっていたであろう」。8:20 イエスが宮みやの内うちで教おしえていた時とき、これらの言葉ことばをさいせん箱はこのそばで語かたられたのであるが、イエスの時ときがまだきていなかったので、だれも捕とらえる者ものがなかった。 8:21 さて、また彼かれらに言いわれた、「わたしは去さって行いく。あなたがたはわたしを捜さがし求もとめるであろう。そして自分じぶんの罪つみのうちに死しぬであろう。わたしの行いく所ところには、あなたがたは来くることができない」。8:22 そこでユダヤ人じんたちは言いった、「わたしの行いく所ところに、あなたがたは来くることができないと、言いったのは、あるいは自殺じさつでもしようとするつもりか」。8:23 イエスは彼かれらに言いわれた、「あなたがたは下したから出でた者ものだが、わたしは上うえからきた者ものである。あなたがたはこの世よの者ものであるが、わたしはこの世よの者ものではない。8:24 だからわたしは、あなたがたは自分じぶんの罪つみのうちに死しぬであろうと、言いったのである。もしわたしがそういう者ものであることをあなたがたが信しんじなければ、罪つみのうちに死しぬことになるからである」。8:25 そこで彼かれらはイエスに言いった、「あなたは、いったい、どういうかたですか」。イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしがどういう者ものであるかは、初はじめからあなたがたに言いっているではないか。8:26 あなたがたについて、わたしの言いうべきこと、さばくべきことが、たくさんある。しかし、わたしをつかわされたかたは真実しんじつなかたである。わたしは、そのかたから聞きいたままを世よにむかって語かたるのである」。8:27 彼かれらは、イエスが父ちちについて話はなしておられたことを悟さとらなかった。8:28 そこでイエスは言いわれた、「あなたがたが人ひとの子こを上あげてしまった後のちはじめて、わたしがそういう者ものであること、また、わたしは自分じぶんからは何なにもせず、ただ父ちちが教おしえて下くださったままを話はなしていたことが、わかってくるであろう。8:29 わたしをつかわされたかたは、わたしと一緒いっしょにおられる。わたしは、いつも神かみのみこころにかなうことをしているから、わたしをひとり置おきざりになさることはない」。8:30 これらのことを語かたられたところ、多おおくの人々ひとびとがイエスを信しんじた。 8:31 イエスは自分じぶんを信しんじたユダヤ人じんたちに言いわれた、「もしわたしの言葉ことばのうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子でしなのである。8:32 また真理しんりを知しるであろう。そして真理しんりは、あなたがたに自由じゆうを得えさせるであろう」。8:33 そこで、彼かれらはイエスに言いった、「わたしたちはアブラハムの子孫しそんであって、人ひとの奴隷どれいになったことなどは、一度いちどもない。どうして、あなたがたに自由じゆうを得えさせるであろうと、言いわれるのか」。8:34 イエスは彼かれらに答こたえられた、「よくよくあなたがたに言いっておく。すべて罪つみを犯おかす者ものは罪つみの奴隷どれいである。8:35 そして、奴隷どれいはいつまでも家いえにいる者ものではない。しかし、子こはいつまでもいる。8:36 だから、もし子こがあなたがたに自由じゆうを得えさせるならば、あなたがたは、ほんとうに自由じゆうな者ものとなるのである。8:37 わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫しそんであることを知しっている。それだのに、あなたがたはわたしを殺ころそうとしている。わたしの言葉ことばが、あなたがたのうちに根ねをおろしていないからである。8:38 わたしはわたしの父ちちのもとで見みたことを語かたっているが、あなたがたは自分じぶんの父ちちから聞きいたことを行おこなっている」。8:39 彼かれらはイエスに答こたえて言いった、「わたしたちの父ちちはアブラハムである」。イエスは彼かれらに言いわれた、「もしアブラハムの子こであるなら、アブラハムのわざをするがよい。8:40 ところが今いま、神かみから聞きいた真理しんりをあなたがたに語かたってきたこのわたしを、殺ころそうとしている。そんなことをアブラハムはしなかった。8:41 あなたがたは、あなたがたの父ちちのわざを行おこなっているのである」。彼かれらは言いった、「わたしたちは、不品行ふひんこうの結果けっかうまれた者ものではない。わたしたちにはひとりの父ちちがある。それは神かみである」。8:42 イエスは彼かれらに言いわれた、「神かみがあなたがたの父ちちであるならば、あなたがたはわたしを愛あいするはずである。わたしは神かみから出でた者もの、また神かみからきている者ものであるからだ。わたしは自分じぶんからきたのではなく、神かみからつかわされたのである。8:43 どうしてあなたがたは、わたしの話はなすことがわからないのか。あなたがたが、わたしの言葉ことばを悟さとることができないからである。8:44 あなたがたは自分じぶんの父ちち、すなわち、悪魔あくまから出でてきた者ものであって、その父ちちの欲望よくぼうどおりを行おこなおうと思おもっている。彼かれは初はじめから、人殺ひとごろしであって、真理しんりに立たつ者ものではない。彼かれのうちには真理しんりがないからである。彼かれが偽いつわりを言いうとき、いつも自分じぶんの本音ほんねをはいているのである。彼かれは偽いつわり者ものであり、偽いつわりの父ちちであるからだ。8:45 しかし、わたしが真理しんりを語かたっているので、あなたがたはわたしを信しんじようとしない。8:46 あなたがたのうち、だれがわたしに罪つみがあると責せめうるのか。わたしは真理しんりを語かたっているのに、なぜあなたがたは、わたしを信しんじないのか。8:47 神かみからきた者ものは神かみの言葉ことばに聞きき従したがうが、あなたがたが聞きき従したがわないのは、神かみからきた者ものでないからである」。 8:48 ユダヤ人じんたちはイエスに答こたえて言いった、「あなたはサマリヤ人びとで、悪霊あくれいに取とりつかれていると、わたしたちが言いうのは、当然とうぜんではないか」。8:49 イエスは答こたえられた、「わたしは、悪霊あくれいに取とりつかれているのではなくて、わたしの父ちちを重おもんじているのだが、あなたがたはわたしを軽かろんじている。8:50 わたしは自分じぶんの栄光えいこうを求もとめてはいない。それを求もとめるかたが別べつにある。そのかたは、またさばくかたである。8:51 よくよく言いっておく。もし人ひとがわたしの言葉ことばを守まもるならば、その人ひとはいつまでも死しを見みることがないであろう」。8:52 ユダヤ人じんたちが言いった、「あなたが悪霊あくれいに取とりつかれていることが、今いまわかった。アブラハムは死しに、預言者よげんしゃたちも死しんでいる。それだのに、あなたは、わたしの言葉ことばを守まもる者ものはいつまでも死しを味あじわうことがないであろうと、言いわれる。8:53 あなたは、わたしたちの父ちちアブラハムより偉えらいのだろうか。彼かれも死しに、預言者よげんしゃたちも死しんだではないか。あなたは、いったい、自分じぶんをだれと思おもっているのか」。8:54 イエスは答こたえられた、「わたしがもし自分じぶんに栄光えいこうを帰きするなら、わたしの栄光えいこうは、むなしいものである。わたしに栄光えいこうを与あたえるかたは、わたしの父ちちであって、あなたがたが自分じぶんの神かみだと言いっているのは、そのかたのことである。8:55 あなたがたはその神かみを知しっていないが、わたしは知しっている。もしわたしが神かみを知しらないと言いうならば、あなたがたと同おなじような偽いつわり者ものであろう。しかし、わたしはそのかたを知しり、その御言みことばを守まもっている。8:56 あなたがたの父ちちアブラハムは、わたしのこの日ひを見みようとして楽たのしんでいた。そしてそれを見みて喜よろこんだ」。8:57 そこでユダヤ人じんたちはイエスに言いった、「あなたはまだ五十にもならないのに、アブラハムを見みたのか」。8:58 イエスは彼かれらに言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。アブラハムの生うまれる前まえからわたしは、いるのである」。8:59 そこで彼かれらは石いしをとって、イエスに投なげつけようとした。しかし、イエスは身みを隠かくして、宮みやから出でて行いかれた。 第9章 9:1 イエスが道みちをとおっておられるとき、生うまれつきの盲人もうじんを見みられた。9:2 弟子でしたちはイエスに尋たずねて言いった、「先生せんせい、この人ひとが生うまれつき盲人もうじんなのは、だれが罪つみを犯おかしたためですか。本人ほんにんですか、それともその両親りょうしんですか」。9:3 イエスは答こたえられた、「本人ほんにんが罪つみを犯おかしたのでもなく、また、その両親りょうしんが犯おかしたのでもない。ただ神かみのみわざが、彼かれの上うえに現あらわれるためである。9:4 わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼ひるの間あいだにしなければならない。夜よるが来くる。すると、だれも働はたらけなくなる。9:5 わたしは、この世よにいる間あいだは、世よの光ひかりである」。9:6 イエスはそう言いって、地ちにつばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人もうじんの目めに塗ぬって言いわれた、9:7 「シロアム(つかわされた者もの、の意い)の池いけに行いって洗あらいなさい」。そこで彼かれは行いって洗あらった。そして見みえるようになって、帰かえって行いった。9:8 近所きんじょの人々ひとびとや、彼かれがもと、こじきであったのを見知みしっていた人々ひとびとが言いった、「この人ひとは、すわってこじきをしていた者ものではないか」。9:9 ある人々ひとびとは「その人ひとだ」と言いい、他たの人々ひとびとは「いや、ただあの人ひとに似にているだけだ」と言いった。しかし、本人ほんにんは「わたしがそれだ」と言いった。9:10 そこで人々ひとびとは彼かれに言いった、「では、おまえの目めはどうしてあいたのか」。9:11 彼かれは答こたえた、「イエスというかたが、どろをつくって、わたしの目めに塗ぬり、『シロアムに行いって洗あらえ』と言いわれました。それで、行いって洗あらうと、見みえるようになりました」。9:12 人々ひとびとは彼かれに言いった、「その人ひとはどこにいるのか」。彼かれは「知しりません」と答こたえた。 9:13 人々ひとびとは、もと盲人もうじんであったこの人ひとを、パリサイ人びとたちのところにつれて行いった。9:14 イエスがどろをつくって彼かれの目めをあけたのは、安息日あんそくにちであった。9:15 パリサイ人びとたちもまた、「どうして見みえるようになったのか」、と彼かれに尋たずねた。彼かれは答こたえた、「あのかたがわたしの目めにどろを塗ぬり、わたしがそれを洗あらい、そして見みえるようになりました」。9:16 そこで、あるパリサイ人びとたちが言いった、「その人ひとは神かみからきた人ひとではない。安息日あんそくにちを守まもっていないのだから」。しかし、ほかの人々ひとびとは言いった、「罪つみのある人ひとが、どうしてそのようなしるしを行おこなうことができようか」。そして彼かれらの間あいだに分争ぶんそうが生しょうじた。9:17 そこで彼かれらは、もう一度どこの盲人もうじんに聞きいた、「おまえの目めをあけてくれたその人ひとを、どう思おもうか」。「預言者よげんしゃだと思おもいます」と彼かれは言いった。9:18 ユダヤ人じんたちは、彼かれがもと盲人もうじんであったが見みえるようになったことを、まだ信しんじなかった。ついに彼かれらは、目めが見みえるようになったこの人ひとの両親りょうしんを呼よんで、9:19 尋たずねて言いった、「これが、生うまれつき盲人もうじんであったと、おまえたちの言いっているむすこか。それではどうして、いま目めが見みえるのか」。9:20 両親りょうしんは答こたえて言いった、「これがわたしどものむすこであること、また生うまれつき盲人もうじんであったことは存ぞんじています。9:21 しかし、どうしていま見みえるようになったのか、それは知しりません。また、だれがその目めをあけて下くださったのかも知しりません。あれに聞きいて下ください。あれはもうおとなですから、自分じぶんのことは自分じぶんで話はなせるでしょう」。9:22 両親りょうしんはユダヤ人じんたちを恐おそれていたので、こう答こたえたのである。それは、もしイエスをキリストと告白こくはくする者ものがあれば、会堂かいどうから追おい出だすことに、ユダヤ人じんたちが既すでに決きめていたからである。9:23 彼かれの両親りょうしんが「おとなですから、あれに聞きいて下ください」と言いったのは、そのためであった。 9:24 そこで彼かれらは、盲人もうじんであった人ひとをもう一度いちど呼よんで言いった、「神かみに栄光えいこうを帰きするがよい。あの人ひとが罪人つみびとであることは、わたしたちにはわかっている」。9:25 すると彼かれは言いった、「あのかたが罪人つみびとであるかどうか、わたしは知しりません。ただ一つのことだけ知しっています。わたしは盲めくらであったが、今いまは見みえるということです」。9:26 そこで彼かれらは言いった、「その人ひとはおまえに何なにをしたのか。どんなにしておまえの目めをあけたのか」。9:27 彼かれは答こたえた、「そのことはもう話はなしてあげたのに、聞きいてくれませんでした。なぜまた聞きこうとするのですか。あなたがたも、あの人ひとの弟子でしになりたいのですか」。9:28 そこで彼かれらは彼かれをののしって言いった、「おまえはあれの弟子でしだが、わたしたちはモーセの弟子でしだ。9:29 モーセに神かみが語かたられたということは知しっている。だが、あの人ひとがどこからきた者ものか、わたしたちは知しらぬ」。9:30 そこで彼かれが答こたえて言いった、「わたしの目めをあけて下くださったのに、そのかたがどこからきたか、ご存ぞんじないとは、不思議ふしぎ千万せんばんです。9:31 わたしたちはこのことを知しっています。神かみは罪人つみびとの言いうことはお聞ききいれになりませんが、神かみを敬うやまい、そのみこころを行おこなう人ひとの言いうことは、聞ききいれて下くださいます。9:32 生うまれつき盲めくらであった者ものの目めをあけた人ひとがあるということは、世界せかいが始はじまって以来いらい、聞きいたことがありません。9:33 もしあのかたが神かみからきた人ひとでなかったら、何一なにひとつできなかったはずです」。9:34 これを聞きいて彼かれらは言いった、「おまえは全まったく罪つみの中なかに生うまれていながら、わたしたちを教おしえようとするのか」。そして彼かれを外そとへ追おい出だした。 9:35 イエスは、その人ひとが外そとへ追おい出だされたことを聞きかれた。そして彼かれに会あって言いわれた、「あなたは人ひとの子こを信しんじるか」。9:36 彼かれは答こたえて言いった、「主しゅよ、それはどなたですか。そのかたを信しんじたいのですが」。9:37 イエスは彼かれに言いわれた、「あなたは、もうその人ひとに会あっている。今いまあなたと話はなしているのが、その人ひとである」。9:38 すると彼かれは、「主しゅよ、信しんじます」と言いって、イエスを拝はいした。9:39 そこでイエスは言いわれた、「わたしがこの世よにきたのは、さばくためである。すなわち、見みえない人ひとたちが見みえるようになり、見みえる人ひとたちが見みえないようになるためである」。9:40 そこにイエスと一緒いっしょにいたあるパリサイ人びとたちが、それを聞きいてイエスに言いった、「それでは、わたしたちも盲めくらなのでしょうか」。9:41 イエスは彼かれらに言いわれた、「もしあなたがたが盲人もうじんであったなら、罪つみはなかったであろう。しかし、今いまあなたがたが『見みえる』と言いい張はるところに、あなたがたの罪つみがある。 第10章 10:1 よくよくあなたがたに言いっておく。羊ひつじの囲かこいにはいるのに、門もんからでなく、ほかの所ところからのりこえて来くる者ものは、盗人ぬすびとであり、強盗ごうとうである。10:2 門もんからはいる者ものは、羊ひつじの羊飼ひつじかいである。10:3 門番もんばんは彼かれのために門もんを開ひらき、羊ひつじは彼かれの声こえを聞きく。そして彼かれは自分じぶんの羊ひつじの名なをよんで連つれ出だす。10:4 自分じぶんの羊ひつじをみな出だしてしまうと、彼かれは羊ひつじの先頭せんとうに立たって行いく。羊ひつじはその声こえを知しっているので、彼かれについて行いくのである。10:5 ほかの人ひとには、ついて行いかないで逃にげ去さる。その人ひとの声こえを知しらないからである」。10:6 イエスは彼かれらにこの比喩ひゆを話はなされたが、彼かれらは自分じぶんたちにお話はなしになっているのが何なにのことだか、わからなかった。 10:7 そこで、イエスはまた言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。わたしは羊ひつじの門もんである。10:8 わたしよりも前まえにきた人ひとは、みな盗人ぬすびとであり、強盗ごうとうである。羊ひつじは彼かれらに聞きき従したがわなかった。10:9 わたしは門もんである。わたしをとおってはいる者ものは救すくわれ、また出入でいりし、牧草ぼくそうにありつくであろう。10:10 盗人ぬすびとが来くるのは、盗ぬすんだり、殺ころしたり、滅ほろぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊ひつじに命いのちを得えさせ、豊ゆたかに得えさせるためである。10:11 わたしはよい羊飼ひつじかいである。よい羊飼ひつじかいは、羊ひつじのために命いのちを捨すてる。10:12 羊飼ひつじかいではなく、羊ひつじが自分じぶんのものでもない雇人やといにんは、おおかみが来くるのを見みると、羊ひつじをすてて逃にげ去さる。そして、おおかみは羊ひつじを奪うばい、また追おい散ちらす。10:13 彼かれは雇人やといにんであって、羊ひつじのことを心こころにかけていないからである。10:14 わたしはよい羊飼ひつじかいであって、わたしの羊ひつじを知しり、わたしの羊ひつじはまた、わたしを知しっている。10:15 それはちょうど、父ちちがわたしを知しっておられ、わたしが父ちちを知しっているのと同おなじである。そして、わたしは羊ひつじのために命いのちを捨すてるのである。10:16 わたしにはまた、この囲かこいにいない他たの羊ひつじがある。わたしは彼かれらをも導みちびかねばならない。彼かれらも、わたしの声こえに聞きき従したがうであろう。そして、ついに一つの群むれ、ひとりの羊飼ひつじかいとなるであろう。10:17 父ちちは、わたしが自分じぶんの命いのちを捨すてるから、わたしを愛あいして下くださるのである。命いのちを捨すてるのは、それを再ふたたび得えるためである。10:18 だれかが、わたしからそれを取とり去さるのではない。わたしが、自分じぶんからそれを捨すてるのである。わたしには、それを捨すてる力ちからがあり、またそれを受うける力ちからもある。これはわたしの父ちちから授さずかった定さだめである」。 10:19 これらの言葉ことばを語かたられたため、ユダヤ人じんの間あいだにまたも分争ぶんそうが生しょうじた。10:20 そのうちの多おおくの者ものが言いった、「彼かれは悪霊あくれいに取とりつかれて、気きが狂くるっている。どうして、あなたがたはその言いうことを聞きくのか」。10:21 他たの人々ひとびとは言いった、「それは悪霊あくれいに取とりつかれた者ものの言葉ことばではない。悪霊あくれいは盲人もうじんの目めをあけることができようか」。 10:22 そのころ、エルサレムで宮みやきよめの祭まつりが行おこなわれた。時ときは冬ふゆであった。10:23 イエスは、宮みやの中なかにあるソロモンの廊ろうを歩あるいておられた。10:24 するとユダヤ人じんたちが、イエスを取とり囲かこんで言いった、「いつまでわたしたちを不安ふあんのままにしておくのか。あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言いっていただきたい」。10:25 イエスは彼かれらに答こたえられた、「わたしは話はなしたのだが、あなたがたは信しんじようとしない。わたしの父ちちの名なによってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。10:26 あなたがたが信しんじないのは、わたしの羊ひつじでないからである。10:27 わたしの羊ひつじはわたしの声こえに聞きき従したがう。わたしは彼かれらを知しっており、彼かれらはわたしについて来くる。10:28 わたしは、彼かれらに永遠えいえんの命いのちを与あたえる。だから、彼かれらはいつまでも滅ほろびることがなく、また、彼かれらをわたしの手てから奪うばい去さる者ものはない。10:29 わたしの父ちちがわたしに下くださったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父ちちのみ手てから、それを奪うばい取とることはできない。10:30 わたしと父ちちとは一つである」。10:31 そこでユダヤ人じんたちは、イエスを打うち殺ころそうとして、また石いしを取とりあげた。10:32 するとイエスは彼かれらに答こたえられた、「わたしは、父ちちによる多おおくのよいわざを、あなたがたに示しめした。その中なかのどのわざのために、わたしを石いしで打うち殺ころそうとするのか」。10:33 ユダヤ人じんたちは答こたえた、「あなたを石いしで殺ころそうとするのは、よいわざをしたからではなく、神かみを汚けがしたからである。また、あなたは人間にんげんであるのに、自分じぶんを神かみとしているからである」。10:34 イエスは彼かれらに答こたえられた、「あなたがたの律法りっぽうに、『わたしは言いう、あなたがたは神々かみがみである』と書かいてあるではないか。10:35 神かみの言ことばを託たくされた人々ひとびとが、神々かみがみといわれておるとすれば、(そして聖書せいしょの言ことばは、すたることがあり得えない)10:36 父ちちが聖せい別べつして、世よにつかわされた者ものが、『わたしは神かみの子こである』と言いったからとて、どうして『あなたは神かみを汚けがす者ものだ』と言いうのか。10:37 もしわたしが父ちちのわざを行おこなわないとすれば、わたしを信しんじなくてもよい。10:38 しかし、もし行おこなっているなら、たといわたしを信しんじなくても、わたしのわざを信しんじるがよい。そうすれば、父ちちがわたしにおり、また、わたしが父ちちにおることを知しって悟さとるであろう」。10:39 そこで、彼かれらはまたイエスを捕とらえようとしたが、イエスは彼かれらの手てをのがれて、去さって行いかれた。 10:40 さて、イエスはまたヨルダンの向むこう岸ぎし、すなわち、ヨハネが初はじめにバプテスマを授さづけていた所ところに行いき、そこに滞在たいざいしておられた。10:41 多おおくの人々ひとびとがイエスのところにきて、互たがいに言いった、「ヨハネはなんのしるしも行おこなわなかったが、ヨハネがこのかたについて言いったことは、皆みなほんとうであった」。10:42 そして、そこで多おおくの者ものがイエスを信しんじた。
7:1 そののち、イエスはガリラヤを巡回じゅんかいしておられた。ユダヤ人じんたちが自分じぶんを殺ころそうとしていたので、ユダヤを巡回じゅんかいしようとはされなかった。
7:2 時ときに、ユダヤ人じんの仮庵かりいおの祭まつりが近ちかづいていた。
7:3 そこで、イエスの兄弟きょうだいたちがイエスに言いった、「あなたがしておられるわざを弟子でしたちにも見みせるために、ここを去さりユダヤに行いってはいかがです。
7:4 自分じぶんを公おおやけけにあらわそうと思おもっている人ひとで、隠かくれて仕事しごとをするものはありません。あなたがこれらのことをするからには、自分じぶんをはっきりと世よにあらわしなさい」。
7:5 こう言いったのは、兄弟きょうだいたちもイエスを信しんじていなかったからである。
7:6 そこでイエスは彼かれらに言いわれた、「わたしの時ときはまだきていない。しかし、あなたがたの時ときはいつも備そなわっている。
7:7 世よはあなたがたを憎にくみ得えないが、わたしを憎にくんでいる。わたしが世よのおこないの悪わるいことを、あかししているからである。
7:8 あなたがたこそ祭まつりに行いきなさい。わたしはこの祭まつりには行いかない。わたしの時ときはまだ満みちていないから」。
7:9 彼かれらにこう言いって、イエスはガリラヤにとどまっておられた。
7:10 しかし、兄弟きょうだいたちが祭まつりに行いったあとで、イエスも人目ひとめにたたぬように、ひそかに行いかれた。
7:11 ユダヤ人じんらは祭まつりの時ときに、「あの人ひとはどこにいるのか」と言いって、イエスを捜さがしていた。
7:12 群衆ぐんしゅうの中なかに、イエスについていろいろとうわさが立たった。ある人々ひとびとは、「あれはよい人ひとだ」と言いい、他たの人々ひとびとは、「いや、あれは群衆ぐんしゅうを惑まどわしている」と言いった。
7:13 しかし、ユダヤ人じんらを恐おそれて、イエスのことを公然こうぜんと口くちにする者ものはいなかった。
7:14 祭まつりも半なかばになってから、イエスは宮みやに上のぼって教おしえ始はじめられた。
7:15 すると、ユダヤ人じんたちは驚おどろいて言いった、「この人ひとは学問がくもんをしたこともないのに、どうして律法りっぽうの知識ちしきをもっているのだろう」。
7:16 そこでイエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「わたしの教おしえはわたし自身じしんの教おしえではなく、わたしをつかわされたかたの教おしえである。
7:17 神かみのみこころを行おこなおうと思おもう者ものであれば、だれでも、わたしの語かたっているこの教おしえが神かみからのものか、それとも、わたし自身じしんから出でたものか、わかるであろう。
7:18 自分じぶんから出でたことを語かたる者ものは、自分じぶんの栄光えいこうを求もとめるが、自分じぶんをつかわされたかたの栄光えいこうを求もとめる者ものは真実しんじつであって、その人ひとの内うちには偽いつわりがない。
7:19 モーセはあなたがたに律法りっぽうを与あたえたではないか。それだのに、あなたがたのうちには、その律法りっぽうを行おこなう者ものがひとりもない。あなたがたは、なぜわたしを殺ころそうと思おもっているのか」。
7:20 群衆ぐんしゅうは答こたえた、「あなたは悪霊あくれいに取とりつかれている。だれがあなたを殺ころそうと思おもっているものか」。
7:21 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「わたしが一つのわざをしたところ、あなたがたは皆みなそれを見みて驚おどろいている。
7:22 モーセはあなたがたに割礼かつれいを命めいじたので、(これは、実じつは、モーセから始はじまったのではなく、先祖せんぞたちから始はじまったものである)あなたがたは安息日あんそくにちにも人ひとに割礼かつれいを施ほどこしている。
7:23 もし、モーセの律法りっぽうが破やぶられないように、安息日あんそくにちであっても割礼かつれいを受うけるのなら、安息日あんそくにちに人ひとの全身ぜんしんを丈夫じょうぶにしてやったからといって、どうして、そんなにおこるのか。
7:24 うわべで人ひとをさばかないで、正ただしいさばきをするがよい」。
7:25 さて、エルサレムのある人ひとたちが言いった、「この人ひとは人々ひとびとが殺ころそうと思おもっている者ものではないか。
7:26 見みよ、彼かれは公然こうぜんと語かたっているのに、人々ひとびとはこれに対たいして何なにも言いわない。役人やくにんたちは、この人ひとがキリストであることを、ほんとうに知しっているのではなかろうか。
7:27 わたしたちはこの人ひとがどこからきたのか知しっている。しかし、キリストが現あらわれる時ときには、どこから来くるのか知しっている者ものは、ひとりもいない」。
7:28 イエスは宮みやの内うちで教おしえながら、叫さけんで言いわれた、「あなたがたは、わたしを知しっており、また、わたしがどこからきたかも知しっている。しかし、わたしは自分じぶんからきたのではない。わたしをつかわされたかたは真実しんじつであるが、あなたがたは、そのかたを知しらない。
7:29 わたしは、そのかたを知しっている。わたしはそのかたのもとからきた者もので、そのかたがわたしをつかわされたのである」。
7:30 そこで人々ひとびとはイエスを捕とらえようと計はかったが、だれひとり手てをかける者ものはなかった。イエスの時ときが、まだきていなかったからである。
7:31 しかし、群衆ぐんしゅうの中なかの多おおくの者ものが、イエスを信しんじて言いった、「キリストがきても、この人ひとが行おこなったよりも多おおくのしるしを行おこなうだろうか」。
7:32 群衆ぐんしゅうがイエスについてこのようなうわさをしているのを、パリサイ人びとたちは耳みみにした。そこで、祭司長さいしちょうたちやパリサイ人びとたちは、イエスを捕とらえようとして、下役したやくどもをつかわした。
7:33 イエスは言いわれた、「今いましばらくの間あいだ、わたしはあなたがたと一緒いっしょにいて、それから、わたしをおつかわしになったかたのみもとに行いく。
7:34 あなたがたはわたしを捜さがすであろうが、見みつけることはできない。そしてわたしのいる所ところに、あなたがたは来くることができない」。
7:35 そこでユダヤ人じんたちは互たがいに言いった、「わたしたちが見みつけることができないというのは、どこへ行いこうとしているのだろう。ギリシヤ人じんの中なかに離散りさんしている人ひとたちのところにでも行いって、ギリシヤ人じんを教おしえようというのだろうか。
7:36 また、『わたしを捜さがすが、見みつけることはできない。そしてわたしのいる所ところには来くることができないだろう』と言いったその言葉ことばは、どういう意味いみだろう」。
7:37 祭まつりの終おわりの大事だいじな日ひに、イエスは立たって、叫さけんで言いわれた、「だれでもかわく者ものは、わたしのところにきて飲のむがよい。
7:38 わたしを信しんじる者ものは、聖書せいしょに書かいてあるとおり、その腹はらから生いける水みずが川かわとなって流なれ出でるであろう」。
7:39 これは、イエスを信しんじる人々ひとびとが受うけようとしている御霊みたまをさして言いわれたのである。すなわち、イエスはまだ栄光えいこうを受うけておられなかったので、御霊みたまがまだ下くだっていなかったのである。
7:40 群衆ぐんしゅうのある者ものがこれらの言葉ことばを聞きいて、「このかたは、ほんとうに、あの預言者よげんしゃである」と言いい、
7:41 ほかの人ひとたちは「このかたはキリストである」と言いい、また、ある人々ひとびとは、「キリストはまさか、ガリラヤからは出でてこないだろう。
7:42 キリストは、ダビデの子孫しそんから、またダビデのいたベツレヘムの村むらから出でると、聖書せいしょに書かいてあるではないか」と言いった。
7:43 こうして、群衆ぐんしゅうの間あいだにイエスのことで分争ぶんそうが生しょうじた。
7:44 彼かれらのうちのある人々ひとびとは、イエスを捕とらえようと思おもったが、だれひとり手てをかける者ものはなかった。
7:45 さて、下役したやくどもが祭司長さいしちょうたちやパリサイ人びとたちのところに帰かえってきたので、彼かれらはその下役したやくどもに言いった、「なぜ、あの人ひとを連つれてこなかったのか」。
7:46 下役したやくどもは答こたえた、「この人ひとの語かたるように語かたった者ものは、これまでにありませんでした」。
7:47 パリサイ人びとたちが彼かれらに答こたえた、「あなたがたまでが、だまされているのではないか。
7:48 役人やくにんたちやパリサイ人びとたちの中なかで、ひとりでも彼かれを信しんじた者ものがあっただろうか。
7:49 律法りっぽうをわきまえないこの群衆ぐんしゅうは、のろわれている」。
7:50 彼かれらの中なかのひとりで、以前いぜんにイエスに会あいにきたことのあるニコデモが、彼かれらに言いった、
7:51 「わたしたちの律法りっぽうによれば、まずその人ひとの言いい分ぶんを聞きき、その人ひとのしたことを知しった上うえでなければ、さばくことをしないのではないか」。
7:52 彼かれらは答こたえて言いった、「あなたもガリラヤ出でなのか。よく調しらべてみなさい、ガリラヤからは預言者よげんしゃが出でるものではないことが、わかるだろう」。
〔
7:53 そして、人々ひとびとはおのおの家いえに帰かえって行いった。
第8章 8:1 イエスはオリブ山やまに行いかれた。8:2 朝あさ早はやくまた宮みやにはいられると、人々ひとびとが皆みなみもとに集あつまってきたので、イエスはすわって彼かれらを教おしえておられた。8:3 すると、律法りっぽう学者がくしゃたちやパリサイ人びとたちが、姦淫かんいんをしている時ときにつかまえられた女おんなをひっぱってきて、中なかに立たたせた上うえ、イエスに言いった、8:4 「先生せんせい、この女おんなは姦淫かんいんの場ばでつかまえられました。8:5 モーセは律法りっぽうの中なかで、こういう女おんなを石いしで打うち殺ころせと命めいじましたが、あなたはどう思おもいますか」。8:6 彼かれらがそう言いったのは、イエスをためして、訴うったえる口実こうじつを得えるためであった。しかし、イエスは身みをかがめて、指ゆびで地面じめんに何なにか書かいておられた。8:7 彼かれらが問とい続つづけるので、イエスは身みを起おこして彼かれらに言いわれた、「あなたがたの中なかで罪つみのない者ものが、まずこの女おんなに石いしを投なげつけるがよい」。8:8 そしてまた身みをかがめて、地面じめんに物ものを書かきつづけられた。8:9 これを聞きくと、彼かれらは年寄としよりから始はじめて、ひとりびとり出でて行いき、ついに、イエスだけになり、女おんなは中なかにいたまま残のこされた。8:10 そこでイエスは身みを起おこして女おんなに言いわれた、「女おんなよ、みんなはどこにいるか。あなたを罰ばっする者ものはなかったのか」。8:11 女おんなは言いった、「主しゅよ、だれもございません」。イエスは言いわれた、「わたしもあなたを罰ばっしない。お帰かえりなさい。今後こんごはもう罪つみを犯おかさないように」。〕 8:12 イエスは、また人々ひとびとに語かたってこう言いわれた、「わたしは世よの光ひかりである。わたしに従したがって来くる者ものは、やみのうちを歩あるくことがなく、命いのちの光ひかりをもつであろう」。8:13 するとパリサイ人びとたちがイエスに言いった、「あなたは、自分じぶんのことをあかししている。あなたのあかしは真実しんじつではない」。8:14 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「たとい、わたしが自分じぶんのことをあかししても、わたしのあかしは真実しんじつである。それは、わたしがどこからきたのか、また、どこへ行いくのかを知しっているからである。しかし、あなたがたは、わたしがどこからきて、どこへ行いくのかを知しらない。8:15 あなたがたは肉にくによって人ひとをさばくが、わたしはだれもさばかない。8:16 しかし、もしわたしがさばくとすれば、わたしのさばきは正ただしい。なぜなら、わたしはひとりではなく、わたしをつかわされたかたが、わたしと一緒いっしょだからである。8:17 あなたがたの律法りっぽうには、ふたりによる証言しょうげんは真実しんじつだと、書かいてある。8:18 わたし自身じしんのことをあかしするのは、わたしであるし、わたしをつかわされた父ちちも、わたしのことをあかしして下くださるのである」。8:19 すると、彼かれらはイエスに言いった、「あなたの父ちちはどこにいるのか」。イエスは答こたえられた、「あなたがたは、わたしをもわたしの父ちちをも知しっていない。もし、あなたがたがわたしを知しっていたなら、わたしの父ちちをも知しっていたであろう」。8:20 イエスが宮みやの内うちで教おしえていた時とき、これらの言葉ことばをさいせん箱はこのそばで語かたられたのであるが、イエスの時ときがまだきていなかったので、だれも捕とらえる者ものがなかった。 8:21 さて、また彼かれらに言いわれた、「わたしは去さって行いく。あなたがたはわたしを捜さがし求もとめるであろう。そして自分じぶんの罪つみのうちに死しぬであろう。わたしの行いく所ところには、あなたがたは来くることができない」。8:22 そこでユダヤ人じんたちは言いった、「わたしの行いく所ところに、あなたがたは来くることができないと、言いったのは、あるいは自殺じさつでもしようとするつもりか」。8:23 イエスは彼かれらに言いわれた、「あなたがたは下したから出でた者ものだが、わたしは上うえからきた者ものである。あなたがたはこの世よの者ものであるが、わたしはこの世よの者ものではない。8:24 だからわたしは、あなたがたは自分じぶんの罪つみのうちに死しぬであろうと、言いったのである。もしわたしがそういう者ものであることをあなたがたが信しんじなければ、罪つみのうちに死しぬことになるからである」。8:25 そこで彼かれらはイエスに言いった、「あなたは、いったい、どういうかたですか」。イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしがどういう者ものであるかは、初はじめからあなたがたに言いっているではないか。8:26 あなたがたについて、わたしの言いうべきこと、さばくべきことが、たくさんある。しかし、わたしをつかわされたかたは真実しんじつなかたである。わたしは、そのかたから聞きいたままを世よにむかって語かたるのである」。8:27 彼かれらは、イエスが父ちちについて話はなしておられたことを悟さとらなかった。8:28 そこでイエスは言いわれた、「あなたがたが人ひとの子こを上あげてしまった後のちはじめて、わたしがそういう者ものであること、また、わたしは自分じぶんからは何なにもせず、ただ父ちちが教おしえて下くださったままを話はなしていたことが、わかってくるであろう。8:29 わたしをつかわされたかたは、わたしと一緒いっしょにおられる。わたしは、いつも神かみのみこころにかなうことをしているから、わたしをひとり置おきざりになさることはない」。8:30 これらのことを語かたられたところ、多おおくの人々ひとびとがイエスを信しんじた。 8:31 イエスは自分じぶんを信しんじたユダヤ人じんたちに言いわれた、「もしわたしの言葉ことばのうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子でしなのである。8:32 また真理しんりを知しるであろう。そして真理しんりは、あなたがたに自由じゆうを得えさせるであろう」。8:33 そこで、彼かれらはイエスに言いった、「わたしたちはアブラハムの子孫しそんであって、人ひとの奴隷どれいになったことなどは、一度いちどもない。どうして、あなたがたに自由じゆうを得えさせるであろうと、言いわれるのか」。8:34 イエスは彼かれらに答こたえられた、「よくよくあなたがたに言いっておく。すべて罪つみを犯おかす者ものは罪つみの奴隷どれいである。8:35 そして、奴隷どれいはいつまでも家いえにいる者ものではない。しかし、子こはいつまでもいる。8:36 だから、もし子こがあなたがたに自由じゆうを得えさせるならば、あなたがたは、ほんとうに自由じゆうな者ものとなるのである。8:37 わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫しそんであることを知しっている。それだのに、あなたがたはわたしを殺ころそうとしている。わたしの言葉ことばが、あなたがたのうちに根ねをおろしていないからである。8:38 わたしはわたしの父ちちのもとで見みたことを語かたっているが、あなたがたは自分じぶんの父ちちから聞きいたことを行おこなっている」。8:39 彼かれらはイエスに答こたえて言いった、「わたしたちの父ちちはアブラハムである」。イエスは彼かれらに言いわれた、「もしアブラハムの子こであるなら、アブラハムのわざをするがよい。8:40 ところが今いま、神かみから聞きいた真理しんりをあなたがたに語かたってきたこのわたしを、殺ころそうとしている。そんなことをアブラハムはしなかった。8:41 あなたがたは、あなたがたの父ちちのわざを行おこなっているのである」。彼かれらは言いった、「わたしたちは、不品行ふひんこうの結果けっかうまれた者ものではない。わたしたちにはひとりの父ちちがある。それは神かみである」。8:42 イエスは彼かれらに言いわれた、「神かみがあなたがたの父ちちであるならば、あなたがたはわたしを愛あいするはずである。わたしは神かみから出でた者もの、また神かみからきている者ものであるからだ。わたしは自分じぶんからきたのではなく、神かみからつかわされたのである。8:43 どうしてあなたがたは、わたしの話はなすことがわからないのか。あなたがたが、わたしの言葉ことばを悟さとることができないからである。8:44 あなたがたは自分じぶんの父ちち、すなわち、悪魔あくまから出でてきた者ものであって、その父ちちの欲望よくぼうどおりを行おこなおうと思おもっている。彼かれは初はじめから、人殺ひとごろしであって、真理しんりに立たつ者ものではない。彼かれのうちには真理しんりがないからである。彼かれが偽いつわりを言いうとき、いつも自分じぶんの本音ほんねをはいているのである。彼かれは偽いつわり者ものであり、偽いつわりの父ちちであるからだ。8:45 しかし、わたしが真理しんりを語かたっているので、あなたがたはわたしを信しんじようとしない。8:46 あなたがたのうち、だれがわたしに罪つみがあると責せめうるのか。わたしは真理しんりを語かたっているのに、なぜあなたがたは、わたしを信しんじないのか。8:47 神かみからきた者ものは神かみの言葉ことばに聞きき従したがうが、あなたがたが聞きき従したがわないのは、神かみからきた者ものでないからである」。 8:48 ユダヤ人じんたちはイエスに答こたえて言いった、「あなたはサマリヤ人びとで、悪霊あくれいに取とりつかれていると、わたしたちが言いうのは、当然とうぜんではないか」。8:49 イエスは答こたえられた、「わたしは、悪霊あくれいに取とりつかれているのではなくて、わたしの父ちちを重おもんじているのだが、あなたがたはわたしを軽かろんじている。8:50 わたしは自分じぶんの栄光えいこうを求もとめてはいない。それを求もとめるかたが別べつにある。そのかたは、またさばくかたである。8:51 よくよく言いっておく。もし人ひとがわたしの言葉ことばを守まもるならば、その人ひとはいつまでも死しを見みることがないであろう」。8:52 ユダヤ人じんたちが言いった、「あなたが悪霊あくれいに取とりつかれていることが、今いまわかった。アブラハムは死しに、預言者よげんしゃたちも死しんでいる。それだのに、あなたは、わたしの言葉ことばを守まもる者ものはいつまでも死しを味あじわうことがないであろうと、言いわれる。8:53 あなたは、わたしたちの父ちちアブラハムより偉えらいのだろうか。彼かれも死しに、預言者よげんしゃたちも死しんだではないか。あなたは、いったい、自分じぶんをだれと思おもっているのか」。8:54 イエスは答こたえられた、「わたしがもし自分じぶんに栄光えいこうを帰きするなら、わたしの栄光えいこうは、むなしいものである。わたしに栄光えいこうを与あたえるかたは、わたしの父ちちであって、あなたがたが自分じぶんの神かみだと言いっているのは、そのかたのことである。8:55 あなたがたはその神かみを知しっていないが、わたしは知しっている。もしわたしが神かみを知しらないと言いうならば、あなたがたと同おなじような偽いつわり者ものであろう。しかし、わたしはそのかたを知しり、その御言みことばを守まもっている。8:56 あなたがたの父ちちアブラハムは、わたしのこの日ひを見みようとして楽たのしんでいた。そしてそれを見みて喜よろこんだ」。8:57 そこでユダヤ人じんたちはイエスに言いった、「あなたはまだ五十にもならないのに、アブラハムを見みたのか」。8:58 イエスは彼かれらに言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。アブラハムの生うまれる前まえからわたしは、いるのである」。8:59 そこで彼かれらは石いしをとって、イエスに投なげつけようとした。しかし、イエスは身みを隠かくして、宮みやから出でて行いかれた。 第9章 9:1 イエスが道みちをとおっておられるとき、生うまれつきの盲人もうじんを見みられた。9:2 弟子でしたちはイエスに尋たずねて言いった、「先生せんせい、この人ひとが生うまれつき盲人もうじんなのは、だれが罪つみを犯おかしたためですか。本人ほんにんですか、それともその両親りょうしんですか」。9:3 イエスは答こたえられた、「本人ほんにんが罪つみを犯おかしたのでもなく、また、その両親りょうしんが犯おかしたのでもない。ただ神かみのみわざが、彼かれの上うえに現あらわれるためである。9:4 わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼ひるの間あいだにしなければならない。夜よるが来くる。すると、だれも働はたらけなくなる。9:5 わたしは、この世よにいる間あいだは、世よの光ひかりである」。9:6 イエスはそう言いって、地ちにつばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人もうじんの目めに塗ぬって言いわれた、9:7 「シロアム(つかわされた者もの、の意い)の池いけに行いって洗あらいなさい」。そこで彼かれは行いって洗あらった。そして見みえるようになって、帰かえって行いった。9:8 近所きんじょの人々ひとびとや、彼かれがもと、こじきであったのを見知みしっていた人々ひとびとが言いった、「この人ひとは、すわってこじきをしていた者ものではないか」。9:9 ある人々ひとびとは「その人ひとだ」と言いい、他たの人々ひとびとは「いや、ただあの人ひとに似にているだけだ」と言いった。しかし、本人ほんにんは「わたしがそれだ」と言いった。9:10 そこで人々ひとびとは彼かれに言いった、「では、おまえの目めはどうしてあいたのか」。9:11 彼かれは答こたえた、「イエスというかたが、どろをつくって、わたしの目めに塗ぬり、『シロアムに行いって洗あらえ』と言いわれました。それで、行いって洗あらうと、見みえるようになりました」。9:12 人々ひとびとは彼かれに言いった、「その人ひとはどこにいるのか」。彼かれは「知しりません」と答こたえた。 9:13 人々ひとびとは、もと盲人もうじんであったこの人ひとを、パリサイ人びとたちのところにつれて行いった。9:14 イエスがどろをつくって彼かれの目めをあけたのは、安息日あんそくにちであった。9:15 パリサイ人びとたちもまた、「どうして見みえるようになったのか」、と彼かれに尋たずねた。彼かれは答こたえた、「あのかたがわたしの目めにどろを塗ぬり、わたしがそれを洗あらい、そして見みえるようになりました」。9:16 そこで、あるパリサイ人びとたちが言いった、「その人ひとは神かみからきた人ひとではない。安息日あんそくにちを守まもっていないのだから」。しかし、ほかの人々ひとびとは言いった、「罪つみのある人ひとが、どうしてそのようなしるしを行おこなうことができようか」。そして彼かれらの間あいだに分争ぶんそうが生しょうじた。9:17 そこで彼かれらは、もう一度どこの盲人もうじんに聞きいた、「おまえの目めをあけてくれたその人ひとを、どう思おもうか」。「預言者よげんしゃだと思おもいます」と彼かれは言いった。9:18 ユダヤ人じんたちは、彼かれがもと盲人もうじんであったが見みえるようになったことを、まだ信しんじなかった。ついに彼かれらは、目めが見みえるようになったこの人ひとの両親りょうしんを呼よんで、9:19 尋たずねて言いった、「これが、生うまれつき盲人もうじんであったと、おまえたちの言いっているむすこか。それではどうして、いま目めが見みえるのか」。9:20 両親りょうしんは答こたえて言いった、「これがわたしどものむすこであること、また生うまれつき盲人もうじんであったことは存ぞんじています。9:21 しかし、どうしていま見みえるようになったのか、それは知しりません。また、だれがその目めをあけて下くださったのかも知しりません。あれに聞きいて下ください。あれはもうおとなですから、自分じぶんのことは自分じぶんで話はなせるでしょう」。9:22 両親りょうしんはユダヤ人じんたちを恐おそれていたので、こう答こたえたのである。それは、もしイエスをキリストと告白こくはくする者ものがあれば、会堂かいどうから追おい出だすことに、ユダヤ人じんたちが既すでに決きめていたからである。9:23 彼かれの両親りょうしんが「おとなですから、あれに聞きいて下ください」と言いったのは、そのためであった。 9:24 そこで彼かれらは、盲人もうじんであった人ひとをもう一度いちど呼よんで言いった、「神かみに栄光えいこうを帰きするがよい。あの人ひとが罪人つみびとであることは、わたしたちにはわかっている」。9:25 すると彼かれは言いった、「あのかたが罪人つみびとであるかどうか、わたしは知しりません。ただ一つのことだけ知しっています。わたしは盲めくらであったが、今いまは見みえるということです」。9:26 そこで彼かれらは言いった、「その人ひとはおまえに何なにをしたのか。どんなにしておまえの目めをあけたのか」。9:27 彼かれは答こたえた、「そのことはもう話はなしてあげたのに、聞きいてくれませんでした。なぜまた聞きこうとするのですか。あなたがたも、あの人ひとの弟子でしになりたいのですか」。9:28 そこで彼かれらは彼かれをののしって言いった、「おまえはあれの弟子でしだが、わたしたちはモーセの弟子でしだ。9:29 モーセに神かみが語かたられたということは知しっている。だが、あの人ひとがどこからきた者ものか、わたしたちは知しらぬ」。9:30 そこで彼かれが答こたえて言いった、「わたしの目めをあけて下くださったのに、そのかたがどこからきたか、ご存ぞんじないとは、不思議ふしぎ千万せんばんです。9:31 わたしたちはこのことを知しっています。神かみは罪人つみびとの言いうことはお聞ききいれになりませんが、神かみを敬うやまい、そのみこころを行おこなう人ひとの言いうことは、聞ききいれて下くださいます。9:32 生うまれつき盲めくらであった者ものの目めをあけた人ひとがあるということは、世界せかいが始はじまって以来いらい、聞きいたことがありません。9:33 もしあのかたが神かみからきた人ひとでなかったら、何一なにひとつできなかったはずです」。9:34 これを聞きいて彼かれらは言いった、「おまえは全まったく罪つみの中なかに生うまれていながら、わたしたちを教おしえようとするのか」。そして彼かれを外そとへ追おい出だした。 9:35 イエスは、その人ひとが外そとへ追おい出だされたことを聞きかれた。そして彼かれに会あって言いわれた、「あなたは人ひとの子こを信しんじるか」。9:36 彼かれは答こたえて言いった、「主しゅよ、それはどなたですか。そのかたを信しんじたいのですが」。9:37 イエスは彼かれに言いわれた、「あなたは、もうその人ひとに会あっている。今いまあなたと話はなしているのが、その人ひとである」。9:38 すると彼かれは、「主しゅよ、信しんじます」と言いって、イエスを拝はいした。9:39 そこでイエスは言いわれた、「わたしがこの世よにきたのは、さばくためである。すなわち、見みえない人ひとたちが見みえるようになり、見みえる人ひとたちが見みえないようになるためである」。9:40 そこにイエスと一緒いっしょにいたあるパリサイ人びとたちが、それを聞きいてイエスに言いった、「それでは、わたしたちも盲めくらなのでしょうか」。9:41 イエスは彼かれらに言いわれた、「もしあなたがたが盲人もうじんであったなら、罪つみはなかったであろう。しかし、今いまあなたがたが『見みえる』と言いい張はるところに、あなたがたの罪つみがある。 第10章 10:1 よくよくあなたがたに言いっておく。羊ひつじの囲かこいにはいるのに、門もんからでなく、ほかの所ところからのりこえて来くる者ものは、盗人ぬすびとであり、強盗ごうとうである。10:2 門もんからはいる者ものは、羊ひつじの羊飼ひつじかいである。10:3 門番もんばんは彼かれのために門もんを開ひらき、羊ひつじは彼かれの声こえを聞きく。そして彼かれは自分じぶんの羊ひつじの名なをよんで連つれ出だす。10:4 自分じぶんの羊ひつじをみな出だしてしまうと、彼かれは羊ひつじの先頭せんとうに立たって行いく。羊ひつじはその声こえを知しっているので、彼かれについて行いくのである。10:5 ほかの人ひとには、ついて行いかないで逃にげ去さる。その人ひとの声こえを知しらないからである」。10:6 イエスは彼かれらにこの比喩ひゆを話はなされたが、彼かれらは自分じぶんたちにお話はなしになっているのが何なにのことだか、わからなかった。 10:7 そこで、イエスはまた言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。わたしは羊ひつじの門もんである。10:8 わたしよりも前まえにきた人ひとは、みな盗人ぬすびとであり、強盗ごうとうである。羊ひつじは彼かれらに聞きき従したがわなかった。10:9 わたしは門もんである。わたしをとおってはいる者ものは救すくわれ、また出入でいりし、牧草ぼくそうにありつくであろう。10:10 盗人ぬすびとが来くるのは、盗ぬすんだり、殺ころしたり、滅ほろぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊ひつじに命いのちを得えさせ、豊ゆたかに得えさせるためである。10:11 わたしはよい羊飼ひつじかいである。よい羊飼ひつじかいは、羊ひつじのために命いのちを捨すてる。10:12 羊飼ひつじかいではなく、羊ひつじが自分じぶんのものでもない雇人やといにんは、おおかみが来くるのを見みると、羊ひつじをすてて逃にげ去さる。そして、おおかみは羊ひつじを奪うばい、また追おい散ちらす。10:13 彼かれは雇人やといにんであって、羊ひつじのことを心こころにかけていないからである。10:14 わたしはよい羊飼ひつじかいであって、わたしの羊ひつじを知しり、わたしの羊ひつじはまた、わたしを知しっている。10:15 それはちょうど、父ちちがわたしを知しっておられ、わたしが父ちちを知しっているのと同おなじである。そして、わたしは羊ひつじのために命いのちを捨すてるのである。10:16 わたしにはまた、この囲かこいにいない他たの羊ひつじがある。わたしは彼かれらをも導みちびかねばならない。彼かれらも、わたしの声こえに聞きき従したがうであろう。そして、ついに一つの群むれ、ひとりの羊飼ひつじかいとなるであろう。10:17 父ちちは、わたしが自分じぶんの命いのちを捨すてるから、わたしを愛あいして下くださるのである。命いのちを捨すてるのは、それを再ふたたび得えるためである。10:18 だれかが、わたしからそれを取とり去さるのではない。わたしが、自分じぶんからそれを捨すてるのである。わたしには、それを捨すてる力ちからがあり、またそれを受うける力ちからもある。これはわたしの父ちちから授さずかった定さだめである」。 10:19 これらの言葉ことばを語かたられたため、ユダヤ人じんの間あいだにまたも分争ぶんそうが生しょうじた。10:20 そのうちの多おおくの者ものが言いった、「彼かれは悪霊あくれいに取とりつかれて、気きが狂くるっている。どうして、あなたがたはその言いうことを聞きくのか」。10:21 他たの人々ひとびとは言いった、「それは悪霊あくれいに取とりつかれた者ものの言葉ことばではない。悪霊あくれいは盲人もうじんの目めをあけることができようか」。 10:22 そのころ、エルサレムで宮みやきよめの祭まつりが行おこなわれた。時ときは冬ふゆであった。10:23 イエスは、宮みやの中なかにあるソロモンの廊ろうを歩あるいておられた。10:24 するとユダヤ人じんたちが、イエスを取とり囲かこんで言いった、「いつまでわたしたちを不安ふあんのままにしておくのか。あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言いっていただきたい」。10:25 イエスは彼かれらに答こたえられた、「わたしは話はなしたのだが、あなたがたは信しんじようとしない。わたしの父ちちの名なによってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。10:26 あなたがたが信しんじないのは、わたしの羊ひつじでないからである。10:27 わたしの羊ひつじはわたしの声こえに聞きき従したがう。わたしは彼かれらを知しっており、彼かれらはわたしについて来くる。10:28 わたしは、彼かれらに永遠えいえんの命いのちを与あたえる。だから、彼かれらはいつまでも滅ほろびることがなく、また、彼かれらをわたしの手てから奪うばい去さる者ものはない。10:29 わたしの父ちちがわたしに下くださったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父ちちのみ手てから、それを奪うばい取とることはできない。10:30 わたしと父ちちとは一つである」。10:31 そこでユダヤ人じんたちは、イエスを打うち殺ころそうとして、また石いしを取とりあげた。10:32 するとイエスは彼かれらに答こたえられた、「わたしは、父ちちによる多おおくのよいわざを、あなたがたに示しめした。その中なかのどのわざのために、わたしを石いしで打うち殺ころそうとするのか」。10:33 ユダヤ人じんたちは答こたえた、「あなたを石いしで殺ころそうとするのは、よいわざをしたからではなく、神かみを汚けがしたからである。また、あなたは人間にんげんであるのに、自分じぶんを神かみとしているからである」。10:34 イエスは彼かれらに答こたえられた、「あなたがたの律法りっぽうに、『わたしは言いう、あなたがたは神々かみがみである』と書かいてあるではないか。10:35 神かみの言ことばを託たくされた人々ひとびとが、神々かみがみといわれておるとすれば、(そして聖書せいしょの言ことばは、すたることがあり得えない)10:36 父ちちが聖せい別べつして、世よにつかわされた者ものが、『わたしは神かみの子こである』と言いったからとて、どうして『あなたは神かみを汚けがす者ものだ』と言いうのか。10:37 もしわたしが父ちちのわざを行おこなわないとすれば、わたしを信しんじなくてもよい。10:38 しかし、もし行おこなっているなら、たといわたしを信しんじなくても、わたしのわざを信しんじるがよい。そうすれば、父ちちがわたしにおり、また、わたしが父ちちにおることを知しって悟さとるであろう」。10:39 そこで、彼かれらはまたイエスを捕とらえようとしたが、イエスは彼かれらの手てをのがれて、去さって行いかれた。 10:40 さて、イエスはまたヨルダンの向むこう岸ぎし、すなわち、ヨハネが初はじめにバプテスマを授さづけていた所ところに行いき、そこに滞在たいざいしておられた。10:41 多おおくの人々ひとびとがイエスのところにきて、互たがいに言いった、「ヨハネはなんのしるしも行おこなわなかったが、ヨハネがこのかたについて言いったことは、皆みなほんとうであった」。10:42 そして、そこで多おおくの者ものがイエスを信しんじた。
8:1 イエスはオリブ山やまに行いかれた。
8:2 朝あさ早はやくまた宮みやにはいられると、人々ひとびとが皆みなみもとに集あつまってきたので、イエスはすわって彼かれらを教おしえておられた。
8:3 すると、律法りっぽう学者がくしゃたちやパリサイ人びとたちが、姦淫かんいんをしている時ときにつかまえられた女おんなをひっぱってきて、中なかに立たたせた上うえ、イエスに言いった、
8:4 「先生せんせい、この女おんなは姦淫かんいんの場ばでつかまえられました。
8:5 モーセは律法りっぽうの中なかで、こういう女おんなを石いしで打うち殺ころせと命めいじましたが、あなたはどう思おもいますか」。
8:6 彼かれらがそう言いったのは、イエスをためして、訴うったえる口実こうじつを得えるためであった。しかし、イエスは身みをかがめて、指ゆびで地面じめんに何なにか書かいておられた。
8:7 彼かれらが問とい続つづけるので、イエスは身みを起おこして彼かれらに言いわれた、「あなたがたの中なかで罪つみのない者ものが、まずこの女おんなに石いしを投なげつけるがよい」。
8:8 そしてまた身みをかがめて、地面じめんに物ものを書かきつづけられた。
8:9 これを聞きくと、彼かれらは年寄としよりから始はじめて、ひとりびとり出でて行いき、ついに、イエスだけになり、女おんなは中なかにいたまま残のこされた。
8:10 そこでイエスは身みを起おこして女おんなに言いわれた、「女おんなよ、みんなはどこにいるか。あなたを罰ばっする者ものはなかったのか」。
8:11 女おんなは言いった、「主しゅよ、だれもございません」。イエスは言いわれた、「わたしもあなたを罰ばっしない。お帰かえりなさい。今後こんごはもう罪つみを犯おかさないように」。〕
8:12 イエスは、また人々ひとびとに語かたってこう言いわれた、「わたしは世よの光ひかりである。わたしに従したがって来くる者ものは、やみのうちを歩あるくことがなく、命いのちの光ひかりをもつであろう」。
8:13 するとパリサイ人びとたちがイエスに言いった、「あなたは、自分じぶんのことをあかししている。あなたのあかしは真実しんじつではない」。
8:14 イエスは彼かれらに答こたえて言いわれた、「たとい、わたしが自分じぶんのことをあかししても、わたしのあかしは真実しんじつである。それは、わたしがどこからきたのか、また、どこへ行いくのかを知しっているからである。しかし、あなたがたは、わたしがどこからきて、どこへ行いくのかを知しらない。
8:15 あなたがたは肉にくによって人ひとをさばくが、わたしはだれもさばかない。
8:16 しかし、もしわたしがさばくとすれば、わたしのさばきは正ただしい。なぜなら、わたしはひとりではなく、わたしをつかわされたかたが、わたしと一緒いっしょだからである。
8:17 あなたがたの律法りっぽうには、ふたりによる証言しょうげんは真実しんじつだと、書かいてある。
8:18 わたし自身じしんのことをあかしするのは、わたしであるし、わたしをつかわされた父ちちも、わたしのことをあかしして下くださるのである」。
8:19 すると、彼かれらはイエスに言いった、「あなたの父ちちはどこにいるのか」。イエスは答こたえられた、「あなたがたは、わたしをもわたしの父ちちをも知しっていない。もし、あなたがたがわたしを知しっていたなら、わたしの父ちちをも知しっていたであろう」。
8:20 イエスが宮みやの内うちで教おしえていた時とき、これらの言葉ことばをさいせん箱はこのそばで語かたられたのであるが、イエスの時ときがまだきていなかったので、だれも捕とらえる者ものがなかった。
8:21 さて、また彼かれらに言いわれた、「わたしは去さって行いく。あなたがたはわたしを捜さがし求もとめるであろう。そして自分じぶんの罪つみのうちに死しぬであろう。わたしの行いく所ところには、あなたがたは来くることができない」。
8:22 そこでユダヤ人じんたちは言いった、「わたしの行いく所ところに、あなたがたは来くることができないと、言いったのは、あるいは自殺じさつでもしようとするつもりか」。
8:23 イエスは彼かれらに言いわれた、「あなたがたは下したから出でた者ものだが、わたしは上うえからきた者ものである。あなたがたはこの世よの者ものであるが、わたしはこの世よの者ものではない。
8:24 だからわたしは、あなたがたは自分じぶんの罪つみのうちに死しぬであろうと、言いったのである。もしわたしがそういう者ものであることをあなたがたが信しんじなければ、罪つみのうちに死しぬことになるからである」。
8:25 そこで彼かれらはイエスに言いった、「あなたは、いったい、どういうかたですか」。イエスは彼かれらに言いわれた、「わたしがどういう者ものであるかは、初はじめからあなたがたに言いっているではないか。
8:26 あなたがたについて、わたしの言いうべきこと、さばくべきことが、たくさんある。しかし、わたしをつかわされたかたは真実しんじつなかたである。わたしは、そのかたから聞きいたままを世よにむかって語かたるのである」。
8:27 彼かれらは、イエスが父ちちについて話はなしておられたことを悟さとらなかった。
8:28 そこでイエスは言いわれた、「あなたがたが人ひとの子こを上あげてしまった後のちはじめて、わたしがそういう者ものであること、また、わたしは自分じぶんからは何なにもせず、ただ父ちちが教おしえて下くださったままを話はなしていたことが、わかってくるであろう。
8:29 わたしをつかわされたかたは、わたしと一緒いっしょにおられる。わたしは、いつも神かみのみこころにかなうことをしているから、わたしをひとり置おきざりになさることはない」。
8:30 これらのことを語かたられたところ、多おおくの人々ひとびとがイエスを信しんじた。
8:31 イエスは自分じぶんを信しんじたユダヤ人じんたちに言いわれた、「もしわたしの言葉ことばのうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子でしなのである。
8:32 また真理しんりを知しるであろう。そして真理しんりは、あなたがたに自由じゆうを得えさせるであろう」。
8:33 そこで、彼かれらはイエスに言いった、「わたしたちはアブラハムの子孫しそんであって、人ひとの奴隷どれいになったことなどは、一度いちどもない。どうして、あなたがたに自由じゆうを得えさせるであろうと、言いわれるのか」。
8:34 イエスは彼かれらに答こたえられた、「よくよくあなたがたに言いっておく。すべて罪つみを犯おかす者ものは罪つみの奴隷どれいである。
8:35 そして、奴隷どれいはいつまでも家いえにいる者ものではない。しかし、子こはいつまでもいる。
8:36 だから、もし子こがあなたがたに自由じゆうを得えさせるならば、あなたがたは、ほんとうに自由じゆうな者ものとなるのである。
8:37 わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫しそんであることを知しっている。それだのに、あなたがたはわたしを殺ころそうとしている。わたしの言葉ことばが、あなたがたのうちに根ねをおろしていないからである。
8:38 わたしはわたしの父ちちのもとで見みたことを語かたっているが、あなたがたは自分じぶんの父ちちから聞きいたことを行おこなっている」。
8:39 彼かれらはイエスに答こたえて言いった、「わたしたちの父ちちはアブラハムである」。イエスは彼かれらに言いわれた、「もしアブラハムの子こであるなら、アブラハムのわざをするがよい。
8:40 ところが今いま、神かみから聞きいた真理しんりをあなたがたに語かたってきたこのわたしを、殺ころそうとしている。そんなことをアブラハムはしなかった。
8:41 あなたがたは、あなたがたの父ちちのわざを行おこなっているのである」。彼かれらは言いった、「わたしたちは、不品行ふひんこうの結果けっかうまれた者ものではない。わたしたちにはひとりの父ちちがある。それは神かみである」。
8:42 イエスは彼かれらに言いわれた、「神かみがあなたがたの父ちちであるならば、あなたがたはわたしを愛あいするはずである。わたしは神かみから出でた者もの、また神かみからきている者ものであるからだ。わたしは自分じぶんからきたのではなく、神かみからつかわされたのである。
8:43 どうしてあなたがたは、わたしの話はなすことがわからないのか。あなたがたが、わたしの言葉ことばを悟さとることができないからである。
8:44 あなたがたは自分じぶんの父ちち、すなわち、悪魔あくまから出でてきた者ものであって、その父ちちの欲望よくぼうどおりを行おこなおうと思おもっている。彼かれは初はじめから、人殺ひとごろしであって、真理しんりに立たつ者ものではない。彼かれのうちには真理しんりがないからである。彼かれが偽いつわりを言いうとき、いつも自分じぶんの本音ほんねをはいているのである。彼かれは偽いつわり者ものであり、偽いつわりの父ちちであるからだ。
8:45 しかし、わたしが真理しんりを語かたっているので、あなたがたはわたしを信しんじようとしない。
8:46 あなたがたのうち、だれがわたしに罪つみがあると責せめうるのか。わたしは真理しんりを語かたっているのに、なぜあなたがたは、わたしを信しんじないのか。
8:47 神かみからきた者ものは神かみの言葉ことばに聞きき従したがうが、あなたがたが聞きき従したがわないのは、神かみからきた者ものでないからである」。
8:48 ユダヤ人じんたちはイエスに答こたえて言いった、「あなたはサマリヤ人びとで、悪霊あくれいに取とりつかれていると、わたしたちが言いうのは、当然とうぜんではないか」。
8:49 イエスは答こたえられた、「わたしは、悪霊あくれいに取とりつかれているのではなくて、わたしの父ちちを重おもんじているのだが、あなたがたはわたしを軽かろんじている。
8:50 わたしは自分じぶんの栄光えいこうを求もとめてはいない。それを求もとめるかたが別べつにある。そのかたは、またさばくかたである。
8:51 よくよく言いっておく。もし人ひとがわたしの言葉ことばを守まもるならば、その人ひとはいつまでも死しを見みることがないであろう」。
8:52 ユダヤ人じんたちが言いった、「あなたが悪霊あくれいに取とりつかれていることが、今いまわかった。アブラハムは死しに、預言者よげんしゃたちも死しんでいる。それだのに、あなたは、わたしの言葉ことばを守まもる者ものはいつまでも死しを味あじわうことがないであろうと、言いわれる。
8:53 あなたは、わたしたちの父ちちアブラハムより偉えらいのだろうか。彼かれも死しに、預言者よげんしゃたちも死しんだではないか。あなたは、いったい、自分じぶんをだれと思おもっているのか」。
8:54 イエスは答こたえられた、「わたしがもし自分じぶんに栄光えいこうを帰きするなら、わたしの栄光えいこうは、むなしいものである。わたしに栄光えいこうを与あたえるかたは、わたしの父ちちであって、あなたがたが自分じぶんの神かみだと言いっているのは、そのかたのことである。
8:55 あなたがたはその神かみを知しっていないが、わたしは知しっている。もしわたしが神かみを知しらないと言いうならば、あなたがたと同おなじような偽いつわり者ものであろう。しかし、わたしはそのかたを知しり、その御言みことばを守まもっている。
8:56 あなたがたの父ちちアブラハムは、わたしのこの日ひを見みようとして楽たのしんでいた。そしてそれを見みて喜よろこんだ」。
8:57 そこでユダヤ人じんたちはイエスに言いった、「あなたはまだ五十にもならないのに、アブラハムを見みたのか」。
8:58 イエスは彼かれらに言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。アブラハムの生うまれる前まえからわたしは、いるのである」。
8:59 そこで彼かれらは石いしをとって、イエスに投なげつけようとした。しかし、イエスは身みを隠かくして、宮みやから出でて行いかれた。
第9章 9:1 イエスが道みちをとおっておられるとき、生うまれつきの盲人もうじんを見みられた。9:2 弟子でしたちはイエスに尋たずねて言いった、「先生せんせい、この人ひとが生うまれつき盲人もうじんなのは、だれが罪つみを犯おかしたためですか。本人ほんにんですか、それともその両親りょうしんですか」。9:3 イエスは答こたえられた、「本人ほんにんが罪つみを犯おかしたのでもなく、また、その両親りょうしんが犯おかしたのでもない。ただ神かみのみわざが、彼かれの上うえに現あらわれるためである。9:4 わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼ひるの間あいだにしなければならない。夜よるが来くる。すると、だれも働はたらけなくなる。9:5 わたしは、この世よにいる間あいだは、世よの光ひかりである」。9:6 イエスはそう言いって、地ちにつばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人もうじんの目めに塗ぬって言いわれた、9:7 「シロアム(つかわされた者もの、の意い)の池いけに行いって洗あらいなさい」。そこで彼かれは行いって洗あらった。そして見みえるようになって、帰かえって行いった。9:8 近所きんじょの人々ひとびとや、彼かれがもと、こじきであったのを見知みしっていた人々ひとびとが言いった、「この人ひとは、すわってこじきをしていた者ものではないか」。9:9 ある人々ひとびとは「その人ひとだ」と言いい、他たの人々ひとびとは「いや、ただあの人ひとに似にているだけだ」と言いった。しかし、本人ほんにんは「わたしがそれだ」と言いった。9:10 そこで人々ひとびとは彼かれに言いった、「では、おまえの目めはどうしてあいたのか」。9:11 彼かれは答こたえた、「イエスというかたが、どろをつくって、わたしの目めに塗ぬり、『シロアムに行いって洗あらえ』と言いわれました。それで、行いって洗あらうと、見みえるようになりました」。9:12 人々ひとびとは彼かれに言いった、「その人ひとはどこにいるのか」。彼かれは「知しりません」と答こたえた。 9:13 人々ひとびとは、もと盲人もうじんであったこの人ひとを、パリサイ人びとたちのところにつれて行いった。9:14 イエスがどろをつくって彼かれの目めをあけたのは、安息日あんそくにちであった。9:15 パリサイ人びとたちもまた、「どうして見みえるようになったのか」、と彼かれに尋たずねた。彼かれは答こたえた、「あのかたがわたしの目めにどろを塗ぬり、わたしがそれを洗あらい、そして見みえるようになりました」。9:16 そこで、あるパリサイ人びとたちが言いった、「その人ひとは神かみからきた人ひとではない。安息日あんそくにちを守まもっていないのだから」。しかし、ほかの人々ひとびとは言いった、「罪つみのある人ひとが、どうしてそのようなしるしを行おこなうことができようか」。そして彼かれらの間あいだに分争ぶんそうが生しょうじた。9:17 そこで彼かれらは、もう一度どこの盲人もうじんに聞きいた、「おまえの目めをあけてくれたその人ひとを、どう思おもうか」。「預言者よげんしゃだと思おもいます」と彼かれは言いった。9:18 ユダヤ人じんたちは、彼かれがもと盲人もうじんであったが見みえるようになったことを、まだ信しんじなかった。ついに彼かれらは、目めが見みえるようになったこの人ひとの両親りょうしんを呼よんで、9:19 尋たずねて言いった、「これが、生うまれつき盲人もうじんであったと、おまえたちの言いっているむすこか。それではどうして、いま目めが見みえるのか」。9:20 両親りょうしんは答こたえて言いった、「これがわたしどものむすこであること、また生うまれつき盲人もうじんであったことは存ぞんじています。9:21 しかし、どうしていま見みえるようになったのか、それは知しりません。また、だれがその目めをあけて下くださったのかも知しりません。あれに聞きいて下ください。あれはもうおとなですから、自分じぶんのことは自分じぶんで話はなせるでしょう」。9:22 両親りょうしんはユダヤ人じんたちを恐おそれていたので、こう答こたえたのである。それは、もしイエスをキリストと告白こくはくする者ものがあれば、会堂かいどうから追おい出だすことに、ユダヤ人じんたちが既すでに決きめていたからである。9:23 彼かれの両親りょうしんが「おとなですから、あれに聞きいて下ください」と言いったのは、そのためであった。 9:24 そこで彼かれらは、盲人もうじんであった人ひとをもう一度いちど呼よんで言いった、「神かみに栄光えいこうを帰きするがよい。あの人ひとが罪人つみびとであることは、わたしたちにはわかっている」。9:25 すると彼かれは言いった、「あのかたが罪人つみびとであるかどうか、わたしは知しりません。ただ一つのことだけ知しっています。わたしは盲めくらであったが、今いまは見みえるということです」。9:26 そこで彼かれらは言いった、「その人ひとはおまえに何なにをしたのか。どんなにしておまえの目めをあけたのか」。9:27 彼かれは答こたえた、「そのことはもう話はなしてあげたのに、聞きいてくれませんでした。なぜまた聞きこうとするのですか。あなたがたも、あの人ひとの弟子でしになりたいのですか」。9:28 そこで彼かれらは彼かれをののしって言いった、「おまえはあれの弟子でしだが、わたしたちはモーセの弟子でしだ。9:29 モーセに神かみが語かたられたということは知しっている。だが、あの人ひとがどこからきた者ものか、わたしたちは知しらぬ」。9:30 そこで彼かれが答こたえて言いった、「わたしの目めをあけて下くださったのに、そのかたがどこからきたか、ご存ぞんじないとは、不思議ふしぎ千万せんばんです。9:31 わたしたちはこのことを知しっています。神かみは罪人つみびとの言いうことはお聞ききいれになりませんが、神かみを敬うやまい、そのみこころを行おこなう人ひとの言いうことは、聞ききいれて下くださいます。9:32 生うまれつき盲めくらであった者ものの目めをあけた人ひとがあるということは、世界せかいが始はじまって以来いらい、聞きいたことがありません。9:33 もしあのかたが神かみからきた人ひとでなかったら、何一なにひとつできなかったはずです」。9:34 これを聞きいて彼かれらは言いった、「おまえは全まったく罪つみの中なかに生うまれていながら、わたしたちを教おしえようとするのか」。そして彼かれを外そとへ追おい出だした。 9:35 イエスは、その人ひとが外そとへ追おい出だされたことを聞きかれた。そして彼かれに会あって言いわれた、「あなたは人ひとの子こを信しんじるか」。9:36 彼かれは答こたえて言いった、「主しゅよ、それはどなたですか。そのかたを信しんじたいのですが」。9:37 イエスは彼かれに言いわれた、「あなたは、もうその人ひとに会あっている。今いまあなたと話はなしているのが、その人ひとである」。9:38 すると彼かれは、「主しゅよ、信しんじます」と言いって、イエスを拝はいした。9:39 そこでイエスは言いわれた、「わたしがこの世よにきたのは、さばくためである。すなわち、見みえない人ひとたちが見みえるようになり、見みえる人ひとたちが見みえないようになるためである」。9:40 そこにイエスと一緒いっしょにいたあるパリサイ人びとたちが、それを聞きいてイエスに言いった、「それでは、わたしたちも盲めくらなのでしょうか」。9:41 イエスは彼かれらに言いわれた、「もしあなたがたが盲人もうじんであったなら、罪つみはなかったであろう。しかし、今いまあなたがたが『見みえる』と言いい張はるところに、あなたがたの罪つみがある。 第10章 10:1 よくよくあなたがたに言いっておく。羊ひつじの囲かこいにはいるのに、門もんからでなく、ほかの所ところからのりこえて来くる者ものは、盗人ぬすびとであり、強盗ごうとうである。10:2 門もんからはいる者ものは、羊ひつじの羊飼ひつじかいである。10:3 門番もんばんは彼かれのために門もんを開ひらき、羊ひつじは彼かれの声こえを聞きく。そして彼かれは自分じぶんの羊ひつじの名なをよんで連つれ出だす。10:4 自分じぶんの羊ひつじをみな出だしてしまうと、彼かれは羊ひつじの先頭せんとうに立たって行いく。羊ひつじはその声こえを知しっているので、彼かれについて行いくのである。10:5 ほかの人ひとには、ついて行いかないで逃にげ去さる。その人ひとの声こえを知しらないからである」。10:6 イエスは彼かれらにこの比喩ひゆを話はなされたが、彼かれらは自分じぶんたちにお話はなしになっているのが何なにのことだか、わからなかった。 10:7 そこで、イエスはまた言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。わたしは羊ひつじの門もんである。10:8 わたしよりも前まえにきた人ひとは、みな盗人ぬすびとであり、強盗ごうとうである。羊ひつじは彼かれらに聞きき従したがわなかった。10:9 わたしは門もんである。わたしをとおってはいる者ものは救すくわれ、また出入でいりし、牧草ぼくそうにありつくであろう。10:10 盗人ぬすびとが来くるのは、盗ぬすんだり、殺ころしたり、滅ほろぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊ひつじに命いのちを得えさせ、豊ゆたかに得えさせるためである。10:11 わたしはよい羊飼ひつじかいである。よい羊飼ひつじかいは、羊ひつじのために命いのちを捨すてる。10:12 羊飼ひつじかいではなく、羊ひつじが自分じぶんのものでもない雇人やといにんは、おおかみが来くるのを見みると、羊ひつじをすてて逃にげ去さる。そして、おおかみは羊ひつじを奪うばい、また追おい散ちらす。10:13 彼かれは雇人やといにんであって、羊ひつじのことを心こころにかけていないからである。10:14 わたしはよい羊飼ひつじかいであって、わたしの羊ひつじを知しり、わたしの羊ひつじはまた、わたしを知しっている。10:15 それはちょうど、父ちちがわたしを知しっておられ、わたしが父ちちを知しっているのと同おなじである。そして、わたしは羊ひつじのために命いのちを捨すてるのである。10:16 わたしにはまた、この囲かこいにいない他たの羊ひつじがある。わたしは彼かれらをも導みちびかねばならない。彼かれらも、わたしの声こえに聞きき従したがうであろう。そして、ついに一つの群むれ、ひとりの羊飼ひつじかいとなるであろう。10:17 父ちちは、わたしが自分じぶんの命いのちを捨すてるから、わたしを愛あいして下くださるのである。命いのちを捨すてるのは、それを再ふたたび得えるためである。10:18 だれかが、わたしからそれを取とり去さるのではない。わたしが、自分じぶんからそれを捨すてるのである。わたしには、それを捨すてる力ちからがあり、またそれを受うける力ちからもある。これはわたしの父ちちから授さずかった定さだめである」。 10:19 これらの言葉ことばを語かたられたため、ユダヤ人じんの間あいだにまたも分争ぶんそうが生しょうじた。10:20 そのうちの多おおくの者ものが言いった、「彼かれは悪霊あくれいに取とりつかれて、気きが狂くるっている。どうして、あなたがたはその言いうことを聞きくのか」。10:21 他たの人々ひとびとは言いった、「それは悪霊あくれいに取とりつかれた者ものの言葉ことばではない。悪霊あくれいは盲人もうじんの目めをあけることができようか」。 10:22 そのころ、エルサレムで宮みやきよめの祭まつりが行おこなわれた。時ときは冬ふゆであった。10:23 イエスは、宮みやの中なかにあるソロモンの廊ろうを歩あるいておられた。10:24 するとユダヤ人じんたちが、イエスを取とり囲かこんで言いった、「いつまでわたしたちを不安ふあんのままにしておくのか。あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言いっていただきたい」。10:25 イエスは彼かれらに答こたえられた、「わたしは話はなしたのだが、あなたがたは信しんじようとしない。わたしの父ちちの名なによってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。10:26 あなたがたが信しんじないのは、わたしの羊ひつじでないからである。10:27 わたしの羊ひつじはわたしの声こえに聞きき従したがう。わたしは彼かれらを知しっており、彼かれらはわたしについて来くる。10:28 わたしは、彼かれらに永遠えいえんの命いのちを与あたえる。だから、彼かれらはいつまでも滅ほろびることがなく、また、彼かれらをわたしの手てから奪うばい去さる者ものはない。10:29 わたしの父ちちがわたしに下くださったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父ちちのみ手てから、それを奪うばい取とることはできない。10:30 わたしと父ちちとは一つである」。10:31 そこでユダヤ人じんたちは、イエスを打うち殺ころそうとして、また石いしを取とりあげた。10:32 するとイエスは彼かれらに答こたえられた、「わたしは、父ちちによる多おおくのよいわざを、あなたがたに示しめした。その中なかのどのわざのために、わたしを石いしで打うち殺ころそうとするのか」。10:33 ユダヤ人じんたちは答こたえた、「あなたを石いしで殺ころそうとするのは、よいわざをしたからではなく、神かみを汚けがしたからである。また、あなたは人間にんげんであるのに、自分じぶんを神かみとしているからである」。10:34 イエスは彼かれらに答こたえられた、「あなたがたの律法りっぽうに、『わたしは言いう、あなたがたは神々かみがみである』と書かいてあるではないか。10:35 神かみの言ことばを託たくされた人々ひとびとが、神々かみがみといわれておるとすれば、(そして聖書せいしょの言ことばは、すたることがあり得えない)10:36 父ちちが聖せい別べつして、世よにつかわされた者ものが、『わたしは神かみの子こである』と言いったからとて、どうして『あなたは神かみを汚けがす者ものだ』と言いうのか。10:37 もしわたしが父ちちのわざを行おこなわないとすれば、わたしを信しんじなくてもよい。10:38 しかし、もし行おこなっているなら、たといわたしを信しんじなくても、わたしのわざを信しんじるがよい。そうすれば、父ちちがわたしにおり、また、わたしが父ちちにおることを知しって悟さとるであろう」。10:39 そこで、彼かれらはまたイエスを捕とらえようとしたが、イエスは彼かれらの手てをのがれて、去さって行いかれた。 10:40 さて、イエスはまたヨルダンの向むこう岸ぎし、すなわち、ヨハネが初はじめにバプテスマを授さづけていた所ところに行いき、そこに滞在たいざいしておられた。10:41 多おおくの人々ひとびとがイエスのところにきて、互たがいに言いった、「ヨハネはなんのしるしも行おこなわなかったが、ヨハネがこのかたについて言いったことは、皆みなほんとうであった」。10:42 そして、そこで多おおくの者ものがイエスを信しんじた。
9:1 イエスが道みちをとおっておられるとき、生うまれつきの盲人もうじんを見みられた。
9:2 弟子でしたちはイエスに尋たずねて言いった、「先生せんせい、この人ひとが生うまれつき盲人もうじんなのは、だれが罪つみを犯おかしたためですか。本人ほんにんですか、それともその両親りょうしんですか」。
9:3 イエスは答こたえられた、「本人ほんにんが罪つみを犯おかしたのでもなく、また、その両親りょうしんが犯おかしたのでもない。ただ神かみのみわざが、彼かれの上うえに現あらわれるためである。
9:4 わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼ひるの間あいだにしなければならない。夜よるが来くる。すると、だれも働はたらけなくなる。
9:5 わたしは、この世よにいる間あいだは、世よの光ひかりである」。
9:6 イエスはそう言いって、地ちにつばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人もうじんの目めに塗ぬって言いわれた、
9:7 「シロアム(つかわされた者もの、の意い)の池いけに行いって洗あらいなさい」。そこで彼かれは行いって洗あらった。そして見みえるようになって、帰かえって行いった。
9:8 近所きんじょの人々ひとびとや、彼かれがもと、こじきであったのを見知みしっていた人々ひとびとが言いった、「この人ひとは、すわってこじきをしていた者ものではないか」。
9:9 ある人々ひとびとは「その人ひとだ」と言いい、他たの人々ひとびとは「いや、ただあの人ひとに似にているだけだ」と言いった。しかし、本人ほんにんは「わたしがそれだ」と言いった。
9:10 そこで人々ひとびとは彼かれに言いった、「では、おまえの目めはどうしてあいたのか」。
9:11 彼かれは答こたえた、「イエスというかたが、どろをつくって、わたしの目めに塗ぬり、『シロアムに行いって洗あらえ』と言いわれました。それで、行いって洗あらうと、見みえるようになりました」。
9:12 人々ひとびとは彼かれに言いった、「その人ひとはどこにいるのか」。彼かれは「知しりません」と答こたえた。
9:13 人々ひとびとは、もと盲人もうじんであったこの人ひとを、パリサイ人びとたちのところにつれて行いった。
9:14 イエスがどろをつくって彼かれの目めをあけたのは、安息日あんそくにちであった。
9:15 パリサイ人びとたちもまた、「どうして見みえるようになったのか」、と彼かれに尋たずねた。彼かれは答こたえた、「あのかたがわたしの目めにどろを塗ぬり、わたしがそれを洗あらい、そして見みえるようになりました」。
9:16 そこで、あるパリサイ人びとたちが言いった、「その人ひとは神かみからきた人ひとではない。安息日あんそくにちを守まもっていないのだから」。しかし、ほかの人々ひとびとは言いった、「罪つみのある人ひとが、どうしてそのようなしるしを行おこなうことができようか」。そして彼かれらの間あいだに分争ぶんそうが生しょうじた。
9:17 そこで彼かれらは、もう一度どこの盲人もうじんに聞きいた、「おまえの目めをあけてくれたその人ひとを、どう思おもうか」。「預言者よげんしゃだと思おもいます」と彼かれは言いった。
9:18 ユダヤ人じんたちは、彼かれがもと盲人もうじんであったが見みえるようになったことを、まだ信しんじなかった。ついに彼かれらは、目めが見みえるようになったこの人ひとの両親りょうしんを呼よんで、
9:19 尋たずねて言いった、「これが、生うまれつき盲人もうじんであったと、おまえたちの言いっているむすこか。それではどうして、いま目めが見みえるのか」。
9:20 両親りょうしんは答こたえて言いった、「これがわたしどものむすこであること、また生うまれつき盲人もうじんであったことは存ぞんじています。
9:21 しかし、どうしていま見みえるようになったのか、それは知しりません。また、だれがその目めをあけて下くださったのかも知しりません。あれに聞きいて下ください。あれはもうおとなですから、自分じぶんのことは自分じぶんで話はなせるでしょう」。
9:22 両親りょうしんはユダヤ人じんたちを恐おそれていたので、こう答こたえたのである。それは、もしイエスをキリストと告白こくはくする者ものがあれば、会堂かいどうから追おい出だすことに、ユダヤ人じんたちが既すでに決きめていたからである。
9:23 彼かれの両親りょうしんが「おとなですから、あれに聞きいて下ください」と言いったのは、そのためであった。
9:24 そこで彼かれらは、盲人もうじんであった人ひとをもう一度いちど呼よんで言いった、「神かみに栄光えいこうを帰きするがよい。あの人ひとが罪人つみびとであることは、わたしたちにはわかっている」。
9:25 すると彼かれは言いった、「あのかたが罪人つみびとであるかどうか、わたしは知しりません。ただ一つのことだけ知しっています。わたしは盲めくらであったが、今いまは見みえるということです」。
9:26 そこで彼かれらは言いった、「その人ひとはおまえに何なにをしたのか。どんなにしておまえの目めをあけたのか」。
9:27 彼かれは答こたえた、「そのことはもう話はなしてあげたのに、聞きいてくれませんでした。なぜまた聞きこうとするのですか。あなたがたも、あの人ひとの弟子でしになりたいのですか」。
9:28 そこで彼かれらは彼かれをののしって言いった、「おまえはあれの弟子でしだが、わたしたちはモーセの弟子でしだ。
9:29 モーセに神かみが語かたられたということは知しっている。だが、あの人ひとがどこからきた者ものか、わたしたちは知しらぬ」。
9:30 そこで彼かれが答こたえて言いった、「わたしの目めをあけて下くださったのに、そのかたがどこからきたか、ご存ぞんじないとは、不思議ふしぎ千万せんばんです。
9:31 わたしたちはこのことを知しっています。神かみは罪人つみびとの言いうことはお聞ききいれになりませんが、神かみを敬うやまい、そのみこころを行おこなう人ひとの言いうことは、聞ききいれて下くださいます。
9:32 生うまれつき盲めくらであった者ものの目めをあけた人ひとがあるということは、世界せかいが始はじまって以来いらい、聞きいたことがありません。
9:33 もしあのかたが神かみからきた人ひとでなかったら、何一なにひとつできなかったはずです」。
9:34 これを聞きいて彼かれらは言いった、「おまえは全まったく罪つみの中なかに生うまれていながら、わたしたちを教おしえようとするのか」。そして彼かれを外そとへ追おい出だした。
9:35 イエスは、その人ひとが外そとへ追おい出だされたことを聞きかれた。そして彼かれに会あって言いわれた、「あなたは人ひとの子こを信しんじるか」。
9:36 彼かれは答こたえて言いった、「主しゅよ、それはどなたですか。そのかたを信しんじたいのですが」。
9:37 イエスは彼かれに言いわれた、「あなたは、もうその人ひとに会あっている。今いまあなたと話はなしているのが、その人ひとである」。
9:38 すると彼かれは、「主しゅよ、信しんじます」と言いって、イエスを拝はいした。
9:39 そこでイエスは言いわれた、「わたしがこの世よにきたのは、さばくためである。すなわち、見みえない人ひとたちが見みえるようになり、見みえる人ひとたちが見みえないようになるためである」。
9:40 そこにイエスと一緒いっしょにいたあるパリサイ人びとたちが、それを聞きいてイエスに言いった、「それでは、わたしたちも盲めくらなのでしょうか」。
9:41 イエスは彼かれらに言いわれた、「もしあなたがたが盲人もうじんであったなら、罪つみはなかったであろう。しかし、今いまあなたがたが『見みえる』と言いい張はるところに、あなたがたの罪つみがある。
第10章 10:1 よくよくあなたがたに言いっておく。羊ひつじの囲かこいにはいるのに、門もんからでなく、ほかの所ところからのりこえて来くる者ものは、盗人ぬすびとであり、強盗ごうとうである。10:2 門もんからはいる者ものは、羊ひつじの羊飼ひつじかいである。10:3 門番もんばんは彼かれのために門もんを開ひらき、羊ひつじは彼かれの声こえを聞きく。そして彼かれは自分じぶんの羊ひつじの名なをよんで連つれ出だす。10:4 自分じぶんの羊ひつじをみな出だしてしまうと、彼かれは羊ひつじの先頭せんとうに立たって行いく。羊ひつじはその声こえを知しっているので、彼かれについて行いくのである。10:5 ほかの人ひとには、ついて行いかないで逃にげ去さる。その人ひとの声こえを知しらないからである」。10:6 イエスは彼かれらにこの比喩ひゆを話はなされたが、彼かれらは自分じぶんたちにお話はなしになっているのが何なにのことだか、わからなかった。 10:7 そこで、イエスはまた言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。わたしは羊ひつじの門もんである。10:8 わたしよりも前まえにきた人ひとは、みな盗人ぬすびとであり、強盗ごうとうである。羊ひつじは彼かれらに聞きき従したがわなかった。10:9 わたしは門もんである。わたしをとおってはいる者ものは救すくわれ、また出入でいりし、牧草ぼくそうにありつくであろう。10:10 盗人ぬすびとが来くるのは、盗ぬすんだり、殺ころしたり、滅ほろぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊ひつじに命いのちを得えさせ、豊ゆたかに得えさせるためである。10:11 わたしはよい羊飼ひつじかいである。よい羊飼ひつじかいは、羊ひつじのために命いのちを捨すてる。10:12 羊飼ひつじかいではなく、羊ひつじが自分じぶんのものでもない雇人やといにんは、おおかみが来くるのを見みると、羊ひつじをすてて逃にげ去さる。そして、おおかみは羊ひつじを奪うばい、また追おい散ちらす。10:13 彼かれは雇人やといにんであって、羊ひつじのことを心こころにかけていないからである。10:14 わたしはよい羊飼ひつじかいであって、わたしの羊ひつじを知しり、わたしの羊ひつじはまた、わたしを知しっている。10:15 それはちょうど、父ちちがわたしを知しっておられ、わたしが父ちちを知しっているのと同おなじである。そして、わたしは羊ひつじのために命いのちを捨すてるのである。10:16 わたしにはまた、この囲かこいにいない他たの羊ひつじがある。わたしは彼かれらをも導みちびかねばならない。彼かれらも、わたしの声こえに聞きき従したがうであろう。そして、ついに一つの群むれ、ひとりの羊飼ひつじかいとなるであろう。10:17 父ちちは、わたしが自分じぶんの命いのちを捨すてるから、わたしを愛あいして下くださるのである。命いのちを捨すてるのは、それを再ふたたび得えるためである。10:18 だれかが、わたしからそれを取とり去さるのではない。わたしが、自分じぶんからそれを捨すてるのである。わたしには、それを捨すてる力ちからがあり、またそれを受うける力ちからもある。これはわたしの父ちちから授さずかった定さだめである」。 10:19 これらの言葉ことばを語かたられたため、ユダヤ人じんの間あいだにまたも分争ぶんそうが生しょうじた。10:20 そのうちの多おおくの者ものが言いった、「彼かれは悪霊あくれいに取とりつかれて、気きが狂くるっている。どうして、あなたがたはその言いうことを聞きくのか」。10:21 他たの人々ひとびとは言いった、「それは悪霊あくれいに取とりつかれた者ものの言葉ことばではない。悪霊あくれいは盲人もうじんの目めをあけることができようか」。 10:22 そのころ、エルサレムで宮みやきよめの祭まつりが行おこなわれた。時ときは冬ふゆであった。10:23 イエスは、宮みやの中なかにあるソロモンの廊ろうを歩あるいておられた。10:24 するとユダヤ人じんたちが、イエスを取とり囲かこんで言いった、「いつまでわたしたちを不安ふあんのままにしておくのか。あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言いっていただきたい」。10:25 イエスは彼かれらに答こたえられた、「わたしは話はなしたのだが、あなたがたは信しんじようとしない。わたしの父ちちの名なによってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。10:26 あなたがたが信しんじないのは、わたしの羊ひつじでないからである。10:27 わたしの羊ひつじはわたしの声こえに聞きき従したがう。わたしは彼かれらを知しっており、彼かれらはわたしについて来くる。10:28 わたしは、彼かれらに永遠えいえんの命いのちを与あたえる。だから、彼かれらはいつまでも滅ほろびることがなく、また、彼かれらをわたしの手てから奪うばい去さる者ものはない。10:29 わたしの父ちちがわたしに下くださったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父ちちのみ手てから、それを奪うばい取とることはできない。10:30 わたしと父ちちとは一つである」。10:31 そこでユダヤ人じんたちは、イエスを打うち殺ころそうとして、また石いしを取とりあげた。10:32 するとイエスは彼かれらに答こたえられた、「わたしは、父ちちによる多おおくのよいわざを、あなたがたに示しめした。その中なかのどのわざのために、わたしを石いしで打うち殺ころそうとするのか」。10:33 ユダヤ人じんたちは答こたえた、「あなたを石いしで殺ころそうとするのは、よいわざをしたからではなく、神かみを汚けがしたからである。また、あなたは人間にんげんであるのに、自分じぶんを神かみとしているからである」。10:34 イエスは彼かれらに答こたえられた、「あなたがたの律法りっぽうに、『わたしは言いう、あなたがたは神々かみがみである』と書かいてあるではないか。10:35 神かみの言ことばを託たくされた人々ひとびとが、神々かみがみといわれておるとすれば、(そして聖書せいしょの言ことばは、すたることがあり得えない)10:36 父ちちが聖せい別べつして、世よにつかわされた者ものが、『わたしは神かみの子こである』と言いったからとて、どうして『あなたは神かみを汚けがす者ものだ』と言いうのか。10:37 もしわたしが父ちちのわざを行おこなわないとすれば、わたしを信しんじなくてもよい。10:38 しかし、もし行おこなっているなら、たといわたしを信しんじなくても、わたしのわざを信しんじるがよい。そうすれば、父ちちがわたしにおり、また、わたしが父ちちにおることを知しって悟さとるであろう」。10:39 そこで、彼かれらはまたイエスを捕とらえようとしたが、イエスは彼かれらの手てをのがれて、去さって行いかれた。 10:40 さて、イエスはまたヨルダンの向むこう岸ぎし、すなわち、ヨハネが初はじめにバプテスマを授さづけていた所ところに行いき、そこに滞在たいざいしておられた。10:41 多おおくの人々ひとびとがイエスのところにきて、互たがいに言いった、「ヨハネはなんのしるしも行おこなわなかったが、ヨハネがこのかたについて言いったことは、皆みなほんとうであった」。10:42 そして、そこで多おおくの者ものがイエスを信しんじた。
10:1 よくよくあなたがたに言いっておく。羊ひつじの囲かこいにはいるのに、門もんからでなく、ほかの所ところからのりこえて来くる者ものは、盗人ぬすびとであり、強盗ごうとうである。
10:2 門もんからはいる者ものは、羊ひつじの羊飼ひつじかいである。
10:3 門番もんばんは彼かれのために門もんを開ひらき、羊ひつじは彼かれの声こえを聞きく。そして彼かれは自分じぶんの羊ひつじの名なをよんで連つれ出だす。
10:4 自分じぶんの羊ひつじをみな出だしてしまうと、彼かれは羊ひつじの先頭せんとうに立たって行いく。羊ひつじはその声こえを知しっているので、彼かれについて行いくのである。
10:5 ほかの人ひとには、ついて行いかないで逃にげ去さる。その人ひとの声こえを知しらないからである」。
10:6 イエスは彼かれらにこの比喩ひゆを話はなされたが、彼かれらは自分じぶんたちにお話はなしになっているのが何なにのことだか、わからなかった。
10:7 そこで、イエスはまた言いわれた、「よくよくあなたがたに言いっておく。わたしは羊ひつじの門もんである。
10:8 わたしよりも前まえにきた人ひとは、みな盗人ぬすびとであり、強盗ごうとうである。羊ひつじは彼かれらに聞きき従したがわなかった。
10:9 わたしは門もんである。わたしをとおってはいる者ものは救すくわれ、また出入でいりし、牧草ぼくそうにありつくであろう。
10:10 盗人ぬすびとが来くるのは、盗ぬすんだり、殺ころしたり、滅ほろぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊ひつじに命いのちを得えさせ、豊ゆたかに得えさせるためである。
10:11 わたしはよい羊飼ひつじかいである。よい羊飼ひつじかいは、羊ひつじのために命いのちを捨すてる。
10:12 羊飼ひつじかいではなく、羊ひつじが自分じぶんのものでもない雇人やといにんは、おおかみが来くるのを見みると、羊ひつじをすてて逃にげ去さる。そして、おおかみは羊ひつじを奪うばい、また追おい散ちらす。
10:13 彼かれは雇人やといにんであって、羊ひつじのことを心こころにかけていないからである。
10:14 わたしはよい羊飼ひつじかいであって、わたしの羊ひつじを知しり、わたしの羊ひつじはまた、わたしを知しっている。
10:15 それはちょうど、父ちちがわたしを知しっておられ、わたしが父ちちを知しっているのと同おなじである。そして、わたしは羊ひつじのために命いのちを捨すてるのである。
10:16 わたしにはまた、この囲かこいにいない他たの羊ひつじがある。わたしは彼かれらをも導みちびかねばならない。彼かれらも、わたしの声こえに聞きき従したがうであろう。そして、ついに一つの群むれ、ひとりの羊飼ひつじかいとなるであろう。
10:17 父ちちは、わたしが自分じぶんの命いのちを捨すてるから、わたしを愛あいして下くださるのである。命いのちを捨すてるのは、それを再ふたたび得えるためである。
10:18 だれかが、わたしからそれを取とり去さるのではない。わたしが、自分じぶんからそれを捨すてるのである。わたしには、それを捨すてる力ちからがあり、またそれを受うける力ちからもある。これはわたしの父ちちから授さずかった定さだめである」。
10:19 これらの言葉ことばを語かたられたため、ユダヤ人じんの間あいだにまたも分争ぶんそうが生しょうじた。
10:20 そのうちの多おおくの者ものが言いった、「彼かれは悪霊あくれいに取とりつかれて、気きが狂くるっている。どうして、あなたがたはその言いうことを聞きくのか」。
10:21 他たの人々ひとびとは言いった、「それは悪霊あくれいに取とりつかれた者ものの言葉ことばではない。悪霊あくれいは盲人もうじんの目めをあけることができようか」。
10:22 そのころ、エルサレムで宮みやきよめの祭まつりが行おこなわれた。時ときは冬ふゆであった。
10:23 イエスは、宮みやの中なかにあるソロモンの廊ろうを歩あるいておられた。
10:24 するとユダヤ人じんたちが、イエスを取とり囲かこんで言いった、「いつまでわたしたちを不安ふあんのままにしておくのか。あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言いっていただきたい」。
10:25 イエスは彼かれらに答こたえられた、「わたしは話はなしたのだが、あなたがたは信しんじようとしない。わたしの父ちちの名なによってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。
10:26 あなたがたが信しんじないのは、わたしの羊ひつじでないからである。
10:27 わたしの羊ひつじはわたしの声こえに聞きき従したがう。わたしは彼かれらを知しっており、彼かれらはわたしについて来くる。
10:28 わたしは、彼かれらに永遠えいえんの命いのちを与あたえる。だから、彼かれらはいつまでも滅ほろびることがなく、また、彼かれらをわたしの手てから奪うばい去さる者ものはない。
10:29 わたしの父ちちがわたしに下くださったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父ちちのみ手てから、それを奪うばい取とることはできない。
10:30 わたしと父ちちとは一つである」。
10:31 そこでユダヤ人じんたちは、イエスを打うち殺ころそうとして、また石いしを取とりあげた。
10:32 するとイエスは彼かれらに答こたえられた、「わたしは、父ちちによる多おおくのよいわざを、あなたがたに示しめした。その中なかのどのわざのために、わたしを石いしで打うち殺ころそうとするのか」。
10:33 ユダヤ人じんたちは答こたえた、「あなたを石いしで殺ころそうとするのは、よいわざをしたからではなく、神かみを汚けがしたからである。また、あなたは人間にんげんであるのに、自分じぶんを神かみとしているからである」。
10:34 イエスは彼かれらに答こたえられた、「あなたがたの律法りっぽうに、『わたしは言いう、あなたがたは神々かみがみである』と書かいてあるではないか。
10:35 神かみの言ことばを託たくされた人々ひとびとが、神々かみがみといわれておるとすれば、(そして聖書せいしょの言ことばは、すたることがあり得えない)
10:36 父ちちが聖せい別べつして、世よにつかわされた者ものが、『わたしは神かみの子こである』と言いったからとて、どうして『あなたは神かみを汚けがす者ものだ』と言いうのか。
10:37 もしわたしが父ちちのわざを行おこなわないとすれば、わたしを信しんじなくてもよい。
10:38 しかし、もし行おこなっているなら、たといわたしを信しんじなくても、わたしのわざを信しんじるがよい。そうすれば、父ちちがわたしにおり、また、わたしが父ちちにおることを知しって悟さとるであろう」。
10:39 そこで、彼かれらはまたイエスを捕とらえようとしたが、イエスは彼かれらの手てをのがれて、去さって行いかれた。
10:40 さて、イエスはまたヨルダンの向むこう岸ぎし、すなわち、ヨハネが初はじめにバプテスマを授さづけていた所ところに行いき、そこに滞在たいざいしておられた。
10:41 多おおくの人々ひとびとがイエスのところにきて、互たがいに言いった、「ヨハネはなんのしるしも行おこなわなかったが、ヨハネがこのかたについて言いったことは、皆みなほんとうであった」。
10:42 そして、そこで多おおくの者ものがイエスを信しんじた。